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細野晴臣の検索結果1 - 40 件 / 48件

細野晴臣に関するエントリは48件あります。 音楽、 music、 インタビュー などが関連タグです。 人気エントリには 『細野晴臣とアンビエントミュージック(前編) | 細野ゼミ 1コマ目(前編)』などがあります。
  • 細野晴臣とアンビエントミュージック(前編) | 細野ゼミ 1コマ目(前編)

    活動50周年を経た今なお、日本のみならず海外でも熱烈な支持を集め、改めてその音楽が注目されている細野晴臣。音楽ナタリーでは、彼が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する連載企画「細野ゼミ」を始動させる。 ゼミ生として参加するのは、細野を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人。第1回では、細野のキャリアを語るうえで欠かせない音楽ジャンルの1つ、アンビエントミュージックを題材に語り合ってもらった。前編では細野と「アンビエントミュージック」の出会いを中心に聞く。 取材 / 加藤一陽 文 / 望月哲 題字 / 細野晴臣 イラスト / 死後くん 今の時代こそアンビエント──「細野ゼミ」第1回の題材は「アンビエントミュージック」です。 細野晴臣

      細野晴臣とアンビエントミュージック(前編) | 細野ゼミ 1コマ目(前編)
    • 細野晴臣とテクノ | 細野ゼミ 10コマ目(前編)

      活動50周年を経た今なお、日本のみならず海外でも熱烈な支持を集め、改めてその音楽が注目されている細野晴臣。音楽ナタリーでは、彼が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する連載企画「細野ゼミ」を展開中だ。 ゼミ生として参加しているのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人。毎回さまざまなジャンルについてそれぞれの見解を交えながら語っている。10コマ目のテーマとしてピックアップするのは「テクノ」。Yellow Magic Orchestra(YMO)のメンバーとしてテクノを世界に普及したと言っても過言でもない細野は、このジャンルをどう捉えているのか。安部とハマの持つテクノのイメージとは? 複数回にわたる記事の前編では、それぞれの率直

        細野晴臣とテクノ | 細野ゼミ 10コマ目(前編)
      • 「ゼビウス」稼働から40周年! あらゆる文化に大きな影響を与えた不朽の名作シューティングゲームの軌跡を振り返る

          「ゼビウス」稼働から40周年! あらゆる文化に大きな影響を与えた不朽の名作シューティングゲームの軌跡を振り返る
        • ソウルミュージック補講 | 細野ゼミ 補講1コマ目(前編)

          細野晴臣が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する「細野ゼミ」。2020年10月の始動以来、「アンビエント」「エキゾチカ」「ロック」「テクノ」など全10コマにわたってさまざまな音楽を取り上げてきたが、氏の音楽観をより深く学ぶべく今回より“補講”を開講する。 ゼミ生として参加するのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人だ。ハマのリクエストをもとに、第1回の「補講」で取り上げるのは「ソウルミュージック」。前編は細野が特に入れ込んで聴いていた作品や、ベーシストとして影響を受けたプレイヤーの話を軸に展開していった。 ※「細野ゼミ」ソウルミュージック本編はこちら(前編 / 後編)。 取材・文 / 加藤一陽 題字 / 細野晴臣 イラスト

            ソウルミュージック補講 | 細野ゼミ 補講1コマ目(前編)
          • 細野晴臣とアンビエントミュージック(後編) | 細野ゼミ 1コマ目(後編)

            活動50周年を経た今なお、日本のみならず海外でも熱烈な支持を集め、改めてその音楽が注目されている細野晴臣。音楽ナタリーでは、彼が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する連載企画「細野ゼミ」を始動させる。 ゼミ生として参加するのは、細野を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人。第1回では、細野のキャリアを語るうえで欠かせない音楽ジャンルの1つ、アンビエントミュージックを題材に語り合ってもらった。前編では細野とアンビエントの出会いを掘り下げたが、後編では作品との関連性を紐解いていく。 取材 / 加藤一陽 文 / 望月哲 題字 / 細野晴臣 イラスト / 死後くん アンビエントと精神性──細野さんの中で意識的にアンビエント的な作品にしよう

              細野晴臣とアンビエントミュージック(後編) | 細野ゼミ 1コマ目(後編)
            • FILT NO SMOKING NO LIFE 細野晴臣

              失われかけているものの中にこそ、かけがえのないものがある。ミュージシャン・細野晴臣が、今後も「遺したいもの」や、関心を持っている「伝えたいこと」を語る連載の第11回。一つ一つの言葉から、その価値観や生き方が見えてくる。 消えないスピリット。 最後に会った日。 2023年になってから、本当にいろいろなことがあったね。幸宏、鮎川誠くん、岡田徹くん、そして教授。みんな立て続けだったから、気持ちが追いつかなかった。落ち着いてひとりひとりにさよならも言えない、仲間が戦死していくときの気持ちってこういうことなのかな、と。 幸宏の印象はいまも2019年当時のまま、その後の4年のあいだ止まってる。僕がロサンゼルスでライブをしたとき、幸宏が観にきてくれて、そのあと呼ばれたDJパーティにも幸宏が来た。ちょうど幸宏の誕生日だった。だからバースデー・パーティになってね。そのときの元気な印象が強く残ってる。それから

                FILT NO SMOKING NO LIFE 細野晴臣
              • 安田成美が歌う「風の谷のナウシカ」リメイク版が配信決定、細野晴臣がプロデュース

                宮崎駿の長編アニメーション映画第2作として、1984年に公開された「風の谷のナウシカ」。テーマ曲「風の谷のナウシカ」は、安田のデビュー曲として同年1月25日にリリースされ、映画同様今もなお世界中から愛され続けている。 この発表に併せ、細野からはコメントが到着。細野は安田本人から「風の谷のナウシカ」に再挑戦したいというリクエストがあったこと、何度もミックスをやり続け、ついにやり遂げたことなどを語っている。なお細野が作曲した安田の4thシングル「銀色のハーモニカ」もリメイク決定。「風の谷のナウシカ」と同日にデジタル配信が行われる。 細野晴臣コメント 安田成美さんから「風の谷のナウシカ」に再挑戦したい、というリクエストを頂いたのは2023年の夏だった。あのシングルが発売されたのが1984年なので、今年が丁度40周年だということが、安田成美さんを突き動かしたのだと思う。17歳だった成美さんは今も変

                  安田成美が歌う「風の谷のナウシカ」リメイク版が配信決定、細野晴臣がプロデュース
                • 細野晴臣_info on Twitter: "https://t.co/zuEK3kPKk4"

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                  • 西山浩司が語る「イモ欽トリオ」秘話 ハイスクールララバイは160万枚売れたのに音楽賞はゼロ、紅白にも出なかった理由 | デイリー新潮

                    「週刊新潮」の発売前日に速報が届く! メールマガジン登録 デイリー新潮とは? 広告掲載について お問い合わせ 著作権・リンクについて ご購入について 免責事項 プライバシーポリシー データポリシー 運営:株式会社新潮社 Copyright © SHINCHOSHA All Rights Reserved. すべての画像・データについて無断転用・無断転載を禁じます。

                      西山浩司が語る「イモ欽トリオ」秘話 ハイスクールララバイは160万枚売れたのに音楽賞はゼロ、紅白にも出なかった理由 | デイリー新潮
                    • 細野晴臣とテクノ | 細野ゼミ 10コマ目(後編)

                      活動50周年を経た今なお、日本のみならず海外でも熱烈な支持を集め、改めてその音楽が注目されている細野晴臣。音楽ナタリーでは、彼が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する連載企画「細野ゼミ」を展開中だ。 ゼミ生として参加しているのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人。毎回さまざまなジャンルについてそれぞれの見解を交えながら語っている。10コマ目のテーマとしてピックアップしているのは「テクノ」。全3回にわたる回の最終回では、細野のテクノ観の変化、新たな世代によるテクノミュージックに対する印象について聞く。 ※「細野晴臣とテクノ」前編はこちら。中編はこちら。 取材・文 / 加藤一陽 題字 / 細野晴臣 イラスト / 死後くん ダ

                        細野晴臣とテクノ | 細野ゼミ 10コマ目(後編)
                      • 細野晴臣とテクノ | 細野ゼミ 10コマ目(中編)

                        活動50周年を経た今なお、日本のみならず海外でも熱烈な支持を集め、改めてその音楽が注目されている細野晴臣。音楽ナタリーでは、彼が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する連載企画「細野ゼミ」を展開中だ。 ゼミ生として参加しているのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人。毎回さまざまなジャンルについてそれぞれの見解を交えながら語っている。10コマ目のテーマとしてピックアップしているのは「テクノ」。全3回にわたる回の中編では、Yellow Magic Orchestra(YMO)期の細野の活動にフォーカスする。ワールドツアー開催に至った経緯、テクノカット誕生の舞台裏など、テクノに没頭していた時期のさまざまなエピソードをたっぷり語っ

                          細野晴臣とテクノ | 細野ゼミ 10コマ目(中編)
                        • 「HOSONO HOUSE」50周年記念企画 | 細野ゼミ 番外編(前編)

                          細野晴臣が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する「細野ゼミ」。2020年10月の始動以来、「アンビエントミュージック」「映画音楽」「ロック」など全10コマにわたってさまざまな音楽を取り上げてきたが、氏の音楽観をより深く学ぶべく前回より“補講”を開講している。 ゼミ生として参加するのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人だ。今回のゼミで取り上げるのは、5月25日にリリースから50周年という大きな節目を迎える、細野晴臣の1stソロアルバムであり名盤として名高い「HOSONO HOUSE」。安部とハマは本作とどんな形で出会い、リスナーとしてどう聴いてきたのか? 前編では細野本人の発言を交えながら探っていく。 取材・文 / 加藤一

                            「HOSONO HOUSE」50周年記念企画 | 細野ゼミ 番外編(前編)
                          • 実現すれば“3億円”受け取れるはずだったのに…坂本龍一×マイケル・ジャクソン「夢のコラボ」が潰れたあとに“奇妙な形”で復活した裏側 | 文春オンライン

                            史上最も売れたアルバム、マイケル・ジャクソンの『スリラー』では当初、坂本龍一が作った楽曲「ビハインド・ザ・マスク」のカバーの収録も予定されていた。 しかし条件が合わず「幻の企画」に終わったと思われたが、後年、この曲は数奇な運命を辿ることになる。マイケル版「ビハンド・ザ・マスク」の顛末を、編集者でライターの吉村栄一さんの著書『YMO1978-2043』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む) ◆◆◆ マイケル・ジャクソンからの突然の依頼 1981年の終わり、『オフ・ザ・ウォール』に続くアルバムの準備を進めていたマイケル・ジャクソンは、最近耳にして気になっていた曲をカヴァーしようと思い立った。 お気に入りのその曲に自分で追加の歌詞とそのためのメロディ・ラインを作る。 その曲こそがYMOの「ビハインド・ザ・マスク」だった。 YMOは前年1980年の11月にロスアンジェルスのA&

                              実現すれば“3億円”受け取れるはずだったのに…坂本龍一×マイケル・ジャクソン「夢のコラボ」が潰れたあとに“奇妙な形”で復活した裏側 | 文春オンライン
                            • 「ぼくと細野さんは仲が悪かったんだ」それでも坂本龍一・細野晴臣・高橋幸宏の3人が「史上最高に仲良く」なれたワケ | 文春オンライン

                              「80年代はぼくと細野さんは仲が悪かったんだ。そう打ち明けたら、彼はそんなことは100年前から知ってる、ファンはみんなわかっている、だって(笑)」 一時は微妙な関係だった、YMOの3人が史上最高に仲良くなれた理由とは? 編集者でライターの吉村栄一さんの著書『YMO1978-2043』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む) YMOという強迫観念の消失 2009年はいよいよHASYMOからYMOへの変身、あるいは移行、もしくは偏移の年となった。 HASYMO最後の活動はなんと携帯電話とのコラボレーション。2009年1月、NTTドコモは第三世代携帯電話(FOMA)の新機種としてNA-04Aを発売した。 著名な家電デザイン企業amadanaのデザインによるデザイン重視のこの携帯電話にはHASYMOが協力し、着うたフルとしてHASYMOの3人による共作のインスト曲「グッド・モーニ

                                「ぼくと細野さんは仲が悪かったんだ」それでも坂本龍一・細野晴臣・高橋幸宏の3人が「史上最高に仲良く」なれたワケ | 文春オンライン
                              • FILT

                                失われかけているものの中にこそ、かけがえのないものがある。ミュージシャン・細野晴臣が、今後も「遺したいもの」や、関心を持っている「伝えたいこと」を語る連載の第12回。一つ一つの言葉から、その価値観や生き方が見えてくる。 記憶に残るメロディー。 日本が豊かじゃなくなってきてる。 コロナ禍がようやく終息したね。でも元に戻ったというより、いろんなことが変わっちゃった気がするな。いちばん目立つのは小売店が減っちゃったこと。老舗や小さな飲食店が、もう疲れたのか、店を続々と閉めちゃった。あと犯罪が増えたよね。しかも前なら大事件だったような、すごくゆがんだ犯罪がニュースとしてただ通りすぎていく。 罪の意識もなく強盗に加わったりとか、それが若者の特徴になってきてるっていうのかな。努力したり、苦労したりっていうのがなくなってきたから、手っとり早いことやるっていう。そんな風潮があるよね。お金がないっていうのが

                                  FILT
                                • 【連載】細野ゼミ

                                  補講3コマ目 「細野さんと一緒に聴こう話そう」ハマ・オカモト編 ブルーノ・メジャーからフランク・ザッパまで ハマ・オカモト解説とともに古今東西の名曲を味わう

                                    【連載】細野ゼミ
                                  • 細野晴臣とニューウェイブ | 細野ゼミ 7コマ目(前編)

                                    活動50周年を経た今なお、日本のみならず海外でも熱烈な支持を集め、改めてその音楽が注目されている細野晴臣。音楽ナタリーでは、彼が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する連載企画「細野ゼミ」を展開中だ。 ゼミ生として参加しているのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人。第7回ではニューウェイブおよび80’sの音楽をピックアップする。Yellow Magic Orchestraで多忙を極めていた時代、国内外で流行っていた音楽を細野はどう捉えていたのか。前編ではその印象について語ってもらった。 取材 / 加藤一陽 文 / 望月哲 題字 / 細野晴臣 イラスト / 死後くん 記憶が抜けている80's──今回のテーマは、ニューウェイブ

                                      細野晴臣とニューウェイブ | 細野ゼミ 7コマ目(前編)
                                    • 80年代の細野晴臣を綴る「汚し」のプロセスを経た音の刺激 | TURN

                                      2019年、細野晴臣デビュー50周年記念展(『細野観光 1969-2019』)が、六本木ヒルズ展望台で1ヶ月に渡って開催されました。そこでは氏の所有するギターやキーボード、民族楽器や果ては玩具に至るまで、世界中のありとあらゆる音の鳴るものが、さながら万博のように陳列されていました。その中で個人的に印象深かったものが、E-mu Systems社のサンプラー「Emulator Ⅰ」です。フロッピーディスクからサンプルを読み込んで使用するこの電子楽器は、1981年の発売当時、メモリー容量はたったの128KB、サンプリング可能な時間も2秒程という、今から考えれば非常に制限的なものでした。 当時このEmulatorが画期的とされたのは、以前のサンプリング・マシンと比べて安価であり、また持ち運びもしやすいサイズであるなどの、即物的な面が大きかったようです。ライヴにおいても重宝され、YMOの1981年の

                                        80年代の細野晴臣を綴る「汚し」のプロセスを経た音の刺激 | TURN
                                      • 「日本人ですごさを感じたのは細野サン。驚異的ですね」アカデミー賞を受賞した坂本龍一は、なぜ細野晴臣の音楽に愛着を覚えたのか? | 文春オンライン

                                        〈1枚目のソロ・アルバム『ホソノ・ハウス』が好きだったんですよ、とにかく。(略)いきなりあれを聴いて、メジャー・セヴンスとか、フランス近代音楽に通じるような、非常に高級なコード・ワークが出てくるんで驚いたんです〉(*1) 〈ところがあとになって訊いてみたら、(略)細野サンはハリウッドの映画音楽とかミュージカルからその辺の要素を体で学びとってたのね。フランス近代音楽はハリウッドに大影響を与えてるから。だから細野サンはちゃんと勉強したわけじゃないので。でも、勉強もしてない人がさ、ドビュッシーやラヴェルの和声の本質みたいなものをアメリカ経由で完全に血肉化してたんだよ。これは驚異的だったね。ぼくがこういうすごさを日本人に感じたのは、細野サンと矢野顕子だけですよ〉(*2) 坂本の『HOSONO HOUSE』に対する愛着は、彼がイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)に参加する大きな契機となったし、

                                          「日本人ですごさを感じたのは細野サン。驚異的ですね」アカデミー賞を受賞した坂本龍一は、なぜ細野晴臣の音楽に愛着を覚えたのか? | 文春オンライン
                                        • 「HOSONO HOUSE」50周年記念企画 | 細野ゼミ 番外編(後編)

                                          細野晴臣が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する「細野ゼミ」。2020年10月の始動以来、「アンビエントミュージック」「映画音楽」「ロック」など全10コマにわたってさまざまな音楽を取り上げてきたが、氏の音楽観をより深く学ぶべく前回より“補講”を開講している。 ゼミ生として参加するのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人だ。今回のゼミで取り上げるのは、5月25日にリリースから50周年という大きな節目を迎える、細野晴臣の1stソロアルバムであり名盤として名高い「HOSONO HOUSE」。前編ではゼミ生2人の“「HOSONO HOUSE」愛”や、レコーディング時のエピソードを掘り下げた。後編では引き続き、同作の制作時の裏話とと

                                            「HOSONO HOUSE」50周年記念企画 | 細野ゼミ 番外編(後編)
                                          • 「坂本龍一は音の職人」ピーター・バラカンが明かす、本当の魅力 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

                                            世界的音楽家の坂本龍一さん(1952〜2023年)が亡くなり、世界中から哀悼のコメントが寄せられている。 ブロードキャスターのピーター・バラカンさんは、かつてYMOのマネジメント事務所で働き、通訳や国際的な業務を担っていた。1982年には、大島渚監督の名画「戦場のメリークリスマス」に出演した坂本さんに同行し、自らもエキストラ出演するなど、ともに時間を過ごした。 出会いから40年以上──年齢も同じで、ともにテレビやラジオ出演する機会もあった。坂本さんの愛称である「教授」と、ピーターと呼び合う仲。周りから見れば、長年の友人だと思う人もいるだろう。だが、本人は「友達だとは僕の口からは言えませんよ」と語る。 二人は一体どんな関係性で、ピーターさんは坂本さんから何を託されたと感じているのか。過去の思い出を回想し、坂本さんが亡くなっていまの率直な思いを明かした。 坂本龍一との出会い

                                              「坂本龍一は音の職人」ピーター・バラカンが明かす、本当の魅力 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
                                            • 細野晴臣とエキゾチックサウンド(前編) | 細野ゼミ 2コマ目 前編

                                              活動50周年を経た今なお、日本のみならず海外でも熱烈な支持を集め、改めてその音楽が注目されている細野晴臣。音楽ナタリーでは、彼が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する連載企画「細野ゼミ」を展開中だ。 ゼミ生として参加しているのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人。第2回では、細野が1970年代後半に発表した“トロピカル3部作”に多大な影響を与えたエキゾチックサウンドを題材に語り合ってもらった。 取材 / 加藤一陽 文 / 望月哲 題字 / 細野晴臣 イラスト / 死後くん エキゾはタイトルに出る──本日はエキゾチックサウンドをテーマにお話しを伺いたく思います。まず細野さんから、エキゾチックサウンドについて簡単にご説明いた

                                                細野晴臣とエキゾチックサウンド(前編) | 細野ゼミ 2コマ目 前編
                                              • NHK「細野晴臣イエローマジックショー」再放送。10月7日~8æ—¥

                                                  NHK「細野晴臣イエローマジックショー」再放送。10月7日~8日
                                                • 今、非常にみんな内向的な音楽になっている――日本のポピュラー音楽史を更新してきた細野晴臣が見た「コロナ禍」(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)

                                                  はっぴいえんどやYMOでの活動、松田聖子の「ガラスの林檎」「天国のキッス」をはじめとする歌謡曲への楽曲提供――。細野晴臣(74)は、間違いなく日本のロック、ポップスの歴史を生みだしてきた巨人だ。しかし、本人は意外にも「『誰が聴いてるんだろう?』と思って、何十年と非常に孤独な作業をやってきた」と振り返る。終戦の2年後に生まれ、「文化的な背景は確実にGHQの洗脳」と語る細野が、アメリカでも支持される理由、そしてコロナ禍で感じた「分断」とは。(取材・文:宗像明将/写真提供:ギャガ/Yahoo!ニュース特集 オリジナル 編集部) 「僕の音楽は、シティーポップじゃないし、J-POPでもない。『誰が聴いてるんだろう?』と思って、何十年と非常に孤独な作業をやってきたわけです。インターネットができる前なんて、もう本当に人がどう思っているのかわかんないまま、自分がいいと思ったものを作ってたんですね。それが逆

                                                    今、非常にみんな内向的な音楽になっている――日本のポピュラー音楽史を更新してきた細野晴臣が見た「コロナ禍」(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
                                                  • 細野晴臣とニューウェイブ | 細野ゼミ 7コマ目(後編)

                                                    活動50周年を経た今なお、日本のみならず海外でも熱烈な支持を集め、改めてその音楽が注目されている細野晴臣。音楽ナタリーでは、彼が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する連載企画「細野ゼミ」を展開中だ。 ゼミ生として参加しているのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人。第7回ではニューウェイブおよび80'sの音楽をピックアップする。前編ではニューウェイブの始まりなどについて細野に解説してもらったが、後編ではJapanやジューシィ・フルーツなど国内外のアーティストについて触れつつ、その音楽性や定義について考察した。 取材 / 加藤一陽 文 / 望月哲 題字 / 細野晴臣 イラスト / 死後くん ニューウェイブはカルチャーとしてへ

                                                      細野晴臣とニューウェイブ | 細野ゼミ 7コマ目(後編)
                                                    • NHK「細野晴臣イエローマジックショー」再放送。7日深夜

                                                        NHK「細野晴臣イエローマジックショー」再放送。7日深夜
                                                      • 細野晴臣と坂本龍一は「まあ、いっか」と照れくさそうに言い、そして細野は呟いた…YMOの3人が最後に顔を合わせた『イエローマジックショー2』舞台裏 | 文春オンライン

                                                        細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の3人が最後に顔を揃え『ライディーン』を披露した19年1月の『細野晴臣イエローマジックショー2』(NHK)。そこに至るまでの日々、そして撮影現場で“最後のYMO”を目撃した取材者が語る舞台裏とは――。『細野晴臣と彼らの時代』の著者が今明かす、テレビでは見られなかった3人の物語。(全3回の3回目/#1、#2を読む) ◆◆◆ 大瀧詠一が振り返る細野晴臣と坂本龍一が出会った瞬間 大瀧詠一や山下達郎と出会う以前に、坂本龍一をミュージシャンの世界に引き入れるきっかけを作ったのは友部正人だった。演劇関係の仲間たちと新宿のバーで安酒を飲んでいたとき、隣に坐った友部と意気投合し、坂本は友部のアルバム『誰もぼくの絵を描けないだろう』のレコーディングに参加する。そして彼のコンサートに同行して全国を回った。

                                                          細野晴臣と坂本龍一は「まあ、いっか」と照れくさそうに言い、そして細野は呟いた…YMOの3人が最後に顔を合わせた『イエローマジックショー2』舞台裏 | 文春オンライン
                                                        • 細野晴臣が語る、“これからの音楽”への視線「刺激的なだけで深さがないものは飽きちゃう」

                                                          2019年にデビュー50周年を迎えた細野晴臣。イベント『祝!細野晴臣 音楽活動50周年×恵比寿ガーデンプレイス25周年『細野さん みんな集まりました!』』(10月11、13、14、15日/東京・恵比寿ザ・ガーデンホール)、記念展『細野観光1969-2019』(六本木ヒルズ展望台 東京シティビュー・スカイギャラリー)、ドキュメンタリー映画『NO SMOKING』の公開、そして東京国際フォーラム ホールAで行われた『細野晴臣 50周年記念特別公演』『イエローマジックショー3』など、記念碑的な活動が続いた昨年を経て、細野の関心はどこに向かっているのだろうか? リアルサウンドでは、50周年関連のイベントを終えたばかりの細野にインタビュー。現在のモード、興味を引かれている音楽や映画、そして、今後の活動ビジョンなどについてじっくりと語ってもらった。(森朋之) 「いろんな人が聴いてくれてるんだな」と痛感

                                                            細野晴臣が語る、“これからの音楽”への視線「刺激的なだけで深さがないものは飽きちゃう」
                                                          • 細野晴臣さん「残したい、伝えていきたい音楽」 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

                                                            2019年、音楽活動50周年を迎えた細野晴臣さん。その年は、日本とアメリカでライブを行い、また、幼少期からをたどるドキュメンタリー映画が公開されたり、作品世界をひもとく展覧会が開かれたりするなど、さまざまなプロジェクトが繰り広げられた。今年2月、活動の全貌がわかるブルーレイ&DVDボックスと、USツアーライブ盤を同時にリリース。作品のことや、USツアーを成功させたLAでの思い出などを語ってもらった。 初めてのLAでの経験が、50年横たわっている ――一昨年ソロのアメリカツアーで訪れたLAは、思い出の街だとか? 人生初の海外渡航がLAでした。はっぴいえんどの最後のアルバム『HAPPY END』のレコーディングをしました。1972年のことです。僕の音楽のルーツはアメリカの音楽で、少年時代はビーチボーイズなど西海岸サウンドに影響を受けて音楽を始めたので、まさに「憧れのロスアンゼルス航路」でした(

                                                              細野晴臣さん「残したい、伝えていきたい音楽」 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
                                                            • リンダ・キャリエール「Linda Carriere」特集|プロデューサー・細野晴臣の証言から紐解く幻のアルバム - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

                                                              ナタリー 音楽 特集・インタビュー リンダ・キャリエール「Linda Carriere」特集|プロデューサー・細野晴臣の証言から紐解く幻のアルバム リンダ・キャリエール「Linda Carriere」 PR 2024年7月19日 細野晴臣がプロデューサーを務めた、リンダ・キャリエールのアルバム「Linda Carriere」のCDが7月17日にリリースされた。追って8月3日にはアナログ盤も発売決定。長年“幻のアルバム”として語り継がれてきた作品がついに世に放たれる。 アメリカのニューオリンズで生まれ、ロサンゼルスのクラブ・Maverick's Flatにて歌手活動を行っていたリンダ・キャリエール。彼女のデビューアルバムとなる予定だった「Linda Carriere」は1977年に細野とアルファレコードがプロデューサー契約を結び、その第1作として山下達郎、佐藤博、吉田美奈子、矢野顕子ら協力の

                                                                リンダ・キャリエール「Linda Carriere」特集|プロデューサー・細野晴臣の証言から紐解く幻のアルバム - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
                                                              • 細野晴臣、ドラマ初出演でリリー・フランキーと親子演じる「緊張するなあ」(コメントあり)

                                                                細野晴臣、ドラマ初出演でリリー・フランキーと親子演じる「緊張するなあ」 2020年1月2日 7:00 2987 61 音楽ナタリー編集部 × 2987 この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。 448 1520 1019 シェア

                                                                  細野晴臣、ドラマ初出演でリリー・フランキーと親子演じる「緊張するなあ」(コメントあり)
                                                                • 坂本龍一と神宮外苑を心配する - jingugaien.jp

                                                                  一人ひとりが課題を知り、それぞれの意見と意志を持ち、 行動するきっかけとなるような「道具」をまとめました

                                                                    坂本龍一と神宮外苑を心配する - jingugaien.jp
                                                                  • 細野晴臣とシンガーソングライター | 細野ゼミ 9コマ目(中編)

                                                                    活動50周年を経た今なお、日本のみならず海外でも熱烈な支持を集め、改めてその音楽が注目されている細野晴臣。音楽ナタリーでは、彼が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する連載企画「細野ゼミ」を展開中だ。 ゼミ生として参加しているのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人。さまざまなジャンルについてそれぞれの見解を交えながら語っている。昨年秋よりコロナ禍で休講していた本ゼミだが、半年ぶりに復活。第9回では“シンガーソングライター”について考えていく。全3回にわたる記事の中編では、細野が影響を受けたシンガーソングライターや、出会ってきた同世代の邦楽アーティストたちについて触れる。 取材 / 加藤一陽 文 / 望月哲 題字 / 細野晴

                                                                      細野晴臣とシンガーソングライター | 細野ゼミ 9コマ目(中編)
                                                                    • 細野晴臣『MEDICINE COMPILATION』 27年前に語った“精神世界”、アンビエントの名盤が生まれた背景(1993) - サンレコ 〜音楽制作と音響のすべてを届けるメディア

                                                                      11月3日の「レコードの日」に細野晴臣の旧作がリマスタリング仕様のアナログ盤として一挙に発売される。加えて『omni Sight Seeing』『MEDICINE COMPILATION』の2作品はSACDハイブリッド盤も発売。それを記念して、本稿では『サウンド&レコーディング・マガジン 1993年4月号』に掲載された『MEDICINE COMPILATION』のインタビューを公開する。お楽しみあれ。 目次 細野晴臣インタビュー 寺田康彦インタビュー 『オムニ・サイトシーング』以来約3年ぶりとなるアルバム『メディスン・コンピレーション』を発表する細野晴臣。折りしもYMO“再生”を表明し、いやがおうでも注目の集まる中でのリリースとなったが、その内容は氏の新しい方向性を示すに十分なものである。 ここではインタビュアーにエブリシング・プレイの鈴木惣一郎氏を迎え、先品の真相に迫るインタビューをお届

                                                                        細野晴臣『MEDICINE COMPILATION』 27年前に語った“精神世界”、アンビエントの名盤が生まれた背景(1993) - サンレコ 〜音楽制作と音響のすべてを届けるメディア
                                                                      • 【A MESSAGE OF HOPE(連載:希望へ、伝言)】 Vol.11 細野晴臣──かつてない知恵がつくでしょう

                                                                        ──どうしても家庭内で過ごす時間が増えたのではないかと思います。この期間に読んだ本、観た映画、聴いた音楽などがあれば教えて下さい。またそのなかで感銘を受けたものがあれば、ぜひご紹介いただきたく存じます。 ウィルスの動向や性質などが気になって、部屋にいたら殆どの時間、情報を集めることばかりしてます。この機会に創作に没頭するという余裕もなく、stay homeのモードでラジオ番組を一人で作ってますが、どのような音楽がこの状況に合うのか悩みながらやってます。結局、自分も誰しも不安のストレスにさらされているので、それを解きほぐす音楽をいつも考えてます。 ──先の見えない日々ですが、それでも前向きに生きるためのメッセージをいただきたく存じます。GQ読者へ、自分へ、家族へ、日本へ、世界へ……メッセージの対象はだれでも構いません。 決して絶望する状況ではないということは確かです。何かのスイッチが入ってパ

                                                                          【A MESSAGE OF HOPE(連載:希望へ、伝言)】 Vol.11 細野晴臣──かつてない知恵がつくでしょう
                                                                        • 第7回 「イエロー・マジック」との闘い(その2)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま

                                                                          比類なき輝きを放つ作品群を遺すとともに、「脱原発」など社会運動にも積極的に取り組んだ無二の音楽家、坂本龍一。その多面的な軌跡を「時代精神」とともに描き出す佐々木敦さんの好評連載、第7回の公開です! 1 フュージョンの洗礼 まず、フュージョンについて考えてみなくてはならない。 YMOの世界進出のきっかけとなったイベントの名称は「フュージョン・フェスティバル」だった。そこに出演するためにアメリカからやってきたニール・ラーセンはジャズ/フュージョン系のキーボーディストであり、ラーセンとともに来日したトミー・リピューマもフュージョンにカテゴライズされるアーティストを数多く手がけてきたプロデューサーだった。フュージョンとは「融合」という意味だが、ジャズをベースに、ロックやポップス、イージー・リスニング、ディスコ、ラテン、レゲエなど多彩な要素を融合させた、基本的にはライトな音楽で、当時はクロスオーバー

                                                                            第7回 「イエロー・マジック」との闘い(その2)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま
                                                                          • 2ManyDJsが“細野晴臣/YMOデー”のために作った1時間のミックス 再公開 - amass

                                                                            2017年11月26日、英ロンドン拠点のネットラジオ局NTS Radioは“細野晴臣/YMOデー”と題して、細野晴臣とYMOに敬意を表した15時間の特集を放送・配信しました。さまざまなアーティストやDJら12組がそれぞれ1~2時間の番組を担当し、細野晴臣やYMOのオリジナル曲、そしてカヴァーやリミックス、コラボレーション、サイド・プロジェクトなどの楽曲を紹介していました。2ManyDJsもこの企画に参加し、1時間のミックスを制作しました。2ManyDJsが当時作ったミックスがNTS Radioのsoundcloudページにて再公開されています。 ■2ManyDJs: Haruomi Hosono/YMO Day 261117 <Tracklist> YELLOW MAGIC ORCHESTRA - RYDEEN YELLOW MAGIC ORCHESTRA - TECHNOPOLIS JI

                                                                              2ManyDJsが“細野晴臣/YMOデー”のために作った1時間のミックス 再公開 - amass
                                                                            • 細野晴臣デビュー55周年プロジェクト始動、デジタルミュージアムやポップアップショップなど展開続々(動画あり)

                                                                              1969年にエイプリル・フールのベーシストとしてデビューして以降、世界中のリスナーやアーティストに影響を与え続けてきた細野。アニバーサリープロジェクトは、ソニー・ミュージックエンタテインメントをパートナーに迎えて多角的に展開される。 このプロジェクトの一環で、来年秋にデジタルミュージアム「HOSONO MANDALA」がオープンすることが決定。「HOSONO MANDALA」は知っているようで実は知らない、わかっているようで謎だらけの細野晴臣の“これまでとこれから”を、世界中の人たちに感じてもらうために企画された。企画編集・デザインは、日本デザインセンター三澤デザイン研究室および同社のライターが担当。オープンに向けて、YouTubeでは細野の書き下ろし楽曲を使用したティザー映像が公開されている。

                                                                                細野晴臣デビュー55周年プロジェクト始動、デジタルミュージアムやポップアップショップなど展開続々(動画あり)
                                                                              • 《東京語る。》無意識に染み込む「東京」と異国の音楽 音楽家・細野晴臣さん |

                                                                                これまで、多岐にわたる音楽を世に出し続けてきた細野晴臣さんは、昨年デビュー50周年を迎えた。そんな細野さんは東京・白金出身。細野さんの人生遍歴を通して、東京のエッセンスは何かを見つける。 注:本記事の取材は、2020年2月17日に行われました。 (聞き手=山本啓太) 異国との接点はラジオ ―細野さんは、終戦間もない1947年に東京・白金にお生まれになったそうですが、幼少期の記憶にある東京の風景はありますか。 僕が生まれたのは病院ではなくて、お産婆さんに取り上げられたんです。そのお産婆さんがいるあたりが長屋になっていて、今も利庵というお蕎麦屋さんが長屋の面影を残しています。 よく「いい所にお住まいですね」と言われますけど、普通の街だったんですよ。商店街があって長屋っぽいものもあって、どこの街とも変わらない普通の街だった。当時は原っぱばっかりでしたね。僕の世代はベビーブームなんで、子供たちがい

                                                                                  《東京語る。》無意識に染み込む「東京」と異国の音楽 音楽家・細野晴臣さん |
                                                                                • 松本隆が語る、天才・細野晴臣と半世紀以上ともに歩んだ創作の歴史。初対面時にかけられた驚きのひと言とは?|Pen Online

                                                                                  はっぴいえんどから後の歌謡曲まで、長年、細野晴臣と活動をともにしてきた松本隆。互いの世界を広げ合う、唯一無二の関係だ。50年以上にわたり創作をともにしてきた松本に、細野はどういう存在なのか聞いた。 音楽の地平を切り拓いてきた細野晴臣は、2024年に活動55周年を迎えた。ミュージシャンやクリエイターとの共作、共演、プロデュースといったこれまでの細野晴臣のコラボレーションに着目。さらに細野自身の独占インタビュー、菅田将暉とのスペシャル対談も収録。本人、そして影響を与え合った人々によって紡がれる言葉から、音楽の巨人の足跡をたどり、常に時代を刺激するクリエイションの核心に迫ろう。 『細野晴臣と仲間たち』 Pen 2024年1月号 ¥990(税込) Amazonでの購入はこちら 楽天での購入はこちら 松本隆(まつもと・たかし)●作詞家 1949年、東京都生まれ。69年、細野晴臣、大瀧詠一、鈴木茂とロ

                                                                                    松本隆が語る、天才・細野晴臣と半世紀以上ともに歩んだ創作の歴史。初対面時にかけられた驚きのひと言とは?|Pen Online

                                                                                  新着記事