小学生のころ、給食の時間にごはんを少し残したら隣の席の友達に言われた。 米一粒一粒に神様がいるんだって。残したらその神様が泣くんだよ、と。 当時は妙に納得して、慌てて茶碗に残った米粒を箸で集めて口に入れた。 神様を食べるってどういうことなんだろうと思いながらも、悪いことをした気分が薄れていった。 何ヶ月か後、同じ友達がとうもろこしを残していた。 粒が器の底に散らばっていた。 指で指して「神様が泣くんじゃないの」と言ってみたら声を立てて笑われた。 とうもろこしには神はいないんだって。 その瞬間、米ととうもろこしの間に線が引かれた気がした。 今でも白いごはんを食べるときあの言葉を思い出す。 神が宿るほどの手間と祈りが、あの小さな粒には詰まっている気がする。 でもとうもろこしはどうだろう。 粒がぎっしり並んでいるのにそこには静けさしかない。 同じ粒なのに、どちらも食べ物なのに、神は選ぶのかと思う