2025-05-10

就労できた障害者もっと傲慢になっていい

就労できた障害者支援者にお礼を述べる。

でも本当は、「支援受けたのは最初だけで、あとはほとんど自力就労できました!」って言えるくらい 傲慢で不遜になったほうがいい。

一般の方はそのくらいの傲慢さや不遜さは持ってる。

ほぼ自力就労できたほうが、その先の人生はきっとうまくいく。 

雇用形態に関わらず、障害を持ったまま働けるのは立派で、ある種の偉業なのだ

障害を持っていても、生保一時的に頼っていたとしても、また働こうと相談する。すごいことだ。

一般の方が持っている障害者に対する認識は恐ろしいものだ。

其の上で本当に就労できる。すごいことだ。

支援者就労できた方にお礼を言われて、謙遜する態度を取っている。

でも本当は、その言葉自己肯定感をグングン得て、承認欲求も満たされている。

大した計画も立てず、収益のために名ばかりの支援実施して...ほとんど障害を持った方自身能力就職できたのに。

能力がない方だとB型作業所送り。支援がうまくいかなかったと落ち込む様子なんて微塵もない。

サービス利用者自己責任という態度が透けて見える。成功した事例との矛盾した態度。

障害者はどうやっても「困った人」として世間から見られてしまう。まだそれが変わるほど社会成熟できてない。

しか支援者がそんな価値観を持つことはとても不健全だ。

支援者は「困っている人」として常に障害者を様子見、助言、支援していかないといけない。

残念ながら本気で利用者のことを考えている支援員は少ないのかもしれない。特に就Bと移行は。

しかし本気で障害者のことを考える支援者がバックに付いた場合 大手でも匙を投げるような障害をお持ちの方でも就労できることがある。

稀に支援者に良い印象を持っていない医者認識すら変えてしまうこともある。結果によって落ち込むこともある。

そんな支援者は、心の底から就労を喜んで「あなたの力で立ち上がって 就職できたんだよ」と謙遜する。その言葉に嘘はない。

そこには喜びと安堵 そして就労者の先の人生に対する少しの心配があった。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん