そろそろ『「疑似科学」批判の研究』も出て来ておかしくないなと思いつつ、一々調べる気もしない。 などと隠棲氏の所を見ながら思った。 隠棲氏の所からリンクされていた疑似科学批判(もやってる)者のブログをつらつらと読みながら、批判者の傾向ぐらいならありそうだなと思ってみた。 そのブログに限ったことではないのだが、疑似科学批判の文章からはしばしば不自由さを感じる。良く言えば(!)啓蒙主義的といったところだろうか。自由という概念は多様で扱い辛いが、ここでは「バカが馬鹿を見るのは当然」というぐらいの意味だと思って頂きたい。と言っても、詐欺や窃盗の類いを認めているのではなく、あくまでも際どい所までのお話だ。逆に、不自由というのは、たとえばバカを救済しようとでも言い出しかねない社会派な感覚などのことである。 私がかつてパワーヘルスに関連して繰り返し述べたことだが、重要なのは、商品の原理について「間違い」が