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あらすじ 「量産型デブ」 森の中をパトロールしていたレンジャー隊員(デブ・雄)が、米軍の遺棄兵器を誤って起動してしまった。すると凶暴化したデブのクローンが大量発生して銃撃戦になるというハートフルラブロマンスが本作である。 本作を彩るのはリコグナイズ機能不全問題である。主人公のデブとそのクローン、見分けるのに一苦労である。全員がほぼ同じ色の服を着こみ、ほぼ同じ銃で武装している。差異を設けるために、クローンには白塗りらしき化粧と尖った犬歯が装着されている。が、本作の舞台は夜である。夜になると暗くなるという事実を製作陣は知らなかったらしく、それは白塗りをほどこしたメイク担当の努力を水の泡にすることに成功している。 したがって視聴者は本作82分間において、似たようなデブが銃を撃っている映像を見ながら犬歯を探すという鑑識活動を余儀なくされる。さらにド下手くそなエスタブリッシュショットがこの混乱にトル
あらすじ 「ヘビ<ハゲ」 成金が狩猟用に捕獲した巨大ボアが当然の如く脱走して民間人が死ぬ。立派なハゲ予備軍として通用する頭髪を持つFBI捜査官は事態に際して「いたずらに部下を投入して死者を出したくない」と意外にも理知的な反応を見せる。明晰な彼の頭脳が導き出した方程式。それは「ヘビにはヘビをぶつければええんや!」という理知のかけらもないものであった。 白羽の矢が立った研究所。そこには巨大パイソンを飼育して万能血清の開発に邁進していたすばらしい研究者がいた。ヘビにヘビをぶつけるんや案を聞いた彼は「正気か貴様」と至極当然の反応を見せるがハゲ予備軍に押し切られる。巨大パイソンにはイルカを研究している女の開発した「装置」が埋め込まれる。 作戦はYou are cleared to take off。そして巨大ボアと巨大パイソンは対峙する。そうなれば次に何が起こるかは自明だろう。そう、おセックスである
あらすじ 「実質的に無きに等しい」 時は幕末の日本。ある外国企業が見世物にしようと持ち込んだゾンビが無事脱走、感染が京の町に広がる。ゾンビと新選組が散発的に戦闘する72分間を最初に断罪しておこう。ゴミである。 肝心の戦闘シーンについてはジジイのファックの方が気合が入っているレベルで救い難い。体幹の威圧も、抜刀の閃光も感じられない、ただ肘から先をプラプラと怠惰に動かすだけの省エネ動作はクソッタレという間投詞にジャストフィットしている。剣道クラブで竹刀を握り始めたばかりの未就学児童の方がよほど剣豪の名にふさわしいだろう。 極めてレベルの低いアクションを、これまた極めてレベルの低いカメラが照準する。まるでスマホをいじりながら電車の扉前から意地でも動かない種族のように、頑として固定されて動かないカメラが役者をクロースアップで捉える。 アクションのレベルは低い。その低いレベルのアクションはクロースア
あらすじ 「エイリアンがやってきて地球人は地球から出ていけと主張する量産型バトルドーム」 エイリアンがやってきた。(中略)米軍は壊滅する。なんやかんやで地球人はエイリアンを打ち倒す。その手法はゴーレムみたいなツラをした女大統領が「病原菌をわが身にまとってエイリアンと握手してくれるわ」と叫び自爆攻撃をかますというなかなかロックなラストである。 本作の楽しみ方は2つある。1つは民間防衛映画として見ることだ。『民間防衛』。そう、スイス政府が出してるあの赤い装丁の本である。エイリアンは「飢餓に苦しむ民に食料を与える」「病に苦しむ民に先端科学治療を与える」と誘惑する。エイリアンの甘言にのせられて民は困惑、エイリアンは善玉だと主張しだす輩も出てくる。 しかし結局エイリアンは拉致した地球人を宇宙空間に不法投棄していたのだ。これにブチ切れた大統領は冒頭のハンドシェイク作戦を立案するわけである。 「敵国は甘
あらすじ 「グチョグチョ(内臓いじり)」 パーリーピーポーに出かけた4匹のバカが道中変態に拉致されて人間狩りのターゲットにされ殺されていくという理不尽系の本作の売りはグロ描写だ。ショットガンの散弾を食らった足首の表皮がズル剥けになったり、サバイバルナイフを突き立てられたお兄やんの腹がかっ捌かれて内臓ボロンといった清楚で牧歌的な風景がモニタを彩っていく。従って本作は「血とモツが見れれば他はどうでもええんじゃ教」の信者なら許容しうる出来であろう。 本作の問題点は2つある。第1の問題はカメラ役者に寄りすぎ問題である。恐怖におびえる役者の表情に照準を合わせ強調し、視聴者もハイ怖がれ!という意図で投入されたであろうこの演出。それそのものを否定するつもりはない。しかし本作においてはそのクロースアップは乱用というレベルで過剰投入されており、結果、役者の表情がわかっても周囲その他の状況がわからない問題が発
あらすじ 「サスペンスという割には緊張より笑いが勝る」 悪徳警官が悪ガキどもにパトカーをパクられて憤死するという愉快な本作。本作には悪党しか登場しない。素行不良の家出少年にチンピラ、腐敗警官といった具合に社会に対して唾を吐く優等生のみがモニタを彩ることとなる。 悪党どもを通じて製作者が視聴者に届けようとしたものは「弱さ」ではないかと愚考する。パトカーを奪ったガキどもの無軌道な暴走も束の間、彼らは銃や大人の力の前に弱さを露呈し家に帰りたいと涙目になる。大人も大人である。腐敗警官は違法活動の証拠が残るパトカーをパクられて俺はもう終わりだ感を発動させ便所でドラッグパーティーを開催する。腐敗警官にシメられたチンピラは半裸にナイトガウンの無様な姿を虚飾するかのようにM4とショットガンを振り回す。 悪党どもの先行き不透明な旅情とその愚かな計画性からくる反動をパトカーという運動装置に託して88分間駆け抜
あらすじ 「叫んだら即死(即死するとは言っていない)」 12世紀のアイルランドで王立騎士団により封印されたバンシーなる女妖精がいた。彼女は相手をおどろかせ、悲鳴をあげさせてから処刑するという迂遠な過程を好む自立式びっくり箱である。 ならば悲鳴を上げないように行動しよう!そして発生する緊張が物語の主力を握る!のかと思いきや、本作のロジックはそれを許さない。脇役級の登場人物が悲鳴を上げると即座に処刑されるのに、主役級の登場人物は悲鳴を上げても殺されない。これはある種の格差社会ではあるまいか。広がりつつある貧富の差をしかと認識せよというメッセージを本作から感じ取ろうとする試みは実に牽強付会といえるだろう。 恐怖演出について、それは例えるならば場末のお化け屋敷のようなものである。ミイラみてえな女妖怪が不意打ちで「ワッ!」とおどかしてくる。しゃっくりを止めたいならば有用かもしれないが、間違っても映像
あらすじ 「さながら汚部屋のごとし」 男3人(陽キャ、陰キャ、ハゲ)、女2人(アウトドア系、インドア系)の5人のフランス人がクロアチアで山登りすると変態に襲われどえらい目に遭うという本作は、所々で小さな笑いを製造するハートフルコメディ作品である。 最初の笑いどころは陰キャが崖から滑落しかけるところである。このヘタレ、高いところが怖いくせに女にいいとこ見せるために調子こいてこの旅に参加したのである。自然をナメるな!このモヤシ野郎が命綱一本で崖から宙ぶらりんになってヘルプミーと叫ぶ無様さを見た瞬間、こぼれ出るものはなんであろうか。それは微笑み以外ありえない。 次の笑いどころは、変態が仕掛けたトラバサミで陽キャが足をズタズタにされるシーンである。彼はその直前「この登山がヤバいのはわかってたけど強行してみたwww」と告白しており、その無責任さからの天誅の一撃が人々にもたらすものはなんであろうか。そ
あらすじ 「適当に銃撃って殴り合うだけ」 絶滅の危機に瀕した宇宙人がいた。彼らは植民できる無人星を探して旅を続けていた。やがて彼らは分裂する。急進派は地球人をブッ殺して地球を乗っ取ろうと主張し地球に侵攻、穏健派はそれを食い止めるべく「最強の戦士」を送り込む、というのが本作のストーリーラインである。 本作のクソ袋は仰々しい設定をブチ上げた割にはそれに対応する説話がなっていないところである。急進派やら穏健派やらエイリアンやら植民やらなにかしらメタファーになっていそうなモノはことごとく張子の虎として機能するばかりだ。 深読みせんでもええやん!素直にアクションを楽しもうやん!それも不可能なのが本作の懐の深さである。特に派手な技を見せるでもなく、筋肉による圧力を見せるでもなく、そこそこ鍛えたオッサンが無言で黙々と撒き餌をしばいていくフォード生産方式的なアクションはまさに職人技。1対多数のアクションも
あらすじ 「陰キャ覚醒」 警察の武器庫で管理係として働く陰キャのお兄やんは実はアルティメットのび太だった。彼は射撃大会に出れば新記録をたたき出し、大正義米帝軍からもリクルートを受ける射撃の天才である。趣味で防弾チョッキを貫通する45口径炸裂弾まで作っちゃうんだぜベイベー。 そんな彼はある日悪党の姦計に嵌り、正当防衛とはいえ一般人を射殺してしまう。殺人の証拠隠滅を買って出る悪党、それにただうなずくしかないお兄やん。悪党はそれをネタに彼をゆすりつづける…。 本作を楽しめるか否かの分水嶺は、このお兄やんに係る心情に理解を示せるかどうかというところにあるだろう。突発的正当防衛により人を撃ち殺してしまった陰キャが誰かに相談する勇気を持てないまま悪党に付け入られるという設定。確かに褒められた行為ではないが人間が理想的でない生き物である以上十分作劇として楽しめる設定であると私は考える。 しかし正義感の強
あらすじ 「坦夷」 本作の物語には山も谷もない。軍の演習場でパーリーピーポーしていたバカ男女が宇宙人に1人ずつ拉致られていく。坦々と。ワンパターンに。 主人公と思しき男性はご丁寧に長セリフで状況を説明してくれる。それは非常に論理的だ。「宇宙人は地球人を標本にしている。俺の叔父はアメリカ空軍のパイロットだったんだけど、レアな刺青を彫っていたから宇宙人に拉致されて生還したんや。だから俺は頭痛を伴う悪夢をみている。みんな死ぬんや。」 秀逸なのは「だから」以下の華麗なる接続文脈であろう。この文章単体でみても意味を成していない。さらに映画本編の中で叔父の設定が全く生きてこないどころか主人公の頭痛も全くストーリーテリングに寄与していない点が恐ろしい。小学校低学年の読書感想文のほうがまだ訴求力がある。 主人公たちは宇宙人に対抗するために携帯電話を分解してIEDを作る発想力を披露したかと思えば次の瞬間には
あらすじ 「早漏(良い意味で)」 マフィアを潰すために証言をしようとしていた会計士が頭部を銃撃され病院に担ぎ込まれる。迫りくるマフィアの追撃の手。緊急手術が終わるまで彼を守らなくてはならない。護衛の刑事は手にしたハンドガンに初弾を装填する…。 本作の美徳は無駄というものが殆ど無いストーリーテリング、これに尽きるだろう。その証左はわずか80分という上映時間だ。「ここが舞台となる病院です」「私たちは悪い奴らです」と流れるように網膜を泳いでいくそれら説明シーンは必要最小限の構成をとっているために説明臭くない。 なおかつ、襲撃→軽いコメディ→襲撃といったテンポを確保することにも成功している。話に緊張と緩和が存在しているのだ。実に素晴らしい。アホみたいなタイトル、ジャケットかとは裏腹に、本作の背骨は頑健だ。 もちろん本作に対して無制限の万歳三唱スペシャルを送れるかといえばNonである。本作の弱点はカ
あらすじ 「大きいおっぱいはイヤ!」 本作を見て湧き上がった感情はまず「この映画は結局何が言いたかったんだろう」という消化不良感である。主人公の女性はティーンエイジャーの頃から自身の巨乳がコンプレックスだった。やっと巨乳を気にしない男と結婚できたと思ったら彼には虚言癖があったのだ。ワタシは一体何を信じればいいのよぉんと軽く悩むのが本作のアウトラインである。 あえて良いところから挙げていくならそれは男性性の醜悪さに係る描写、この1点に見出せるだろう。彼女の上を通り過ぎて行った歴代の男たち。そのSEXは一方通行だ。男たちは彼女を愛撫せず彼女の乳を愛撫する。銃弾のような圧力で魂をかすめる接吻など望むべくもない。欲望を発動機とした乳への愛なき打撃。揉みしだき、しゃぶりつくし、そこに顔をうずめ射精する。性処理と呼ぶにふさわしい醜いオートマタ。男性読者諸氏が見たならぶら下げた珍棒をみっともなく思う瞬間
あらすじ 「ない」 ポルノの皮を被った良作を、またはポルノだからこその良作を求めて、宇宙船テクノカット号は出発した。実に素晴らしい旅であった。まるでガダルカナルで避暑を過ごした一木支隊のようだといえばその快適さが伝わるだろうか。 ストーリーは総菜弁当の隅っこに鎮座するパセリほどの価値もない。バイクが好きな白人たちが痴話げんかをしつつバイクに乗る。それだけである。申し訳程度に挿入されるバイクレースのシーン。その体感速度は時速50㎞といったところか。おまわりさんも大喜びである。格ゲーのような安くとげとげしい効果音。銃声は100円ショップの火薬銃である。 ラストではドラクエのモンスターのように唐突に出現してきた黒人のギャングが白人をどつきまわして金をパクるもSWATが突入してきて黒人もまたパクられるという爽やかなラストである。SWATが持っていたMP5のブロップガンの質感が結構よかったなあと思い
あらすじ 「どう見てもウェスカーさんだが全く違う」 未来の世界。それは氷河に包まれた寒い世界。あたり一面の雪景色を背景に1人の医者が降り立った。彼は大富豪の館へと足を向ける。屋敷に入ると屋敷しもべ妖精が出迎えてくれた。と思いきやその屋敷しもべ妖精のような顔をした女は大富豪の娘だったのだ。彼女は遺伝子の異常で膝から先の脚が無い。ちなみに名前はクララである。名前を『ハイジ』からパクり、顔面を『ハリー・ポッター』からパクるとはなかなか贅沢な女である。 医者は彼女の脚を再生するためにオジー・オズボーンをオクレ兄さんにしたようなオッサンから義足を購入してクララに接続する。移植は成功してクララは大喜び。クララの父である大富豪も大喜びするも、彼は自分の部下たちから農民一揆をおこされ無事死亡した。 ここで医者の持つ持病が明らかとなる。彼は心臓に病を抱えており、いつ死ぬかわからない身なのだ。するとクララは「
あらすじ 「少しはあると思ったけどなかった」 本作はどこからどう見てもポルノである。新しい領域を切り開いてみようと、ポルノであることを分かったうえで購入した。そもそもポルノだからといってゴミクズとみなすのは間違っている。ポルノも表現の一形態であるはずだ。マルキ・ド・サドしかりサン・ジュストしかり。当ブログはコムストック法に迎合しない。曇りなき眼で本作を見定めよう。結論。本作はゴミクズである。 ミリタリー柄のボンレスハムのような女優が男優と合体している。乳は偽物ではない。感じている男優の顔面がクロースアップされる。ああ、男優にも人権があるんだとほほ笑んだのもつかの間。刹那、彼は女優の乳に信じられない勢いでむしゃぶりつく。命を懸けて卵アイスを吸引する小学生のようだと言えば伝わるだろうか。 次のシーンでは、ベージュを基調とした部屋にちょこんと置かれた紫の調度品が目についた。いい配色だなと思ってい
あらすじ 「ユタ州への熱いネガティブキャンペーン」 本作の男主人公は試合興業のプロモーター。借金まみれの両親の元で育った人間不信の拝金主義者。女主人公はボクサー。かつレズビアン。彼女はユタ州の厳格な家庭出身のため勘当される。 彼らは違法賭けボクシングで大金を得て精神的に解放されたいと望んでいる。そんな彼らの心情は割れたトイレの鏡やホコリで汚れた窓越しの窃視といった手法で表現される。 このように優れているところもあるのだが、それでも描写不足は否めない。具体的には登場人物に感情移入するための背景描写が足りないのだ。 たとえば男主人公について。彼は金銭的に恵まれなかった家庭に育ったため拝金主義に走る。これはわかる。しかし彼は地元で元カノを孕ませて逃亡する。こんなのカネ関係ないただのクズじゃないか。これに関するエクスキューズは無し。もちろん1mmも同情できない。あげくラストではサンタクロースよろし
あらすじ 「クマも生きてるんだよ!(偽善)」 デカいクマがアメリカの田舎町で人を襲うぜ!筋は非常に単純なはずなのだが、それに係るセットアップがいまいち意味不明なところが気にかかった。ご覧いただきたい。 捕獲されたクマを受け入れるには、都市部の動物園などはもはやキャパ不足に陥っていた。だったら田舎でクマを受け入れればいいじゃない!補助金も交付しちゃうぜ!これを受けた悪役は「クマを受け入れてマネーをゲッツしたらクマを処分しちまおう」と企む。ここまではわかるのだ。 しかし悪役たちは何故かクマを逃がす。処分せずに逃がすのだ。「いや、それはクマが逃げたから殺したというロジックを組み立てて正当化するためじゃないのか?」とも考えたのだがそれは成り立たない。なぜならクマが逃げたことで、悪役も一枚かんでいる観光業が大打撃を被ったからだ。 まとめるとこうなる。「補助金のためにクマを殺そう!いや、殺さず逃がすぜ
あらすじ 「恐竜発掘!」 鉱山を掘っていると地下に生息していた恐竜が地上に出てきた!だから撃ち殺すぜ!本作が非常に頭の悪い作品であることに疑いを差し挟む余地はどこにも無い。 舞台であるモンタナ州の自然を映しながら、わりかし丁寧にセットアップが行われる。主人公の白人男性はかつてロデオの名手だった。しかしある日行われた競技で牛に振り落とされたあげく踏まれまくって大けがをしたのだ。彼はそのことがトラウマになってロデオができなくなり職を失った。そして酒に溺れ恋人にDVを振るうのだ。ん? 恋人を殴りまくった後、町から逃げるようにして出ていった彼は3年の月日を経て舞い戻ってくる。そしてかつての恋人を探して会いに行く。第一声は「よっ元気?」。ふざけるな。 悲劇の主人公として機能していないクソDV野郎は論外としても、恋人の女も大概である。彼女は今は別の男と付き合っている。しかしクソDV野郎が帰ってきたらな
あらすじ 「エナジー(笑)」 ヤバいエナジーを発見したから持って帰って高値で売ろう!皮算用たくましく宇宙船は飛ぶ。するとそこに別の宇宙船から「遭難したから助けてくれ」と通信が入る。急行した主人公たちは生き残りの美女を救出した。と思いきや彼女らは遭難者を装った宇宙海賊だったのだ!占拠される宇宙船。捕らわれるクルー達。女海賊の大勝利かと思われた。しかしヤバいエナジーの影響により女海賊の1人がモンスター化して他者を襲いだし、連鎖的にみんなモンスターになっていっててんやわんや・・・。 しょぼくれた宇宙船のセットの中でモンスターという名の着ぐるみと俳優が殴り合う。本作は本当にそれだけの、擁護のしようが無い産業廃棄物である。重ねて言うが正直どうしようもない。 ストーリーがどうしようもないならしょうがない。目に映ったものを率直に受容しようではないか。無理ではないか。無理だった。主演女優陣の格闘シーンでは
あらすじ 「マウントはきっちりとらんかい!」 アメリカの高校の軽音サークルでドラムを叩いてる少年が、アンプを修理中に感電する。ショックから目が覚めた時彼は、アーサー王が治める6世紀のイギリスにタイムスリップしていた!彼が持ち込んだ現代のアイテムが6世紀の人々をビビらせる! バンドのメンバーの写真がプリントされたTシャツを見た村人は「人が服の中にいる!」とビビり、ポラロイドカメラで写真を撮られた騎士は「魂を抜かれた!」と気絶し、魔術師マーリンはレンチに書かれた<Made in Taiwan>の印字を「聖なる文字列や!」と誤読する。 そして少年はアーサー王から悩みを打ち明けられる。王は王妃との夫婦生活がうまくいっていないのだ。童貞高校生として豊富な女性経験を持つ少年は王に助言する。「女は焦らせ!時間をかけて愛し合え!香水を作ってやったからこれを使え!」。うーん謎の上から目線。説得力は絶大だ。サ
あらすじ 「人は神にはなれない」 舞台となる街ではロリコンやDV野郎による児童の誘拐・殺人事件が多発しており、警察は後手に回っていた。するとそこにロリコン達をブチ殺す謎の存在が現れる。市民は謎の存在を「自警団」と呼称、その活動に関しては賛否両論が沸き起こる。主人公の刑事はロリコンに妻を殺害されており、そのロリコンは「自警団」に殺された。彼は「自警団」にシンパシーを感じながらも捜査を進めて行く。 警察行政も司法制度も完璧ではない。それらが取りこぼす悪に対して、越権行為だとしても私刑を加える必要があるのではないか?これだけならよくある「法で裁けぬ悪を討つ!」パニッシャー物である。しかしそうはならなかった。本作が量産型から差別化し得た理由は、パニッシャーの精神を人間として描写した点であるといえよう。 悪党に立ち向かうということは、それを生み出した社会をも直視しなければならない。現実に起こる事件の
あらすじ 「寛容は硝煙にかき消され」 時はイラン・イラク戦争、舞台は国境に接する街ホラムシャハル。戦車を有するイラク軍の侵攻をかいくぐり、イランの民兵が奮闘する。敵中に取り残された1人の女性を助けるために。 「フセイン戦車軍団包囲!」「非情のイラク戦車部隊!」とコピーは謳うが、戦車は大して活躍しない。微速運転で街をお散歩するだけで、戦車砲は張子の虎である。配給よ、お前はちゃんと見てコピーを書いたのか。答えは限りなくNonに近いだろう。 戦車と言えば、どうでもいいと思われるかもしれないが1つ謝罪をしておきたい。本作に登場する戦車、残念ながら自信をもって見分けることができなかった。キモオタを名乗っておきながら情けない、ここに伏してお詫び申し上げる。多分T-62だと思うのだが・・・。 イラク兵が統一規格の軍服や自動小銃を装備しているのに対して、イラン民兵は平服に雑多な小火器装備(FAL、G3、A
あらすじ 「二兎を追う者は一兎をも得ず」 石油を超える新型ハイパー水素系燃料の貯蔵タンクがライバル企業の雇ったPMCに爆破された!タンクから解き放たれた燃料は燃え盛る「ファイアー・ツイスター」と化し人々を襲う。偶然その場に居合わせた環境保護団体の4人組は爆破の濡れ衣を着せられ、PMCから命を狙われながらも、ファイアー・ツイスターに立ち向かってゆく。 本作が指した悪手はファイアー・ツイスターに加えて傭兵まで出したところだろう。数を出した分質が低下する。メインを張るファイアー・ツイスターの脅威が減殺されてしまうのだ。その減殺分を傭兵が補ってくれるかといえばそうではない。傭兵を名乗る、整形顔のオバハンがオモチャ丸出しの銃を振り回す。弾は一発も当たらない。サバゲー以下の緊迫感である。 私の拙い愚考にすぎないが、ただでさえ資源の少ない低予算映画は、資源(戦力)の集中により突破点を見出すべきである。資
あらすじ 「屋内ウォーキング with 性欲」 米軍に志願してきた新人たちの中からバカを選りすぐり、最強兵士を作る薬物の実験台にしよう!この適正手続きの精神にのっとった軍拡政策により4人のバカが抽出される。犯罪バカ、薬物バカ、普通のバカ、愛国心だけ一丁前バカはそれぞれ椅子にくくりつけられドドスコスコスコ薬物注入、失神する。目を覚ましたバカ4人組は警備をシバいて脱出を試み施設内をウロウロする。 米軍はバカ4人組を捕まえようとするが、ここでアクシデントが発生する。別に捕らえていたマッチョの被検体も脱走したのだ。マッチョは人間を素手で握りつぶす怪力を誇る。加えて彼は興奮すると性欲が暴走するのだ!マッチョは警備のオッサンたちを複数くびり殺して女医の上着を剥ぐ。そのうち自爆装置が作動して本作はハッピーエンドを迎える。 パッケージは謳う。「密室閉じ込められ型シチュエーション・スリラーの最終進化形!」「
あらすじ 「Fuck’in Criminal Party People」 初っ端からスロットル全開で展開されるパーリーピーポーのシーン。その迫力は『プライベート・ライアン』の冒頭オマハ・ビーチでの戦闘シーンが幼稚園のお遊戯会に見えるレベルだ。パーリーピーポー達はアルコールを浴びるようにかっ食らう。ヤクは酸素より大事。乳を放り出してケツをブルブルと震わせる上品な所作。「プッシー」「ペニス」「ファック」が共通語となるエレガンスな外交。 極めつけは声楽である。「ウェーイ!」「フゥオォォォーウ!」「ヒィヤァハァァァァー!」、そこら中からこちらを包囲するかのように撃ち放たれる猿叫を聞けば自顕流も裸足で逃げ出すだろう。しかし待ってほしい。自顕流に殺されるのなら武門の誉れかもしれないが、本作に殺されたとあっては末代までの恥ではないか。私は意識を取り戻した。本作と戦うために。 大学生の女4人組が「なんか満
あらすじ 「意識のあるゾンビがピストル撃ったりする」 主人公の男性はイラク戦争に従軍し、戦死する。棺に収まり無言の帰郷を果たした彼は記憶や意識を保ったままゾンビとして復活する。彼は親友の力を借り普通の生活を取り戻そうと試みるが、通常の食事を受け付けることができずに吐血する。やむなく彼は病院から輸血パックを盗み糊口をしのぐ。 女友達は彼の復活を知り「首を切ってもう一度殺すべき」と冷たく突き放す。良いとはいえない環境の中なんとか存在を繋ごうとする彼を強盗の銃弾が襲う。しかし彼はゾンビだから銃弾が効かない!そこで案が思い浮かぶ。「強盗を襲って生き血をすすろう!」。ついでにカネやヤクも奪っちゃうぜ。 その後は女友達を殺したり親友もゾンビ化したり婚約者を斬首したりする。そのうち彼らは成敗した強盗から恨みを買う。親友は報復を受け斬首される。頭部だけになっても死ねない親友は主人公に頼みロードローラーで頭
あらすじ 「思いやりの限界」 ある日、BC兵器を用いた爆破テロが発生。当局は感染を防ぐために市民は家に退避して感染者と接触するなと放送を流す。テロに巻き込まれウィルスに感染した妻に対して、未感染の夫はどう接するのか…。これが本作の舞台設定である。 夫は妻の入室を拒否して、しかるべき医療措置がなされるのを待つことにする。彼はドア越しに妻に語り掛ける。「愛してるよ」「きっと助かる」「キミのそばにいるよ」、これら安全圏からの物言いがどれほど空虚であるかはいうまでもない。 夫が妻を見るとき。それは窓枠やダクトテープによるフレーム・イン・フレームの構図をとる。フレームの中で小さく映る妻はまるでどこか遠くにいるような存在だ。それはまるでテレビ越しに第三世界の難民を見ているような気分を引き起こす。 危機にあって、人は自分の安全を第一に考える。窮地での人と人との共感なぞ幻想だと、本作の主張はこんなところだ
あらすじ 「乳の画像を載せようか迷ったが止めた」 男女4人組のパーリーピーポーがクスリをアルコールで摂取して食育を学んでいる健全なシーンが観る者の目を潤す。ビッチが乳を日光にさらしていると、そこにはヒッチハイクしている不気味な女が。彼女を載せたパリピの運命は決まったようなものだ。 「この辺で西部開拓者の夫婦が遭難したの。夫は妻のために自分の肉を分け与えて無事死亡、それでも女は助からず悪魔と契約したの…」、そう語った不気味女はクロームメッキされた短銃身の回転式弾倉拳銃を取り出しパリピを脅迫する。濡れてきたでしょ?と笑いながら銃身をビッチのおまんまんに挿入、手マンならぬ銃マンを堪能する。これにブチ切れたパリピ男の奮戦により、不気味女は車外に転落、事態はこれで終わりかと思われた。 しかし不気味女は復活して先回りしていた!彼女はニヤニヤと笑いながらシャベルを振りかぶり、パリピの車へ万歳突撃を仕掛け
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