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今年の「#文学」
smectic-g.hatenadiary.org
はてなブックマーク - 科学研究で得られたデータの8割が20年以内に喪失しているという調査結果が明らかに - Technity この記事のブコメもそうだけど,捏造がらみとかネガティブデータの公開の関係で,実験データを全部アーカイブしろっていう人がいる。個人的にはこういう人たちは多分自分の手を動かして実験をしたことがないんだろうなと思うことにしている。 以下にぐだぐだ書くけど一言でまとめると,よその人が見てわかるようにデータをまとめたものってのが「論文」なので,論文という文脈から切り離した生データには意味がないし,データを意味ある形で公開しようと思うと研究者の負担がとんでもないことになりますよってこと。 まあ,今どきなら,ビッグデータの時代だからそんなデータの羅列でもなんとかなるだろうって意見が出てくるのかもしれないけど,生データはタグ付けと「文脈」がないと意味を成さないことをわかっていない
転売屋disはただの感情論 - Togetter 経済学の専門的な教育を受けていない自分でも,議論が混乱してると断言できる. まず,転売屋が何をしているのかというのを理解しないといけない.それが,問題かどうかというのは個々人の倫理観の問題になるとしても. 上の議論に参加してる人も需要曲線と供給曲線が交差するところで,市場価格が決まるというあたりうまではおぼろげに覚えているらしい. まず,需要曲線というのはなんだろうか?基本的には,ある商品にあなたならいくらまで出すかという意見の集合だ.同様に,供給曲線はある値段ならいくら売りに出すかという意見の集合だ.販売価格が高ければ大量に作りたくなるというのは理解できるとして,工業製品ならば大量に作れば普通値段下がるだろうと思うわけだが,とりあえず,よくある供給曲線の形で議論することにするとして,これを図にすると下の図の左のようになる. 普通の工業製品
まあ私みたいな人間でも時折結婚式によんで下さる方がいらっしゃって,まあ,そういう人に限って(もないだろうけど)オーソドックスな結婚式をしてくれる. で,オーソドックスな結婚式に付き物といえばご祝儀.割り切れちゃいけないから偶数は良くないといいつつ,思いっきり偶数の数字を送り付けるのが気持ち悪くてしょうがなかった. 前回の結婚式では素数である30011円を送ったわけだけど,コイン二つというのは音がしてなんか気分が落ち着かない.今回は面倒くさかったので,30000円のご祝儀を袋に詰めて向かったが,お財布を忘れるというあり得ないミスを犯した結果,ご祝儀を崩して帰るための資金を作るはめに.で,その時にご祝儀を20000円にするというのも芸が無いので,適当に素数を送り付けようと計算したら,21001円が見事にコイン一つで素数だったので,その金額を送ることに. じゃあ,そんな感じでご祝儀に素数を送る時
http://www.asahi.com/national/update/0214/TKY201002140292.html はてぶでもコメントしたんだけど,ちょっと一言 自分が研究室にいた当時で一番フラストレーションがたまったのは,なんで,アキバで適当に買ってくれば安い上に納期も半日で済むというのに,わざわざ業者を通さないといけないんですかというあたり.でも,この点に関してはある程度以下の金額(消耗品で落ちるような額)であれば,独立行政法人化以降どんどん立て替え払いが出来るようになってきたので,現在はそこまででもない. 単年度予算の弊害ってのも,流石に毎年やってるし勘弁してよという思いが共有できたのか,国が前面に出てくるような予算以外はそこそこ次年度繰り越しが出来るようになってきたように思うし,それを前提に,露骨なことをやってると摘発されるようになってきた(去年あたりの東大とか,業者預け
でも,日本ですし. メールの常識が分かりません・・・ - S.Y.’s Blog を読んで思った. 自分も今は会社人間なので冒頭に「○○様」.最後に,宛先のスコープに応じたシグネチャーをつけるという習慣に毒されている.ただ,昔(1990年代前半)はこういうのをつけるのはあまり絶対視されていなくて,むしろ,堅苦しすぎて冗長という印象を与えていたことを覚えている.でも,いつの間にやら市民権というか,つけないのは常識がないみたいなことになってしまってちょっと驚いている. つまり,携帯の普及で宛先を付けない文化が出てきたとか怒るのは勝手だけど,初期のインターネットには,本文に宛先を付けるような文化は冗長と言われてあまり好まれていなかった.本文の冒頭に宛先を書く習慣は,ヘッダー,何それ食べれるの的なリテラシーの低い人が,紙の文書の習慣をそのまま持ち込んできたものという印象が強い. ただ,今検索しても
アホかー! - シートン俗物記 ひとまず、元のネタは論文が普通の査読誌(APLとか)に通ってるわけで、そんなものをわかりもしないのにトンデモとかいうから本当のトンデモがのさばるんだよということで。ひとまず、レーザー関係にのみ突っ込む。 まず、トンデモさんいらっしゃい。本編 - シートン俗物記のこの記述 まず、レーザーというのが(発振)効率が低い事は押さえる必要がある。レーザーの投入電力に対する発振出力は最大でも数%にすぎない。 一貫して電力-光効率の悪さを語ってるけど、太陽光励起レーザーなので比べるべきなのは光-光効率。ちなみに、そこらへんは光通信がらみ(レーザーダイオードや光直接増幅)で長足の進歩を遂げていて、この人が研究者やってたときとはレベルが違う。たとえば、http://www.optoscience.com/maker/nufern/fiberlaser.htmlを見ると、LD励
A案がさくっと通ったのは予想外だったけど,法律が成立したということでいろいろな人の脳死に関する意見が見れて興味深い. ただ,「脳死」はあっさり人の死になるような国の背景って,99%お金の問題だと思うのに,日本ではあまりそのことを触れない傾向があると思う.たとえば,http://www.mypress.jp/v2_writers/beep/story/?story_id=1839110経由で,彼女が死んだ。 - kom’s logを読んだんだけど,予後が良くなりそうにない人間を興味本位で生かすのにICUを2ヶ月回して,いくら医療費かかったんでしょうね?という気持ちしかわかなかった.ほんと医者にならなくて正解だったクズ人間だと思う. でも実際問題として,保険がない世界で脳死を頑張って蘇生させましょうなんてことを言える人間は,大富豪でしかあり得ない.保険があるからそういうことをみんな気軽に言える
どのくらい間口が狭いネタでも大丈夫かのテスト.たぶん狭すぎてアウトだと思うけど,化学オタが非オタの彼女に化学世界を軽く紹介するのための10物質 - 有機化学日誌に触発された.液晶オタが非オタの彼女に液晶を軽く紹介するための10分子でも良かったんだけど,そこまで詳しくないし(特に,FLC関係の分子でどれがメジャーなのかがわからない),さらに,重要な相のいくつかは混合系じゃないと出ないしと言うのも含め難しい.10分子で言えば有機半導体 10分子でも良かったんだけど,これはこれでOLEDとOFETの配分が難しい. まあ、どのくらいの数の液晶オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らない液晶の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」 ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、液晶のこ
http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20080904/1220542186 ブクマにも書いたけど,人権思想というのが世界に広がっていったのは国民がもつ潜在的な軍事力だというのは多分正しいと思う.けど,それが正しいとするならば戦争のあり方が変わってしまったときに人権思想は今のままでいられるのだろうか疑問に思う. というか,人権思想が常識になってから戦争の様態というのは何度かかわっている.最初のときは個々人がライフルを持つのが潜在的な軍事力だった.だから,基本的に選挙権は成人男性のみ.だって,女性はライフルもって戦場に出れないからね. WW1を経て,潜在的な軍事力の意味が兵士の頭数ではなく経済力とか生産力といったほうにスライドした.wikipediaで検索してみたけど男女普通選挙が成立したのはWW1以後だから,この発想はそんなに間違ってないと思う.でも,人の存在に直
まとめ - Apeman’s diary http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080808/p1 この騒動の最初の方に言ったんだけど,これは結局,道具に責任がある文化圏に組みするApeman氏と,道具になぞ罪は無い(つまり,使う人にしか罪はかぶせようがない)文化圏に組みするHALTMAN氏がかみ合わない論争(再開後は既に論争ですらないと思うけど)を続けていると理解すべきではないだろうかと. トリアージに方法論としてのホロコーストを見るか,得られるべき結果としての人命救助を見るかと言う意味で最初から全くかみ合っていないし,たぶんかみ合うことはない. 個人的には,この差にMolecualr DynamicsとMonte Carlo (Macrov chain Monte Carlo)の差を見るんだけど,どうだろ.別にどっちが正しいと言うわけでもなく得手不得手があるだけ
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/080714/erp0807142313004-n1.htmを見て,なんか違和感と言うか,ロシア怖いと言うか,妙な感じを受ける.通常空に向けるものを屋内に使ったからと言って失明するようなレーザーをイベントごときに使うのはおかしい. 基本的にレーザーは危ないので,それを反映してけっこう厳密にクラス分けがなされている.(ネットに上がってる中ではphoto_guide_laser.pdfが一番読みやすかった) 簡単にまとめると, クラス1 眼にレンズで集光した上で長時間のぞいても大丈夫(双眼鏡をのぞいてる人にそのレーザーがうっかり直撃してすら大丈夫と言う意味) クラス1M 眼に集光しない状態で長時間あたっても大丈夫 クラス2 眩しいと思って即座に目を閉じると,集光した状態でも大丈夫 クラス2M 眩しいと思って即座に目を閉
【MacBook Air分解その5】「外は無駄なし,中身は無駄だらけ」 | 日経 xTECH(クロステック)に始まって,結構盛り上がったけど,その時にMacBook Airが頑丈だと力説する信者さんの皆様がいっぱいいらっしゃった.もちろん,日本メーカーのモバイルノートはきゃしゃだとくさした上で. ただ,実際に頑丈なのと頑丈そうに見えるの間には雲泥の差があって,Appleの最近のノートPCは基本的に後者なんじゃないかなと少し思う.なぜなら,自分のまわりにある数年経過したAppleのノートで本体や画面のフレームがゆがんでいない個体が無いから.逆に,自分が使ってきたWindows モバイルPCは一回走行中の自転車からぶちまけたレッツノートのフレームがゆがんだのみ.つまり,そりゃ壊れるだろと言うようなことをしない限りフレームがゆがむことは無かった.(自分が買ってきたのが1kg前半のモバイルノートの
ああいうエントリーを書いた手前,正月から南京関係の文章をいろいろと読んだ.こんなに時間を投下するなら薦められてる新書を買ったほうが有意義だったかもしれない. でまあ,ともかく感想を言えば,反否定派の知識の膨大さとそれを維持しようとする努力に胸を打たれた. ただ,あのエントリーを書く前から思っていた疑問がやはり消えない.反否定派の人たちの文章から真実を追究する真摯な姿勢はびしびし伝わってくる.そして,あの戦争やその他をおこした人たちへの怒りもびしびし伝わってくる.でも,不思議と苦悩が伝わってこない.そりゃ,歴史家としての苦悩は若干伝わってくるけど. 今否定派の活動をしている人間への怒りは存在するだろうし理解できる,でも,そもそも過去の日本人への怒りと言うのが存在しうるのだろうか?(怒りを表明した瞬間に,その対象が自分であることに苦悩するのではないのか?) 1980年代に生まれた自分の感覚から
いろいろ思うことはあるのだけど,ぼろが出そうなので一言だけ. はてなブックマーク - 南京否定論のプロパガンダが成功するわけと北風と太陽 - smectic_gの日記とか,2008-01-07とかで,過ちを繰り返さない覚悟を持つべきという話が出てる. これに関しての自分の理解は「キレイな侵略戦争」も「キレイな植民地」もないとするならば,現在の自由貿易体制を維持し発展させる以外に日本が過ちを繰り返さずに生きていく道はないとなる. もちろん,これは全世界が第二次世界大戦から得た教訓だから,非道な侵略をしてしまった加害者側としてはより一段踏み込んだ責任を取る必要があるのだろうけど,基本的にはこの教訓に踏みとどまっている限り,第二次世界大戦のような戦争はおこす必要がない.あの選択肢の中に「過ちを繰り返さないように反省する」がないのはそういうこと.自由貿易のおかげで資源がなくても発展できたことそれ自
「大したことない」という論理 - ノーモアのコメント録を読んで,何で相当割合の日本人が「たいしたことない論者」に流れてしまうのかについて,「たいしたことない論者」をバカにするだけじゃ解決しないだろうと思ったので,分析してみた. 基本的に「たいしたことない論者」は別に南京否定論が真実だと思って主張しているわけじゃなくて,中国が非難してくる南京大虐殺を心情的に処理することが出来ないから発作的に南京否定論にすがりついてるに過ぎない.そんな人に南京否定論は真実ではありませんと言っても,キリスト教の人に神なんているわけないだろボケと言ってもどうにもならないのと同様に,考えを変えるわけがない.*1 自分も理性では肯定派がもっともな主張をしてるのはわかるんだけど,正直,肯定派が南京大虐殺について書く文章を読んでいると感情的な面で処理できないことが多い. 何で処理できないかを考えるために,身内で悪いことを
404 Blog Not Found:perl - 勝手に添削断念 - NNIPFを見て,Perl4難民って自分以外にも結構いるんだなあと思った. 自分がPerl4難民になってしまった経緯としては 赤ラクダ本でPerlを学ぶ(なぜかこれが最初に読んだプログラミング本) 時期的には青ラクダの英語版が出てたくらい.読み終わってすぐに日本語版も赤から青に変更になったのはタイミング悪すぎ. 普段のローカルなテキスト処理にだけperlを使う.最初のうちはjperlで,いつの間にか普通のperlでも(何もせずに)日本語通るようになったのでそれを使用.結局のところ,赤ラクダの範囲で足りる用事しかしていない.*1 時々これじゃいかんよなと青ラクダ本を書店で手に取るもあまりの厚さ(と値段)に買う気が失せて撃退される. というか,Perl5知らないんで認識が間違っていたら申し訳ないんですけど,何をどうしたら赤
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