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blog.goo.ne.jp/usato3103
それは今日のように、3月にしては肌寒い朝だった。私は10時からの会合に出るために外出の支度をしていた。ついていたテレビが急に変わり、そこには、地下鉄の入り口に横たえられた人と、ハンカチで顔を抑えてうずくまり嘔吐する人と、叫ぶレポーターと、銀色の救急隊員と、回り続ける赤色灯が映し出されていた。「これは日本か?」 出かけた会合では、本題よりも地下鉄のあの事件の話でもちきりになってしまった。週刊誌で「松本」の事件について読んでいた私は、あれはオウムよ、と話した記憶がある。 1995年はひどい年だった。1月には成人の日を含む連休翌日の明け方に神戸で大震災が起きていた。まだ暗い時間、家でも少なからず揺れを感じ、居間に下りていってテレビをつけた。大きく倒れた高速道路、火の手の上がった街をテレビが映せたのは、もう朝も明けきった頃だった。「これは日本?」 11年がたった。教祖は拘禁による精神障害と伝えられ
言葉を聴いたり、物を見たりしたとき、ほんのたまに、頭の奥の奥の「私」であるところに、解釈やら、理解やら、分析やら、考察やら、すべてを突き抜けて、突如と届く時がある。それはデジタルもアナログも理系も文系も感性も理性も、すべての取捨選択を超えて、やってくる。物に触れた途端に、びゅうーーんと、光のように飛んでくる。その「真」は、揺るがない。それに比べれば、なんと世の中は瑣末な分別に満ちていることだろう。好きとか嫌いとか、正しいとか間違っているとか。無用長舌な議論とか。 私は信じている。私の奥の奥の「私」で感じたもの、いや、それは「感じた」という言葉のカテゴリーの中にも入らないもの。「啓示」のように、それまでのすべての迷いを解いていくものだ。そうだったのだ、これが「真」であったのだと、届いた途端に、すべての細胞に、その「了解」が伝えられ、私は細胞のレベルまで納得する。「ああ、そうだったのだ。」それ
恥ずかしながら、大学は国文科だった。何がやりたくて国文を専攻したかったかというと、実は、「文体」がやりたかったのです。たとえば、夏目と鷗外は、文体が違う。何行か読むとそれがわかる。いったいその違いはどこから来るのかを知りたかったのである・・・しかし、卒業論文の課題を決める段階になり、それを考えるのはあまりにも難しいということに気づいた。ま、そういうわけで、卒論は、形容詞の名詞化接尾辞における意味の相違についてなんてところで、お茶を濁してしまった。難しそうに聞こえるけど、100マイルくらい逃げてしまった訳です。 画家がその人らしさを一目でわからせるように、プロの技は、「その人」であることが大切だ。文章もまたしかり。ああこの人のなんだわって思わせたら、もうプロの領域に片足を突っ込んでいる。しかし、文章には、色や音がないので、なかなか大変な技である。漢字、ひらがな、カタカナのバランス。語彙、句読
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