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aketekure.hatenablog.com
お知らせがすっかり遅れてしまいましたが、事実上 https://note.mu/hachi8833 に引っ越しました。 ここは今後更新されません。引っ越しの理由は広告がうざいのと、はてなダイアリーのフォーマットに飽きたからです。 引越し先でもそれほど頻繁には更新していませんが、やむにやまれず自分のために書いてしまうのは相変わらずです。 ここは更新はしませんが、閉じることもしません。たまに読み返すと何だかめちゃめちゃ面白いので、それ用に取っておきます。 Tumblrはリブログ専用ですが、なぜかこっちの方がずっと活発です。 最後に先祖集合体からのご挨拶をお伝えして、私からの挨拶に変えたいと思います。 【それは逆さまじゃ 集合体呼ばわりすっとや】 【三次元に住んじょる皆さん こげな半端もんがああでもないこうでもないと書き散らしとっとですが いやな思いせんかったでしょうか それがなければよかとです
カネゴンは好きでないものをめったに表明しないのだけど、Excelというソフトウェアに対してだけは近年になるほど憎しみが募ってしまう【可愛さ余らぬおれカネゴン】。なおWordに関しては諦めの心境です。 これまで、いったいどれほどの生産性・創造性がExcelによって無駄に地面に吸い込まれてしまっているだろうか。 Excelの恐ろしさの1つは、それをいじっているだけで何か仕事をした気になってしまうところだったりする。実際にはExcel操作の9割5分は単なる画面レイアウトの微調整であり、ほんの僅かな操作で印刷レイアウトはガタガタに崩れてしまうために、皆大変な苦労をして何かするたびに毎度毎度レイアウトを維持するはめになる。 Excelブックは、百歩譲ってもせいぜい中間生成物として最小限に使うだけにとどめるべきであり、Excelフォーマットのまま顧客に渡したり、地震データのような重要なデータをExce
世の中の漫画家を大きく二つに分けると、女の子のパンツを描くのが好きな人と嫌いな人に分かれるのだけど、久米田康治は明らかにそれが好きでないというか女の子のパンツとかどうでもいいと思っているタイプに該当する【どうでもよくないおれカネゴン】。「絶望先生」に登場する女の子たちのスカートが常にめくれ気味になっているのが、完全に記号化かつルーチンワーク化していたところにそれが現れている。 世界の他のどこの国にもない日本だけの漫画・アニメの特徴として、女の子のパンツをさまざまな形で手を変え品を変え念入りに表現するというのがあり、最早伝統芸の域に達している。人類史上、これほどまでに執拗に女の子のパンツが描写され続けている時代がかつてあったであろうか【演説台とおれカネゴン】。 カネゴンが推測するに、おそらく70年代初頭ぐらいに女の子のパンツを一瞬だけ描くとどういうわけか子どもたちの間で人気が高まることが発見
復活のついでに、カネゴンのとっておきの文章術を今頃になってここに晒します。 実はカネゴンの文章の書き方にはたった一つのこつしかなく、それは「結城浩さんが読んで悲しみそうなことは書かない」というものだったりする。別に結城さんでなくても誰でもいいのだけど【誰でもよかったおれカネゴン】、一人そういう人を心に定めておくことで、カネゴンが不要な毒をここで放出して爆発炎上決壊沈没することを防ぐことができたと今にしてみて思う。 ネットで炎上しないためのプラクティカルな方法は、実はそれ以外になかったりする。特に、自分の中にいて自分を外から観察している神みたいなものを心の中に持たないことの多い日本人には、一番向いている方法だと思う。 それに、このルールに抵触しなければ何を書いてもいいということなので、カネゴン的には文章を書くうえで何の不自由もなかったりする【カエルの面におれカネゴン】。
今回はレジデント初期研修用資料っぽく書いてみる【書けるものならおれカネゴン】。 治らない計算違いに苦しみながらいい年こいて線形代数をやっているところなのだけど、これまで何となく集まってきた様々な教科書を見比べてつつやってみて、結局一番よかったのが今や老舗のEMANの物理学Webサイトの片隅にある線形代数だった。 どこがいいかというと、EMANさんの書き方に見事なストーリーがあるところが素晴らしい。各単元がバラバラにならず、伏線として後に必ず回収され、全体として読み物になっている点。数学ガールの次回作の骨格として必ずや採用されるとカネゴン今のうちに予言しておきます【予言で終わるおれカネゴン】。 もちろん書き方としては荒っぽい面もあり、網羅的ではないのでこれだけではいろいろ足りないのだけど、カネゴンはEMANさんの文章で初めてユニタリ行列や固有値が何なのかがやっと得心がいった。 多くの線形代数
同じく。 ・自分のトラウマを治そうとするなら、その原因を作った相手を許す以外に方法はない。 http://gnxshop.blog.so-net.ne.jp/2013-03-06 それが自分であっても許すしかないだろうか。
合成関数の微分法則はつくづく凄いと思う【遅きに失したおれカネゴン】。微分の他の公式は忘れてしまっても、これだけは身体に叩きこんでおかないといけなさそう【入れ墨カンペのおれカネゴン】。 球の体積を半径rで表す式があるとき、合成関数の微分法則を使えば、その式にないはずの時間tでいきなり微分してとできてしまう。 正直、このtはどこから現れたのかと狐につままれたような気持ちになるのだけど、これはたぶん、多項式を因数分解するときにそこにないけど欲しい変数を足しかつ引いて全体ではゼロになるようにしてつじつまを合わせる方法とかと同じく、最終的にゼロになるならそこに何を書き加えても許されてしまうというあれだと思う【朝に三つのおれカネゴン】。 それがありなら、連続関数でありさえすれば何でもかんでも時間で微分できてしまうことにならないのだろうか。そんなに酷使して、時間様の怒りに触れたりしないのだろうか【生贄捧
高木浩光という人は実に得がたい人物だと思う。空気を読むことなど決してなく、手加減することもせず、ゴルゴ13のごとくただひたすらに自分の信念のみに従って、間違ったまま放置されているセキュリティホールに対して異常なまでの情熱を注いでそれらを明らかにし続けている。 人口十億人の中国が4000年かかってやっと孔子を得、人口十億人以上とも言われるインドが釈迦に続いてやっとアマルティア・センを得たのと同じぐらい、高木浩光をもう一人得るのは難しいと思う。その貴重さ加減はレアアースどころではない。 このような貴重な人物に対し、おそらく今後ありとあらゆる恐喝恫喝泣き脅しハニートラップが組関係や総会屋関係や電通がらみやモサドがらみで押し寄せてくると思われるので、カネゴンたちとしてはたとえば次のような方法をもってこれらの圧力を可能な限り排除し、彼を全面的に支援しなければならない。 家族や親戚に身の危険が及ぶこと
カネゴンは恐ろしくてたまらない どうして 最果ての宇宙空間の 星どころか分子一つ転がっていない 極めつけの真空中で たった一粒の電子をゆさぶるだけで 何もないはずの真空がそれに反応して 電界と磁界を生じるのか そうして生じた電界と磁界が 実数軸と虚数軸を行き来し 互いに相手をかきたてながら まるで真空が 硬くて冷たい超電導体であるかのように 距離の自乗に反比例しながら 四方八方へと最大速度で拡がって いかなる地点へも最終的に到達するのか 空気を伝わる割れ鐘の音は いつしか減衰してたちまち雑音にうずもれ 観測不能になるというのに 電界と磁界のざわめきは どれほど遠くにあっても 星を見る者たち一人ひとりに ひと粒ずつのか弱い光子となって届けられるのか それでいてそれらの電界と磁界は いかなる場合も相対性を維持し ドロリとした濃密なエーテルとは 似ても似つかない振る舞いをするのか 生まれたばかり
先日いただいた「星新一 一〇〇一話をつくった人」という本があまりに面白くて一息に読む【むせて咳き込むおれカネゴン】。作者がSFに毒されていないところがカネゴン的にありがたい。 藤子・F・不二雄といい星新一といい、短編の切れ味がこういう形で鋭い人はどこか年齢に比べて幼いというか稚気を隠しきれないところがあるような気がしてしまう。それというのも、こうした作品を作るのに最も重要なのは「他人が大事にしているものを大事にしない」ことであり、他人が深々と腰掛けてその存在すら忘れているソファの足を唐突にへし折ることでもあり、がまんできずにそういういたずらをかましてしまうためには大人成分はどうしても邪魔になってしまうからなのかもしれない【もしや今でもおれカネゴン】。 同書内で星新一が最も影響を受けた本として「空想自然科学入門 (ハヤカワ文庫 NF 21 アシモフの科学エッセイ 1)」を挙げていたのだけど、
「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士(69)は、天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとし、死後の世界があるとの考えを否定した。 http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-21136220110517 音楽的にどの辺がいいのか昔からカネゴンにはさっぱりわからなかったジョンレノンの「イマジン」で、「天国なんかないと想像してごらん」という一連の歌詞の一体どのあたりが9.11のときに放送禁止になるほど衝撃的なのかが今ひとつピンと来ていなかったのだけど、実はどうやらキリスト教的にものすごく不敬な感じを意図的に出しているらしいと今頃になって見当がついた。日本で言うなら「天皇陛下が最初からいなかったと想像してごらん」ぐらいしないとたぶんこの感じは全国津々浦々に伝わらないと思う【伝えて逃げるお
お金が無いので以前に買った「図解・わかる電気と電子―具体例から原理を語る (ブルーバックス)」を読み返してみたところ、カネゴンの心を太平洋プレートのように揺さぶりまくる記述が続出【毎度見落とすおれカネゴン】。 かのシュレディンガー方程式は、実は平凡な板バネの運動方程式とそっくり。 シュレディンガー方程式 板バネの方程式 Y:板バネの弾性率 I:断面二次モーメント ρ:密度 A:断面積 【文字化けするとはおれカネゴン】 ギリシャ文字がなぜか化けてしまいましたが、化けているところは大して重要ではないのでとりあえずこのままで。 シュレディンガー方程式に虚数が使われていることについて、実は大した意味はないと著者は考える。むしろ、微分の階数の方がよほど本質的ではないかと。 実際、電子工学の人は、物理学者とも数学者とも違う捉え方をすることが多いような気がしている。 一つの正弦波(横軸は時間、縦軸は振幅
同書では、業界以外ではなぜかあまり知られていない孤高の物理学者ヘビサイドについても紹介していた。 電離層の存在を予想した。 電信方程式として知られている伝送線路に関する理論を構築した。 ポインティングベクトルを独立に発見した。 マクスウェルの方程式を見通しよくかつ使いやすい形式に変形した。 電気回路中の電流をモデル化するために、ヘヴィサイドの階段関数を発明した。 ベクトル解析とベクトル演算を発明した。 線型微分方程式の演算子法を発明した。後に、Thomas John I'Anson Bromwichはヘヴィサイドの演算子法の厳密な数学的証明を与えた。ヘヴィサイドの演算子法は今日我々が知るところのラプラス変換とほとんど等価なものである。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%
NIMBY(ニンビー)とは、Not In My Back Yard(自分の裏庭にはあって欲しくない)の略で、施設の必要性は認識するが自らの居住地域には建設して欲しくないとする住民たちや、その態度を指す言葉である。 NIMBYによる反対運動は、施設が建設されると地域に対して環境被害などの不利益をもたらすと主張する場合が多い。不利益の内容としては、「施設から直接的に健康上や安全上の被害を受ける」「施設があることによって地域に対するイメージが低下する」といった点が多い。 NIMBYの対象となる施設としては、主観も含まれ判断が分かれるが、一般的には次の物が挙げられる。 下水処理場 火葬場 霊園・墓地 ペット霊園 軍事基地及び軍事施設 刑務所 原子力発電所、放射性廃棄物の保管施設や最終処分場などの原子力関連施設 交通機関(車両基地、新幹線などの鉄道施設や空港) 道路 最終処分場 食肉処理施設 精神科
昨年あたりに放映していたスコラ(ベートヴェンの回)を見ていて思ったのだけど、ベートーヴェンが今の時代にいたとしたら、その性格と人当たりはまるっきり平沢進そのものだっただろうということが容易に想像がつく。 二人の共通点: 気難しい【ツンツンデレデレおれカネゴン】 流行りのダンスミュージックができない、する気がない。 同じ曲を形を変えて何十年にも渡って改造・再編成し続けている。 小品から始まって、時と共にだんだん壮麗になっていく。 後世のテンプレになる音楽の形式を作ってしまった。 楽器がうまい。 作品数がやたら多い。 一人で篭って音楽を作る。 プログレ好き。 見た目がいまいち。
ジャンルを問わず、クリエーターっぽいもの作りの潜在能力を確実に判別する方法: たった今から明日までに、何かのテーマに沿った名前を200以上考えてくる。それぞれの名前には必ずその由来も示すこと (月形龍之介=月形半平太と机龍之介からのいただき、など)。 200作れない場合はもの作りについて即座にあきらめ、別の道を選ぶこと。 テーマの例: 戦隊物のメンバーの名前 敵となる悪の組織の首領幹部のすべての名前 絵画/美術品/曲のタイトル 書籍のタイトル 論文のタイトル TV番組名 新しく立ち上げる劇団の名前 お笑いコンビの名前 新党の名前 何の根拠もなく書いているのだけど【それがいつものおれカネゴン】、もの作りの能力が最も必要となるのが、この「それっぽい架空の名前を何のためらいも恥じらいもなく次から次に作り出す」ことだとカネゴン思ってしまう。極端な話、創作のできない人はまず間違いなくこの関門をクリア
「インフルエンザ21世紀 (文春新書)」という、Tumblrに流せばたちまち100人単位でリブログされること請け合いの記述がどのページにも満載されている傑作ドキュメンタリーで、「クロスロード」という防災シミュレーションゲーム(テーブルゲーム)があることを初めて知った。以下同書より多少かいつまむ。シチュエーションは地震発生後。 「あなたは、食料担当の職員。被災から数時間。避難所には3000人が避難しているとの確かな情報が得られた。現時点で確保できた食料は2000食。以降の見通しは、いまのところなし。まず2000食を配る? Yes or No?」 あなたはYesかNoのいずれかのカードを出さねばならない。それ以外の回答は認められない。プレイヤー全員がいっせいにカードを開くと、回答が予想以上にばらつくことに誰もが驚く。 「クロスロード」とは決断を迫られる分岐点を表す。このゲームは予想以上の反響を
和服というものは本来びっちりと着るものではないということ。街で見かけるようなよそ行きの窮屈な着こなしでは身動きが取れなくなり、家事や日常の動作ができなくなるからだそうだ。TVの時代劇でも、女性の和服の着こなしが非現実的なまでにびっちりしているのは、時代考証として正確ではなく、たとえば実際の篤姫の写真ではもっとルーズに着ていたりするとも。 もう一つ、女性の和服の非公式な機能として、脇にわざと縫い合わせていないスリットがあり(今調べたら「身八つ口」という名称だった)、表向きの理由とは別に、男がそこから手を差し入れて愛撫するという目的もあるのだそうだ。さらに、和服の女性が男を右隣に座らせるということはその動作を許すことであり、左隣に座らせるということはそれを許さないという含みがあるとのこと。
「心理学で何がわかるか (ちくま新書)」より抜粋取捨選択改訂【そのまま写さぬおれカネゴン】。 鬱病に本当に効くのは何か。慎重なメタ分析の結果、最も効果が高かったのは抗鬱剤ではなく、有酸素運動(つまりは適度な負荷のかかる運動)だった。 有酸素運動は抗鬱剤に比べて鬱治療の効果が高く、副作用もなく、再発率も低い。しかも、有酸素運動と抗鬱剤を併用した場合より、有酸素運動単体の方が再発率が低かった。 運動は想像以上に大きな影響をもたらす。 ニューロンの新生が盛んになり、認知機能が改善される。哺乳動物では、嗅球と海馬の波状回でニューロンが再生することが分かっている。ネズミ実験では、運動するとニューロンの新生が三〜四倍になるし、効果が長く持続する。 シナプスの構造的変化が起こり、シナプスの可塑性が改善される。シナプスの伝導効率が数日以上に渡って上昇する長期増強現象が促進される。 ニューロンの突起の密度が
日本全国のお年寄りが全員死に絶えるまでに、彼らを総動員して少なくとも明治時代ぐらいからのあらゆる公文書、私文書、論文、書籍、雑誌を片っ端から電子化しておいてもらわないとかなりまずいのではないかという気が普段からしている【朝から晩までおれカネゴン】。その時代の文章を普通に読み書きできる人が絶えてしまったら、入力に必要な手間暇は格段に増えてしまう。 必要なのは入力する人、スキャンする人だけではない。それを読み直して間違いを修正できる校正者こそ必要だし、それならPCを扱えなくても脳と目さえ効けばどんなお年寄りでも参加できる。 英語文化圏のようにタイプライターが早くから普及していた世界ではないので、OCRだけでは何ともなりそうにない。 高齢者の雇用問題を一気に解決し、彼らにとってもおそらく楽しくてしょうがない仕事で、老人ホームで所在なく日々を送る彼らが本物の生き甲斐を得られ、さらにボケ防止にもつな
レイトショーでアバターを見てきた【終電すれすれおれカネゴン】。 何だか全体的に10年ぐらい前の宮崎アニメに対する敵意に満ち満ちていて、監督の「ナウシカが何ぼのもんじゃぁ」「絶対に屈服させてやる」という叫び声が聞こえてきそう【仮想敵国おれカネゴン】。 ありとあらゆる3D技術をかき集めまくって観客を足下にひれ伏せさせようという物量作戦がいかにも米国流で、期せずして本編の悪役である出張地球軍と同じようなことをしているのはおそらく狙ってやったのではないと思われる。 ネイティブアメリカンなどのアジア人をミックスしたような出で立ちの現地人たちなのだけど、その現地人たちの演技や表情は一人残らず頭から尻までアメリカンで、宮崎アニメの登場人物が何人であっても結局日本人でしかないのと同じように互いにいい勝負をしていた。民族が征服されると後年そのエキゾチックな要素が娯楽のために使い回され消費されて、征服した側の
小島先生の最新作を読んでいて、限界効用というものについてひとつどうしても気になることがあった【知らぬ身の程おれカネゴン】。 財の追加購入分の効用は逓減するとのことなのだけど、以下のような例はどうなるのだろう。 覚醒剤は、服用すればするほど覚醒剤への欲望は逓減するのだろうか。 アルコール中毒の人は、人間関係などあらゆるものを犠牲にしてでも酒を欲しがるのだけど、彼らはあとどのぐらい飲めば効用が逓減してくれるのだろうか。 ギャンブルにはまる人は、いくら金をつぎこんでも飽きることを知らないのだけど、彼らの欲望がある日突然逓減することはあるのだろうか。 カネゴンが昔仕事上で会ったある人は、「僕は金さえあればいくらでも女を囲えますよ」と豪語していたのだけど、女を囲うことの効用は彼の場合逓減しないのだろうか。 ほとんどのギタリストは「ギターを見ると買いたくなる病」に根深く侵されていて、アルフィーの高見沢
実音のところでリンクしたボーカロイドたちのめくるめく音と映像の世界を眺めていると、ふとこの世界にやくざの匂いがまったくしないことに気付いた【どうでもよいとはおれカネゴン】。 振り返ってみれば、昭和の歌謡曲はその世界を取り仕切っていたやくざというフィルターが常にかかっていた。やくざが感心しないものは決して歌謡曲にならなかった。特に女性アイドルは、ほとんどの場合男の視線に忠実な歌ばかり唄っていたし、特撮オープニング音楽も、女の子向けとなると途端にどうしようもなく適当なものになっていたりした。 財布の紐を握っていた女性が当時はあまり多くなかったせいなのか何なのか、当時の歌謡曲では、購買層としての女性はひどく概念的な形でしか業界に理解されていなかった。たぶんユーミンあたりで初めて、女性層という鉱脈が掘り当てられたのかもしれない。 かつて矢沢永吉は、やくざとかかわるのが嫌で音楽の事務処理を全部自分で
脳のせいなのか何なのか、だまし絵などではない単なる絵であるもかかわらず、不思議に生き生きと動いて見えるような絵がある。カネゴンは昔の漫画しか知らないのでその範囲で書く。 手塚治虫は「僕は、動かないものを見るといらいらするんです」という言葉に表されているとおり、止まっているはずの絵を動かすこと、つまり生き生きとさせることに常に腐心し続けていた。そしてその代償でもあるかのように、色のセンスだけはまったく凡庸だったりした。 ついでながらカネゴンアイには、上田トシコの「フイチンさん」や、オリジナルの「ひとまねこざる」も手塚治虫に負けず劣らず、もしかすると手塚治虫よりももっと絵が動いて生き生きして見える。 その逆に、絵を動かす気など毛頭ないのが水木しげるあたりで、昔の漫画はほとんどが両者の中間のどこかに位置していたという感じ。 今から思えば、大友克洋の絵が驚きだったのは、動いているものを徹底的に静止
読書猿Classisの精選エントリ: 一人で読めて大抵のことは載っている教科書 自室でできるレファレンス・ワーク 最初の1歩 とある医学生のための新書リスト(岩波新書篇) とある医学生のための新書リスト(岩波ジュニア新書篇) 日本史を学ばなかった人のためのブックリスト 他にも続々ある様子。 カネゴンが20年間探し求めていたのがついにここにあったと断言いたします【取経の旅とおれカネゴン】。文庫が多いので全部買っても全然大した額にならないところが重要。某編集学校の塾長が勧める1001冊の本とおそらく一冊もかぶっていないところも重要。これで人類が最早無駄な回り道をすることもなくなるだろうか【さんざん回ったおれカネゴン】。
カネゴンは実は音楽そのものより、音楽をダシにして全然関係ないことを書いたりするこういう文章が好きでたまらなかったりするのだけど、それはもしかすると大昔のロッキングオンの悪影響だったのかもしれないと今にして思ったりする【いつまでたってもおれカネゴン】。 当時のロッキングオンで今でも覚えている「走り屋川口」の話: 私の知人で、「走り屋川口」と異名を取る男がいた。彼は公道レースに血道を上げていて、埼玉の峠を来る日も来る日もバイクで攻めまくっていた。 あるとき、非常に難易度の高い峠のコーナーをどちらが果敢に攻められるかという競争をすることになり、走り屋川口は燃えた。 いよいよ当日の夜。峠の両脇にはずらりとギャラリーが並んでいる。彼の弟も応援している。川口と競争相手は互いに一歩も譲らぬ覚悟で峠のそのコーナーのインコースを目指して突っ走る。 そのとき悲劇は起こった。彼のバイクが一瞬バランスを崩したかと
音楽の三要素といえば「リズム」と「メロディ」と「ハーモニー」ということになっているのだけど、武満徹がちゃっかり構造を借用した文楽のおかげで、もっと大事な「メリハリ」という要素があることに今頃気付いた【気付いて終わるおれカネゴン】。 本来メリハリという言葉は音の高い低いを表すらしいのだけど、ここではどちらかというと「強弱」もっと広い意味で「強調」と「引っ込める」のこととして扱う。決して、単にボリュームつまみを上げ下げするだけの強弱ではない。 考えてみたら、日本の古典芸能にはハーモニーもなければ明確なメロディもなく、一定のリズム構造もないものがかなり多いにも関わらず、芸として成り立っている。それらの要素がなくても「メリハリ」さえあれば音楽(と広い意味での芸能)は成立してしまえるということでいいだろうか。極端な話、日本の古典芸能はメリハリだけでできている。 さらに、ガムランのように「一番重要な音
反ロスチャイルド同盟というサイトをついつい読んでしまう【陰謀暇なしおれカネゴン】。要するにロスチャイルドとユダヤが世界を裏から操ってどうこうということらしい。出典があんまり明記されていないのでよくわからないのだけど、この程度のことなら色川武大が旧約聖書から既に読み取っているような気がする。以下「私の旧約聖書」より(多少改訂)。 アブラハムという人物も、真面目で実直そうな反面、世事に長けているとこもあって、旧約聖書に登場する人物は、アブラハムばかりでなく、いずれもどこか食えない、こすっからいところを持っています。気候風土のわるい土地で、鷹揚には生きられない民族性の反映でしょうね。 「もう老いぼれて、子供もないし、私の血はまもなく絶えてしまう。イェホバさんは私を幸せにするとおっしゃいましたが、そりゃいったいどういうものなんですか」 と鋭い質問をするアブラハムですから、その質問のおかげで授かった
吉田伸夫「宇宙に果てはあるか」は、ドタバタ喜劇のように発展を続けてきた20世紀の宇宙物理学を手に取るように知ることのできる抱腹絶倒の名著。著者は主要な論文にひととおり目を通しているらしく、通り一遍のポピュラーサイエンス本では得られない科学者の細かな息づかいまで感じ取ることができる。データの乏しい中、どの学者も取りあえず思いついた説は片っ端からぶちあげては直後にガンガン頭をぶつけていることを痛感【ぶつけることならおれカネゴン】。大多数の学者たちが計算違いをしまくっていたことも知ってカネゴンに安らぎがもたらされる。 アインシュタインはシュヴァルツシルトによる「事象の地平面」説が大嫌いで、わざわざそれを否定するための論文まで書いたが、びっくりするぐらい初歩的な誤解を犯していて全然反論になっていなかった。 ビッグバン説(当時は「火の玉宇宙論」)で知られるガモフの当の論文は計算違いを含む勘違い誤解が
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