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ヨーロッパのクラシック音楽作品を見ていると、「ファウスト」を題材にした作品が少なくないように思う。ゲーテのテキストを用いたり、「ファウスト博士」の伝説を使ったりの違いはあるが、ヨーロッパ人にとって「ファウスト」の存在が決して捨て置けるようなものでないことは伝わってくる。西部劇がいつも、「トゥーム・ストーン」で「ワイアット・アープ」で「ドク・ホリデイ」をやっているように、日本が「忠臣蔵」だったり「幕末モノ」が繰り返し取り上げられているような雰囲気を連想する。 そもそもこの「ファウスト」とは、実在するゲオルク・ファウストという人物をモデルにしているらしい。神聖ローマ帝国時代に生きたドイツの占星術師・錬金術師で、1480年頃に生まれ、1540年に錬金術の実験中に爆死をしたという逸話を持つ。ゲーテがこれを題材に書き始めたのがいつなのかは分からないが、Wikipediaのゲーテの作品の項目では「一生
村上春樹と言えば、最近はどうもクラシック音楽らしい。「1Q84」でのヤナーチェクの「シンフォニエッタ」、「海辺のカフカ」でのシューベルト「ピアノソナタ ニ長調」*1。まあデビュー作の「風の歌を聴け」にもグールドやバックハウスが出てくるので、作品世界にクラシック音楽を登場させるのは彼の基本路線と言ってもいい。「1973年のピンボール」には「調和の幻想」が出てきて、「ねじまき鳥クロニクル」では「泥棒かささぎ」を演奏するアバドとロンドン交響楽団の記述が登場してた。スパゲティーを食べたくなってきた。 村上春樹に登場する音楽、最初期のほうはもっと洋楽が中心だったような印象がある。何と言ってもビーチ・ボーイズ。「風の歌を聴け」での「カリフォルニア・ガールズ」。いい曲と、さり気ない扱い。あ、読みたくなってきた。「ダンス・ダンス・ダンス」で主人公の「僕」がこき下ろす洋楽が羅列されるところは面白い。ヒューマ
「交響曲の年表」を無理やり作ってみた。 モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」が作曲された1788年から始めて、第2次大戦が終わった1945年でひとまず区切っておく。作曲家が属すると思われる地域ごとに分けた。手に入った情報から随時追記を続けている。出来上がった表を眺めてたら何かを思い付きそうなので、このままにしておく。間違いや、新しい情報がありましたら、ご教示下さい。 西暦 情勢 ドイツ・オーストリア イタリア フランス 東欧・北欧 ロシア・旧ソ連 イギリス・アメリカ その他・日本 1788 モーツァルト:第41番「ジュピター」 ボッケリーニ:ハ短調 Op.41 1789 フランス革命 ボッケリーニ:ニ長調 Op.42 1790 ボッケリーニ:ニ長調 Op.43 1791 ハイドン:第94番「驚愕」、第96番「奇跡」 1792 ボッケリーニ:ニ短調 Op.45 ドヴィエンヌ:ジュマープ
オバマ大統領の就任式の生中継を見ていた友人によれば、オバマの娘が登場すると「テキサスの娘」が流れ、オバマ夫人が登場すると「美中の美」が流れたと言う。そこで動画を後から見てみたら、本当だった。これは楽しい。聞こえにくく判別できない箇所もあり不完全だが、こんな感じ。 登場人物 作品名 選曲理由? ジミー・カーター スーザ:ヤンキー海軍の栄光 海軍出身だから? ジョージ・ブッシュ(父) ? ビル・クリントン ヴォーン・ウィリアムズ:イギリス民謡組曲より「日曜日には17歳」 17年前に当選? マリア・オバマ、サーシャ・オバマ スーザ:テキサスの娘 娘? ミシェル・オバマ スーザ:美中の美 ファーストレディへの敬意? ジョージ・ブッシュ(子) 公式アンセム「大統領万歳」 現職大統領だから? ジョセフ・バイデン ? バラク・オバマ ? きっと他の人の音楽も、因縁があったり、選び取る理由があったりするの
僕も勝手なことを頻繁に書くので人のことは言えないのだけど、クラシックのいわゆる演奏会批評というものに存在意義はあるのだろうか、と疑問に思っている。 書評なら、どんな酷評であれ、批評を読んだ人間がその書籍を手にし読みさえすれば、批評に反論したり共感できたりする。美術批評を読んだ人間は、評の対象となった作品にまた出会い、鑑賞者として参加することが出来るだろう。CD批評なら、自分自身で身銭を切って同じ立場で何かを語ることが出来るはずだ。ほか映画批評も、単発の公演でない演劇興業への批評でも、批評に接した人間が作品にアクセスする可能性は残されている。 それではクラシック*1の演奏会批評はどうだろうか。 演奏会批評の対象となるクラシックの演奏会は、他の分野の芸術やエンタテインメントとは成り立ちが大きく異なり、音楽誌や新聞に掲載される頃には既に終わってしまっている。再現不可能なものなので、存在がなくなっ
「崖の上のポニョ」の音楽をまだ聴いている。 この映画音楽、3拍子が多くないだろうか。久石譲はあまり3拍子を書いてこなかった印象があるものだから、ちょっと驚き気味だ。僕が何度も見ている宮崎アニメは「風の谷のナウシカ」、「天空の城ラピュタ」、「となりのトトロ」、「魔女の宅急便」、「千と千尋の神隠し」と、ちょっと偏っているので、実際のところどうなのかはちゃんと調査してみたいが、記憶を辿る限り「ナウシカ」「ラピュタ」の音楽で3拍子のものを思い出せない。「トトロ」だって、バス停のどよーんとした音楽以外にあったかどうか・・・。「魔女の宅急便」では、キキの魔法が弱くなっているシーンの音楽は3拍子だったが、他はどうだったろうか。「千尋」では千尋とハクが飛んでいるところだけが3拍子だった。 「崖の上のポニョ」は海が主要な舞台だから、意図的に3拍子を多目にしているのかな。海と言えば「海は広いな大きいな」のあの
今朝の「題名のない音楽会」。青島広志の言っていることは、極端なのにしっかりと伝えたいことを捕まえている。「知って欲しい!」というパッションが溢れそうだ。この人のこういうところに惹かれる。それとは対照的に佐渡裕の言うことは、まず見当外れだし、自分を物識りで恰好良く見せようという意図が見え隠れする。こまめに音楽用語を織り混ぜようとする。「即興みたいに」、「シンコペーション」、「アップ」。そしてそれ以外の佐渡裕が言っている意味を拾っていくと、「元気よく」「盛り上げて」「良くなった」「運命的な」「残酷に」という陳腐なものばかりだ。佐渡裕でなくてはならない理由も、この人の魅力も何もない。楽句を歌う時も、フレージングを伝えるためではない。歌えるんだという事実をただ観客に伝えるためだ。それに佐渡裕はいつからこの体躯を無駄に使うようになってしまったのだろう? 佐渡裕のあんな力のない指揮を、僕は泣きたくなる
それなりの期間を生きてきたので、それなりに重大な局面を乗り越えて来た。泥水のような日々。自分の無力さを突き付けられる出来事。平穏な生活を棄ててしまった日。悔しい涙が流れたこと。そんな一言で説明できる事はまだましなほうで、言葉で説明できないほどに恐ろしかったり、グシャグシャに絡み合った感情が出てくることもあり、立っていられない心持ちに陥ることもある。つらいことつらいことつらいこと。僕のそのつらさを軽くして慰めたのは、やっぱりクラシック音楽だった。 クラシック音楽という宝箱は底なしだ。僕の感情にぴたりと寄り添ったり、反対の立場から喧しく鼓舞したり。箱から飛び出しては忙しく立ち回る。いつもいつもそんな幸福があるわけではなくて、望んだものとは重ならない音楽を選び取ってしまい、癒されたいのに逆に傷口を広げてしまうようなこともある。また別の時には一度は鼓舞してくれた音楽が、驚くほど嘘臭く響くことも。鳴
30歳から34歳が受けた心の傷 読んでいて連想したのは、幕末の脱藩浪人。藩から食い扶持はもらえず、幕府も頼れない。それでも海外から新しい風はどんどんと入ってくる。だから自分で出来ることを考える。自分だけで考える。彼らには緩い連帯感があって、出身や出自を超えて通じ合えるものがあった(と、僕は信じている)。こういう雰囲気からして、彼らと、現在の30歳から34歳の世代には近いものはあるのではないかと。世代的にも。まあ何の根拠もないのだが。 彼ら脱藩浪人は望んで藩を離れたわけで、そのへんの主体性が違うと言えば違う。けどその原動力は、時代の閉塞感にあったのではなかったか。頭打ちな感じ。今の時代だって、僕らは望みはしなかったかも知れないけど、こういう時代で生きることは生きることで飲み込まなくてはならない。今の環境に追い込まれたという気持ちに沈み込むばかりではなくて、それを自分で選んだ風に読み替えて行き
音楽は、言葉が通じなくても伝わるコミュニケーション・ツールとして扱われている。演奏者と聴衆の間には、基本的に言葉を介す必要がない*1。音楽を作り、響きを届けて、色んな受け取り方をする。その幅が面白い。音楽凄い。 けれども音楽の作り手同士の場合は、そんな態度ではいけないのではないかと思う。例えば同じ言語を話す奏者同士である場合は、まず言葉で伝え合うほうが良い方向に音楽を導くのではないか。「このフレーズをこう演奏したい」「あなたの今の音色は全体の響きに馴染まないと思う」「もっと精度を上げて欲しい」「イントネーションが不安定だ」、色々な意見の交換をする余地が、音楽をする者同士にはある。意見交換することで洗い出された課題を、音楽で実践し検証していく。言葉を超えたレベルで音楽をするためには、言葉の効能を使い尽くしてからでなくては。 音楽を一つにするためには、後悔や不完全燃焼な雰囲気は残して欲しくはな
懲りずにクラシック音楽の話題を書く。 このダイアリーで取り上げたクラシックに関連する「100曲」は以下の2つ。そこで、この2つを比較してみようと思い立った。 http://homepage3.nifty.com/jy/classes2005/100.htm http://d.hatena.ne.jp/tragedy/20070728/p1 前者は「音大生なら聴いておきたい」と銘打ってあって、後者は「初心者のための」と銘打ってあるので、それぞれ聴いて欲しい対象は異なるはずだが、重なっている曲もあるということで、思い立った以上はやってみる。中途半端になること必至だが。結果は後で考える。両方のリストにある曲は以下の作品。抜けがあったらすいません。 J.S.バッハ:ブランデンブルグ協奏曲 J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ
またぼんやりと考えながら、クラシック音楽について書いてみたりする。 僕は長い間クラシック音楽を聴いてきたのだけれど、その間に訊かれることが多かった質問が「クラシックの中で何が一番好きですか?」という質問。そう質問された時期それぞれで僕の聴き方や嗜好は異なっていることが多く、またかつて好きだったものは蓄積されてきているので、ある瞬間には「フランク・ブリッジが一番好き」とも言えるし、『バッハの「音楽の捧げ物」が一番好き』も全然嘘ではないし、「バーンスタインが一番好き」というのも僕にとっては正直な意見なわけで、いつも回答に困っていた。そこで結局、「何でも好き」と不真面目と捉えられかねない回答をし続けてきたのだ。先日何かの会話で出たのだけど、例えば「エルガーが一番好き」と言ってしまうと、それ以外のたくさんの好きなものに申し訳ないような気がするというか何というか。端的に言えば八方美人なわけなのだけれ
以前書いたことと矛盾しまくりだけど、クラシック音楽には近寄らないほうがいいのかも知れない。もし「聴いてみたい」と思っている人が居れば、今からでも引き返しておいたほうがいいと助言すべきなのかも知れない。 クラシック音楽を好きになると、お金がかかる。クラシック音楽好きな人が所持しているCDの枚数と、その他のジャンルの音楽が好きな人が所持しているCDの枚数を比べてみれば、どれだけ散財を求められる音楽ジャンルなのか良くわかるはずだ。クラシック音楽にはCDを聴くだけではなくて、コンサートを聴く楽しみもある。高ければ数万円、安ければ1,000円なんていう良心的なチケットがあるにしても、身を誤らせる機会が多くあるのは確かだ。 J-POPの歌い手もCDを出してライヴをするが、CDのリリースは年に数枚だし、ライヴ・チケットも枚数に限りがあるわけだから、買い続けるような通い続けるようなこともない。それにJ-P
以前、「http://homepage3.nifty.com/jy/classes2005/100.htm」に反応して、「音大生なら聴いておきたい100曲(作曲年順) - think two things」を書いたが、またクラシック初心者に向けた「100曲」作りが話題になっている。下記のダイアリーとか。 http://d.hatena.ne.jp/tragedy/20070728/p1 はてなブックマーク - 虚構組曲 - 初心者のためのクラシック音楽100選 これをきっかけに色々書きながら考えよう。 この手の記事にこんなにブックマークが集まるのは、クラシック音楽への関心度の高さと見ていいのだろうか。ある年齢層より下の世代は、音楽の鑑賞の時間のおかげでクラシック音楽に接していない人は少ないと思うので、ここ最近のブームを水分にして一人一人に埋まった種が反応しているのかも知れない。「クラシック
音楽を「考える」 (ちくまプリマー新書) 作者: 茂木健一郎,江村哲二,江村哲二出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2007/05メディア: 新書 クリック: 7回この商品を含むブログ (56件) を見る 読み終えたが、受け売りと文句、宣伝と褒め合いの連続・・・。呆れてしまった。一番重たい言葉も、武満徹の言葉からの受け売りのみとなると、やるせない気持ちになる。誰に向けて書かれている本なのだろう。二人は「子供たちに本物を見せよ」と何度かぶちあげているが、「本物が何か」について真剣に語られるような場面はない。アカデミックな作曲教育を受けていないことをアドバンテージとするようなところも、謎だ・・・。理系であることを何度も主張するところも。「ペール・ギュント」をステレオタイプに「子供向け」として蔑むような姿勢も僕には受け入れられないな。 「僕、こんなこと知ってる!」、「僕もこんなこと知ってるよ!
http://homepage3.nifty.com/jy/classes2005/100.htm はてなブックマークで話題になっているこのサイトだが、作曲家の五十音順で今ひとつその全容が見えないので、思わず作曲年を調べて並べ替えしてみた。作曲年が分からないものは没年に合わせた。版の問題もあるが、できるだけ初稿重視で。 前の番号 作曲者 作曲者(欧文表記) 作曲年 曲名 1 70 ペロティヌス Perotinus c1200 1200 オルガヌム《地上ての国々は見た》 2 40 トマソ・ダ・チェラーノ Tommaso da Celano ?-c1250 1250 セクエンツィア(グレゴリオ聖歌)《怒りの日》 3 75 マショー Machaut, Guillaume de c1300-1377 1377 ノートル・ダム・ミサ曲 4 26 ジョスカン・デ・プレ Josquin des Pres
僕はブログにコメントをするのが怖い。 インターネットをし始めた頃、もう10年近く前になるのか。その頃、クラシック音楽のサイトもどんどん登場してきていた。僕はクラシックの話が出来ることに驚喜した。驚喜まではしてないか。同胞の人達がたくさん居ることを静かに喜んだ。そして掲示板に書き込みをする。「僕もブラームスが好きです」、「カラヤンってそんなに良くないですか?」、「この録音いいですよね」。そんな感じ。 そんなある時、「hrkntrさん、***(サイト名)でも、***(サイト名)でも、大変頑張っておられますね」というような書き込みを見付けてしまった。そこには饒舌に書き込みをする僕を戒めるようなトーンが感じられた。そして段々と前後の書き込みを見ているうちに、強烈な皮肉なような気がしてきた。そして、掲示板に書き込んで意見を表明することが、必ずしも良いことと受け取られるわけではないことを知った。当たり
然したる考えもなく書き始めるのだが、まあ許してもらおう。 ブルックナー。聴き始めた頃にはその名前に惹かれていた。友人から「ブルックナーがいいよ」と聞かされた時の、言葉に出来ないワクワク感。今はその気持ちは随分薄れてしまったが、ブルックナーを教えてくれた友人は今は銀行員だ。いやそういう話じゃなくて、ベートーヴェンやモーツァルト、ブラームスにチャイコフスキー、ドビュッシー、そういう有名所な作曲家達に比べるとブルックナーは語感が全く違う。それに僕はこの作曲家のことを知らなかった。家にあった両親のLPにブルックナーは含まれていなかった。音楽の教科書や「鑑賞の手引き」にも載っていなかった。それまでの僕にとってクラシック音楽は、家にあったLPと学校の教科書だけで完結する世界だったのだが、クラシック音楽はそんな狭い世界ではなく、易々と全貌を見せてくれるような音楽ではないことを思い知らされた瞬間だった。今
青空文庫で以下の請願を進める趣旨のページが出来ていた。 著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名 青空文庫で思い出すのは吉行エイスケのことだ。NHK連続テレビ小説「あぐり」が好きで、と言うか田中美里さんが好きでドラマを見続けていた。あのドラマは週間読み切りのような構成になっていて、今思い出せば捨てにかかってる週もあった気がするが、それはどうでもいい。ドラマの主人公あぐりの最初の夫である望月エイスケは、実在の作家である吉行エイスケをモデルに描かれている。野村萬斎さんの個性的な演技のインパクトが凄かったせいなのだろう、望月エイスケの生き方に僕は憧れてしまった。ドラマの中では望月エイスケが小説を執筆するシーンが何度も登場する。そして僕にとって一番印象的なのが、望月エイスケの死後に発見された小説の中にある一節「深夜 地球が灰皿になる」だ。この一見理解不能な一節に、感動の表情を見せるドラマの
著作権保護期間について「延長賛成派」の意見を聞いた | 日経 xTECH(クロステック) はてなブックマークのコメント欄に書いたことを、こっちでも書き始めてみる。 子供は子供で生きていくだろうに。いや、一人ででも生きていける力を、つけさせてあげなければ。有名著作者の子供は、一人で生きていく業を背負う気はないのだろうか。有名著作者は自分の子供にそれを求めないのだろうか。つまらない。それに恥ずかしい。自分の子供のためだけに創作をしたのか。創造とはそんな小さなことなのか。著作者の権利を守ると言ってはいるが、僕には著作物を貶めるように見えてならない。松本零士さんは賛成理由として「遺族の心情」を挙げている。そんな個人的な遣り取りの中にしか根拠はないのか。結局、気持ちの問題なのだな。それはそうと「遺族」というキーワードが、延長賛成派の口から出てきたのは収穫。見えたか、底の浅さ。 パネルディスカッション
これまでにつらつらと書いたエントリを自分のためにメモ。後で携帯から読む用に。 鈴木秀美の言葉に接して - think two things グスタフ・レオンハルトの言葉 - think two things ロジャー・ノリントン - think two things 作曲家の思い - think two things ヴィブラートと寺神戸亮さんの言葉 - think two things 音楽は個人的なもの - think two things 金聖響さんとベートーヴェン「エロイカ」 - think two things 僕と古楽との出会いの振り返り - think two things 寺西肇「古楽は私たちに何を聴かせるのか」 - think two things またピリオド・アプローチについて - think two things 金聖響さんのインタビュー記事と、考えたこと - th
観る。てか、プラハのシーンのたまごっち拾った指揮者、ズデニェク・マーツァルですよね? 出てきた曲とか。 メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」 第1楽章 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ「月光」 第3楽章 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ「悲愴」 第2楽章 ヴェルディ:「レクイエム」より「怒りの日」 ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー ベートーヴェン:交響曲第7番 第1楽章 ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付き」 第1楽章 モーツァルト:2台のピアノのためのソナタ モーツァルト:歌劇「魔笛」より「夜の女王のアリア」 リムスキー=コルサコフ:熊蜂は飛ぶ チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」より「金平糖の精の踊り」 プロコフィエフ:バレエ組曲「ロメオとジュリエット」より「モンタギュー家とキャピュレット家」 チャイコフスキー:「弦楽セレナード」より「ワルツ」 チャイコフスキー:
はてなブックマークで盛り上がっているこのサイト。 Classic Cat - the free classical music directory 見に行かせてもらったが、単なるリンク集だった。楽曲選定のバランスや演奏の質にまで気を配って構築されたものではないようで、少し脱力。クラシック音楽を無料でDLできるサイトを探して、このサイトのようなリンク集にする手間を考えれば凄いなと思うけれども。玉石混淆な状態で無料DLさせて鑑賞してもらった結果、「クラシックってこんなもんか」と思われないかと心配。 クラシックって、何が面白いんだろうな。僕はとても好きなのだけど。 クラシックの面白さは、聴き方に決まりがないことかな。「他のジャンルの音楽でも聴き方に決まりはありませんよ」と言われてしまいそうだが、クラシックはその中でも突出してると思う。「クラシック」と一括りにしてしまうには、あまりにも膨大な音楽作
あまりにもテレビがつまらないので、年末に聞いていたはてなアイデアミーティングについて。特に冒頭のテーマ曲にシフトして。 09/05 通常バージョン。のんびりした開始。男性2人、女性1人で歌う。 09/06 通常バージョン。いきなり始まる。途中から歌い出すような感じがする。始まっていないと思っている人も居る。「始まってないでしょ?」との声が。 09/08 通常バージョン。伴奏の音が鳴るが、歌う人は居ない。 09/09 通常バージョン。伴奏の音が鳴り、だんだんと歌い出していく感じ。 09/10 通常バージョン。録音が遠い。最初の「はてな」の「は」を歌えないが、歌への参加度は高い。 09/12 通常バージョン。伴奏の音が小さく鳴る。終わりのほうで呟くように歌われる。 09/15 通常バージョン。大きな声の女性登場。「これで恥ずかしがってないぞ!」とのコメント。牽引車的な存在で頼もしい。どなただろ
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