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2018年12月26日水曜日

プログラムの書き方

もう昔のプログラマの引退だとか言われる年齢も通り越して、職場ではいつのまにか偉そうなツラをしている。それでも人見知りや、あんまり説教くせぇやつもうざいよなみたいな思想が変わるわけでもないので、職業上行うべき仕草みたいなものを簡単な文書にまとめて、勝手に読んでくれと社内共有用のシステムに投げたりしている。
それでなんとなく思ったのだけど、実際にプログラムを書いたり、システムを作る部分の説明というのはとっても難しい。実際の作業以外の、たとえば打ち合わせ上のコツ(議事録の書き方とか、合意の確認の仕方みたいなの)は、自分もまったく得意でない状態から必要に駆られて習得したので、そのやり方やノウハウを明文化できる。
ただ、実際の作業は、なんだかうまく書けない。

これは、小説でも絵の描き方でも粘土のこね方でも、非常に自分は似通った感じを持っていて、それは「手が知っている」ということだと思う。科学的じゃない言い方だけど、私はそのように何かを作る作業というのを捉えていて、とにかく全行程を通して、自分がそれに触れて、出来上がった何かを吟味して、こういうはずではなかったと思って、直すべくそれに触れて、やはりこうでもないと思って、さらに直して、どうにか近づけて行くという作業を延々繰り返していく中で、やがてをれを手が知るという風に感じている。
もっと頭が良ければ、それを合理的に説明できるのかもしれないけど、私には、「そういう感じ」としてしか認識できない。逆に、私は何かを学ぶときに、頭でわかりそうもない場合、いつでもそのアプローチを採用しているということだ。

まずは全プロセスを、教本を片手にでも良いからやってみて。
次に教本がない状態でやってみて。
自分でぱっと思いついた課題をこなしてみて。
この完成品で良いか、と自分に問いかけて。
直して。
直して。
直して。
すると、そのうち自分が明らかに技術を身に着けた瞬間を感じる。
(もっともこれはこのあと何回も来るし、どんどん遠くなっていく)

私はそれが来ることを知っている。
自分に多少はそれが出来る、みたいな状態になることは積み重ねさえすればどうにかなると思っている。才能云々というのは、もっともっとはるかに高いレベルを目指す場合の話で、素人の手習い程度になることは、そこまで才能とは関係がない。

でも、職人の徒弟じゃないんだから、それをそのままやれというのはなかなかに難しい。説明義務の放棄という気もする。だから非常に些末なTipsみたいなことを書きつつ、どうしたものかなと思案している。




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2018年12月25日火曜日

自分のコンポーネントでもv-modelを使う

通常のinputに何か付加機能みたいなものを付けて、コンポーネントとして提供する、というようなことはよくあるのだけど、その場合も、普通にinputにするみたいにv-modelを使って値をやり取りすると良い。

コンポーネントでv-modelを使う

Vueは公式ドキュメントが非常に良く出来てるので、それを見れば良い。
良いのだけど、かいつまんで書いておくと、v-model="data"は、:value="data" @input="data = $event"  の糖衣構文なので、コンポーネント側ではpropsにvalueを定義して、valueの変更が行われるようなときにはthis.$emit('input',value)みたいなイベントを発行すれば動くという話。

公式のサンプルみたいに、value(v-modelじゃなく)にバインドして、inputイベントをそのまま親に投げ直すというやり方でも良いし、computedのget,setを利用してみても良いかなと思う。以下のような感じ。


See the Pen v-model by 餅屋 (@omochi) on CodePen.




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2018年12月23日日曜日

Codepenでコード埋め込み使うの楽かも

プログラムの記事書こうかなと思うことは割とあるんだけど、コードブロックを書くのが非常に面倒かつ、あんまりキレイにできないってことで回避してた部分があるのだけど、Codepen使って埋め込みでやるのが一番良いかもと思った。

See the Pen EGmKER by 餅屋 (@omochi) on CodePen.

実行結果もわかるしCodepenに移動すればサンプルを書き換えてみたりすることもできるので、なんせ良さそう。CodepenだとProjectを編集するモードでファイル追加できたりして更に良いんだけど、こっちは埋め込みの設定を見つけることができなかった。

まんが道とゲゲゲの家計簿

まんが道をまた読み返していて本当に面白い。
二人の子供が学生時代から何度も雑誌に掲載されたり、単行本を出版されたりして、夢物語のようなんだけど、それが現実で、それが藤子不二雄になると思うと胸がドキドキする。まんが道自体は愛…しりそめし頃に…まで含めると結構長いのだけど、1~11巻くらいまでが東京に出るまででキラキラしているので、そこだけでも読むべきかと思う。

まんが道ほどの大作ではないけど、水木しげるのゲゲゲの家計簿という漫画も同じく、漫画家の成功していくまでの話で面白かった。どっちかというと、戦争直後で養う家族が居るし、紙芝居は安いし、ガンガン家計は0になってオンボロの靴まで質に入ったりするしで、水木先生のほうがシリアスなはずなんだけど、根の明るさとタフさみたいなもので非常にカラっとしていて良い。
年齢も人生経験も違いすぎるけど、満賀道雄が顔真っ黒になって集中線の中で大ゴマで「ガーン」ってなってるような状況でも、水木先生なら通常のコマに「フハッ」って背景に書かれて突破である。
力強い。

ちなみに時代で言うと、貸本の会社が倒産してこれからどうすりゃいいんだ、と水木先生が困っていたのが昭和37年で、やっと昭和40年にマガジンから依頼が来て生活が楽になっており、藤子不二雄は36年にトキワ荘を出ていて、39年にはオバQが大ヒットしたりしているので、このあたり水木先生の人生ハードモード感がある。




2018年12月19日水曜日

PayPay啄木

PayPayで20%ポイントもらえるってんで、初めてQRコード決済なるものをしてみたりした。常時128kで通信している低速回線マンとしては通信速度が心配だし、面倒くさいは面倒くさいんだけど、自分の手で入力した金額が送金されると楽しい気持ちになった。
それで、なんかお金のアプリ楽しいな! ってなって、Kyashとか、オンライン銀行アプリとか、いろいろ入れて、ワーイ! ってなってたんだけど、別にお金を扱うアプリがいっぱいあっても別にお金が増えるわけじゃないということに無事気づき、沈静化して、じっと手を見てる。



QR決済 (日経BPムック)

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やる気ない方がいい

最近好きなYoutubeのチャンネルで、その日食った飯の動画を1分くらいにまとめて、おっちゃんが特になめらかでも元気でもない感じで、「えー、ここのラーメンね、近所にあったりしたらすごい通うと思います。はい、それじゃまた明日」みたいな感じでささっとナレーションを入れてるやつがあって、こういうものでありたいなぁと見るたびに思う。
自分が年食ってるからなんだろうと思うけど、Youtubeの動画はあんまりにも元気で、やる気があって、声を張ってて、しんどいなと思うことが多い。まあもちろんこのおっちゃんだって毎日飯を編集して出してるんだからやる気がないわけじゃないんだろうけど、やる気を見せない性格か、やる気を見せない技術のようなものがあり、かくありたい、と思う。
もうやる気なんてなくたって良いんだと思うし、ないのにやってるくらいが良いと思う。
しかも短いのもまた良い。おっさんは長い動画がもう面倒。
自分もこんな感じで行こうかなと思う。



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2018年12月18日火曜日

ガイコツのボタンが作りたい

この前近所の古着屋で買った200円ちょいのカウチンがあって、しまむらの服っぽいんだけど、お気に入りで、見た目普通のクリスマス柄っぽいカウチンに見えるんだけど、刺繍がガイコツとかクロスになってる。かわいい。
かわいいんだけど、ボタンがよくわからない。
よくある金色のどこの紋章かわからない盾っぽいボタン。
手触りも冷たいし、好きではない。
なので、ボタンだけ作ってみようかなと考えている。ネットで売ってるだろと思ったけど、ちょうどサイズとデザインがいい感じのやつってのもないし、スカルピーでガイコツのボタンを作ってレジンで複製できないかな。



2018年12月17日月曜日

日記、フラットホワイト、オールドブラッド、キン肉マン

ほんのちょっとのことでも面倒なもんで、ドルチェグストでも2つカプセル使ったり、ミルク入れたり、砂糖入れるのは鬱陶しかったりする。それで最近はフラットホワイトっていうカプセル1個で砂糖も入ってるラテばっかり飲んでる。楽で良い。


Wofenstein: The Old Bloodは新生ウルフェンシュタインの2作目にして前日譚で、ボリューム的にはDLCみたいな感じの作品だった。でもブラスコが再び強くて良い。なんせこのシリーズの一番好きなところは、デモ中でもブラスコがゲームプレイ中と同じくらいの強さであるってことで、つまりデモ中に至近距離から多少撃たれようがナイフで刺されようが全然死なない。ゲームプレイ中と同じく多少深呼吸したら体力も戻る。
だからいきなりデモ戦闘よろしく襲いかかってきた敵が多少ブラスコを刺し貫こうとも、あとで攻撃したブラスコの方が勝つ。4つ数えて、息を吸い、4つ数えて、息を吐く。回復。最強。

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キン肉マン(65)の見どころは、マリポーサの「サッ」ってところと、ペンチマンが出てくるところです。

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2018年11月25日日曜日

感じ悪い人が嫌いではない/鉄工所にも花が咲く


思い返してみると、私は厄介なやつとか、感じが悪いとか、一種昔の職人ぽさを持ってる人ってものが好きで、それは、自分自身がそもそもコミュニケーションが上手だと感じていないことからの共感というか、似たような人だから付き合いやすいみたいなことなのかなと思っている。
ただ、割といい年のおっさんになってみて、現状を振り返ってみると、自分自身はそれなりに器用にやってこれてしまっていて、全然自分は職人ぽくないし、普通の一般的サラリーマンみたいな感じのものになった。
なので、かような小賢しさみたいなのを持たない孤高の人は美しい、と思う。ただ人生経験積んでみると、感じ悪い人は実は内心が優しいみたいなことが常に言えるわけじゃないこともわかる。感じ悪くて、内心は優しくて口下手な人もいるけど、感じ悪くて、内心も腐ってる人も普通にいる。というか、感じよくて、内心は腐ってる人より全然多い気がする。
とはいえ、やはり自分は感じ悪い側に立つのである。たぶん。

近況報告というか最近買ったもの

おっさんになってもう何年も立つので、漬物とか美味しくなってきた。
でもデジタル世代なので、アマゾンで野沢菜とか買ってた。

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うまかった。うますぎて毎食食ってあっという間に消えた。
実際のとこ、それまでそんなに漬物食いでもないので、これがどれくらいにうまいとかは良くわからん。野沢菜はたいてい全部うまいのかもしれない。

福さ屋 めんたい辛子高菜 250g
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次はこれ買うつもり。高菜ってラーメン屋で食ったことしかないよな。



ノート買った。まだ届いてない。
ずっとノートは白紙を使ってたんだけど、前にもらった方眼のノートが思ったより使いやすかったので、いっかい方眼のやつにしてみるかと思った。


アイデアノートみたいなものだとよくバリバリ破るのでページごとに切れるやつがいい。

ノートって買ったら何か自分にも作れるんではないかと思って、次々買っちゃうんだけど、そんなことはないよなと思う。ペンも同じ。良い道具がないから作れないわけじゃなくて、作れないから作れないということを肝に銘じるべき。



外国のレビューが良いという記事を読んで気になってたやつ。
まあでも、10本も要らないし近所のイオンで買うと思う。
しかし買ってもどうせ何も作れやしない。



ビートマニアDJステーションPRO PS
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高校くらいのとき、DJのゲームがあるらしい、と雑誌なんかを読んで知ったのだけど、田舎ではゲームセンターも近所になくて、ビートマニアを見る機会は無かった。その後PS版が発売されたんだけど、専用コントローラを買う金がなくて普通のPSコンでやることになった。でも20, novemberくらいまではなんとかクリアできた。

その後、専用コントローラーを買ったんだけど、なんせスクラッチ部がちゃちくてやりにくいよなーなんて文句ばっか言ってた。PRO版のほうはアーケードのやつに近そうだったけど、値段が更に高くて、普通のコントローラーすらやっとで買った自分に手の出るものじゃなかった。ただ今はもうおっさんだし、中古で2000円くらいだったので買った。
ついでにPS oneも買ったし、ビートマニア本体も、大半のアペンドディスクも買った。
全部で5000円くらいだったので、当時より出費が少ない。

ただ、腕はもう全然で大半の曲がクリアできない。液晶だから遅延があるとかもある気がするが、そもそも手が勝手に動いてないのでどうしようもない。ただ、やっていると時折、ぼんやりとたまり場だったあの部屋のことなんかが、意識せずに思い出されてくる。ずいぶん遠くに来たもんだなと思ったりする。

2018年10月21日日曜日

時間飛行士へのささやかな贈物

ディックが大好き、とか言いながらまだまだ読んだことがないものはたくさんあって、電子書籍で買えるのだなあと気づいて購入した。もともとディックの小説を読んでいたのはブラック企業で働いていた頃で、ほとんど古本で買い集めていたので、手に入らなかったものはそのまま読んでいなかった。
それで、どれが家にあったっけと思いながら本棚を眺めていたら、時間飛行士へのささやかな贈物、という短編集を見つけた。この表題作は一種の時間繰り返し物と言える作品で、そこまで有名ではないかもしれないけど、不思議と自分の心に残っている。

時間繰り返しものが好きだということもあるし、うんざりするような悲痛な決断をするほかない、というような話に強く共感することもあるのだけど、自分がどうもこの作品のことが忘れられないのは、なんとなくその時間繰り返しの軸の部分が良くわからんということにある気がする。話は自分たちが閉じた時間の環の中に居るかどうか、ということが非常に重要なこととして書かれているのだけど、どうしてそれに至るかよくわからない。
現在から、未来へ行って、また現在に戻ってくる、という時間旅行の話なのだけど、たとえば戻ってきた瞬間にタイムスリップの瞬間に巻き込まれるかも、みたいな説明があれば、なるほどと思うのだけど、そういうのもない。
ただ、時間飛行士たちは、なにか嵐の海の向こうにいる神様を恐れるように、自分たちがどう考えたって閉じた時間の環の中にいる、ということを怖がっていて、疲弊している。でも、自分たちが閉じた時間の環にいることはどうも知覚できないっぽい。
よくわからない。
たぶん過去にも自分は何回かよくわからないと思って読み返しているのだけど、今回読み返してみて、やはりよくわからなかった。何度読んでもそれについては書いてない。あとがきでディックが、時間旅行の時代になれば、それ独特の問題があるのでは、みたいなことをちょろっとだけ書いているから、現代からはよくわからない独特の問題として表現されているのかもしれない。

とはいえ、別にだめな作品というわけではなくて、むしろ好きな話である。
自分の葬式に参列する人々のイメージや、永遠に生き、永遠に死に向かう姿は、それがどういう理屈なのかはよくわからなくても鮮烈だ。マイノリティ・リポートでもそうなのだけど、どうしようもない運命の中で、最悪の選択を自らの手で決断しなければならないというのは、だいたいの決断から逃げてきた私にとっては、ひどく美しいものに映る。



ディック傑作集〈2〉時間飛行士へのささやかな贈物 (ハヤカワ文庫SF)
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2018年10月12日金曜日

手を汚すことをいとわない

手を汚すことを気にしてはいけない、というのは別に犯罪とか社会的にダーティな話とかではなくて、ものを作ったり、何かしらの(本当の意味での)汚れ仕事をするときの話。
子供の頃は絵に色を塗ったり、粘土でなにか作ったりするのが好きではなくて、なぜだったかと考えてみると、手が汚れるのが嫌だった気がする。より厳密に言うと、ここが重要なのだけど、手を汚れないように気をつけなくてはいけないと思っていたのが、嫌だったのだ。

たとえば粘土に手で持って色を塗るときに、手を汚さず、キレイに塗ろう、というのは2つ同時に行う必要があり、不器用な私には難しかった。それをやろうとすると、キレイに塗れなかったり、手についたり、失敗したという気持ちになるばかりだった。
今も同じく不器用なのだけど、今は、全然汚れても構わないと思っているので、キレイに塗ることだけに集中できて、作業は簡単になるし、色を塗ることが大好きになった。手なんかあとで洗えばいいし、洗って落ちなくても何日かすれば消えるし、何も気にすることなどないのだと、いつかから思うようになっていた。

結局、自分は手が汚れるのが嫌だったのではなくて、手を汚してはいけないという風に考えているときに手を汚して、ミスしたと思うのが嫌だったんだと思う。そして手を汚さないというのは、案外難しいことであるように思う。それならば、手が汚れるのにそこまで拒否感がないなら、そこまで気にしなくて良いではないだろうか。

ということを、赤ん坊のおむつをかえて、おしりを拭いているときに再確認した。
赤ん坊のおしりをキレイにしつつ、自分の手も完全にクリーンに保つ、と思うから面倒くさいのだと思った。別に赤ん坊に触れるところでなければ、多少ついてもあとで洗えば良いんだから、とにかく赤ん坊のケツをピッカピカにすることが一番重要だ、と思ったら、一気におむつを変えるのが楽になった。



もっとも、賢い人は手袋をつけたりするのかもしれない。

2018年9月19日水曜日

日常の終わり/施川ユウキ『銀河の死なない子供たちへ』

うちは築不詳(少なくとも40年超)というような非常に古い借家で、地震なんて来たらいつ崩れるかわからないというような家だ。つい最近、関西では割と大きな地震があって、眠っていた私は大きな音が聞こえると同時に、跳ね起きて、眠っている次男に覆いかぶさっていた。それから1,2秒くらいで、家が崩れたらひとたまりもないと考えて、未だ眠る2才児を抱きかかえて玄関まで走った。
長男は少し前に小学校に向かっていたので、妻は慌てて外へ出ていった。長男はもう学校についていたようで、ほどなくして妻は帰ってきて、それからしばらくして休校になり、再び妻は息子を引き取るために出ていった。
私はなんとか動いていたバスで職場に向かい、何もなかったような顔で仕事をした。

日常は何もなく続くような顔をしていて、するり、と終わる。

施川ユウキの『オンノジ』はちょうど東日本の大震災を挟んで作られたもので、突然世界から人が居なくなって、日常が終わるところから始まる。ただ悲劇的な色はなく、物語のトーンは(サナギさんとかみたいな)いつもの施川ユウキのトーンで、喋るフラミンゴのオンノジと非日常の中に日常を見出すような形で続いていく。
その後に描かれた『ヨルとネル』はいつものトーンを持ちつつも、遥かに暗く先の見えない、悲しい予感に満ちている。日常など元よりなく、オンノジにあった希望がそこにはない。あるいは語られていたとしても、ミヤコがそうしているようには、純粋に信じられてはいない。
オンノジとヨルとネルは舞台設定なんかはまるで違うけど、その根底にあるものとしてはとても近いものがあって、どちらもものすごく頼りない希望にすがって、非日常の中で生きるという話だ。双方は相反するように見えるけど、どのみち希望に根拠がなく果てしなく脆弱であることは変わらず、世界は自分の前に圧倒的で、なんの歩み寄りもなく、いつ再び非日常の中の日常すら終わるかしれないということは変わらない(一度そうなったように)。

しかし、とはいえ生きねばならない。

すごく頼りないような日々でも、もしかして希望もないのかもしれないけど、実際には我々の人生は、漫画のようには簡単に終わらない。生きねば、とナウシカが言ったように、生きねばならない。『銀河の死なない子供たちへ』は、それを軽やかに、ある意味不格好なほどにものすごく直接的に描いている。あるいは、だからこそ、この漫画は今まで見たことがないくらいに力強い。そして果てしなく愛に満ち満ちている。
はるかな日々の先には、やがて死が待ち受けているのだけど、いつかは誰もが死ぬのだ。それでも、見たことがない世界へと、希望を抱いて行くのだ。その希望は決して脆弱なものではない。根拠のない希望というけれど、もとから希望に根拠なんてないのだ。それでも私達はそれを抱ける。生きていることこそが希望だからだ。


余談。日常の終わり、という例として持ち出してはみたけど、東日本の大震災の頃ほどには、今回の地震で日常が終わるような感じを受けたわけでもない。というのも、今の自分にはあまり日常たるものがない。ひとり、ふたりと子供が生まれてからこっち、安定して飛ぶように過ぎる毎日みたいなものとは無縁になってしまった。やれ、子供の歯がコケて折れただの、幼稚園で小突かれてた相手をひっぱたいただの(その後仲良しになった)、心臓の検査にひっかかっただの(なんでも無かった)、ちょっとうちの子落ち着きないんじゃないか、とか、次男なんだか小さいとか、次男なんだか喋るの遅いかとか。自分の都合ではどうにもならないような問題が次々発生して、のんびりやってる暇がない。
妻と結婚してから子供が生まれるまでの数年なんて、まばたきをする間に過ぎた気がするのに、子供が生まれてから6年間は果てしない時間のようだ。子どもたちに出会う前の自分なんかはるか昔に消えてしまったような気持ちさえする。
子育てというのは非日常的なものなのだと思う。


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2018年9月18日火曜日

ごはんうまい

ごはんのうまさすごい。
毎日飯食うのが楽しい。

何もできない気持ちになる夜

何も自分にはできないと思うことはよくある。実際に自分がなしてきたことなどほぼない。ただ毎日なんとか飯を食うべくやってきた。それだってすごい、なんて慰めがあるだろうがそういう話をしていない。

もっとできるはずだと、思っている。いつも作ってるものは、日々の忙しさの中で、なんとか出力するためのものだから大したことがないのだ、と。
しかし本当はこれが自分のすべての力なのかもしれない。ちゃんとしたものを作ろうとするといつでも手が止まる。私は脆弱で、怠惰で、無能であり、ちゃんとしたものなど、もとより作れないのかもしれない。そう信ずるに足る長い日々を、ひたすら無為に過ごしてきた。

もっと自分の作品を、それも、たくさんの労力がかけられた、自分で作ってよかったと、疑念の余地なく思えるものを作りたい。もはや歳的にも猶予があるとは言えなくなっている。

2018年9月12日水曜日

ダイソーのマーカーと、自作ニセコピックエアブラシシステムと、Vtuber



3Dプリントをごく雑に塗ったりして、実用性のないものを作っている。
自分の腕前ではあまり思い通りのものが作れず、ごく単純な形の組み合わせ以外にはなっていないが、それなりに楽しい。

最近、ダイソーで安いアルコールマーカーがあるということを聞いて、全部買ってきた。ただ、雑だとムラになりやすいことから、あまりマーカーで色を塗ることが好きではなく、適当にアタッチメントを作ってコピックのエアブラシ風に使ってみた。

あまりかっちりはまっているものではないので、動画中にはないけど、ずれたり、距離が微妙になって色が薄くなってしまったり、うっかりマーカーを開けたまま昼寝して乾いたりで、それなりに苦労があった。普通にインク使ってエアブラシ吹くより楽かと言うと、微妙なところである。

とにかく適当に物を作るのは楽しいが、3Dプリントは表面仕上げをしないとガタガタなので、実用品じゃなくて造形に使うなら、もっと精密なプリンターがほしいなあと思う次第。



最近流行ってるっぽい安くて高精細の光造形3Dプリンター。

2018年8月28日火曜日

Vtuber脳みそ子の絵を描いた



ノリノリでやっている。
いつもと変わらないように見えるとは思うけど、個人的にはノリノリなのである。

棒に紙を貼ってモデルだと言いはるのは、自分のやれることのなかで、たぶんもっとも省エネかつあんまり人がやってないことだと思ったから考えたのだけど、実際にやってみると、本当にコレで良いんじゃないかという気がしている。同意してくれる人がいるかわからないけど、ごく単純化するとこういうことだよな、と感じた。CGであるかとか、3Dであるかとか、動いているかとか、実際些細なことなのではないか。


これは主線で切り抜いてみたものだけど、これなんてもう完全にVtuberじゃないか、と思っている。共感を得られているかというと、全然得られていない気がするが、私には確信がある。もっとも、私の確信というのはだいたい間違っている。

もはやただの悪乗りになりつつある、というと間違っていて、最初から悪乗り以外ではないし、別にVtuberに限らず、うちのチャンネルに悪乗り以外の何があるんだ、という話ではある。しかし私は真面目に悪乗りをしている。もっとより悪く乗っていきたい。

それでどこにたどり着くつもりなのか、というと、単なる作ったもの紹介はもうこのスタイルでやったらエエやんけという気持ちもある。どのみち自分の作ったものというのは、思いつきの切れっ端のようなもので、ただのアイデアを試してみているだけのものが大半なので人に楽しんでもらうには難しい。しかしそこにVtuberという縦糸が加われば、仮想の世界の変なもの、みたいに統一されて、ちゃんと人に伝わるかもしれない。そうなればたいそう愉快だなと思う。

とはいえ、現状では全然Vtuberとしても、ものの紹介の動画としてもできていなくて、それこそ試している段階に過ぎない。ここから、ちゃんとバカバカしく育てば良いし、そうでなければいいとこで適当に飽きてやめるのかなという気もする。




2018年8月24日金曜日

Vtuber脳みそ子です、と30代後半にして言い張ってみた



Vtuberだと言い張ってみた。
たいへん楽しい。そうだ。自分は自分の考えたホラを吹聴するのが好きだったと思い出した。だから小説も書いていたのだ。

正直ただの一発ネタだと思っていたのだけど、ちょっと続けることもありかもしれないと考え始めている。自分の動画は作品の紹介が薄く、メイキングに偏重し過ぎだと前から思っていたからだ。
これは物作りそれ自体が面白いということと、古き良きニコニコ技術部的制作動画スタイルを踏襲していたためなのだけど、このスタイルだと、作ったもの自体の比重がやや低くなってしまうということがあった。
とはいえ、作品それ自体だけで発表するのは自分の作品のクオリティではいかにも寂しく、またそれを面白くするにはどうすればいいのか良くわからなかった。

それが自分が架空の存在であると言い張ることで、いつもと変わらぬテンションで喋っても、好きにものが言えるという心持ちになれた。これは結構いいんじゃないかと思う。しかも動画の評価もいつもと比べて微妙に良い。楽しんでもらえてるならそれより嬉しいことはない。

そんなわけで、動画をあげてから思いついたことがまだあるので、もうちょっと続けてもいいかなと思う。



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2018年8月16日木曜日

もう一度やり直すかどうか

幼い頃、母は学生時代に戻りたいというようなことを言っていた気がする。
こういう考え方は割に一般的であるように思う。つまり学生時代がもっとも素晴らしく、とにかく社会に出たあとは苦労と我慢が続く、みたいなやつだ。

気づけばその頃の母くらいの年齢になって、自分が改めてどう思うかというと、まあ、少なくとも自分は全然そうじゃないなと思う。完全に大人になってからの方がマシだ。子供のころは何もかも気持ちばかり先走って、できることなんてほとんど無かったけど、さほど努力をせずともおとなになると時間が集積されていくのでできることはどんどん増える。白髪交じりになったし、中年太りにもなったが、別段昔から男前でモテたわけでもないし、特に何かを毀損されたという気持ちもない。

学生時代になんか全然戻りたくない。
やっとここにたどり着いたのに、もう一度やるなんて冗談じゃない。
それに、偶然出会えた人々と別れるなんて、残念すぎる。

たとえば自分がもう一度やり直すチャンスがあったとしても、同じ道を選ぶだろう。もっと勉強をするだろうし、絵の練習もするとは思うけど、今いるここに戻ってくるほどに何かを変えはしないだろう。それならば、もっかいやるだけ時間の無駄ってもんだ。



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2018年7月19日木曜日

もしも自分がVTuberをやるなら

VTuberってのはアレだ。
自分の存在とか設定とか、何かしらが架空でさえあればOKなわけだ。

そういう風にうちの小学生を寝かしつけていたときにふと思って、それならば自分もVTuberたることができるのかも知れない、と思った。そういう動画を作るネタはあるし、何なら、自分がなんとなく統一感がない、と思ってる気の赴くままの制作動画も、それをテーマとしてまとまるかもしれない。

つまりは、架空のおもちゃとか、架空の道具を紹介、というテーマである。
特に3Dキャラ使ったり、声変えたりしない。
いつもの机の上で、いつもみたいにものを作る。
ただ、私は未来人だという設定で、作ったものについて喋る。それだけである。

私は超未来の地球在住のエンジニアであり、太古のおもちゃを再現してみたりしている。
「これが、太古の日本の食器です。そう、彼らは少食だったんですね」
とか言って茶碗の裏側にご飯よそったりする。
「コマですね。紐で回すものですが、技術が必要だそうです」
そう言ってハンドスピナー紐で回す。

これなら行けそうな気がする。
(例だけ見ると何も制作してないけど)

ちょっと前に、Youtubeの統計というものをちゃんと見てみて、私のメインチャンネルの閲覧者の過半数が45歳以上であるということに気づいた。一応私のチャンネルは、自分の内部的な動機としては、自分の子どもたちの世代なんかに、ものを作ることがアホみたいで楽しいということを伝えて、自分でもやってみようと思ってもらいたいということがあった。ところが視聴者層はまったくそういう方向ではなかったわけだ。
10代の視聴者数0%である。
0%。
これは良くない。同年代とキャッキャ言ってるのは楽しいが、将来性がない。
もっと未来志向でなければならんのではないかと思う。
そこでVTuberですよ。
(安易な思考)

冗談はともかく、自分の作るものの一貫性として、実は全部未来の人が作ったものです、みたいなテーマがあれば、よりまとまるような気がするし、そのほうがよりバカバカしくて楽しいという気がする。
もちろんVTuberやるっていっても、真面目にちゃんとやるってわけではなく、”コント:もしもおもちゃ製作者が未来人だったら”みたいなクソぬるい感じになる(動画の作り自体はいつもと変わらないわけだし)と思うけど、まあ、いっぺんやってみても良いかなと思った。



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これくらいのゆるい世界観で。

2018年7月14日土曜日

ちゃんとゲーム実況しない

やっぱゲーム実況つうのやるなら、最初から初めて最後までやらないと、とかそういうことを考えると、もう色々億劫でなかなか始めず、かといって新しく買ったゲームも実況に使うかも、とか思ってやらずみたいな感じになったりしてた。
なので、そういうことを考えるのはもうやめることにした。

別にどこから始めてもいいし、どこで終わっても良い、と考えることにした。

だいたい私の実況チャンネルなんて登録者10人くらい(家族含む)みたいな感じだし、多くの動画が再生数一桁(ほぼ妻しか見てない)みたいなもんだし、多少長い場合妻も片手間に再生してるだけで特に見てないみたいな状況なので、最初から最後までちゃんとやるとか、そもそもそんなことを期待していないのではないかと思う。
CSD2を80本録画するとか完全に色々目標を見失っていたと思う。

これからは、日々自分がやりたいと思うゲームをやってるときに、気が向いたら動画を回すだけにします。別に動画を回してない間に勝手に進めても良いし、時間も特に決めず、飽きるまで適当にやります。というわけで、最初は最近ちょっとハマりつつあるDead Cells。



こういうゲームも、面白いんだけどクリアできるかどうか全然自信がないってことで、手を出しにくかったんだけど、これからはどんどんやっていくつもり。

2018年7月11日水曜日

UndertaleのSansのシルバーリングを作ってみた話

とにかく何が言いたいかっていうと、シルバーリングを作るのは大変楽しい。
今までいろいろ造形とかやってきたし、絵も描いたけど、最終製品がいきなり銀になって送られてくるのが大変良い。お金はかかるけど、カメラとかにハマるよりは多分安い。


そんなわけで動画です。

チューブワックス削るのは、石とか木とか削るよりだいぶ容易だし、うっかりミスってもちょっとなら熱したロウを乗せて直すこともできる。ちなみに、でっかい方を先に作ったんだけど、そこまでに6,7個くらい試作している。
以下、適当に試作集。




まだもうちょいSansの顔の丸みみたいなものを表現したいので、ちょこちょこ削っていこうかなという感じ。ちなみに大きい方の目には模造宝石が入っていて、これは二液混合のエポキシ接着剤でとめてる。




2018年6月10日日曜日

鋼鉄少女・人間兵器。カクヨムで最後まで読めます

前のエントリで書いたとおり、昔書いていた鋼鉄少女・人間兵器の原稿は現存している。
で、それをどうしたら良いものかと考えてみて、小説を掲載できるWebサービス上に乗っけてみることにした。というわけでこれ。

鋼鉄少女・人間兵器

Webアーカイブに残ってるやつから、その後何回か微妙に改訂しているので、違う箇所もなくはない程度の差異はあるけど、ほぼ同じ。

十年前の作品がWebアーカイブで読まれるのはともかく、自分が再度掲載するというのはそれなりに抵抗もあった。やはりかなり拙いし、瑕疵も多い。今ならこうするとか考え始めると終わりがない。とはいえ、そういうのも含めて自分の作品なのだし、今後も自分がなにかを作って生きていくつもりなら(そのつもりだけど)、そういった気恥ずかしさとは向き合っていくべきなのかなと思った。
それに最後一つ前まで読んでくれた人が居たのなら、ぜひ最後まで読んでほしいとも思った。そんなわけで、今日もまた思い余ってやっていく。失敗だけが私を明日へと導くだろう。たぶん。

2018年5月21日月曜日

FangamerでUndertaleのTシャツとかアートブックとか買った

ちょっと前に駿河屋でUndertaleのアートブックが高値で売られているのを見て、検索してみると、Fangamerというショップで定価で注文できるということがわかった。Fangamerっていうのはアメリカで主にインディーズゲームのグッズを作っている会社で、日本にもストアがあるのだけど、品揃えがアメリカの方がかなり豊富っぽい。UndertaleのTシャツなんかは日本でも買えるけど、前述のアートブックやSlime Rancherのグッズは日本のショップにはなかったので、アメリカから注文してみた。

支払い後にSlime RancherのTシャツが欠品していて、返金かサイズ変えるかみたいなやり取りがあって返金してもらったみたいなことがあったりもして、注文から二週間ちょいで届いた。ちなみにサイトはアメリカ版でも日本語表記があるんだけど、問い合わせのやり取りは英語だった。


これは日本のショップでも売ってるSansのTシャツ。
ファンアイテム的にカッコよくて着るのもったいない。


アートブックは割と折れた感じで届いた。とはいえ海外からだとこんなもんだろうと思う。かっこいいんだけど、表紙が傷とか付きやすそうな感じで、本文の紙も薄いので、気になる人は2冊買いするやつだと思った。


内容は一番最初のアイデアスケッチみたいなものもあって非常に良い。
これくらい荒っぽい状態から作って行くんだなー! っていう感動が有るし、自分もこれくらいから始めようという気持ちになる。良本。


長男の大好きなSlime Rancherの鍵のキーホルダー。結構重たくてしっかりしてる。
これで開けられる錠の方を作って欲しいとの無茶振りが有った。


その他おまけ。
Annoying dogとGaster Blasterのシールが嬉しい。

インディーズゲーム好きみたいなアレだったら欲しくなるアイテムでいっぱいなのでオススメ。Cook serve deliciousのTシャツとかもあったらいいのになー。

2018年5月14日月曜日

電子の海底の決着、あるいは、10年前に投げた球にデッドボールを受けた話

その昔、今はもう懐かしいホームページ、みたいなものを作っていて、それが電子の海底というWeb小説のサイトでした。当時、私は小説家になりたくて、というより、おそらくはあまりに酷い労働環境でゴミの用に扱われていることが辛くて、自分が小説家になるという夢を抱いていました。

とはいえ、月の手取りが13万くらいで、残業代も出なければ、来る案件は大半炎上しているようなSIerで働いているのは辛くて、いつのまにか小説を書けなくなっていました。自分の書くものに、常にこれではいけない、これはつまらないというような強い批判精神みたいなものを持ちすぎたこともあるのかなと思います。それは上手くなりたいから、とにかく自分に厳しくあろうと思い続けた結果でしたが、そのうち小説を書くのは私にとって苦痛になりました。今も、月日の経った今ですら、小説を書きはじめようとすると手が止まります。
私は、仕事でも、日々の行動でも、絵を描いたりすることでさえ、とにかく滅法手が早く、止まることなどほぼ無く、それだけが殆ど自分の取り柄というべき人間なのですが、小説だけはビタッと手が止まります。
そんなわけで、電子の海底は閉鎖されました。直接的な原因がなにかあったのか、よく思い出せず、自分の持っている範囲での過去ログを探してみたりもしたのですが、小説はともかく日記は残っておらずわかりませんでした。ただ自分が覚えていないくらいなので、なんとなくそんなものはなかったような気がします。電子の海底は、たぶん、ふわっと終わったのではないかと思います。

それが約10年ほど前です。

私はその後、会社を辞めて職業訓練に通ったり、派遣社員になったり、また雇われたり、結婚したり、子供も二人生まれました。10年というのはそれくらいの時間です。私はもう自分が個人サイトでWeb小説を書いていたことなど、ほとんど綺麗サッパリ忘れて、その後ニコニコでちょこっとだけウケた技術部動画を上げたり、未だに多少のアクセスの有る艦隊くりっかーの作者である、というようことでネット上のアイデンティティの構築をしていたような気がします。変なことをしている技術者のおじさんというのが、自分の代表人格であるように感じていました。
現実の知り合いには、私が小説を書いていたことを知っている人は居ますし(というか妻もそれ以前からの付き合いなので私の書いたものは大半読んでますし)、自分が小説家志望のやせっぽちだったことは隠しようもない事実なのですが、10年の経過が私を小太りの技術者に上書きしていました。
覚えてはいても、その事実は今の自分と地続きではない。
もう誰も覚えてやしない。それは死んだのだ。と。
そんな感じがしていました。
すくなくとも、だいたい10年間はそんな感じだった。

10年を迎え、いきなり風向きが変わります。

今年の2月に、ツイッター上で私の小説を読んでいたという人に話しかけられるということが発生しました。WebArchiveから登録したまま放置していた他のサービスを経由して、私のツイッターアカウントを見つけたとのことで、私の書くものが大好きだと言ってくれました。私は大いにうろたえ、同時に喜びました。何がおこるかわからんもんだ、と思いました。そりゃ何人かは私の小説を読んでいた人も居るだろうけど、まさか10年もしてから声を掛けられることがあるとは。
これだけでも何年もの間、小説を書き続けた甲斐があった。
私はその出来事を、プライベートな日記帳に書き留めて、もうこんなこともなかろうと思いました。これで、あのブラック企業に勤めていたころの思い出も、これでハッピーエンドになったのだと思いました。
やったな、10年前の自分。君は小説家にはなれなかったけど、そこそこ幸福な技術者にはなれるし、10年経ってもまだ君の作品を覚えてくれている人もいるよ。
まったく身に余るくらいのラッキーとハッピー。これ以上望むべくもない。



しかし、おかしなことは立て続けに発生するものです。

それがこれ。



なんか、結構有名っぽい人にWebArchiveのたどり方まで含めて紹介されとるー。

自分の書いた小説を公開したり、動画で喋ったりする人間なので、基本的に自分のやったことを黒歴史と思ったりもしなければ、それを公開したりすることにもさほど抵抗はないんだけど、さすがに狼狽した。何が起こるかわからん。わからなすぎだろう。人生。

正直なところ、私は面白がっています。たとえば貴方が、若い頃の衝動に任せて中二病っぽいノートを書いて友達に見せていたとして、10年後の同窓会にそれを友達が持ってきていたらどうか。
それで馬鹿にされたら辛いだろうけど、面白くてずっと持ってたと言われたなら、恥ずかしいながらに、なんだか誇らしいような気持ちがするのではないでしょうか。それが、私の場合、インターネットを経由して、10年前には存在していなかったVTuberの放送の形になって戻ってきた。投げたボールが10年経ってめちゃめちゃ曲がって、ついでにドローンになって帰ってきたような感じ。それってなかなか面白いなと思ったのでこのエントリを書いてみました。
こうして書いたエントリが、またどこか、もしかしたら、まだどこかにいるかも知れない私の小説を覚えてくれている人に届けば、本当に嬉しいなと思います。そうなれば本当に愉快です。



小説を書いていてよかった。
私は人生の夢に破れたのだと思っていた。人生の10代の後半から、20代いっぱいくらいを無駄にしたと思っていた。自分のサイトに載せるだけの、どこに発表するでもない小説を書き散らすだけ書き散らして、そのうえ書けなくなってしまって、もっと上手くやれば小説家になれたかもしれないのに、そうならなかった。失敗したのだ。
しかし、それは無駄ではなかった。
この広い世界に、ほんの何人かでも、私の小説の読者がいて、10年過ぎても、まだ覚えてくれているのだ。そういうことを夢想したことはあっても、本当にそんなことがあるとは考えもしなかった。嬉しくて、嬉しくて、手が震える。私のすべての創作は報われたのだと思う。
ほんとうに、小説を書いていてよかった。

読んでいてくれて、好きでいてくれて、本当にありがとう。



P.S. 最終回あります

2018年5月3日木曜日

やる気を落とさないでものを作る

ものを作るのが趣味である。ただ、いつでも上手くやってこれたわけじゃない。特に大きなものを趣味で作るのはかなり厄介だ。というか、半年とか一年とかかかるサイズのプロジェクトを個人で最後までやり遂げたことがない。
(そもそもそのサイズのものをやろうとすることは殆どないけど)

仕事では、数年とかかかるような仕事でも途中で放棄するようなことはない。これは言うまでもないことだけど、金がもらえるし、締切があるし、自分だけでやってるわけじゃないからだ。翻って、趣味でやってることは金にならないし、締切がないし、自分だけでやっている。とはいえ、それをどうにかするのは難しい。

最近ふと思ったのが、自分が趣味で大きいものをやるときには、仕事では全く考えない要素を意識しなければならないのではないかということだ。つまり、自分のやる気を落とさないということだ。こう書くと当たり前な気がするけど、それは単純にやる気を出して頑張る、とかいう単純な精神論ではなくて、設計したり実装したりするときの検討事項の中に「それはやる気を無くさずに出来るか」ということまで考慮に入れるということだ。
これが出来ればやる気が出るから、先にやったほうがいいか、であるとか、設計的には無様になるが、やる気が無くなりそうな箇所を短縮できるからやってしまえ、とか、そういうことを、この設計は拡張性があるか、とか、この設計は負荷が増えても問題ないかとか、そういうことと同列に考える必要があるのかもしれない。

「たぶん拡張できないけど、拡張性確保できるまで作り込むとやる気失せそうだな」と。

もちろん設計とか実装を手抜きしたり、省略したりすると、あとで大変つらい目に遭う。これは長いこと物を作ってきて身に沁みて分かっていることではある。そのせいで、仕事ではやらないくらいに趣味ではちゃんとやろうとしているところがあり、そこがまたやる気を枯渇させる。しかし出来上がらないのは、あとで辛い目に遭うも何も遥かに最低最悪の状態だ。それに、趣味なんだから辛くなったら投げ出せば良い。

ほかにも、人に見せられるところを優先して作ったり、進捗が目に見える箇所を先にやっていくとか、そういうことで自分のやる気を保つことを常に意識しなければならない。思うに、自分は今までそういうことにあまりに無頓着だったのかもしれない。なにしろ私は全然やる気の無い人間なので、そのあたりをマネジメントしなければ全然出力が継続しない。

もちろん理想は無尽蔵にやる気が湧いてきて、めちゃめちゃバッキバキにこだわった全力の作品を作るということなのだろうけど、何とか作り上げることを至上命題としなければ、もはや自分には何も作れる気がしない。もう自分も自他ともに完全にオッサンと認める年齢を通り越そうとしているのだ。持ち時間は言うほど長くない。



やる気ボタン
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2018年5月2日水曜日

組立家具を組み立てるのが好きだ

子供の学校用のカバンとか教科書とか置く棚を作った。
オリジナルで作ったとかでなくて、単なる組立家具である。

考えると、自分の家ではそんなに親父が家具を組み立てていた覚えはない。おそらくうちでは組み立て済みの家具を買っていた。私は大半組み立て家具を買って、毎度毎度組み立てている。どこでもそうかとなんとなく思っていたが、そもそも自分の実家ですらそうでなかった。あれ、みんなそうでないのか?

組立家具は良い。なんせ安いし、その上組立まで楽しめる。巨大な組み立てられないようなレベルのものならともかく、可能な限りは組み立てたい。組立の家具と、そうでない家具があるなら、私は組立の家具を選ぶ。電動ドリルさえあれば、たいてい何の苦も無いし、ただの板が組み上がっていくのには愉悦があり、構造に感心もできる。

しかし再度考えてみると、amazonが無かった時代には、あまり組立家具も手に入りにくかったとかあるのかもしれない。両親がどこで家具を買っていたのかよくわからないが、デパートなんかにある何とか家具みたいな店で買っていたのであれば、組立家具をそこまで使っていないことにも合点がいく。それならばやはりみんな組立家具を作っているに違いない。うん。今はamazonがある。



電動ドリルがないとやや辛い箇所がある。

2018年4月29日日曜日

墜落日誌読んでる

寺島令子の墜落日誌が電子書籍化されていることに気づいて読んでる。
昔ログインに掲載されてたエッセイマンガで、物心つく頃にはもう読んでたような気がする。1989年から始まりパソコンやその周辺のオタク事情みたいなものに溢れていて、ただ懐かしい感じがする。小さなときの自分が何に興味を持っていたのかということが思い起こされて、うちのちびっ子たちにオーバーラップする。
うちの長男はSteamのFactorioというゲームが大好きだけど、小学校には話の合う子は多分居ないんじゃないだろうか。自分もそうだった。とはいえ、別にそれを誰かと共有できないということに不満を感じたことはなかった。それはログインみたいな雑誌の向こうに自分と同じ趣味の愉快な大人たちが居たおかげなのかもしれない。
ちなみにうちの子の場合、Youtubeに同好の士が一杯居るからそれを見ていればOKっぽい。時代である。



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2018年3月11日日曜日

Raspberry piでCLIのみでSonic piを動かすサンプルを改善した

前にSonic piをCLI単体でnodeから鳴らす超適当なサンプルを書きなぐった。で、もう二年ぐらい放置していたのだけど、気づいたら今年の1月に、あんたドキュメント英語で書きなはれや(意訳)、というイシューが立っていた。

あんた専門卒に無茶言いなや……(意訳)、という内なる声を感じつつ、そもそも二年も立っているのでバージョンがかなり上がってるだろうから動作するかわからんし、だいたいなぜ日本語で書きなぐったリポジトリに人来るねんと思って調べると、node sonic pi で検索すると先頭に表示されるというあまり有り難くない状態になっていることに気づいた。

こりゃ人来るわなあ、というわけで、ごくいい加減な英文の説明を1,2行書くのと同時に、ちゃんと動くようにあれこれ直した。というかサンプルのコードに関してはほぼ全部書き直した。

CLIでそのまま動かすコアの部分に関しては前回と変わらずで、とにかくGUIで動作してないと定義されないいくつかの環境変数を適切に拾って渡してやれば良いだけで、起動シェル内で実行している。バージョンが上がって変わったのが、これまでは第一引数にそのまま演奏するコードを渡せばよかったのが、すべてのメッセージで第一引数にgui idというものを渡せと要求してくるようになったことだ。とはいえ、こっちにはGUIなんて無いので、適当に文字列で数値を渡しておけば良い。

サンプルとしては、もうちょっと使いやすいように、node内でシェルを実行して、サーバーの起動を待って、終了時は正しくsonic piの関連プロセスを全部落とすようにした。シェルから実行するとsonic pi本体が孫プロセスになってしまい、強制終了時なんかに孫プロセスまで殺しきれないので残ってしまう。調べてみると、子プロセスを起動するときに{detach:true}で上げて親プロセスと完全に分離して起動して、process.exit(-子プロセスのpid)として子プロセスのプロセスグループ全体を落としてしまえば良いらしい。

そのあたり適当に対応して使えるようにした。
以前よりかなり安定して動くようになったので、割と使えるものになったのではないかなと思う。なにか思いついたら音が鳴るおもちゃみたいなものにしてみようかなと思う。

2018年2月25日日曜日

Premiere elementsからPremiere Proに乗り換えた

Premiere pro。
すごい使いやすい。
鬼早い。

使ってたのはPremiere elements12なのでもう5年前の製品ということもあって、もしかして今のelementsは早かったりするかもしれないし、正確な比較はしづらいのだけど、それでも驚くほどのサクサク感。
私のPCは古いとは言え、もともとゲーミングPCなのでそこそこのスペックとビデオカードなのだけど、ビデオ編集のときは遅いなーと感じることがよくあった。長いビデオを取り込んで、カーソルを動かすと一瞬止まり、コマ送りで見ていても遅れるときがあったり、ひとつひとつの動作ごとにヌッって遅れる。
これが遅いので、最近はCyberLinkのPowerDirector使ったりもしていたのだけど、そこまで違いはない。どのソフトも遅れるし、プレビューが遅れたり更新されなかったりみたいなことはある。

なので、これはスペックの問題なのだろうなと思っていた部分もあり、Premiere proは他のadobe製品も全部ついてくるとは言え、毎月5,000円も払わなきゃいけないし、機能とかエフェクトとか少ないだけで変わらないだろうと思っていた。
それが期間限定で初年度は月4,000円だというので、ものは試しと使ってみたら、驚きの軽さだった。

2時間近いゲームの録画を、マウスでベーっとドラッグしていっても全く遅れずにプレビューが更新されていくし、どこも遅れるところがない。むしろ今までなんで遅かったんだと思うくらい軽い。多分ビデオカードで処理させるとか、そういうことで圧倒的に早くなってるとかあるんじゃないかと思うのだけど、ともかく編集してて感じてたしんどさみたいなものが全くなくなった。
というわけで、お金は正直高いけど(とはいえ価値と比べると高いこともない気もするけど)、大変幸せです。思い切って良かったなという感じ。




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今のは早いとかあるかもしれない。

2018年2月13日火曜日

子供が口癖のようにバカバカ言うのを直す

別に他人がバカバカ言おうが、ウンコウンコ言おうが、ごく個人的にはどうでも良いのだけど、一応親父としてはガキが揉め事に巻き込まれそうな癖はなくしておくべきかと思ったりする。なんせ、うちのガキは言葉の端々にバカバカ言うモードに入るときがある。「いやだバカ」、「やったよバカ」、「いいよバカ」それを咎めるとちょっと変化する。「言ってないよバ」、「知らないよバ」、「バしか言ってないよバ」。

困ったもんである。ほっとけばいつか言わなくなるかもしれない。おとなになってもそんなこと言ってる奴ぁ殆どいない。しかしそれは叱られたからかもしれない。自分が叱らなくて良いという話にはならない。

説得は、それはそれは長いことかけてやってみた。毎日毎日、そういうこと言うもんじゃないと。別に誰に言ったわけじゃなくても近くに居るやつは全員自分に言われたと思うぜと。口が酸っぱくなるほど言った。自分にうんざりした。なんて説教臭いオッサンみたいなこと言うような大人になったのかと思った。それでも直らない。直るわきゃない。

ガキが真似したらどうすんだって、お前が話せよ、みたいなツイートがやたらRTされてた頃があったけど、実際にガキを育てた奴は、すくなくともうちみたいな可愛い悪ガキを育ててた親は、うるせーボケ死ねと思っただろう。俺は思った。俺は真似するからやめろとは思わないけど、そんなくだらない話をどんだけしたってガキが面白がってる悪いこと辞めるわけねーだろ。お前は辞めたのか。俺は辞めなかった。辞めるわけねーだろ。
私はたぶん、ものすごく反抗期も少なかったし、未だに親父を大変尊敬しているし、それでも全然辞めなかった。そういうこっちゃない。これは楽しいことvs退屈なガマンってことなんだ。明日から毎日甘いものとか酒とか全部やめてサラダだけ食って生きていけよって言われて、特に病気でもなんでもないのに、そりゃそうかって辞められるわけない。
そういう話なのだ。

強めに叱ることも、結構した。「誰が馬鹿なんだよ!」と怒鳴ってみた。効果なし。その瞬間しか効かない。それにこの方向はエスカレート以外に行先がない。どんどん声はでかくなり、子供はどんどんその刺激に慣れていき、そのうちぶん殴るしかなくなる。これは違う。バカって言ったくらいでそんなに怒る奴がどこに居る。そいつこそバカである。そんなバカにはなりたくない。そんなバカになるくらいなら子供がバカバカ言ってる方がマシである。

次にバカって言ったらしばらくゲームさせない、みたいなのも上手くいかない。同じくバカって言わなければご褒美がもらえるっていうのも上手くいかない。これらは一見うまくいきそうなのだけど、ゲームの設計的に言うと、現状のプレイ体験(日常生活)の中に報酬につながるものが見えてこないことに問題がある。退屈なトレーニングとか勉強でもそうなのだけど、報酬や罰まで遠すぎると人はそれを感覚的に認識できないからだ。
頭では分かっても、目の前の快楽を抑え込むのは難しい。子供は禁止されたバカバカ言うことを、タバコ吸うみたいなちょっとした快楽としてやっている。じゃあ禁止しなきゃ良いというのも、習慣化している状態ではもはや意味がない。それをガマンし続けたら何か良いことが有るとか、悪いことが有るとか、目の前の快楽の前では弱すぎる。

最終的に、やっと上手く行ったのは、「バカバカ言ったらその日はゲーム禁止(ということにしてるだけで実際の判定は非常に甘い)」+「父は全力でバカバカ言わせようとしてくる」という複合技だった。子供がバカバカ言うシチュエーションというのは結構決まっていて、例えば私が冗談を言ったり、自分が咎められたり(早く歯磨きしろとか)、したときで、そういうときになったら、いかにも(ほーらバカって言ってみろ)みたいなムカつく表情で耳に手を当てて「バ、バ?」とか言ってみる。

うちの子供はものすごく遊び好きで、こういうやりとりが大好きなので、私が誘いをかけると、試されてることに気づき、笑い転げながら意地でもバカと言わない。こうなればしめたもので、子供が勝手に(バカっていうもんか!)と決心を固めてくれるので、ものの半日くらいですっきり言わなくなった。

罰や報酬だけある状態と違うのは、条件を達成するために超えるべきハードルをわかりやすく父が繰り出してくるので、それを避けるというアクションを起こしやすいところにある。そしてそれを避けていると、そのうち言わない習慣ができる。というか言わない方が普通なので、その習慣は結構普通に出来る。アクションが楽しいゲームなら自然とレベル上がるよね、とかそういう感じの話である。

最近子供が、私と同じく、特に人の話って聞かなくても怒られる以外には問題ねえな、という姿勢を早くも身につけ始めているので、最低限必要なことくらいはなんとか工夫して教えておかないとなと思う次第。どうせ小学校も高学年になれば何しようが自分の好きなことしかしなくなる。自分がそうだったように。



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2018年1月31日水曜日

3Dプリンターでマーブルマシンが完成したという話



完成。

動画を見れば分かる通り、本当に行き当たりばったりにやったけど出来た。物を作るときに固定が難しいというのは毎度思うことなのだけど、PLAの場合アクリサンデーでほぼ完全な固定が手軽に出来るので、非常に雑に作ってもそこそこ壊れないものが出来る。

通常プラスチックの製品というのは、完全に計画されていてぴったり出来ているものだからか、貼り合わせて突貫工事っぽく作ったことで不思議な味となった。これはこれで良いんじゃないかと思うので、これからもこんな感じで行こう。



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2018年1月23日火曜日

3Dプリンターでごくいい加減にマーブルマシンを作っている



マーブルマシン階段部分まで。機構みたいなもんがちゃんと出力出来て動くっていうのは感動だった。ちゃんとした設計のようなものが出来るかというのが不安だったけど、特にちゃんと設計しなくても良いということが分かってきた。だいたいの寸法を計算したらなんとなくで作って、間違ってたら出力し直して良い。
木なんかでまともに物を作る場合、ちゃんとした計測と加工精度がそれなりに無いと手戻りが大きい。物を作るには技術と設計知識が必須であって、ちゃんとしたものを作るまではそれなりの修行と勉強が必要だった。
その点3Dプリンターは超適当で良い。
時間はかかるが、その間放置でいいので作業のだるさもない。
私は絵を書くときはごく適当に大まかな色だけ塗って、当初の予定というよりは、その場の出来に合わせて色を塗って細かい部分を描いていくのだけど、そんないい加減なやり方が、自分の3Dプリンターの使い方に似ている。アクリサンデー接着剤で雑かつ強固に接着できるようになってから、更にその傾向が強まった。
すごい、3Dプリンター最高じゃん、そう思いながらプラスチックの山を築いている。




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これあるほうが接着剤つけやすい。

2018年1月7日日曜日

古い電灯に寄生するリモコンLED電灯

うちの家は古いので、電灯の電源もよくあるやつじゃなくて、普通の電源みたいなものが露出して引っ張られてる。で、それに変換機っぽいものを挿して無理矢理普通のペンダントの電灯をつけてる。


それでもリモコン付きのLED使えないもんか、と思ってたら、既設のペンダントの電灯の豆電球から電源を取って無理矢理LED電灯にするってやつがあったので買ってみた。そうすると普通に動くし便利。ただ、設置する電灯が一本になってしまうので、片方が空で放置される格好になったりすることと、もとの蛍光灯に挿してたソケットがぶらんと放置されるのはみっともない。


そもそも、もうちょい調べると普通にペンダント型のリモコン付きLED電灯というものがあるので、それを使えば別に問題なかったと思った。とはいえ、値段は半分程度ではあるので、見た目に気にしなきゃこれでも良い。私は気にしない。眩しいし電気を直接みたりしないから。



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二本入ってるっぽいけど一本だけしか入ってない

2018年1月6日土曜日

3Dプリンターで試行錯誤する



3Dプリンター楽しい。
とりあえず超小規模なマーブルマシンをスクラッチで作成しようとしている。
そのために、クランクシャフトっぽいものを使った機構を作っている。

マーブルマシンを単純化すると、階段とすべり台的な機構があって、あとはその階段を登らせる仕組みがあると思う。上に玉を運ぶ仕組みというのはいろいろあるっぽいけど、簡単そうなのだと階段の段を上げる段と下げる段の組にして上に玉を運ぶというものがある。

これはYoutubeの動画で見た機構なのだけど、円盤の中心からずれた位置に穴を空けて、交互に180度ずつずらして通すことで、簡単にクランクシャフトっぽいものを作っていた。それをそのまま真似して、3Dプリンターで作ってみた。まだこれで押し上げる先の階段とか、その階段をどのように引っかからないように固定するかなど考えなければならないので課題は山積みっぽい。

新しいことを始めると自分が何も知らないことに気づくので大変楽しい。これまでプラスチックのおもちゃや組み立てキットみたいなものを数多作ってきたけど、その構造がどんな風になってたかということを考えたことが殆どなかった。パーツ同士の組み合わせはどうすれば良いのか、回転部の受け部分はどうすりゃいいのか、まったくわからないことばかりで、ただ、それをペコペコ試作して検討できるというのは大変楽しい。
プラスチック製品設計に関する本とか読んだ方が良いのかもしれないけど、別に量産するわけでもなし、試作は高速に出来るしで、適当にやっていくのが楽しいです。



小さい頃にこれに似た奴が家にあった。

2018年1月3日水曜日

キズパワーパッドへの信頼が半端ない

工作してると、どんくさい人間は生傷が絶えないもので、生傷が絶えないと落ち着きの無い人間はついついかさぶたとか剥がすもので、気づけば傷跡が残ってしまって、オッサンにもなるとあちこちボロボロとなる。
それを気にするほどの繊細さもなく、いてぇなぁと思いつつ、傷口が痛んだり、膿んだりすることは、やってく上でまあ仕方がないわなぁと感じていたけど、昨今ではキズパワーパッドが有るので多少の傷は怖くない。我が家ではキズパワーパッドへの信頼が高い。

子供の頃は絆創膏を貼ったりしていたけど、それでどうにかなった記憶がない。血が周りにつかないくらいの利点しか感じたことがない。すぐベロベロになって剥がれるし、適当にカバーしてると膿むし、こんなもん貼っててなんやねんと毎度思っていた。

キズパワーパッドを初めて使ったのは、長男が豪快にコケて、かなり激しく膝小僧を擦りむいたときで、これはずっと消えない傷跡みたいになるなあという感じの傷だった。私にも幾つかあるが、皮膚がへろへろになって残るアレである。
それがたまたま買ってみたキズパワーパッドを貼ったところ、見事に何の後も残らずに直った。それ以来、うちではキズパワーパッドがバリエーションごとに常備されている。

普通の絆創膏と比べると異常に高いし、怪我したすぐあとに洗うだけで貼ってそっとしておくとか、今までの絆創膏のような使い方ではないし、なんか体液でブヨブヨになったりするので毎回不安になる。けど必ず良い感じに治るし、なにより貼ると火傷なんかでも痛みが軽減されることもあって、とにかく貼っておけ的な感じである。
貼り付きがかなり強いので、作業し易いのも良い。
前述の通り小キズが多いので、もっと安ければ嬉しいなあと思うけど、手放せない。



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