男だけど、小柄で色白だったから男子校でずっと特別扱いされていた人生だった
中学から高校までずっと男子校。身長は学年の下位に収まり、色白の肌は教室の蛍光灯の下でいっそう目立った。最初は「かわいいね」「女装すれば似合いそう」と笑い話にされたが、いつのまにか本気で守られる対象になっていた。
体育館裏の倉庫でスポーツ用具を運ぼうとしたとき、重さに耐えかねて足を止めると、クラスメイトが次々に駆け寄って「俺が持つよ」とバッグを受け取ってくれた。三人がかりで荷物を運ばれるうち、自分で手を伸ばすことすら忘れそうになった。
修学旅行の山登りでは、急斜面で足を踏み外すたびに背後からしっかりと腕をつかまれた。「危ないから」と声をかけられて振り返ると、汗を拭った同級生の真剣な眼差しがあった。そのまま頂上まで手を離されず、到着すると大きな拍手が巻き起こった。照れくささの中に、あの手の温かさだけは今も胸に残っている。
文化祭の準備では、展示用パネルや長机を動かそうとするたびに「君は座ってていいよ」と声がかかり、先輩や友人たちがすべてを運んでくれた。掃除当番でもモップやバケツを持ち上げると、手を貸してくれる人がすぐ現れ、自分で動く機会はほとんどなかった。
卒業式の日、校庭を歩いているといつもの後輩たちが寄ってきてそっと肩を抱きよせてコサージュをつけてくれた。その瞬間、守られてきた実感とともに、守られる側に甘えていた自分を突きつけられた気がした。
社会人になった今、あの「助けられる日々」を思い返すと胸が締めつけられる。何度も手を差し伸べてもらった安心感と、その一方で自分で何もできない無力感が心に残った。誰かの助けを当然のように受け取る後ろめたさと、素直に受け止められなかった感謝の気持ちが絡み合う。
あのとき握られた手の温もりを胸に刻みながら、自分なりの歩幅で前へ進んでいく。自身の力で荷物を運び、誰にも頼らずに笑顔で歩ける日を、まだ探し続けている。それでも、ふと男性に守られたいという気持ちが胸をよぎる瞬間がある。電車のホームで風に吹かれながらドアを待つとき、雨に濡れた革靴の音を聞くとき、ふいに背後に誰かの大きな影を感じたくなる。強い腕にそっと肩を支えられ、安心感に包まれたいと思う自分がいる。
友人と街を歩いていると、ひときわ背の高い通行人が視界に入るたびに胸がざわつく。会話の合間に自分の肩に手を置いてもらえるだけで、心がほっとほどける。子どもの頃に抱いた甘え願望が、思いがけず大人になって返ってくるような心地がする。
深夜、ふとした孤独に襲われると、あの修学旅行の斜面で握られた手の温もりを思い出す。あのぬくもりが、今でもぼくを救ってくれるような錯覚に陥る。スマホ越しに届く「大丈夫?」という言葉にも、かつての記憶を重ね合わせてしまう。
だが同時に、自立を目指す自分との間に小さな亀裂が走る。守られる安心と、自分で立つ誇り。どちらを選ぶべきかはまだわからない。けれど、自分の中に芽生えたこの淡い願いを否定せず、そっと胸に抱いて歩いていこうと思う。あの頃と同じように、手を差し伸べてくれる誰かと出会える日まで。