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kiyonobumie.hatenablog.com
辻邦生の文章に、吉田健一と森有正を比較して論じたものがあるということは前々から知っていたのだが、はじめてその箇所を読んだ。「森有正――感覚のめざすもの」(新潮社版全集第15巻)の最後のあたりである。そこには明治以来、日本の知識人が西欧コンプレックスに苦しまざるをえなかったこと、そして吉田健一も森有正もその状況を共有しながら、ある意味では同じような態度でそこを突破したことが述べられている。 辻邦生全集〈15〉評論 作者: 辻邦生出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2005/08/01メディア: 単行本 クリック: 4回この商品を含むブログ (2件) を見る 森有正(1911〜1976)と吉田健一(1912〜1977)は完全な同時代人で、出身校も暁星だから、おそらくは何らかの接点があったはずと思うのだが、相互に直接的な影響関係とかは感じられないし、スタイルとしてもずいぶん違う印象を受ける。前者
5月28日に行なわれたドニ・ガニョン氏の講演会「「混淆とメティス――アイデンティティの形成過程」のまとめ。 狩猟採集によって暮らしていた先住民Mamit Innuat(東部のイヌイット)においては、獲物を狩るというよりも、獲物が狩られるようにする力を持つのがよいシャーマンと考えられていた。狩りの獲物はみんなで分けられ、うやうやしく自然に返され、それが生まれ変わって、また必要に応じて狩られるというサイクルができていた。その中心にいた神的な存在はMishtapeuatミシュタペオと呼ばれる巨人で、その世界観では人間は必ずしも特別な地位を占めていなかった。 ところが、カトリックの宣教師がやってきてもたらした世界観は、人間中心主義的なものであった。西洋人はまたイヌイットにドラッグやアルコールをもたらした。そこから生じる「問題」をミシュタペオがうまく収めることができないなかで、聖アンナに頼る形の信仰
かつて朔太郎の歌ったあまりに有名な「ふらんすはあまりに遠し」は、飛行機や電子通信網のおかげですっかり時代遅れになった感もあるが、案外そうではないのかもしれない。戦後アメリカべったりで来た日本は、この5年くらいでさらにリベラルな右旋回を遂げた。それによって、フランスとの政治的・心理的な距離は、一時期よりもかえって広がったとさえ思われる。これまで日本におけるフランスの位置がメジャーだった試しはなかったのかもしれないが、近頃さらにマイナーな度合いを強めているようにも見える。けれども、まさにそのために、フランスにある保守的な相貌がかえって日本人には新鮮に映るという効果もあるようだ。おそらく今日、日本がおかしな方向に進んでいるように感じている人は少なくないだろう。けれども、思考回路自体がネオ・リベラリズムにやられてしまっていると、今の循環から抜け出すためのそもそもの筋道をつけることが難しい。そんな今
最近よくタイトルに踊らされている私、である。この前は、「ロラン・ファビウスがライシテ憲章採択を賞賛」にやられた。今回は、イヴ・デロワの論文の中に「religion civile versus laïcité « à la française »」(市民宗教対≪フランス流ライシテ≫)「l’impossible religion civile en France」(フランスでは不可能な市民宗教)という中見出しのタイトルが踊っていたので、読んでみたら、期待していたのと違ったという話である。 「市民宗教」というのは、ごく簡単に言うと、ルソーが提唱してロバート・ベラーが社会学の用語として概念化したものである。「サヴォワの助任司祭の信仰告白」で「個人の宗教」を擁護しているルソーは、『社会契約論』の最終章で、「司祭の宗教」に代えてこの「市民宗教」を導入することを説いている。およそ200年後、ベラーは「ア
「宗教」を理解しようとする学問は、その対となるものの理解にも努めなければならないはずである。−−タラル・アサド Formations of the Secular: Christianity, Islam, Modernity (Cultural Memory in the Present) 作者: Talal Asad出版社/メーカー: Stanford University Press発売日: 2003/02/03メディア: ペーパーバック クリック: 5回この商品を含むブログ (1件) を見る もう2年前になると思うが、日本の指導教官との面談の際にこの本の話が出て、これが重要な著作であること――とりわけ近代を宗教性の観点から読み直すということをしたがっている私のような研究スタンスの者にとって――は認識していた。それで英語の本を取り寄せてはいたのだったが、「英語かぁ」とやや敬遠気味に、
ここのところ、日本も含め、世界のメディアを賑わしている「預言者風刺漫画問題」だが、この進行中の事件を自分なりに、暫定的に、整理してみたい。思い立った理由は、この事件が「フランスのライシテ」や「宗教と民主主義」という私が関心を抱いている問題系に引っかかってくるからである。 第一義的には、事件の進行の様子を押えられればよいと思うのだが、第二義的には、この事件に見られるような価値観の衝突(あるいはすれ違い)を解読するにはどのような視点が有効なのかを考えていきたい、という思いもある。そのための有力な手がかりが現在の私にあるわけではないけれども、一種の「非対称性」とでも言うべきものに対して何か引っかかるものを感じている。 今回まとめるに当たって特に参照したのは、Le mondeとTV5-Infoのネット上で読める記事である*1。デンマーク在住、フランス在住の日本人のブログも拝見させていただいた。あと
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