サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
CES 2025
murrari.hatenablog.com
【序】 「呼吸器官」(organ)の「病」に犯されていた、巷間「ジル・ドゥルーズ」として知られていた「70歳」の「老人」が、フランス共和国パリ17区のアパルトマン(84 Avenue Niel)3階のベランダから自ら身を投じて生涯を終える4年前の1991年、当時「61歳」──翌年「62歳」で「循環器官」(organ)の発作により他界──の「老人」フェリックス・ガタリと著した最後の共著は、「哲学とは何か(“Qu'est-ce que la philosophie")」と題されている。 「東西冷戦構造」という「20世紀」(注1)的な「対立」の「形式」の「崩壊」(注2)を、「全世界」的に印象付けたとされるイメージの一つ、“Alle Menschen"(すべての人)(注3)に対する呼び掛けを歌い上げ、オリジナルの “Freude"(「歓喜」) を “Freiheit"(「自由」)に置き換えたレナー
2008年に行われた「所沢ビエンナーレ・プレ美術展2008 —引込線—」(以後「プレ展」)から始まった「引込線」。10年目となる今回の「引込線 2017」(以後「2017展」)は、その第6回目だという。 プレ展 2008年の「プレ展」と、翌年2009年の「第一回 所沢ビエンナーレ美術展2009 —引込線—」(以後「第2回展」)(注1)は、西武鉄道所沢駅西口の旧西武鉄道車両工場で行われた。私鉄には極めて珍しく、自社で鉄道車両の製造業務を行っていた工場の跡地だ。同工場は旧陸軍立川航空工廠所沢支廠跡地をGHQから借り受けた事から始まる。初期の主な業務は空襲によって被災した車両(国鉄の「戦災国電」含む)の修繕復旧というものであった。 (注1)同展の正式名称は「第一回 所沢ビエンナーレ美術展2009 —引込線—」であるが、今回の2017展が「第6回」と銘打っている為に、そこから辿る形で「第一回 所沢
我が国は2008年をピ―クに人口減少局面に入った。合計特殊出生率は、ここ数年若干持ち直しているものの1.43と低水準であり、2050年には人口が1億人を割り込み、約9700万人になると推計されている。また、これに伴って、人口の地域的な偏在が加速する。我が国の約38万km2の国土を縦横1kmのメッシュで分割すると、現在、そのうちの約18万メッシュ(約18万km2)に人が居住していることになるが、2050年には、このうちの6割の地域で人口が半減以下になり、さらにその1/3(全体の約2割)では人が住まなくなると推計される。 国土交通省「国土のグランドデザイン2050」 http://www.mlit.go.jp/common/001047113.pdf ==== 沿線自治体の補助金がその運営を支えている「第三セクター」の非電化路線(軌道幅1067ミリ)に6年前に乗って以来、久々に単線(軌道幅10
ここ数年はテレビのアンテナをすっかり折っている。最後に長時間テレビ番組を見たのは、アナログ停波から数年前の2007年頃だ。従って、それ以降のテレビの「有名人」は、自分にとっては「無名人」である。 商店の店頭等でしばしば見掛ける、揃いの格好をして笑顔を振り撒いているお嬢さん達は、巷間「有名人」とされているらしいのだが、それが何という名前の人なのかは知らない。プロ野球全球団の監督の名前を答えよと問われても「知るかそんなもん」である。 世間で言うところの「ジジイ」の平均年齢には達していないと思うものの(まだ「優先席」を譲られた経験は無い)、年端の行かない幼児から「バカ!」とか「ウンコ!」とか「ジジイ!」とかの捨て台詞を投げ掛けられる程度にはすっかり「ジジイ」である。 従ってなのかどうなのかは判らないが、所謂「サブカルチャー」の流行に対する感受性/嗜好性は、未だ「ジジイ」の「ジ」ですら無かった頃(
世界は、2020 年に東京で ひとつの TEAM になる歓びを体験する。 すべての人がお互いを認め合うことで ひとつになれることの その大きな意味を知ることになる。 その和の力の象徴として、このエンブレムは生まれました。 すべての色が集まることで生まれる黒は、ダイバーシティを。 すべてを包む大きな円は、ひとつになったインクルーシブな世界を。 そしてその原動力となるひとりひとりの赤いハートの鼓動。 オリンピックとパラリンピックのエンブレムは、 同じ理念で構成されています。 オリンピックエンブレムは、 TOKYO、TEAM、TOMORROW の T をイメージし、 パラリンピックエンブレムは、 普遍的な平等の記号 = をイメージしたデザインとなっています。 2020 年はもうそこに来ています。 このエンブレムのもとに ひとつになって すばらしいオリンピック・パラリンピックを つくりましょう。
国立国際美術館B2階のエスカレーター周辺は、実は結構好きな場所だったりする。インフォメーションやミュージアムショップやレストラン等のあるB1階とB2階を繋ぐ上下線のエスカレーターの脇(そこの丸柱に所在なげな「須田悦弘」がある)、B2階展示室とB3階展示室を繋ぐ上下線のエスカレーターの脇、そして奥のトイレ沿いの壁面。そこにキュービックな椅子が並んでいて、ここを訪れた際にはいつもそれに座っている。 国立国際美術館のフロアマップを見ると、そこは「展示室」という事になっていて、その壁面や床面に作品が展示される事もある。今回の「ヴォルフガング・ティルマンス Your Body is Yours」展でも、そこは確かに「展示室」だった。壁面上には「ヴォルフガング・ティルマンス」が「ヴォルフガング・ティルマンス」的にインストールされている。床面上には資料展示の台が設置されている。 上述フロアマップのページ
「都市」の話。更に北半球の「都市文明」の産物である「建築」の話。従って以下の長過ぎる文章は――引用も含め――この惑星の極めて限定的な場所でのみ有効になる話だという事を断らなければならない。 - 1. Beyond a certain critical mass, a building becomes a BIG Building. Such a mass can no longer be controlled by a singular architectural gesture, or even by any combination of architectural gestures. The impossibility triggers the autonomy of its parts, which is different from fragmentation: the parts
国立国際美術館(大阪)の「高松次郎 制作の軌跡」展(2015年4月7日〜7月5日:以下「制作の軌跡」展)の評判が良い。 http://www.nmao.go.jp/exhibition/index.html (時限URL) 少なくとも「現代美術」に多少なりとも関わっている人間、或いは「現代美術」に多少なりとも造詣が深いという自意識を持つ人間、そして何よりも「展覧会」を見たい人間(以下「クラスタ」)の間ではそういう声が多い。確かに同展は「『良い』展覧会」には違いない。しかしその多くは、東京国立近代美術館(東京:以下「東近美」)で行われていた「高松次郎ミステリーズ」展(2014年12月2日〜2015年3月1日:以下「ミステリーズ」展)に対比させる形で「良い」としている印象も無いでは無い。それら「クラスタ」による「ミステリーズ」展に対する反発の大きなものの一つになっていると思われるのは、「影ラボ
【「PARASOPHIA(序)」から続く】 para- |ˈparə| (also par-) prefix 1 beside; adjacent to: parameter | parataxis | parathyroid. • Medicine denoting a disordered function or faculty: paresthesia. • distinct from, but analogous to: paramilitary | paraphrase | paratyphoid. • beyond: paradox | paranormal | parapsychology. • subsidiary; assisting: paramedic | paraprofessional. 2 Chemistry denoting substitution at d
【序】 美容師には「現代アート」(表記例/以下同)好きの人が少なくない。その京都のヘアサロンの人もそうだ。待合のテーブルの上には「現代アート」関連の本が置かれていて、先般国立国際美術館(大阪)にも巡回した「アンドレアス・グルスキー展」のカタログもそこに含まれていたりする。あいちトリエンナーレには行かなかったものの、横浜トリエンナーレには行ったという人だ。カテゴライズのバンドを極めて広めに取れば、「現代アート」の範疇にあると言えなくも無い数点の小作品も、店内のディスプレイとして置かれている。 3月下旬の事。その京都のヘアサロンで髪を切られながら、その「現代アート」好きの人に「PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015」の話を振ってみた。果たしてここから遠隔の「横浜トリエンナーレ」にも足を運ぶ「現代アート」好きのその人は、この「地元」で行われている「PARASOPHIA」のいずれの作品
He saw a family consisting of the father, and mother with 2 boys and a baby. Keith saw father take the baby and throw it from the cliff into the water far below, and then he pushed the other children off the cliff. After that he pushed his wife and then jumpded himself. Keith and his men got there and saw guy still floating alive, so they shot him. (断崖の上で)彼は父親と二人の男の子の手を引き赤ん坊を抱いた母親の一家を見た。その父親が赤ん坊を取
1980年代の日本の「現代美術」が回顧される際に、それが1980年代の日本の「現代美術」として語られる事は些かも無く、しかし或る意味でその後の日本の「現代美術」に最も繋がる形で最も重要なものの一つは、赤瀬川原平氏だったと今でも思う。 1980年代の赤瀬川原平氏と言えば、雑略に言えば「尾辻克彦」と「超芸術トマソン」の時代なのだが、後者が1982年に発売された「写真時代1983年1月号」の連載「発掘写真」の「街の超芸術を探せ」の回で登場した時、それを見て単純に「やられた」と思った。この人は何でこんなにもスマートに事を運べるのだろうか。「育ち」の違いをまざまざと感じさせられた。 日本の1980年代「現代美術」に関して巷間言われるところは、相対的に「華やか」であるとかそうした類の形容であったりするが、しかしそれに対して総じて言えるのは、寧ろ「泥臭い」という事であり、また「自己承認」に対して何処かし
【枕】 私は答えた。「不明な点は幾つかありますが大筋は判っているつもりです。あなたは物質のイデア、プラトン的な意味でのイデアを電送しようとしたのではないですか?」 「全くその通り。ロウソクの炎の燃焼ガスが常に変化し続けていたとしても、それでもそれは同一のロウソクの炎だ。水面上の波が移動する事で、それを形成している水が置き換わっていたとしても、それでもそれは同一の波だ。そこにいる人間を構成している原子が5年前と入れ替わっていたとしても、それでもそれは同一の人間だ。形式、形状、イデア、それこそが本質なのだ。物質に個別性を与えている振動は、音に個別性を与えている振動と同じくらい容易に、電線を通じて遠隔地まで送信可能だろう。そう思った私は、例えて言えば陽極で物質を分解し、それと同じ設計図に基いて陰極側で組み上げ直すといった装置を作り上げた。それが私のテレポンプ(Telepomp)だった。 - "I
【枕】 應長のころ、伊勢の國より、女の鬼になりたるを率て上りたりといふ事ありて、その頃二十日ばかり、日ごとに京白川の人、鬼見にとて出で惑ふ。「昨日は西園寺に參りたりし、今日は院へまゐるべし。たゞ今はそこ〳〵に。」など云ひあへり。まさしく見たりといふ人もなく、虚言といふ人もなし。上下たゞ鬼の事のみいひやまず。その頃東山より、安居院の邊へまかり侍りしに、四條より上ざまの人、みな北をさして走る。「一條室町に鬼あり。」とのゝしりあへり、今出川の邊より見やれば、院の御棧敷のあたり、更に通り得べうもあらず立ちこみたり。はやく跡なき事にはあらざんめりとて、人をやりて見するに、大方あへるものなし。暮るゝまでかく立ちさわぎて、はては鬪諍おこりて、あさましきことどもありけり。そのころおしなべて、二日三日人のわづらふこと侍りしをぞ、「かの鬼の虚言は、この兆を示すなりけり。」といふ人も侍りし。(吉田兼好「徒然草」
「絵画の在りか」展を見た。一瞬「絵画の在りか」の「(の)在りか」を「在りや」に空目した。「絵画在りや」。勿論「東京オペラシティ アートギャラリー」の壁に「絵画」は「在る」。しかしその「『絵画』が『在る』」という事こそが曲者だ。果たして「絵画」はどの時点から「在る」のだろうか。「絵画展」の会場で、その「在りか」の方へと関心が移ってしまった。 会場やカタログの彼方此方に「┌」「┐」「└」「┘」「─」「│」が配されている。確かに狭義の「絵画の在りか」を可能たらしめるのはそういう事ではある。サボる事しか考えていなかった1970年代の自分の学部生時代、ボール紙を材料に一夜漬けで作った「┌」「┐」「└」「┘」「─」「│」を下掲の形に壁に貼り付け、課題提出の講評会でそれを「絵画」と言い張った記憶(後に「神奈川県民ホールギャラリー」のグループ展に出す)が赤面を伴って会場で蘇ってしまった。その時の評価は最低
少し前の話。知己のN氏(3歳)がこちらに近付いて来ると、氏が折り紙で作ったものを見せてくれた。 N氏は屈託無くニコニコ笑って何も言わない。 横にいた御母堂が、それが「何」であるのかを教えて下さった。緑色が「飛行機」で、青色が「新幹線」である。「誰か」から教わった「かたち」では無い。N氏は3歳の人らしく折り紙で「一人遊び」をしていたのだろう。そして二度程「正方形」の折り紙を折ったところで、N氏はそこに「(氏の)飛行機」と「(氏の)新幹線」の「かたち」を見出した。N氏自身、そこに「飛行機」や「新幹線」の「かたち」が「現出」するとは、その時点まで「想像」してもみなかったに違いない。 そもそも3歳のN氏にとっては、そうした意味での「想像」は重要ではない。N氏の中に、折り紙を折る前から確固たる「飛行機」や「新幹線」の「イメージ」が到達的なものとして存在し、その「イメージ」に「近付け」て折り紙を折って
今から32年前の1982年の正月の話になる。その年最初の発売になる「オリコン・ウィークリー 1月1.8日(1.2週)号」200円也の表紙には、「謹賀新年」という「版」が幾つも押され、そこに「松田聖子(当時19歳:現在51歳)の1月」「真田広之(当時21歳:現在53歳)の2月」「松本伊代(当時16歳:現在48歳)の3月」「柏原よしえ(当時16歳:現在48歳)の4月」「田原俊彦(当時20歳:現在52歳)の5月」「石川優子(当時23歳:現在55歳)の6月」のカレンダーが、水平から20度程傾けられてレイアウトされていた。 誌名「オリコン」の下に「今、何がヒットしようとしているのか」と記されているその号に、一本の「ティーザー広告(teaser ads)」が掲載された。或る「少女アイドル歌手」のデビュー予告の広告である。「'82年3月21日 デビュー決定」「微笑少女(びしょうじょ)」「君の笑顔が好きだ
名古屋市営地下鉄桜通線名古屋駅の壁面には、幅62.38メートル × 高さ2.17メートルの「高松次郎」がある。1989年制作の「高松次郎」のタイトルは、「イメージスペース・名古屋駅の人々」だ。現在は「東京三菱UFJ銀行」となった、嘗ては中京地区唯一の「都市銀行」であった「東海銀行(1941〜2002年)」の寄贈になる。 自分の血の半分は名古屋だが、名古屋に居住した事は無い。従って名古屋の住民がこの「バブル」時代の「高松次郎」をどう思っているかは判らないが、「よそ」から来た者にとっては非常に好ましい風景にも見える。その好ましさは「『高松次郎』だから」以上の理由による。 「高松次郎」は愛知県出身ではない。東京の出になる人であり、東京藝術大学卒の人であり、言わば名古屋にとっては「よそもの」である。その「よそもの」が、名古屋の「表玄関」である「名古屋駅」の壁面を独り占めしている。これが「荒川修作(
CRT(陰極線管≒ブラウン管)技術がピークに達した2001年登場の Windows XP は、スクリーンセーバー「オン」がデフォルト設定になっている。一定時間ユーザによる入力が行われなかった場合、画面はブラックアウトし、"Windows XP" の文字と窓アイコンが、画面の方々に現れては消える。 スクリーンセーバーが存在する純粋に技術的な理由は、主に「ディスプレイの焼き付き防止」だった。 焼き付きは、表示エリアの特定の場所に周辺より輝度の高い静止画を長時間写し出すことにより発生します。明るい部分は暗い部分と比較すると発光量が多く、蛍光体の劣化が他の部分より早くなります。蛍光体が劣化することにより輝度低下を招き、周辺の劣化していない部分との輝度差が大きくなり、焼き付きとなって現れます。焼き付きは静止画を使用する限りブラウン管デイスプレイやプロジェクションデイスプレイなどでも同様に発生いたしま
Shapeways 3D Printing & the Culture of Creativity from Shapeways on Vimeo. 「フィギュア(模型)」の話である。「美術作品」の話では無い。 フランク・ステラ氏(77才)作品のフィギュアを 3Dプリンタで作るとする。座標系のデータさえ揃えば、半世紀以上に渉るステラ氏の全業績を、3D プリンタは難無くフィギュア化してくれるだろう。"Polish Village" シリーズより前のものは、わざわざ 3D プリンタの手を煩わす必要は無いだろうし、その "Polish Village" シリーズにしたところで、3D プリンタは、内心では俺の仕事ではないと思うに違いない。これが例えば "panel parts" と "panel parts" が「点」状態で接触している "Exotic Birds" シリーズ以降ともなれば、3D
【承前】 ネットで "Pacific Rim"(movie)を調べた。カタカナの「パシフィック・リム」ではなく英語のそれだ。"Cool Japan" が本当であれば、英語圏のサイトには "cool" の言葉が乱れ飛んでいても良い筈だが、実際には "silly" "stupid" "ridiculous" "unwise" "childish" 等といった悪罵も多く見掛けた。 同映画にも登場する「有人巨大人型兵器」は、「マジンガーZ」以来の日本特有の「妄想の様式」である。従って英語を話す人達は、その様な「異文化」の「妄想の様式」に対して、彼等の現実的なものに対する単語である "robot" とは呼ばず、"mecha(mech)"=「メカ」というエキゾチックな「日本語」を当てたりもする。 メカは "mechanism"(機械装置)または "mechanical"(機械の)を略した日本で生まれた
「というアート」というキーワードで Google 検索してみた。幾つかを飛ばしつつヒット順に書き出してみる。 「完璧なシェービングというアート」「ホスピタリティというアート」「ニセ広告というアート」「人生というアート」「ストールというアート」「カンバッヂというアート」「データセンターのケーブル配線というアート」「テリーヌというアート」…(以下略)。試しにそれぞれから「という」という語を削除してみる。「完璧なシェービングアート」「ホスピタリティアート」「ニセ広告アート」「人生アート」「ストールアート」「カンバッヂアート」「データセンターのケーブルアート」「テリーヌアート」…。途端に現代美術の何処かの誰かによって既に試みられていそうなものになってしまった。手許にある辞書を片っ端から引っ繰り返して、全ての語の後に「アート」と付けてみれば、そのどれもが既に現実に存在してしまっている「アート」の様な
休憩ヲ為サシムルニハ左ノ號令を下ス 「休メ」 此號令ニテ生徒ハ姿勢ト動カザルトニ意ヲ留ムルコト無ク片足ヲ舊位二置キ其場二立チテ休息ス 「休メ」ノ號令アルトキノ外随意二動クヲ得ズ又休憩中ト雖談話シ或ハ猥リニ位置ヲ離ルルコトヲ禁ズ 注意 休憩は遊戯二アラズ故二隣生ト戯レ或ハ見苦シキ容姿ヲナスコトナク兩手ハ成ルベク腰二取ルヲ可トス 「小學實驗兵式體操書」櫻井第惠 編(同文館 1898年) http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860085 画像:「圖入 兵式體操繁範 巻一」生田清範 編(金港堂 1886年)より http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/843791 初代文部大臣である森有礼(有禮)氏が、学校教育に「兵式体操(體操)」を導入したのは1886年(明治19年)である。森有礼氏は学校を「道具責メノ方法」であると
【承前】 正直なところを言えば、東京の六本木に来た最大の理由は、或る作品を見たかったからである。六本木通りを挟んで最初に北側に行った方が良いのか、それとも南側に行った方が良いのかとの小思案は、一番食べたいものを最初に食べるか、最後に食べるかという選択に対するものであった。そして結局一番食べたいものを最初に食べるという結論に至ったのである。 「評判の作品」という事で、それを見るのに、「競争率が高い」という情報を事前に得ていたから、週半ばの平日の午前中という、最も客足が悪そうな時間帯をわざわざ狙った。案の定、国立新美術館はガラガラである。1C 展示室の武蔵美受付の壁の裏にその作品はあった。 隣の展示室との連絡通路を半ば塞ぐという、「東京五美術大学 連合卒業・修了制作展(以下「五美大展」)」でも、最も「恵まれていない」場所である。伝え聞くところによると、1月の武蔵美学内の卒業・修了制作展では、「
「営業」終了になった展覧会について書く。 2月3日に終了した「MOTアニュアル2012 Making Situations, Editing Landscapes 風が吹けば桶屋が儲かる」展(以下「風」展)は、「MOTアニュアル史上」最高レベルの入場者数になるらしい。会期終了直前に、入場者数が歴代1位(22,636人)の「MOTアニュアル2010 装飾」展(56日)を抜いたとのフライング情報が流れたものの、結局のところ現段階での、「風」展(80日)の「首位」獲得は、「公式」的には「見込み」の段階である(多分)。 「風」展が、「営業成績」の「首位」に「輝く」にしても、「2位」に「甘んじる」にしても、歴代「MOTアニュアル」の入場者数20,000人前後というのは、恐らくは「同期出来る他者+α」の上限的な数字であり、「MOTアニュアル」という展覧会に於いては、それ以上を望むのは困難であるというの
電車の中すごい。三十代以下はほとんど全員ケータイ見てる。三十代以上はほとんど目を閉じてる。ほとんど誰も現実見てない。 https://twitter.com/_Neillo_/statuses/201843513497890816 2012年11月24日現在で、「7,040 件のリツイート」で「2,545 FAVORITES」のツイートである。仮に文学的誇張と背中合わせの不正確さというものがあるとしても、それでも言い得て妙という評価をする事は可能だろうと思われる。 - KIOSK や NEWDAYS(以上 JR東日本リテールネットの例)に代表される駅構内の売店(≠駅ナカ)は、鉄道利用者の為のものである。従ってそこでは、鉄道利用者が鉄道での移動に必要とするものを販売している訳である。当然の事ながら、駅売店に於ける商品レイアウトの基本は、鉄道利用者の需要度の高いものの順から、店の前面に配置して
【承前】 あの「ラッセン展」は一昨昨昨日に終了した。すっかり始まった頃に見て、すっかり終わった後にこれを書いている。「ラッセン展」とは、喉の奥に残り続ける小骨の様な存在なのかもしれない。だからこそ、少なからず存在する「終了→そんな事もあったよね→忘却」という展覧会では無いのだろう。この「ラッセン展」もまた、すっかり「終了」したその時からが「小骨」として「開始」になる展覧会という印象がある。 - 1970年代から1980年代に「遊」という「雑誌」が存在した。「オブジェマガジン」とも称していた。1970年代から1980年代に掛けての「工作舎」刊であるから、その構成は、当然の事ながら「編集工学」の人、松岡正剛氏によるものだ。1978年刊の「遊 1001」の「特集」は、「相似律 観相学の凱歌のために」というものだった。表紙デザインは「杉浦康平」氏+「赤崎正一」氏。「遊」という手書き漢字の、正確な「
テレビ朝日系列に「ミュージックステーション(以下Mステ)」という歌番組がある。長寿番組請負人の趣さえあるタモリ氏が司会(二代目)を務める。1985年の秋期から開始された「ニュースステーション」に遅れる事1年、1986年の秋期から始まった「ステーション」の「分家」は、現在「ステーション本家」の二代目「報道ステーション」と共に、テレビ朝日「ステーション」一族を形成する。 Mステの出演アーティストの「パドック」の後ろのディスプレイパネルには、以下の文章が誇らしげにスクロールしている。 MUSIC STATION Staying with music ! The most reputable and esteemed prime time live music performances in Japan. 5 to 6 top artists bring you the latest songs
それは何となく響きがかっこ良かった訳であり、だからこそ皆が「そんな作品」を作ろうと思っていた。 ウンベルト・エーコ( Umberto eco )の "Opera aperta" 。邦題「開かれた作品」。もうここでマジックが作動してしまっている。まるで「開かれた作品」の対極に「閉じられた作品」なるものが存在していると思うではないか。 その「序文」。エーコはのっけから釘を差している。 〈開かれた作品〉という概念に、価値論的考察は含まれない。本論文集の意義は、芸術作品を有効な(〈開かれた〉)作品とひどく時代遅れで有効ではない(〈閉された〉)作品とに分けることではない(本書をこのように理解した人も中にはいたが、後で潔く自説の根拠のなさを認めてくれた)。開かれを芸術的メッセージの本質的曖昧性ととらえるなら、それが時代を問わずあらゆる作品が有する常数であるということは、充分に支持されたと思われる。しか
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『〈B術の生態系〉Bな人のBな術』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く