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薬師院仁志, 薬師院はるみ『公共図書館が消滅する日』牧野出版, 2020. 公共図書館史。舌鋒鋭くこれまでの公共図書館言説が批判される。だが、僕としては衝撃よりも「新しい視点での公共図書館史がようやく登場した」という安堵の念を抱いた。僕が大学院生だった二十年ぐらい前から、20世紀後半の公共図書館論や公共図書館史はイデオロギーで歪められてり、その史観に反することを述べると信者から理不尽な攻撃を受けるというのが知られていた。そういう歴史観への冷ややかな侮蔑が図書館情報学研究者の間で今世紀に広まった一方で、新しい通史を描くことに誰も挑戦してこなかった。もちろん図書館史領域における限定されたトピックでの進展はあった。しかし「正史」をひっくり返す試みは停滞していた。2018年の日本図書館情報学会シンポジウムにおいて、日本図書館情報学会元会長の根本彰が若手に新しい図書館史研究を求めたぐらいだった。とい
映画『ニューヨーク公共図書館:エクス・リブリス』フレデリック・ワイズマン監督, 2019. 日本初公開から遅れること五ヵ月、勤務先の近所にある下高井戸シネマ1)で公開されるというので出勤ついでに観てきた。ただし、長すぎて観た後に仕事をする気力は無くなった。なお、僕は20年以上前の1990年代後半に旅行者として同図書館を訪れ、館内ツアーに参加したことがある。けれども、その頃は僕の知識が無さすぎでかつ英語がわからないしで、よく理解できていなかった。 映画は特定の人物に焦点を当てることはせず、図書館が主催する講演会や会議、利用者などの様子を淡々と写してゆくというもの。館内の裏方仕事の描写やコレクションの紹介が無いわけではないものの、割合的には少ないと言えるだろう。カメラが捉えることの多くは、講演会や舞台活動、子どもやマイノリティに対する教育活動、文学サークルでのディスカッションなどで、主に人的サ
小熊英二『日本社会のしくみ:雇用・教育・福祉の歴史社会学』講談社現代新書, 講談社, 2019. 近年ではジョブ型/メンバーシップ型という概念で説明されるようになってきた日本の雇用制度の形成史である。米独などの雇用慣行との比較もある。新書ながら600頁もあるものの、著者の他の著作に感じることのある「無駄に長い」という印象はなく、コンパクトにまとまっていると言える。 本書は次のような歴史を描く。明治から戦前期にかけて、日本の大企業の雇用者は、上級事務員、下層事務員、現場労働者の三層構造だった。それぞれの学歴は大卒、高卒、中卒に対応したが、諸外国と異なり、学校で学んだ内容は問われなかった。また上級事務員のみ昇給と終身雇用が約束された。こうした三層構造は、政府における官僚組織や軍隊から影響を受けて形成されたと推測されている。 敗戦直後、上級事務員の生活が困窮するに及んで、彼らと現場労働者との同盟
ジェリー・Z.ミュラー『測りすぎ:なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?』松本裕訳, みすず書房, 2019. 定量評価の戒め本。統計学の細かい話ではなく、数値評価の導入によってメンバーの行動が歪められてしまうケースを集めて紹介している。ただし、数値評価全般が批判されているというわけではなく、組織の目標達成が損なわれるような、誤ったインセンティヴを与える数値評価を止めよう、という限定された主張を行っている。原書はThe Tyranny of Metrics (Princeton University Press, 2018.)で、著者の専門は歴史(経済史)である。 定量的評価の失敗例は、大学、学校、医療、警察、軍、ビジネス、慈善などの領域からとられている。手術の成功数で医者の報酬が決まるならば、医者は手術して治る見込みのある患者を優先し、状態の悪い患者を引き受けなくなる。重犯罪の発生数で警
中澤渉『なぜ日本の公教育費は少ないのか:教育の公的役割を問いなおす』勁草書房, 2014. 教育社会学。日本における教育への公的支出は諸外国に比べて低い。タイトル通り、なぜそのような現状となったのか理由について探っている。結論としては、日本国民が教育の社会的メリットを理解しておらず、教育への公的負担を強く支持していない、ということになる。一方、副題の「教育の公的役割」は十分検討されているわけではなく、それを前提として教育費の増額を求めているという印象だ。その検討は次著『日本の公教育』に詳しい。本書は、学術書ながら一般の人にも読める内容ではある。ただし、公会計における教育費や日本人の意識における教育費の地位を探るような細かい議論が続く。 政府支出における教育費の割合の国際比較から議論を説き起こし、教育の社会的機能を確認した後に次のようにトピックが展開する。近代教育制度発展の歴史、教育費と社会
山下泰平『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』柏書房, 2019. 明治大衆文学史。タイトルの面白さに惹かれて読んでしまった。著者は、国立国会図書館のデジタルコレクションを使って明治の大衆向け小説を読み漁り、ブログ1)を通じて紹介してきたとのこと。 読む前は著者の興味に従って目立つ作品をチェリーピッキングして紹介するだけの内容かと想像していたが、予想以上に体系的な歴史書となっている。とはいえ、著者の踏み込みすぎた解釈や言及もあり、真面目な研究書という感じでもない。明治の大衆娯楽物語には、著者の見立てによれば講談速記本、最初期娯楽小説、犯罪実録の三種類あって、それらは現在まで残っている純文学作品とはまったく異なるものだったという。これらは大正期にちゃんとした大衆小説が誕生することで一掃されたとのこと。 で、
高須次郎『出版の崩壊とアマゾン:出版再販制度〈四〇年〉の攻防』論創社, 2018. 日本における書籍の定価販売を巡る攻防記。アマゾンの話「だけ」の内容ではない。著者は緑風出版社長で、同社はアマゾンとは取引停止をしているとのこと。また、数年前まで日本出版者協議会の会長も務めていた人物である。日本出版者協議会というのは、2012年に改名するまで出版流通対策協議会(流対協)と名乗っていた、マイナー出版社を会員とする団体である。その設立は1978年であり、その目的は再販価格制を維持することであった1)。同じく出版社を会員とする団体に日本書籍出版協会(書協)があるが、そちらのほうに著名な出版社が加盟しており、規模も大きい。 全体の1/3は、1990年代の再販価格制の維持をめぐる公正取引委員会と出版界とのやりとりである。1990年代初頭の日米貿構造協議とそれを受けた規制緩和の雰囲気の中で、再販価格制の
「炎上しているらしいが、三郷市の彦郷小学校は称賛されるべき」の続き。昨日、都留文の日向良和先生フェイスブック記事のぶら下がりで、新出(@dellganov)氏と議論した話の続きをここに書く。極論めいており、書いている本人も納得してはいない。思考実験として読んでほしい。 前のエントリでは、情報漏洩を基準にすると、学校図書館と学校の間に境界線を引くことはおかしいとして彦郷小学校の件への「図書館の自由に関する宣言」の適用を退けた。しかし、目的外利用によるある種のプライバシーの侵害があることが指摘された。図書室における本の貸借の管理を目的とした貸出記録であるのに、それを先生が読書指導に転用するのは、「自己情報コントロール権」を侵しているということになる。 これはなるほどと思った。貸出記録に基づいた読書指導を、個人情報の目的外使用として批判することは妥当であるように思える。論点がいくつかある中で、唯
三郷市の学校図書館についての紹介記事が炎上しているらしい。僕にも首を突っ込ませてほしい。発端はハウスコムが運営するサイトLivin Enterteinmentの記事「1年間で1人あたり142冊もの本を読む埼玉県三郷市立彦郷小学校」で、同小学校は児童の学校図書館利用履歴のわかるデータベースを作って読書指導に利用しているという1)。記事は同小学校を読書教育を成功に導いた美談として採りあげている。だが、この話がプライバシーの保護をうたう「図書館の自由に関する宣言」に触れるということでネット上で批判されて炎上し、キャリコネニュースを通じて校長が謝罪する顛末となっている2)。 まず断っておくと、僕は「図書館の自由」の適用対象に学校図書館を含めることは妥当ではないと考えている。別件でそれについて述べた。しかし、疑問に感じたのは、今回の話はそもそも「図書館の自由」案件なのだろうか、ということである。 学
日本図書館情報学会の研究集会があったので会場の早稲田大学に行ってきた。僕が早稲田大学を訪れるのは学生時代以来で、20年以上前の学園祭でのこと。まだ学園祭を革マル派が仕切っていた頃で、入場にあたってパンフレットを千円で買わされた記憶がある(このパンフ代が彼らの資金源になっていた。今は革マル派は排除されている)。植木等の『日本一のホラ吹き男』で出てくる1960年代のキャンパスと、僕がみた1990年代のキャンパスはあまり変わらないという印象だった。今回訪れたら少々様変わりしていて、昔ながらの教室棟と、高層ビルなど新しい建物が混在していた。立て看板も少なくなっていた気がする。 学会での仕事は司会(公式)と異動のあいさつ(非公式)である。中央大の小山先生とのペアでの司会だった。彼は数年前まで日大の文理学部にいたので、僕の前任者ということになる。暇なときに「なぜ日大をお辞めになったのですか」と尋ねよう
岡部晋典『才能を引き出した情報空間:トップランナーの図書館活用術』勉誠出版, 2017. 献本御礼。というか、もらっておいてお礼の連絡もせず四カ月も放置していてすいません。以前、著者と会う機会があったときに本書の企画を聞かせてもらったことがあるのだが、同席した知人は「図書館の理解者による図書館礼賛本じゃないの?」とその意義に否定的だった、著者を目の前にして。僕らのように量的研究をやっていると「個人のエピソード」に対して懐疑的になってしまうというところはある。だが、著者による終章によれば、このような質的調査に挑んだのは「敢えて」とのこと。 読んでみると単純な図書館礼賛本ではないことがわかる。結果として図書館を肯定する発言は多くなっているものの、まずは著者の言う「トップランナー」たちがどのように知的な経験を積んできたか、キャリアを形成する上でどのように情報収集してきたかを明るみにするというコン
木下通子『読みたい心に火をつけろ!:学校図書館大活用術』岩波ジュニア新書, 岩波書店, 2017 師走の献本御礼および懺悔シリーズの第二弾。この本も夏にはすでに頂戴していて、絵葉書と缶バッジとポスターまでおまけにもらっておきながら、長期間放置しておりました。どうもすいません。今週木曜、僕の講義にゲスト講師として来ていただくということを思い出して、あわててエントリをおこした次第。 著者は埼玉県の高校司書で、現在は春日部女子高に勤務している。本書の1章では高校図書室での体験や工夫を伝えているが、2章以降はその経験が図書室の外へと広がっていく。ビブリオバトルやら図書館フェスの開催やら推薦図書リストの発行やら、とてもパワフルである。とはいえ悲壮感は無くて楽しそうなところがいいところ。近年、埼玉県の県レベルでの司書職募集(今年は二桁の人数‼)を見かけることがあったが、これも著者の活動の賜物だったとは
図書館関係者の間で話題となっている川口・金澤論文1)を読んでみた。まず「やっと出たか、図書館所蔵と新刊売上の負の相関」というのが第一印象。図書館関係者の間では十年前から論争があったけれども、小規模なデータを使った議論が多くて決定打が無かった。今年になって、経済学者の浅井澄子(明治大学)と貫名貴洋(広島経済大学)がそれぞれ関連する論考2)3)を発表していて、図書館の貸出と売上の低下の間の因果関係を否定していた。「やはり図書館の影響はないのかな」と関係者──僕も含めて──も思い始めていたところだった。それが年末に出たこの論文で覆されたわけで、その衝撃は大きい。 浅井・貫名ともにタイトル間の違いを考慮しないマクロデータを使っての検証だったが、川口・金澤論文は、個別のタイトルの所蔵数と販売冊数を突き合わせるという、ミクロデータを使っての検証である。2017年の4月から7月の毎月の、自治体単位での所
サミュエル・ボウルズ, ハーバート・ギンタス『協力する種:制度と心の共進化』竹澤正哲, 大槻久, 高橋伸幸, 稲葉美里, 波多野礼佳訳, NTT出版, 2017. 人間における「協力行動」の発生を理論的に検証するという試み。最後通牒ゲーム(この邦訳では「最後通告ゲーム」と表記)などの実験結果や文化人類学など実証研究への参照はあるが、基本的には協力行動を促す遺伝子が優勢となる理論モデルの検討に頁が割かれている。延々と数式を展開しての説明が続くので、読むのはかなりしんどい。最初に訳者解説を読んだほうがよいだろう。原書はA cooperative species: Human reciprocity and its evolution (Princeton University Press, 2011.)。 結論としては「内集団びいきの利他主義は進化しうる」ということのようだ。無差別な利他主義者
アレックス・ラインハート『ダメな統計学:悲惨なほど完全なる手引書』西原史暁訳, 勁草書房, 2017. 統計学。「べからず集」であるので、読むには初歩的な統計学の知識が要求される。入門段階から一歩踏み出して実際に使ってみようという人から、すでに統計を使ってビジネスや研究に勤しんでいる人が、おそらく読者となるだろう。そういう人たちにとって本書は繰り返し読む価値がある。しかし、統計学への入門は別途必要である。 有意性の解釈やデータの使いまわしなど、分析者が陥りやすい罠について説明し、罠回避のために有意性よりも信頼区間を重視することなどをアドバイスしている。楽しんで読む内容ではないが、それでも読みやすくなるように配慮がなされている。とりわけ説明に用いる事例の選択がなかなか興味深い。「美しい両親は娘を持ちやすい」(サトシ・カナザワ‼)「兄のいる男性はそうでない男性よりゲイとなる確率が高い」など、「
去る11月8日に気谷陽子先生が亡くなられた。享年64歳。僕は彼女の生前の最後の3年半ほどを仕事を通じて知っているだけで、このような話をネットで告知するようなかたちとなることには少々ためらいはあるのだが、彼女の講義を受けた人も多くいるはずであり、追悼の意味でここに記しておきたい。 気谷先生は長らく筑波大学図書館に勤務し、その間に図書館情報学の博士号も得ている。実務経験と研究業績を兼ね備えた図書館の専門家だった。定年退職の前後から南関東のいくつかの大学で非常勤講師をはじめ、獨協大学、専修大学、聖学院大学など司書資格課程を置く大学で教鞭をとった。もっとも目立った仕事は、放送大学での講義「情報メディアの活用」の講師だろう。同タイトルの教科書では山本順一先生との共編著者として名を連ねている。放送大学での講義は今年7月末にも放映されており、それを見た知人は「おそらく撮影時期はずっと以前だろうが」と断っ
先日、奈良にある宗教都市・天理市にご当地ラーメンがあると聞いたので、さいたま市からわざわざ食べに出かけた。ついでに天理大学で開催される日本図書館情報学会の研究集会にも顔を出した。 さて、今回の日本図書館情報学会の研究集会は発表数こそ多かったものの、僕が見たかぎりでは質疑応答が低調で、議論が盛り上がっていなかった。会場から質問が出ないので、司会者が無理矢理尋ねたいことをひねりだす、というシーンをしばしば目撃した。これは、発表者が多くて会場が三つに分散してしまったため、一会場における聴講者数が少なくなったせいだと思う。やはり一会場にある程度の人数が集まるようしたほうがいいんじゃないかな。あと、巨大な研究テーマの一部分を切り取っての発表というのがけっこうあって、その切り取った範囲ではコンパクトにまとまった発表であるものの、発表者の全体的な研究計画やコンセプトがわからなくて、聴く方の関心に訴えてこ
先日29日、三田図書館・情報学会の研究大会のために慶應義塾大学に行ってきた。ただし、聴くだけの立場であり、お気楽な参加者にすぎない。今年の研究発表のうち、特に午後の最初のセッションの三つの発表はとても面白かったので、順に紹介しようと思う。 まず薬袋秀樹先生の「公共図書館の貸出が図書の販売に与える影響に関する議論の特徴」。パワポなしの原稿読み上げによる発表だったが、予稿に十分な記述があったのでよくわかった。出版社側の図書館批判をよく検討してみると、その主張の範囲はエンターテイメント小説の貸出に限られているという。しかしながら、図書館関係者側──松岡要、常与田良、田井郁久雄の三人が俎上に載せられている──による反論は問題を書籍一般に拡大しており、回答にズレがある。そして、小説に限れば、諸調査は「図書館による売上への影響を小さく見積もってもよい」という考えを必ずしも肯定するものではないことを示唆
ディー・ギャリソン『文化の使徒:公共図書館・女性・アメリカ社会,1876-1920年』田口瑛子訳, 1996. 米国の公共図書館史で、サブタイトルにあるように1900年前後の動きを扱っている。原書はApostles of culture : The public librarian and American society, 1876-1920 (The Free Press, 1979)である。全体は4部構成で、第一部は黎明期の図書館指導者、第二部はフィクション論争、第三部メルヴィル・デューイの伝記、第四部は公共図書館における女性職員について扱っている。 第一部から第三部を大雑把にまとめると次のようになる。黎明期の図書館指導者は同時に古典学者だったが、19世紀後半にはデューイを筆頭にした世代が前世代と入れ替わる。後者は、労働者階級を図書館利用者にしようと尽力したが、その目的は社会的安定あ
ジョン・ポールフリー『ネット時代の図書館戦略』雪野あき訳, 原書房, 2016. 邦訳タイトル通りの、きのこ先生本である。著者はハーバード大の先生で、ロースクール図書館の館長も務め、米国デジタル公共図書館(DPLA)の設立にも関わっている。原書はBiblioTech: Why libraries matter more than ever in the age of Google (Basic Books, 2015)。『日本図書館情報学会誌』Vol.62, No.3に、国立国会図書館員の塩崎亮氏による書評も出ているのでご参考に。 著者の勧める戦略は、図書館員は紙の本も守りつつ、デジタルの大海にも乗り出せ、と二足のわらじを履くようすすめるもの。まず、電子化されていない資料がまだ多く存在し、また電子化されていても著作権のため図書館で無料で提供できない資料もあるので、紙媒体を保管・提供する合理
岡田一郎『革新自治体:熱狂と挫折に何を学ぶか 』中公新書, 中央公論, 2016. 戦後から1990年代頃までに誕生した革新自治体について検討する内容。記述の中心は1960年代から1970年代にかけてで、横浜市長の飛鳥田一雄、京都府知事の蜷川虎三、東京都知事の美濃部亮吉らが俎上に載せられる。著者は『日本社会党』(新時代社, 2005)という著書のある政治学者。中立的な立場で革新自治体の成立と衰退を冷徹につづっている。あとがきで、著者の父が警察官であり、1977年に成田闘争で過激派の襲撃を受けて殉職したことが明かされ、そのような因縁があったことに驚かされるのだが。 革新系の首長は、公害など高度経済成長に伴う社会問題の解決のために登場してきた。京都府、横浜市、東京都など都市部においてその支持の伸長が目立った。政策についてはエピソード的で包括的な記述ではないが、選挙での得票数や支持基盤などについ
服部泰宏『採用学』新潮選書, 新潮社, 2016. 採用学概説。このコンセプトを起ち上げた著者は、1980年生まれの若手経営学者で横浜国大准教授。日本企業の採用活動は、採用側が曖昧な評価基準しか持っていないため、大量に応募者を募って、面接官のフィーリングに合う上澄み層を選抜するものである。こうした方式が、採用の過熱化・高コスト化を促し、企業側にも求職者側にも負担となっているという。 ではどうするか。二つの対応がある。第一に、業務や会社の雰囲気について正確で詳細な情報を求職者に提供する。そうすると、真剣な求職者のみが応募するようになり、応募者が減って採用コストが減り、彼らの入社後の離職率も低くなるとのこと。ただし、労働市場が売り手市場であるなど、これがうまく機能するための条件もある。第二に、仕事に必要であるが、入社後に身に付けることの「できない」資質を判定する採用手続きとする。多くの日本企業
昨日、岐阜県図書館主催の県内図書館の研修会で講師を務めた。お題は「蔵書構成」。我らが焼肉図書館研究会の実証研究の紹介という発表内容をまず考えたが、依頼は『情報の評価とコレクション形成』(勉誠出版)の僕の担当部分を読んで決めたとのこと。あの本で29lib実証編を綴った大谷さんではなく、わざわざ僕に指名がきたわけだから、理論編でいくことにした。話のベースにしたのは前任校での紀要論文「図書館の公的供給:その理論的根拠」(CiNii)。あれを口頭でわかりやすく説明するのはとても難しい作業で、実際難しかったという感想をもらった。また明快な資料選択の方向性を与えたわけでもなく、聴講者にはどうにももどかしい話だったかもしれない。 ただし、資料選択が図書館の目的と直結しており、現在その議論が空白状態になっている点については納得していただけたのではないかと思う。図書館関係者にはよく知られていることだが、19
稲葉振一郎『不平等との闘い:ルソーからピケティまで』文春新書, 文藝春秋, 2016. 経済思想史。注意すべきは、タイトルからイメージされるような、不平等の解消や貧困撲滅のための歴史的に重要な運動や政治的動向を扱った本ではないこと。ジェンダー格差や人種差別なども直接には対象としていない(依拠している経済学がこれら概念を採用していないというべきか)。あくまでも焦点は経済上の格差で、経済学者の格差観やアプローチ法を整理したものである。登場する概念は抽象的で論理も複雑、新書としてはけっこう難しい内容といえる。 強引にまとめてみると以下。「不平等はけしからん。その原因は私的所有権だ」というルソーに、「貧困にまみれた野蛮人状態より生活水準があがったほうがよくね?格差があったとしても」というアダム・スミスを対置して本書の議論は始まる。スミス一派に対し「何にも資本を持たない労働者は経済発展の恩恵にあずか
ポーラ・ステファン『科学の経済学:科学者の「生産性」を決めるものは何か』後藤康雄, 2016. 研究活動の経済学であり、主に理系分野が対象。翻訳の元になっているのは編集本であるHandbook of the Economics of Innovation, Vol. 1 (North Holland, 2010.)の第五章で、そもそもは1996年のレビュー論文に遡ることができるという。というわけでかなり短い(全体で200頁以下)けれども、情報量豊富な学術書となっている。コホートだとか内生的成長だとか社会学や経済学分野の概念が説明なしに出てくるから、一般の人にはちょっと難しいだろう。 前半はマートン系の科学社会学でも扱うような領域を対象にしている。科学者の研究動機については、マートンだと地位と名声ということになっていた(うろ覚え)が、著者は「やっぱり金と知的好奇心の二つでしょ」(超訳)とまと
スチュアート・A.P.マレー『図説図書館の歴史』日暮雅通訳, 原書房, 2011. 世界の図書館史の入門書。A5版で4,200円とやや高価であるが、カラー図版が多いためであって、専門家向けというわけではない。高校生でも読めるレベルである。原書はThe Library: An Illustrated History (Skyhorse Pub, 2009.)。著者についてはよく知らないが、歴史やスポーツの本を主に書いているライターのようだ。 内容は、古代ニネヴェの図書館から始まって、ギリシア・ローマの図書館、西洋中世の教会附属図書館、ルネサンス期以降の王侯貴族および大商人の個人蔵書、ソーシャル・ライブラリー、公共図書館と展開するオーソドックスな流れを押さえている。加えて、中国やイスラムにおける図書館の記述も豊富なところが特徴だろう。日本についての言及も少しあるが、それほど重きを置かれていない
山口浩「「TSUTAYA図書館」と「図書館論争」のゆくえ」(Synodos, 2015.11.27)という記事を読んだのでコメント。TSUTAYA図書館からはじまり近年まで図書館利用者の偏りまで多岐にわたって図書館問題を指摘する長い論考である。著者はH-Yamaguchi.netの方ようで。 僕が専門家ぶるのも気が引けるが、少々補足したくなる点があった。著者は図書館について建設的な態度で提言してくれている。この点は評価したい。けれども、著者のアドバイスは特に目新しいものではなく、「そういう考えではまずいのではないか」と近年の図書館関係者が見直してきた考えそのものだ。記事中、要点の一つとして"19世紀の技術と社会を前提とした生まれた現代の図書館のあり方は、それらが大きく変化した21世紀の状況に合わせて変えていく必要がある"と掲げられている。これと似たような話は、図書館関係者ならばさんざん内輪
高野明彦監修『検索の新地平:集める、探す、見つける、眺める / 角川インターネット講座8』KADOKAWA, 2015. 現状の情報検索技術およびその思想を伝える論考集。検索とは何かという話から、テキスト検索、画像・映像検索、GPSや時刻への情報の紐づけ、セマンティックウェブ、連想検索などがトピックとなっている。親切に基本概念が説明され、難易度も各論考同じレベルに調整されており、このシリーズ(参考1 / 2)にありがちな、各論考毎に読者に求める知識がバラバラで説明が難しすぎたり易しすぎたりということがない。執筆者のほとんどは国立情報学研究所(NII)所属。Webcat Plusや新書マップを提供してくれている人たちである。 図書館情報学研究者としては、執筆者の経歴をみながら「情報検索はもう完全に工学系出身者の領域なんだな」という感慨を持った。当たり前だと思われるかもしれない。しかしながら、
エリック・ブライシュ『ヘイトスピーチ:表現の自由はどこまで認められるか』明戸隆浩ほか訳, 明石書店, 2014. 邦題には「ヘイトスピーチ」とあるが、それだけでなくホロコースト否定論、人種差別団体の規制、ヘイトクライムへの刑事罰の強化などについても扱っている。邦題の副題のほうが本書の問題意識をより適切に表しており、欧米各国が「自由」の原則──愚かなことをする自由、レイシストになる自由も含まれる──と差別表現・行為の規制をどう両立させているのかについて比較・考察する内容である。原書はThe Freedom to Be Racist? (Oxford University Press, 2011)で、著者は米国の政治学者である。示唆の多い内容で非常にためになった。 著者によれば、欧州では1960年代からポツポツとヘイトスピーチ規制が行われるようになってきたとのこと。それらは表現の自由の制限とな
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