Small Things Like Theseを見てきた。アイルランドの有名作家クレア・キーガン(『コット、はじまりの夏』原作者)の小説を同じくアイルランドの有名劇作家エンダ・ウォルシュが脚色したものである。マット・デイモンがプロデューサーの一人なのだが、キリアンはもともとキーガンのファンで、この映画化プロジェクトのことを『オッペンハイマー』撮影中にマットに話したところ、マットが興味を持って参加することになったそうだ。
舞台は1985年、ウェクスフォードの郊外のニューロス近辺である。石炭業者のビル(キリアン・マーフィ)はシングルマザーの息子で、今では幸せな家庭を築いているが、お金持ちの地主だった女性ミセス・ウィルソン(ミシェル・フェアリー)の助けでなんとか一人前になれたという苦労人である。ビルの取引先である女子修道院にはマグダレン洗濯所があって未婚で妊娠した娘などを預かっているが、ビルはそこで無理矢理収容された少女サラ(ザラ・デヴリン)が虐待されているのを目撃する。どうするべきかビルは悩むが…
舞台が1980年代なのだが、その30年前ですと言われても信じてしまいそうなくらいは保守的なアイルランドの地方が舞台である。なにしろいまだに石炭が主な燃料だし(これはオイルショックと不景気で石油が高額になっていたことに関連しているらしい)、現在では悪名高いマグダレン洗濯所が堂々と営業しており、修道院が町で大きな影響力を持っている。1983年にアイルランドでは中絶が国民投票により憲法で禁止され、2018年にやっと国民投票で合法化されたので、80年代のアイルランドはそういう時代だったとは言えるのだが、同じ時期にダブリン出身のボブ・ゲルドフやU2はライヴエイドをやっていたわけなので(映画では時事的言及のほとんどが省かれているが原作小説にはあって、ライヴエイドの話題が出てくる)、これはアイルランドでもとくに保守的であまりインフラ整備なども進んでいなかった地方の不景気な町の話として受け取ったほうがいいだろうとは思う。そんな環境で主人公が少しだけ勇気を出して抑圧に抵抗するのが社会の変化の象徴として描かれている。
ビルは爽やかなヒーローとかでは全くなく、どこにでもいるような父親である。自分の家庭や商売もあるので、正しいことをしたいと思っていてもなかなか修道院に対抗できない。そしてこの映画で修道院長を演じるエミリー・ワトソンがまるでホラー映画の悪役みたいに怖い…というか、修道院長がビルとお茶を飲む場面は今年の映画で一番と言っていいくらいイヤな感じで、いっさい脅迫的な発言はないのに、態度で修道院長がビルを脅しながら買収しようとしているのがわかる。ビルはシングルマザーの息子でミセス・ウィルソンに助けてもらって大人になったので、自らもシングルマザーを助けるような振る舞いをしたいとは思っているのだが、リッチな女性で世間の噂を意に介さずとも生きていけたミセス・ウィルソンに比べるとだいぶ厳しい立場にある。それでも5分間だけ勇気を出し、さらに10分間勇気を出し…みたいな感じで(このちょっとずつ勇気を出すのは必ずしも行動だけではなく、日常生活にまぎれてうっちゃっていたことを深く考えたり、思い出したくない記憶に向き合ったりすることも含む)、最後は大きな行動に出る。このビルの心境の変化が、仕事から帰ってきて黒くなった手をきれいに洗う時のちょっとした動作や表情を通して描かれており、このあたりは細やかな演出とキリアンの演技の見せ所だ。ビルにとって今後の状況は厳しいだろうが、それでも正しいと思うことをすることこそ大事だし、そこには人生の喜びがある…という物語である。