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大そうじへの備え
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いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。 「一旦、辞めようか?」 その時彼女は15才。 高校進学を決め、 これから集中して勉強をしていこうとする彼女と、 僕はそんな話をしました。 あまい華はいつまでも咲けない。 そう。 本当は彼女は普通の女の子。 ボーカリストでもなければ作家でもない。 どんな子供でも大人になるまでに通る道があって、 その中でも最も多感と言える時期に偶然開花した才能は、 本当は誰にでもあるもの。 それはどんな人にでも必ずキラッと輝く瞬間は必ずあるということ。 彼女とはそんな話をしました。 彼女はそんなことの代弁者。証明者。普通の女の子の代表者。 どんなに一瞬でも「光りを放てれば」それだけでも十分に幸せな事。 光の色や眩しさ、大小は関係ない。価値も意味も無い。 放つ事が大事な事。 放とうとしたその意
いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。 血の色だ......これ......そんな衝撃、印象でした。 彼女は長い間、学校で酷いイジメにあっていたらしく、 その重く苦しい現実は彼女に独特の暗い雰囲気を纏わせていました。 それでも僕はその「暗さ」の中に「不思議な光」を感じていました。 それは暗闇だからこそ見えてくる 普段から心奥に佇んでいる魂の煌めきのようなものなのか、 暗闇で初めて磨かれ生まれた感性や才能の放つ光なのか...... その光の煌めく感覚は鮮明に覚えています。 とても頭が良くて、 13才にして既に大人びた人生哲学の様なものも持ちつつあって。 彼女の話す言葉には 余計な接続語や付帯語などは一切ありませんでした。 ぶっきらぼうなまでに切り詰められて話される言葉は 限りなく単語に近く。 含まれる感情も表情も
初めて知りました (蓮華) 2012-08-31 16:09:46 今日、たまたま久しぶりに螢のことを考えていて、 ウィキペディアの記事が更新されているので読んでみました。 そこで、ここのブログのことが書かれてあり、ここにたどり着きました。 螢には、私が高校時代に深夜のラジオ番組「螢の星くず」だ出会いました。 その不思議な魅力と、言葉の強さにひかれて、私は連日そのラジオに聞き入っていました。 地方に住んでいたのですが、一度だけ彼女のライブ(多分最後のライブ)にも行ったことがあるんですよ。 私は特に学校でイジメられたとか、そういう経験があるわけではないのですが、 彼女の不思議な魅力に、なぜか共感してしまいました。 そして、彼女はいったいどういった人間なのか、知りたくもありました。 しかし、彼女の背景については誰も、どこにも情報がなかったので、知ることができませんでした。 ここのブログで、初め
いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。 彼女が13才の時、僕は彼女に出会いました。 彼女の名前は「螢」 このブログのタイトルは、ある日、 中学一年生だった彼女と二人で公園の芝生に寝転がり、 ボーッと空を眺めていた時に、 彼女が「空に向かって」言った言葉です。 「......俺もそう思う。うん......」 何故でしょうか。 今でも僕の心に深く残る言葉、空、風景です。 当時僕は30才ぐらい。 今と同じくメジャーレコード会社でプロデューサー業をしていました。 初めて彼女に会った時、 彼女は何の変哲も無いグレー色をしたノートを...... それは女の子が好む様な可愛さなど微塵もなく、 「普通というのはこういうことですよーん!」 と訴えているようなノートを、 小さな手に大切そうに抱えてやって来ました。 そのノートが普通
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