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shokou5.hatenablog.com
おひさしぶりです.今年も,いや,この 5 年も,いろいろありましたが,結局のところ,図々しくも,僕は元気です.いや,あまり元気がないかもしれません.君はどうですか? このところ,道徳について考えていました.いや不道徳について考えていたといったほうがいいかもしれません. 以下は,人間の道徳認知の基盤は,普遍的な「道徳文法」 Universal Moral Grammar によって特徴づけられると主張したジョン・ミハイル John Mikhail の著著 Elements of Moral Cognition: Rawls' Linguistic Analogy and the Cognitive Science of Moral and Legal Judgment (2011) の第一章の翻訳です.彼は,ノーム・チョムスキーに始まる生成言語学の手法を道徳認知の領域にも適用することで,興味深
ご無沙汰しています. この度,研究を通じて出会った友人たちと雑誌『SYNAPSE -Academic Groove-』*1を制作しました.ぼくたち編集チーム SYNAPSE project は,学術の魅力をより多くの人へ届ける「サイエンス・コミュニケーション」を目的とし,専門領域の枠組みを飛び越えたイベントやメディア発信を企画・運営するプロジェクトとして,今後もイベントや Web も含めた発信を予定しています *2. 創刊号では,神経科学,宗教学,建築,哲学など多彩な分野の研究者たちを魅了してやまない学問の「パターン・カタチ・リズム」を集めて魅せています!(詳細は以下参照) *3 『SYNAPSE -Academic Groove-』刊行に際して入手方法などについて多くのお問い合わせを頂いておりますので,以下に入手方法など詳細を掲載いたします.今後も SYNAPSE project 主催イ
おひさしぶりです.今年もいろいろありましたが,結局のところ,図々しくも,僕は元気です.君はどうですか? さて,年始年末は日本においても宗教に関わるイベントが目白押しですが,それらの忙しさをやりすごしたら,ふと立ち止まって宗教や信仰そのものについて考えてみるのもよいのではないでしょうか.そのきっかけとなるネタを提供できれば光栄です. ■ はてなで学ぶ非-インテリジェント・デザイン論 長老「人は人に似せて全能の神様を創ったのじゃよ.その証拠に,わしらが考える神様はひどく人間くさいではないか」 ぼく「ふうん,なるほどね.神様がぼくたちに似ているのは,僕たちが考えたものだからなのか….待てよ?ということは,神様もぼくたちと同じように神様を創るんじゃない?」 長老「…う,うむ,そ,そうじゃ,よくぞ気がついた.わしらが神様を創ったのと同じように,きっと神様も全-全能のメタ神様をお創りになるじゃろう」
参照サイト:Color perception is not in the eye of the beholder: It's in the brain 関連論文 Organization of the Human Trichromatic Cone Mosaic Heidi Hofer, Joseph Carroll, Jay Neitz, Maureen Neitz, and David R. Williams Journal of Neuroscience (2005) 人の網膜には、波長の違う光に反応する3つの錐体細胞(コーン)がある。これが色の知覚を可能にしているのだが、その細胞の分布を調べる技術が今まではなかった。 ロチェスター大学の David R. Williams らは天文学で用いられてる技術を応用して、生きている人間の網膜の構成を調べることに成功した。 結果は驚くべきもの
と題された教員談話会を聴いてきた。 「脳の話:言語と認知」 信原幸弘・酒井邦嘉 今回は、脳の情報処理をめぐる根本的な問題をめぐって、哲学者と脳科学者が正面切って論争を行う。 信原:「言語は構文論的な構造をもつ点に顕著な特徴があるが、そのような言語的表象は脳によってどのように形成・理解されるのだろうか。脳の情報処理モデルとしては、構文論的構造をもつ表象を形式的に処理する過程として認知を捉える古典的計算主義よりも、そのような構造をもたない分散表象の処理過程として認知を捉えるコネクショニズムの方が適切である。コネクショニストシステムとしての脳によって、構文論的構造をもつ言語的表象がいかにして形成・理解されるのかを考察する。」 酒井:「コネクショニズムは神経回路の1つのモデルであり、このモデルの分散表現でシンボルを扱えないことは、脳が同様の制約を持つという根拠にはならない。言語のシンボル操作が脳に
九州大学「音楽学I」シラバスより レアダールとジャッケンドフによる「調性音楽の生成理論」は,シェンカーの階層理論を展開し,さらに,チョムスキーの生成文法の方法を導入した今日もっとも影響力を持つ音楽理論であり,実装も試みられている。 マジか.やるなあ、ジャッケンドフ…。『A Generative Theory of Tonal Music (The MIT Press)』ですね。 A Generative Theory of Tonal Music (The MIT Press) 作者: Fred Lerdahl,Ray S. Jackendoff出版社/メーカー: MIT Press発売日: 1996/06/03メディア: ペーパーバック購入: 1人 クリック: 37回この商品を含むブログ (2件) を見るシェンカーはメタルのマイケル・シェンカーではなく、 ハインリヒ・シェンカー (シェン
Contemporary Debates in Metaphysics (Contemporary Debates in Philosophy) 作者: Theodore Sider,John Hawthorne,Dean W. Zimmerman出版社/メーカー: Wiley-Blackwell発売日: 2007/12/03メディア: ペーパーバック購入: 1人 クリック: 20回この商品を含むブログ (21件) を見る人生初めてのオフ会は、モテとはそもそも実在するのか、実在するとすればどのようなものか、といった形而上学的な話題が中心となりました。二時間でだいぶモテるようになった気がします。ブログ界のそうそうたるかたがたとおあいできて光栄でした。 「ゆるふわモテ形而上学(ゆるふわMetaphysicians)読書会」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
2008 年 11 月 9 日に専修大学で行なわれたシンポジウム「生成文法の可能性」に参加し、いつもブログ上でお世話になっている id:dlit さんともお会いすることが出来ました。お会いした感想としては同じく、若け〜というのと、やっぱり言語学の方はきれるな〜という。シンポジウム後はお互い多忙で、ゆっくりお話も出来ませんでしたが、またお会いする機会はあると思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。 レポートは dlit さんがこちら (シンポジウム「生成文法の可能性」レポ - 誰がログ) で丁寧にやってくださっているので、僕は、そこで挙げられている質問にお答えしたいと思います。ちなみにここでの回答はあくまで僕個人の見解でありまして、所属する研究室や共同研究者の意見とは関係があるかもしれませんし、ないかもしれません(笑)。 さて、dlit さんのご質問として ある刺激に対して言語能力に
毎日のように僕が買い物をするセブンイレブンの前にある、何だかイカした建物。何年も気になったまま立ち入ることはなかったのだけれど、先日、入り口に "DESIGNTIDE TOKYO 2008" の立て札が出ていたので、買ったばかりのカップラーメン片手にふらっと立ち寄ったところ、写真展が行なわれていた。E&Y という家具屋さんのショールームらしく、こざっぱりとして遊び心のある空間の中にモノクロ写真が散在している。 飾られているのは小笠原真紀さんのギリシャの小島の旅の写真。 夏の光に掠れる子供たち、犬、商店、木々。飛散した白い粒子が、地中海の光の眩しさを涼やかに表現すると同時に、その風景の忘却をも、また、焼き付けている。写真集『空の旅』にも写真と写真の間に、忘れ去られた旅の歩みのように、幾つもの空白のページが織り込まれている。僕が旅先で必死にカメラを振り回し旅の風景の忘却に抗おうとする裏で、こん
秋の大物ライブ三連戦、radiohead につづく二戦目は Sigur Ros。 今回も我がバンドのボーカル kms の誘いで参戦。チケットがライブ当日になっても kms の手元に届かず、問い合わせたところ、住所の宛名に間違いがあって、羽田の荷物集積所に留まっていたことが判明。羽田に急ぐ彼。一方、僕は先に新木場駅に着いて彼を待っていたのだけれど、この駅前の風景が、良かった。労働後のおっちゃんたちや暇をもてあました感じの若者たちが、それぞれ思い思いにたむろして、酒を飲んだり、煙草を吸ったりしていて、ちょっとすさんだ感じが、何だか、懐かしくて、心が安らいだ。開演予定時間は過ぎているし、はやく kms に来てもらいたいものの、まあ、俺が焦ってもしょうがないか、と僕もビールと煙草で彼らに同化する。急きはしてもひとり。などとひとりごちる。結局、kms が羽田からタクシーを飛ばしてくれたおかげで何とか
Kandel, Schwartz, and Jessell (2000) 『Principles of Neural Science』 p. 22 より。 このように、 ひかりの 情報を はこぶ 信号は、においについての 情報を はこぶ 信号と おなじなのです。ここでぼくたちは 脳の はたらきの もうひとつの だいじな 原理に であうことに なります。活動電位 によって はこばれる 情報は その信号の かたちによって きめられるのではなく、脳のなかの 信号の とおりみちによって きめられるのです。脳は やってくる電気信号の パターンを 分析し 解釈しており、こうして、まいにちの みる、さわる、あじわう、かぐ、きく、といった ぼくたちの 感覚が うみだされるのです。 もっともなのですが よく かんがえると ふしぎです。どうして 「この とおりみちは ひかりに ついての ものだ」 だとか 「こ
音楽ネタに走るのは稼業 (稼いでいないけれど) が充実している証 ということにしておこう。 さて、次はラプチャーが火をつけて爆発した UK のニューレイブ・シーンについてですが、最近の新人はダンス風味にも関わらず「黒さ」がすっかり抜け落ちていて、僕は詰まらないな〜と思っていたのですけれど、それを id:inumash さんが「ハウス的快楽」の欠如としてその原因を指摘していらっしゃって腑に落ちました。 乙女男子はパリを目指す!〜Friendly Fires『Friendly Fires』〜 - 想像力はベッドルームと路上からより ですが、ブレイク以降、「House of Jealous Lovers」のインパクトが強すぎたのかポスト・パンクからの影響ばかりがピックアップされてしまって、彼等がやろうとしていたことが正確に理解されなかった。ラプチャーは実はとても不幸なバンドなんです。 なので、「
僕らの座席は PA 卓の後方で、ステージ真正面の良席。 昨日の開演前には気軽に、18 歳が蘇るかも、と書いたのだけれど、本当に蘇ってきた。忘れていた 18 歳が。終盤、ずっとしんどかった。こんなに息が詰まるようなライブは初めてだった。びっくりした。"18 till I die" と Brian Adams は溌剌と歌ったけれど、そして、僕もいつの間にかそういった幻想で記憶を上書きしていたけれど、18 歳てそんなに甘くて青いもんじゃなかったんだよなあ。僕らの世代の teenage を象るギター・リフ (というかベース・リフと言ったほうがいいか) は、快活に切り裂くような Jumping Jack Flash でも、衝動的な Smells Like Teen Spirits でもなくて、暗鬱で頭痛を催す Paranoid Android だった。1997 年に彼らが歴史を塗り替えて、これがロッ
ここのところ解析のためのプログラミングに追われる日々です。プログラミングを毛嫌い(食わず嫌い)していた僕ですが、なんとなく面白みが解ってきました。謂わばコンピュータとの会話ですね。もちろんコンピュータに情緒を感じることはできませんから、いかに効率良く答えを引き出すかという功利性に主眼が置かれるのですが、相手の思考の流れを追うことの醍醐味には共通するものがあります。今まではコンピュータと話したいことも全くなかったわけで、それでは語学に熱が入らないのも当然です。 必要性がない限り勉強というのは進まないものですが、そもそもの必要性を見出だす能力というのが案外重要だな、と改めて感じました。学歴や職業以前に、モチベーション自体が成育環境(階級)に大きく左右されるという近年の指摘は、当たり前と言えば当たり前ですが、なかなかシビアな事実であります。 さて、話は変わりますが、コンピュータが人間と同等の知性
日曜日からの四日間にわたる[缶詰[論文執筆]]*1にひと区切りを付け,へろへろになりながらも,とあるバーで三浦俊彦『多宇宙と輪廻転生―人間原理のパラドクス』を読んでいるわけであるが,隣席の同世代と思しき女子二人の会話へふと耳を傾けると,エレクトリック・グラス・バルーン時代も含めたスギウラム氏や dip のヤマジ氏の話題で大いに盛り上がっており,そのレアな(と当初思われた) シチュエーションに大層驚愕した次第であるが,少し落ち着きを取り戻し,読みさしの本に立ち返れば,これは確率的直感の誤りがもたらした偽りのサプライズであることが理解される. この場合,見落とされていた重要な前提は,シチュエーションの観察者がスギウラム氏もヤマジ氏も知っている他ならぬこの私である,という条件である.特定の文化的背景を共有する人間が類似した行動選択を行うのは当然であり,この時間この場所に私が存在していること自体が
僕は高校の頃から指数関数的に自己管理能力を喪失してきた。期限と言うのは僕にとっては着手の合図。自部屋の床にはうず高く本が積まれ、それは書几をも浸潤し、その上に衣類の苔がむす。有機的なカーブの等高線が空間を覆い尽くしている。自分の愛するモノたちに埋もれるようにして眠る。そんな状況に僕はダダイスティックな喜びを見出していたのかもしれない。 でも気付いた。真摯に今、自分が置かれている状況、これから生きていくべき環境を見つめれば、頽廃の美と戯れる欺瞞は放棄しなければならない。それが本当の自己愛。 今、Geek の間では、David Allenという人物の提唱したGTD (Getting Things Done) と呼ばれる自己管理テクニックがブームになっている*1。自己管理ツールおよび、そんなものに管理されている人間を小馬鹿にしていた僕だったのだが、真のエゴイストたらんという理念の元に導入を決意。
killhiguchiのお友達を作ろうより (略) 今、私は、「治る」ことを、日常生活が送れて働けるようになるというように定義している。決して病根が私の目の前に曝され、それと対決し、完治させる、というようにはしていない。 http://d.hatena.ne.jp/dadako/20080814 つねづね「治る」とはどういうことかと考えているのだけれども。精神医療的に「治る」は社会に適応できて抑うつ等の症状を発していない状態をいうのかな。「医療」という面から見れば目標地点をどっかに置かなければいけないのはわかるけれども、「治る」にもいろいろある(たとえば「寛解」と「完治」と「治癒」は違う)ということを指摘しておかないと誤解が生じる気がする。 dadakoさんは、発達障害も含めた精神医療全般について書いておられるが、私のような鬱病の患者に限っても、「治る」レベルにはいろいろある。 例え、今、
脳軟膜を剥いたり、小脳を切除したり(飽くまで画像上で)の単純作業に飽きたので 息抜きに言語学の講演を聴きに行った。 The Biological Perspective on Language Günther Grewendorf (University of Frankfurt am Main) Abstract: I would like to discuss two concepts of language that have been proposed in modern theory of language. The first one goes back to the late philosophy of Ludwig Wittgenstein, who considers language to be a form of life. The second one is ass
M. Soupcoff "Brother, Can You Spare a License?" Regulation Summer 2005 より。 小泉義之先生のブログで言及されていたもの。 望まないことをする人々をとめるにはいくつものやり方がある。たとえばそれを差し控えるように丁寧に頼む。訴訟や悪い風評をちらつかせて彼らを脅す。あるいは政府なら免許を取るように要求する。 最後のオプションはあまり大したことがないように聞こえるけれど、実は信じられないほど有効な抑止手段なのだ。政府が免許を与えるにあたってのプロセスの一部である形式や線や規則や丸*1、それから、そう、官僚主義的なお役人たちを考えれば、自分自身を監督官庁にさらすより、貪欲な弁護士かもう少しマイナーな安手のエージェントに金を払うのは当然だろう。 これがどうやらミネアポリスが当てにしているもののようだ。当市は、公的に乞食を行なうた
*1 夕焼けの色が素晴らしかった。相変わらず写真では再現できない色。駒場より撮影。右が新宿、左が三軒茶屋方面。ベランダに誘い出されて写真を撮って五分もしたらもう薄暗くなっていた。一瞬が勝負。 「自然」科学に携わりながらも、向き合っているのは PC ばかりの毎日。デスクの前に広がる大きな空だけが今の僕の触れる自然。4 年前早いもの順で決めた研究室の席なのだけれど、この席で、本当に良かった。 しかしこんなに空ばかり見ていていいのかね。そういや小学生のころにも、隣の席の女の子に「空ばかり見ているね」と言われたな。いつだったか入院したときもベッドからずっと横浜の海と空を見ていた。こればかりは死ななきゃ治らない。というより、臨終も空の見える窓際で迎えたい。空からは空が見えないから、天国には行きたくない。 → 2 年前の夕焼け (http://d.hatena.ne.jp/shokou5/200608
サニーデイ・サービス再結成だって!晴茂くん (Dr.) 生きていたんだ・・・。無免許スクーターで疾走する三人、泣ける。 そういえば数年前の夏、僕もベトナムの海沿いの町ムイネーを無免許バイクで走りました。セオム (バイクタクシー) を頼んだつもりが、レンタルバイクをそのまま手渡されてしまったのです。張る必要の無い見栄を何故だか張って、勢いよくアクセルを踏み込んで、白い砂漠と赤い砂漠を目指して走りました。後ろに Lisbon22 くんを乗せてよろよろ走りました。 道に迷ったり、浅い川の中を歩いて遡ったりしながら、どうにかこうにか、夕暮れが近づいてくる頃、砂漠まで辿り着きました。砂の丘の上でコーラを一気に飲み干しました。とても暑い一日でした。砂漠の向こうにオレンジ色の大きな太陽が沈んでいきました。 真っ暗になってから、街灯ひとつない道を宿までバイクで戻りました。 途中の小さな漁村で、夜の闇よりも
俺なりに頑張ってるのだ。といっても包括的な「俺なり」なんてのは当の俺しかわからなくって、周囲の人々は様々に分断された俺たちのうちのどれかひとつを見ているに過ぎない。研究室での俺、バイト先での俺、家での俺、バンドでの俺、友人の前の俺、恋人の前の俺、通勤電車の中での俺、排尿中の俺、夢の中の俺…、あ、それでもってこのブログでの俺。というわけで、もう、いくつも分断された俺たちが存在するのだが、その俺たちは各場面、場面で分断されているわけで、継続して汗水垂らしているのは俺だけである。俺以外の誰もそれを知らない。なんだか不公平な気もしなくもない。 兎に角、その全部の俺たちを統合して把握しているのは俺だけだ。全ての俺たちを俺が束ねている。おれ?これはなかなか凄いことである。もちろん個々の俺たちは目先の仕事だの誘惑だのにすぐ引き寄せられる視野の狭窄なやつらだから、俺のことなんて見えていない。その個々の愚昧
地表面の七割は水 人体の七割も水 われわれの最も深い感情も思想も 水が感じ 水が考へてゐるにちがひない 大岡信『故郷の水へのメッセージ』 雑誌に投稿していた論文にコメントが付いて戻ってきた。2 人の査読者のうち 1 人はべた褒め、と見せかけ結構突っ込み、1 人はばっさり。粘って質を向上させればパスする可能性はまだある。 しかし、ここで挫けてしまえば、僕の見出したものが科学的事実としてこの世界に記録されることはない*1。僕自身は僕の発見した事実が紛れも無い真実である、という確信を持っているわけだが、それが科学的事実として世界に認められるまでには、イントロダクションの体裁を整え、分かりやすい表を作り、等々の比較的瑣末な作業を積み重ねていく必要があるのだ (もちろん行き過ぎた解釈や統計の使い方といった重要なポイントもいくつも修正する必要はあるのだけれど)。 考えてみれば不思議なものだ。少なくとも
Uで彼は、絵画に政治がコード化できるのを初めて知り、ソナタが生けるヒエラルキーのように幾層にも分かれていくのを初めて聞き、文章がリズミカルに連動していくのを初めて感じた。他人の肉体の濡れたシャミーレザーに初めて自分自身を埋め込んだのもここUだ。ここのはかない四年間で、初恋は溶解し、昇華して、蒸発した。 彼はこの町で最愛の脳科学を裏切り、現代思想と寝た。*1 先日の特別講演のこと。 ミラー・ニューロンの概説後、それに絡めてラカンの鏡像段階や、タルドの模倣、バウマンの液状化した近代などが語られる。ネグリやドゥルーズ、ヴィルノが参照される。神経科学と現代思想との俗悪な結託がもたらした生温い共感が会場に拡がる。馬鹿馬鹿しい。僕のミラー・ニューロン・システム(あるとして)は全く活動を示さない。 共感のメカニズムが神経科学的に説明されようとし(そしてその試みは実際にはまだ夢半ばなのだが)、そして、神経
と講談社現代新書のように高らかに名指し得るものがあるのか、僕には皆目わからない。*1 前回のネッド・ブロック Ned Block の翻訳に自然種 natural kind という語が出てくる。これまでも何度も様々な本で目にした語であるが、いまいち、自然種とは何か、が覚束ぬ。僕の所属する脳科学の研究室には、哲学辞典など、ない。そこで、安易にグーグル先生に尋ねてみた次第であるが、パンの酵母が云々、といったページばかりである。ブロック先生は「中国人ひとりひとりにニューロンの真似をさせたらそこに意識が生まれるか、仮に意識が生まれるとするならチベットやウイグルなどの問題はどうクオリアとして立ち現れるのか」といった奇抜な発想で知られる方であるが(後ろ半分は真っ赤とはとても言い難い嘘である)、流石に脳内の酵母菌と意識との関係を論じるはずがないのである。 こちらの「知識は自然種か?」 (pdf) は大変勉
紆余曲折ございましたが、わたくし、本日をもちまして修士課程を修了いたしました。来年度からも同じ研究室の博士課程に進学いたしますので生活が大きく変わることはないのですが、漸く今日になって自分の中で一つの区切りとしての実感が芽生えました。 この数年は本当に生活が重く、苦しく、その反動で半分気晴らしのような不真面目な、不謹慎な、エントリーばかり書き連ねた覚えがいたしますが、それでもなにかしらの興を覚えて読んでくださる方々がいらっしゃったことが僕にとっての大きな支えになったことは間違いありません。一年生になったら友達百人できるかな、という歌がアイロニーであることは最近知ったのですが、日本に百人ほどは私の拙い書き物を心の片隅に気にかけてくださる方もいらっしゃった、という事実だけでどれだけ奮い立たされたことか。 僕は血縁や地縁といったパトリにどうしてもアイデンティティを重ねることが出来なかった。抵抗の
哲学の授業と喫煙所でよく顔を合わせていたミスター・ロンリーもといミスター論理こと id:at_akada さんが論理学を切れ味鋭く振り回しているのを見て羨ましくなり、戸田山和久『論理学をつくる』を買った。この本をきっかけに akada さんは僕が到底届き得ないところまで突き進んでしまったようである。id:shinimai さんが楽しそうにお読みになっていたのにも影響されたようだ*1。 論理学をつくる 作者: 戸田山和久出版社/メーカー: 名古屋大学出版会発売日: 2000/10/10メディア: 単行本購入: 27人 クリック: 330回この商品を含むブログ (108件) を見る投稿論文を一通り書き終えて英文校閲に出して暇が出来、先生も入試関連で忙しいので、本業をサボって昨日から集中的に読み始めた。野矢茂樹先生の『論理学』を読んでいたので、3章まではすいすい読めたが、3章の途中から急にペース
(え〜ここのところ諸般の事情により只のセキララ☆日記になっております。脳や言語など高尚なテエマに興味のあるかたは他を当たって下さい) 女々しくも「俺の生活は恋人の笑顔と暇つぶし」との至言を放いし宮本浩次同様に虚人と成り果てたる俺なのであるが、所詮暇つぶしは暇をつぶすのみにて、ぽっかりと穴を残して消え失せし恋人の笑顔を埋める能わず。ただただ音や文字を異様な勢いで喰らうのみ。 別れの一週前に贈られた美しい色の織り込まれたネパアル製ニットの帽子と手袋に埋もれぬくぬくと間抜けな面を晒して毎夜街を彷徨す。 こ、こ、この帽子は、手袋は、夜遅く自部屋で電話すると隣室の同居人に迷惑がかかる故、外で何時間長電話しても凍えぬようにと選んでもらったものなのです! なんと虚しきぬくもり!! ぬくぬく。ぬっくぬく!凍え死にそう!!
ファッション情報サイトじゃないのに、このブログに検索で訪れる方が一番多いのはこのページ…。 SPOKEN WORDS PROJECT の 連絡先は Tel:03-3746-3880 『シマノホホエミ』、『島々』などの写真家長野陽一氏と SPOKEN WORDS PROJECT のデザイナー飛田正浩氏と対談はこちら (長野陽一の宝さがし)。 東京での取扱店は渋谷新南口の傍の http://www.desperadoweb.net/index.html と吉祥寺北口の TONE。その他全国の取扱店は以下のとおり (clammbonの胡麻みそズイより)。 リージェント 苫小牧市(北海道) 0144-35-8321 http://www.desperadoweb.net/index.html 渋谷(東京) 03-5459-5505 TONE 吉祥寺(東京) 0422-23-2594 アラブルソイル
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