サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大そうじへの備え
betatics.seesaa.net
えーっと、この記事を持ってこの「betatics」は更新停止となります。後は管理人が気が向いたら全ログを削除し、ブログ自体も消します(多分)。最近、このブログを閉鎖しようかどうしようか悩むことが多くなって、そろそろ潮時なんだろうなあと思います。理由としては、ここは結構自分の本音を書いてるんだけどそれをウェブに上げることが自分にとってあまり価値のあるものではなくなってきたってこと。単純に言うとリアル生活を優先したいってことですよ。結構まとまった文章を書くことが多くて、それはそれで良いんだけど、それが負担になってきたってことかな。しかも、最近書こうとすると、その話は前にもココで書いたような気がする。ついさっき書いた記事もアップしてそう思った。ってことはもう大体書きたいことは書き尽くしたんだろうなって。まあ、理由は後付け、とにかく閉鎖しようと思ったって事。そのまま放置しても良かったんだけど、やっ
中国新聞 - 来年度から地デジチューナー配布 生活保護世帯に無料でえーっと、うちではちょっと前にTVが壊れて、最近の情報源はAMラジオとインターネットなんだけど、全然困ってないよ?世の中の情報を得る為ならラジオで充分。出張先のホテルなんかで久々にTV見て思うのは以下の2つ。なんか一番組あたりに出てくるタレントの数が増えてない?TVって自分で流行り作り出して、そこからまたコンテンツ作り出すって言うマッチポンプしてんだな1.については確か昔は1番組あたり2-3人くらいのタレントが出てきてコメントしてたのが、最近は最低でも5人以上、10人くらい出てるのも珍しくない。2.については、例えば最近だとエドはるみとかがよく出てるけど、自分はさっぱりこの人のどこが面白いのか分からない。だけど、TVではちょっと前からやたら出演するようになったなあと思ってたら、最近、新聞のTV欄とかでは「エドはるみの壮絶人生
はてなのアカウントを削除した。はてなブックマークとはてなアンテナを使ってたんだけど、はてなブックマークって毎日クリップしても結局後で見返すことってほとんど無いんだよね。結果的にホットエントリに1票を投じるだけのその作業に嫌気がさした。アンテナについては、最近のサイトはほとんどRSS配信してるし、配信してなくても無理矢理RSS化するようなサービスも出てるから、これを機に全部bloglinesで拾うようにした。ネットって言うのはあくまでリアル世界の補助をするぐらいの使い方でちょうど良いんだ。ひたすら今までネットの海にどっぷり浸かっていたけどせめて海面付近くらいまでには浮上したいと思ってる。こういうのってリア充な人たちと話すようになって感じたんだよね。彼らはホントにネットは人間関係の補助にしか使っていない。会ってない時の連絡手段、会話の中でのネタ、くらいかな。でもこうやってブログ書くことも実はリ
死ぬ寸前の日記やblog2ch オカルト板から。読んでいたんだけど、以下の3つの内容の日記があった。(メンドクサイのでリンクは貼らない)ファミレスに来たと言う携帯からの書き込みの後、数時間後に事故か何かで死亡癌に侵されながらも前向きに明るく生きた人世の中に絶望して自殺した人特に印象に残ったのはファミレスに行った後、死んでしまった人。誰しもがそうだけど、明日死ぬなんて、考えもせずに生きている。今まで何年生きてきたから、明日以降も生きている、と言う思い込みで生きている。もし、死ぬ日が前もって分かっていたら、癌に侵された人みたいに残された人生を精一杯生きようとするのだろうか。そして、自殺した人は、もし自殺した翌日に死ぬ運命だと分かっていたら、どんな風に残りの人生を生きたのだろう。3人とも結果的には死んでしまったのだけれど、でも日記を書き始めてから死ぬまでの心境は3者3様だ。今までと変わりの無い日
硫化水素自殺が最近はよくニュースで取り上げられているけど、実際には年間30,000人以上が自殺していて、これは一日に換算すると約82人が自殺しているってこと。硫化水素自殺で一日5人がニュースになったとして、実際にはその16倍以上の人達がその他の方法を含めて自殺してるってこと。だから、今更数人が硫化水素自殺でニュースになったからってガタガタ言うなって言いたい。自殺未遂者は実際に自殺した人の10倍程度はいるそうだ。更に、自殺を実行しないまでも、いわゆる自殺志願者と呼ばれる人達はもっといると思う。彼らが自殺を実行しないのは。苦しまずに死ぬ方法がないからだった。楽に死ぬ方法を探している。この硫化水素自殺と言う自分の電源を切るように死ぬことができる方法を得て、今後、未遂者や志願者も次々と自殺を実行して行くのだろう。それが何か問題でも?廻りの人達がもっと気を使って気づけば良かった?自殺志願者は自殺願望
ここ最近リア充な人々といろいろと話す機会があったんだけど、まあまずリア充な人々は「リア充」と言う言葉自体知らないなあと。それこそがリア充の証の第一歩なんだけど。でも彼らは彼らで大変だと思った。自分の予定を次々入れていかないと気が済まないみたい。流行モノ系もとりあえず乗っとけみたいな。見てると泳ぐのを止めると死んでしまうマグロみたいにも見える。とにかくどんどん稼いでどんどん消費していかないって感じ?少なくとも自分が会った一部のリア充は「マスコミ等の洗脳に支配された小心者」って見えた。リア充さんたちと話してて思ったんだけど、やっぱりリアルって大切だし、人生において本当に面白いと言うか、充実するものってリアルの人間関係から生まれてくるものなんだよな。リア充さん達ってのはそういうリアルコミュニケーションに結構お金掛けてて、それは結構正しい選択だと思う。彼らにとってネットとは人間関係を補完する為の道
Seesaaサービスをご利用いただき、ありがとうございます。 現在弊社が利用しておりますデータセンターにてネットワーク障害が発生した影響をうけ、Seesaaブログ等弊社サービスがご利用頂けない状態となっております。 SAKURA Internet // 2008年12月19日 障害発生のお知らせ「西新宿データセンター」 http://www.sakura.ad.jp/news/archives/20081219-001.news 現在、サーバーセンターの障害は復旧しておりますが、正常にサービスの提供を行うため、弊社内において検証作業を行っております。 ご迷惑をおかけいたしますが、今しばらくお待ちいただきますようお願い申し上げます。 ※ メンテナンス完了後の注意 メンテナンス完了後もブラウザの種類によっては画像などのファイルの表示がキャッシュとして保存され、正常に表示されない場合
かわいい子犬と老犬。生まれたばかりの赤ちゃんと老人。学校卒業したばかりの新社会人と50過ぎのおじさん。この世の生き物はとかく、若い方が価値が高い。子犬は老犬なんかより高値で取引されるし、赤ちゃんと老人なら赤ちゃんが死んだ方がより多くの同情を集められる。我が社で採用するなら頭の固い中年よりフレッシュな新社会人です。そう考えると、生き物は全て(人間の価値観で測るなら)生まれたばかりの状態が最高に価値が高くて、そこからは滑り台を滑るようにどんどん価値は落ちていくんだ。実際、人間として生きてみたら、小学生の頃は何にでもなれる気がしてた。可能性は無限大で、ノーベル賞を取れる学者になれるかもしれない、世界で活躍するスポーツ選手になれるかも知れない、って思ってた。だけど進学するにつれ、可能性は狭められ、自分の限界を思い知らされ、夢想する気力も潰え、日々をおくる毎日へと落ち着く。そして広い世界の中の狭い世
「あまりに急」「検閲では」――携帯フィルタリングに事業者から不満続出 - ITmedia News404 Blog Not Found:百度目の正直なんて素晴らしい国日本!ライブドアの堀江社長、winnyの金子氏、そして今回のモバゲーなど、日本発の独自ウェブサービスやそれを仕掛けようとする人たちは速攻で闇に葬り、その間にアメリカや中国のウェブサービスはどんどん日本に入って来させる。そう!日本の老害トップ達はこう言っているのだ!「若者よ!大志など抱くな!お前らは派遣社員やフリーターとして我々の老後そして資産を増やす為に奴隷となるのだ!我々が理解できないようなことを勝手にするな!我々が思いつかないようなことを思いつくな!わけ分からんことして俺達の手間増やすな!」なんて素晴らしい日本政府様の本音!日本の株価が下がってTVが大騒ぎしているけど、当たり前だっつーの。投資家って「将来有望な」株を買うよ
何十年か前、未来を予想した絵にはロケットで宇宙旅行とか、空飛ぶ車とかが描かれていたものだった。ところが実際に21世紀になっても宇宙旅行には行けないし、空飛ぶ車も発明されなかった。だけど、過去に想像もしなかったものが21世紀には2つ出てきた。携帯電話とインターネット。なぜこの2つは21世紀の産物として出てきたのか。技術の進歩?それとも人間がそれらを欲しいと思ったから?もし、人間の科学技術の進歩が欲望を原動力としているならば、携帯電話もインターネットも人を繋ぐ、と言う道具であるから、人間はそれぞれ繋がっていたい、と言う欲望が一番強かったと言うことになる。実際、今みんなは電話で繋がり、メールでつながり、インターネットでつながり、更にネット内ではSNS、ブログ、ソーシャルブックマーク、などなどいろんなアイテムで情報を核にして繋がろうと必死。個人のプロフィール、時事ネタ、いろんなことを核にして、その
サイドバーに思う - takoponsの意味ブログ初心者や、ウェブデザインに全く興味の無い人はともかく、どうみてもHTMLやCSSを自在に扱えると思えるブロガーには自分の思想に沿ったデザインをブログでして欲しい。逆に言うと、ブログを見ればその人の思想が見えるデザインをして欲しいってこと。はてなスターの数やgoogle adsenseやその他色々ツールをつけてるブログを見かけるけど、結局そのブログで何がしたいのかってことはデザインから閲覧者に伝わっているってことを理解して欲しい。RSSで記事を全文配信してる?ブログツールやカウンターの表示更新のせいで、新しいエントリも書いてないのにアンテナを更新させてない?記事を読んで欲しいのか、モノを買って欲しいのかアクセスが欲しいのか?自分に取って使いやすいのか閲覧者に取って使いやすいのか?それらは全て意識的にしろ無意識的にしろ、全てブログのデザインから
3793ドリコムってやばくね?|初心者の銘柄予想ドリコムの第一四半期業績考 売上について - Casual Thoughts六本木系CFOの「自由奔放に生きよう!」ブログ : ドリコムの下方修正六本木系CFOの「自由奔放に生きよう!」ブログ : ドリコムの「財務制限条項」いやーいい感じで終焉が見えてきましたドリコム。まあ、ここからは妄想として読んで欲しいんだけど、学生気分の抜けない自信過剰気味な起業家がウェブログブームに乗っかって会社を興したらGMO、テレウェイブ、サイバーエージェントと言った胡散臭いIT会社に株式上場の話を持ちかけられ、本業もそっちのけで上場し、社長も上場益で儲かったと。でも本業は相変わらずで、儲かってそうな別会社買収したけどそれも差し押さえされそう、更に上場益でいっしょに儲けた3会社ももう手を引いているか、引きかけているか、ってなところでしょうかね。本来ならウェブログブ
ブログを見て廻っていると、お金目当てのいわゆるアフィリエイトブログっての?が物凄い多いんだけど、みんな本当にそれらを経由して物を購入しているんだろうかって思う。一日何度も自動投稿して、トラックバックを撒き散らして、確かにユニークアクセスは見かけ上増えると思うけど、アクセスした人のほとんどが「なんだ、自動作成された物乞いブログか」とがっかりしてもう二度とアクセスしない、ってのがほとんどだと思う。まあ、ごくまれに買う人がいるとは思うんだけど、それってアクセスした人の1%以下だと思う。そこまでしてやるにはそれでも採算が合うってこと?自動投稿のソフトを購入して、毎日アクセス状況とかチェックして、それだけの手間と投資を行っても儲かるってこと?そんなに儲かるなら、自動投稿のソフトを開発した人はそのソフトを売らなくても自分で使えばいいじゃん、と思うんだけど。自分もブログを参考にして物を買うことはない、と
何か仕事や学業で思った以上の成績が残せなかった時、「悔しくないのか」「見返したいと思わないのか」みたいなことを言われて、さもそう思うことが当たり前のように言われているんだけど、実際にそんな悔しいとか思うことって無いんだよね。ひとつの原因として、人それぞれ個性があって、それぞれの得意分野で頑張れば良い、みたいな風潮のせいで、ここは負けたけど別の分野では負けない、と言う感じで処理してしまっていると言うのがあると思う。だけど、実際に別の分野でも負けてしまって、じゃあ更に他の分野で、の繰り返しなんだろうけど。それ以上にでも根本的なところで「悔しい」なんて思う感情自体が無くなっていると思う。自分が腹がたつのは、他者から「悔しいと思わないのか」みたいな感情を強制されること。本音では「全く思いませんけど何か?」と言い返したい。言い返すと大体更に長い話が待っているのでしないけど。悔しいって何?自分がバカに
はてなスター日記 - ブログをいっそう楽しくする「はてなスター」をリリースしましたブロガーってどこまでひ弱なんだよ。肯定的な意見じゃなきゃコメントもブクマも嫌!私の周りをイエスマンだらけにするの!!って。はてなスターでは基本的に他人を褒めることしかできません。このサービスの気持ち悪さがここに出てるよね。そもそもインターネットっていろんな意見がごちゃ混ぜになっているのがその良さだよね。そこから自分にとって心地よい意見だけ取り出したいってどんだけ自分勝手なんだよ。と言うかどこまでブロガーは自分が可愛いんだよ。政府がインターネットを規制するって言うと大反対なのに、自分からそういう規制の中に飛び込んでいくって何考えてんだ。そう、家畜だよね。安全を求めて、自分から柵の中へと入って行く。 >肯定的な意見じゃなきゃコメントもブクマも嫌! SNS的な馴れ合いを望む声がはてなに対してあったのかどうかは分かり
気がついたら4ヶ月くらいここ放置してた。何してたかって言うと別にたいしたことはしてなくて、日常生活。ネットもまあ、ROMに徹してたって感じ?書きたい衝動も起きなかったしね。最近思ってたんだけど、リアル生活って大切だよね。少なくとも今の自分はリアル生活を一応人並みに送ることで得られているわけで、そっちを充実させないとって思うんだ。昔、小学生、中学生、高校生の時、今は幸せじゃなくても将来は幸せになれる、って思ってた。でも社会人になった今も学生時代と同じように、幸せはこの先にしかないような気がしてる。そしてこのまま定年して、その先に幸せがあるのかなあ、って考えるとそうじゃあないような気がするんだよね。先に幸せが待っている、と我慢するんじゃなくて、今の生活の中に少しでも幸せを作って、それをできればずっと死ぬまで持続していければいいなあ、って最近思うんだ。でも具体的にどうすれば分からない。分からない
ドリコム内藤社長が描く、“ニンテンドーDS的”Web 2.0提案とは? - CNET Japanこの記事ね、受けてる方もインタビューしてる方も意味分かってんのかって思うんだよね。まず、記事のタイトルが「“ニンテンドーDS的”Web 2.0提案とは?」となってるんだけど、内藤社長のコメントとしてはメディア関連などBtoCにおけるWeb 2.0ビジネスは、ゲーム機「ニンテンドーDS」のように「革新性の高い商品を作れば売れるので儲かる」という次元の話ではないとニンテンドーDS的やり方を否定しているように思えるんだけど。んでもって次のコメントではビジネスツールにおいても、ニンテンドーDSのようにWeb 2.0の技術やサービスを利用してITリテラシーの低い人たちが進んで使うようなサービス提案ができれば、Web 2.0の本質的な魅力をニンテンドーDSが普及したように広く認知させることが可能だと考えてい
世の中、どうでもイイことってのが星の数以上あるんだけど、今日でこのブログが1周年迎えたことも、管理人である自分以外の人間にはどうだってイイことなんですよ、ええ。まあ、ブログの99%の記事はどうでもイイことで成り立っているので、ここでもう一つそんな記事が増えてもいいですよね。開設当時はネット関係の話題をメインに扱おうかなー?くらいしか考えずに開設して、はてな界隈に喧嘩売って、その後、半年くらいは誰に向けるでもなく、自分の為に書いてた気がする。それが逆によかったのかなあ、と最近自爆している某氏を横目で見ながら思います。それと、一度hashigotanとyuki19762の3人で居酒屋に行く夢を見て、目覚めた時に夢と気づいて少し残念な思いをしたのもこのブログ始めてからの思い出です。今後もマイペースで更新続けていくつもりですので、よろしくお願いします。特に未だにRSSリーダーやアンテナに登録し続け
職場/学校から帰るとすぐにPCの電源をONにする。ここからが自分の本当の人生。まずは昨日書いた記事に対してはてなブックマークにクリップ数をチェック。あれ、思ったより付いてない。まあでもアルファブロガーが一人がチェック入れてるから、ここから更に上がる可能性があるなと自分を慰める。RSSリーダーで定期巡回。更にRSSの無いサイトをはてなアンテナでチェック。次にはてなブックマークのホットエントリーをチェック。大体この記事に対して意見述べようと当たりを付けてから今日のブログを書き始める。書いてるうちに更に新しい考えなんか思いついて、それも書く。更にちょっと煽り気味な内容なんかも入れたりしてね。この辺アイツが噛み付いてきそうだけど、それもよかろう。とりあえずそれで記事をアップ。その後は2chのニュー速板で最近のニュースをチェックしたりとか、適当にネット巡回。しばらくしてからさっき書いた記事のはてブ数
最近はいじめをテーマにブログ記事書くのが流行っているみたいで。しかしブロガーの皆さん曰く「自分だけは他人をいじめるような卑劣な人間じゃないですよ、いじめるヤツは最低、僕は違うけどね。」みたいな相変わらずの高みの見物ですか。ブロガー根性丸出しだよね。自分が中学生だったとして、クラスでイジメが行われてて、自分がそれに加担しない、或いはそれを見て見ぬふりせず、それを止めることができたんだろうかねえ。いっとくけど、見て見ぬふりしたって同罪だと思うよ。自分はそういうことができる自信がない、だから一方的にいじめたヤツを責めることはできない。人間と言うのはそういう残酷な一面を持った存在であって、それはいじめを直接行う人間だけでなく、自分もそれに含まれると言うことをしっかりと自覚する必要があると思う。そもそも廻りの大人がそういう自覚を持っていないから、子供に対しても説得力のある躾ができないんだと思う。「残
昨日、ロンドンハーツのBlack mailを見て、その後顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える: 天国からのラブレター 本村洋・弥生を読んだ。どちらもプライベートな内容が不特定多数へ、本人の許可無く開示されてしまう話だと気づいた。いつからか、誰かが誰かに書いた文章が、書いた本人に許可無く不特定多数へと公開されるような時代になってるんだなあと感じた。君が好きな人に送った渾身のメールも、相手に届いたらその友達に見せられているかも知れない。その文章や発言は、届けたいと思っている人に届いた時に最大の価値を持っていると思う。だけど、その文章や発言が届けたいと思っている人以外にも届いた時、その文章はどんどん磨耗・疲弊していくような気がした。「愛してる」とか「君だけだ」なんて言葉がいまや何の感動も起こせなくなっているのは、そうやって言葉だけが切り取られて浮遊しているからなのだろうか。言葉が真に重みを持つのは、
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『YouTubeでアニメの動画をみま専科』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く