サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
2024年ランキング
amview.japan.usembassy.gov
レノア・アドキンス アメリカで「代名詞の共有化」が急速に一般化してきています。 アメリカ英語の文法では、三人称代名詞を主語、目的語、所有格で用い、人や人々を表します。 これらの代名詞には、通性代名詞の「they/them/theirs」が含まれています。伝統的には三人称複数の代名詞ですが、今ではノンバイナリーを自認する人や性別情報を共有したくない人の間で使われています。他の代名詞には、女性形人称代名詞「she/her/hers」、男性形人称代名詞「he/him/his」がありますが、「ze/zir/zirs」といった性別を区別しない代名詞を先駆けて使う人もいます。 多くのアメリカ人が、SNSプロフィール、ネームタグ、電子メールの署名の一部に代名詞を追加するようになっており、対面かオンラインかに関係なく、会合やさまざまな場面でこれらの代名詞を明記しています。 設立から5年目を迎える「mypr
レストランは多くの場合、異文化を知る出発点として手ごろな場所です。 食べ物や飲み物、そしてもてなしの精神が、失われる文化を人々に知らせる役目を果たすこともあります。米国でレストランを経営する2人が、米国務省が運営するサイト「シェアアメリカ」の取材に応じてくれました。彼らは提供する食事について客に説明しながら、中国共産党が何十年にもわたり行っている新疆ウイグル自治区のウイグル人弾圧についても伝えているそうです。 ロサンゼルスのレストラン「ドランズ・ウイグル・キュイジーヌ」(「ドラン」とはウイグル自治区の人々や地域のこと)では、従業員が表側に「Google Uyghurs」、裏には「#closethecamps」とプリントされた黒のTシャツを着ています。このTシャツが従業員とお客さんとの会話のきっかけになるとオーナーのバグラ・アーキンさんは言います。 ロサンゼルスのレストラン「ドランズ・ウイグ
牛丸由恵 在札幌米国総領事館 広報・文化交流部 イランカラプテ!(アイヌ語で「こんにちは」) 2020年はアイヌ民族にとって、歴史的に重要な年になるのでしょうか? 今年、北海道白老町にウポポイ(民族共生象徴空間)が完成し、一般公開がスタートしました。ウポポイは、アイヌ文化の振興と普及のみならず、先住かつ少数民族であるアイヌの文化の復興と発展を推進する施設として期待されています。 ウポポイの開館というアイヌ民族にとって大きな出来事となる年ということから、在札幌米国総領事館は、アイヌ文化の若き担い手である萱野りえさんに、オンラインでお話を伺いました。萱野さんが在住する北海道平取町は札幌市から車で約90分、北海道の空の玄関口である新千歳空港からは東に車で1時間ほどの人口約5300人の小さな町です。平取町はアイヌ民族が人口の過半数を占める町でもあり、町内には「二風谷アイヌ文化博物館」「沙流川歴史館
ノエラニ・カーシュナー 1990年代にピーター・ツァイさんがN95マスクに使用される素材を発明したとき、数十年後にそれが何百万人もの命を救うことになるとは思いもしませんでした。 新型コロナウイルス感染症が世界的に流行する現在、このマスクはウイルスや細菌を封じ込めることができるので、世界中の救急隊員、医療従事者、そして感染の危険にさらされる人々が使用しています。 「私の発明は、特別な時期の平凡なものに過ぎません」とツァイさんは言います。 N95マスクは帯電繊維で作られていますが、ツァイさんはその開発に10年以上を費やしました。 1981年、カンザス州立大学に留学するため台湾から渡米したツァイさんは、工学やハードサイエンスなどさまざまな科目を500単位以上履修した後、物質科学の博士号を取得しました。取得した単位数は「博士号6つ分に相当」すると言います。 ツァイさんはカンザス州立大学の教授に付い
リー・ハートマン 米国、オーストラリア、日本が主導する新たな「ブルー・ドット・ネットワーク」は、主要なインフラ開発プロジェクトを世界レベルで認可する役目を果たし、そのプロジェクトは持続可能で、途上国の搾取を意図するものではないと関係者に示すことになるでしょう。 このネットワークがフル稼働すれば、質の高いグローバルなインフラ開発規準の下、政府、民間部門、その他の機関が一体となります。 米国は「関係者全員の相互利益となる、透明性の高い、競争力のある市場主導型の制度を望んでいる」。2019年10月、マイケル・R・ポンぺオ国務長官はこのように述べています。これに対し国家主導型の経済モデルは、賄賂を伴った取り決めが密室で行われ、地域社会のニーズを考慮しないという点で対照的です。 そこにブルー・ドット・ネットワーク誕生の意義があります。 ブルー・ドット・ネットワークは、以下のように機能します。品質促進
近年、国際結婚の破たんに伴い、両親が子どもの親権を争った結果、一方の親が他方の親に無断で子どもを国外に連れ出してしまう「国際的な親による 子の奪取」の事例が世界中で増えている。このような出来事は子どもにとっても親にとっても悲劇である。米国国務省は、子どもを不当に奪取された米国人の親 を支援するために専門の部署を設け、この問題に積極的に取り組んできた。「国際的な親による子の奪取」の問題と、それに対する国務省の取り組みについて、 ミシェル・ボンド国務次官補代理(海外市民サービス担当)に詳しく説明してもらった。 ミシェル・T・ボンド米国国務次官補代理(海外市民サービス担当)。1977 年に国務省入省し、グアテマラ、旧ユーゴスラビア、旧チェコスロバキア、ロシア、オランダに外交官として赴任。領事局の複数の部門の責任者を経て、2007 年7月より現職。 問:国際的な親による子の奪取とはどのような問題で
リー・ハートマン、サラ・ジェメニー・ウィルキンソン 中国共産党による中国西部に住むイスラム教少数民族への迫害。この事実を広く知らしめようと、漫画を発表した日本のアーティストがいます。 彼女の名前は、清水ともみさん。漫画家です。新疆ウイグル自治区の強制収容所で拷問や非道な扱いを受けた若いウイグル人の母親、ミフリグル・トゥルソンの話を伝えています。
By Colin P.A. Jones, Professor at Doshisha University Law School Introduction Japan has developed a growing reputation as a haven for international parental child abduction. Major media outlets in the United States and other countries have brought attention to a number of recent cases of children being unilaterally removed by a Japanese parent from the United States before or after divorce, often
コリン・ジョーンズ 同志社大学法科大学院教授。ケンブリッジ大学クレアホール終身会員。ニューヨーク州、グアム、パラオ共和国の弁護士資格を有する。カリフォルニア大学バークレー校で学士号、東北大学で法学修士号、デューク大学で法学修士号と法務博士号を取得。(写真 新潮社) 序論 日本は国際的な親による子どもの奪取の温床という評判が高まっている。日本人の親が離婚の前後に米国から一方的に子どもを連れ去る事例が最近多発しており、しかもこうした行為が米国の法律や裁判所命令に違反している場合が多いことから、米国や他の国々の主要メディアの関心が集まっている。 日本の法制度を通じて日本に連れ去られた子どもの返還を試みてもなかなか成功しない。その結果、米国で生まれ育った子どもの中には、米国人の親、親戚、友人、米国人として受け継いだものとのつながりを断ち切られてしまう子もいる。こうした連れ去りに対し日本には法的救済
日系人ハリウッド俳優、ジョージ・タケイ氏が6月に来日し、全国各地で講演した。アメリカでは6月がLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)月間となっており、LGBTの人たちの権利についてさまざまな啓蒙活動が行われる。タケイ氏の来日は、その活動の一環であった。東京でも講演会が開催され、大勢の聴衆が詰め掛けた。中にはタケイ氏演じるヒカル・スールー役の衣装を着て、最前列に座るファンもおり、タケイ氏が登壇すると、満席の会場から拍手と歓声が起きた。(講演会の模様はビデオをご覧ください) 「ヒカル・スールー」とは何者か ではジョージ・タケイ氏とはどのような人物だろうか。 彼のことを知らない人でも「スタートレック」の名前は耳にしたことがあるはずだ。「スタートレック」とは1966年の第1シーズン放送開始から現在まで、アメリカ国内外に多くのファンを獲得してきたSFテレビドラマの金字塔であ
東日本大震災から間もなく5年。この未曾有の災害で多くの人々がさまざまな困難や悲しみを経験する一方、震災からは人間味あふれるドラマも生まれた。昨年10月に日本に戻ってきた2基の笠木(神社などの鳥居の上部に据えられる横木)もそのひとつだ。笠木返還の裏には、震災の被害を受けていない多くの人たちが、被災者をどれだけ思いやっているかがひしひしと感じられる物語があった。 太平洋を挟んで日本の対岸にあるアメリカ・オレゴン州の海岸には、震災後たくさんの漂流物が日本から流れ着いた。多くはがれきだったが、2013年3月22日、形をとどめた物体が漂着した。大きな朱色の木片。「これは大切なものに違いない」と考えた発見者のジャドソン・ランドール氏は、オレゴン州公園レクリエーション局に写真を送り、確認を依頼した。彼は最初に漂流物を見たときの印象を次のように語る。「これが日本から大洋を渡って流れてきたと考えると感慨深い
バーベキューはアメリカの食文化のひとつ。特にメモリアルデーには、家族や友達が集まって庭でバーベキューをするんだ。アメリカ料理は豪快でシンプルなイメージがあるけど、実はバーベキューに関してはアメリカ人にはものすごいこだわりがあって、本格的なアメリカンバーベキューの調理はなんと15〜17時間にも及ぶんだ! 「スモーク」や「ロースト」といった調理法を使い分けて、ソースに漬けたり、スパイスを擦りこんだりしたものを、蓋付きのグリルで長時間じっくりと調理していくと、分厚い赤身肉だって肉汁がしっかり閉じ込められて、ジューシーにおいしく焼き上げることができるんだよ。 アメリカではバーベキューの達人は、「ピット」と呼ばれる肉を焼くかまどのマスターという意味で「ピットマスター」と呼ばれ、特別な技術を持った、日本でいうところの「職人」として尊敬されている。そんなピットマスターってどういうものなのか、テキサスでも
「とにかくアメリカに来ちゃいなさい」。現在、アメリカのピクサー・アニメーション・スタジオでアートディレクターとして活躍する堤大介氏は、アメリカ行きを不安に思う日本人の若者にこうアドバイスする。高校卒業後に渡米し、コミュニティー・カレッジを経てニューヨークの美術大学で絵を学んだ経験を踏まえた堤氏の信条、それは「アメリカに来るのに準備は要らない」だ。 “悩む期間がすごく大事” アメリカに留学した当初のことについて堤氏は、留学ブームに乗って留学自体は気軽に実行したが、大きな悩みに直面したと語った。アメリカに来たのはいいけれど、何をすべきかが全くわからなかったからだ。「僕は(日本の)大学の受験勉強もしてなかったんで、何を勉強したらいいかわからなかったんですよ。だから最初はすごく悩みましたね。18~19(歳)にもなって何をしたいのか全くわからない」。後になって振り返れば、悩む期間がすごく大事であり、
2019年5月、トランプ大統領が来日します。1974年のフォード大統領以降、歴代のアメリカ大統領は在任期間中、少なくとも一度は日本を訪問しています。過去30年間に大統領が来日したときの様子を、写真で振り返りましょう。 ロナルド・レーガン(在任期間:1981-89年) 来日回数:2回 1983年11月 1983年11月9日、昭和天皇と共に、赤坂迎賓館での歓迎式典に臨むレーガン大統領とナンシー夫人 1986年5月 東京で開催された先進国首脳会議に出席した各国首脳の集合写真。左から5人目がレーガン大統領。1986年5月5日に赤坂迎賓館で撮影 ジョージ・H・W・ブッシュ(在任期間:1989-93年) 来日回数:2回 1989年2月 1989年2月24日、新宿御苑で執り行われた昭和天皇の「大喪の礼」に参列したブッシュ大統領とバーバラ夫人 1992年1月 バーバラ夫人と海部俊樹首相が見守る中、平安貴族
コリン・ジョーンズ 同志社大学法科大学院教授。ケンブリッジ大学クレアホール終身会員。ニューヨーク州、グアム、パラオ共和国の弁護士資格を有する。カリフォルニア大学バークレー校で学士号、東北大学で法学修士号、デューク大学で法学修士号と法務博士号を取得。(写真 新潮社) 序論 日本は国際的な親による子どもの奪取の温床という評判が高まっている。日本人の親が離婚の前後に米国から一方的に子どもを連れ去る事例が最近多発しており、しかもこうした行為が米国の法律や裁判所命令に違反している場合が多いことから、米国や他の国々の主要メディアの関心が集まっている。 日本の法制度を通じて日本に連れ去られた子どもの返還を試みてもなかなか成功しない。その結果、米国で生まれ育った子どもの中には、米国人の親、親戚、友人、米国人として受け継いだものとのつながりを断ち切られてしまう子もいる。こうした連れ去りに対し日本には法的救
ニール・フィッシャー海兵隊少佐に聞く 日米同盟50周年を記念し、在日米軍が「わたしたちの同盟 永続的パートナーシップ」というマンガを発行した。American Viewはこのプロジェクトで中心的な役割を果たした在日米軍司令部広報部副部長のニール・フィッシャー少佐に、マンガ制作の舞台裏を聞いた。 問 日米同盟を解説する手段としてマンガを選んだ理由を教えてください。 答 マンガ以外にもいくつか選択肢がありました。日米同盟50周年に当たる2010年が近づいた頃、記念に何をするか話し合い、実際には25ほどの候補が挙がりました。パーティーや祝賀会から、自動車のバンパー・ステッカー、Tシャツ、マンガなどです。そのうち2つの案を、当時のライス在日米軍司令官が採用しました。それがこのマンガと、一連の祝賀会だったのです。広報部副部長の私はマンガ制作の担当になりました。 問 このマンガが対象とする読者層を教え
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『American View』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く