http://anond.hatelabo.jp/20081117074409
コメントとか見てて。
なんか、こう。ヤだねそういうのも。自分が親を超えた存在であるかのような前提で、親の面倒を「見てあげる」っていう思考がヤだ。
事実そういう口ざまにはなるんだろうけどさ。俺はヤだ。自愛ってそういうもんじゃないと思ってる。親の介護ですらも「やらせて頂く」という立場にあるのが子供だと思う。親の方が偉い。どう考えても。親が死んで、自分もやることやって、死ぬ間際になったなら、それぐらいのうぬぼれはいいかなと思うけど。
散々食わせてもらったくせに親のことを未熟だとか子離れが出来ていないだとか、何それって気がする。
うまく言えないけど。そんなに俺は偉かったっけって感じで。エサだけもらって、そのエサのおかげで口が開けるのに「子離れが出来ていない」って、言いたくない。
気持ちはわかるけど、やっぱそうはいかないと思うよ。教師にいじめられる(愛の鞭と称して殴られる)ことだってあるし。
ただ、学校内の暴力が内々に処理されることが多いのは改善したほうがいいと思う。
確実に暴力を振るっているのが確認できたなら警察に通報して補導、もしくは逮捕してもうことがあってもいい。そうなれば実際人生を狂わすことになりうるし、そういう事例があることがわかれば抑止力にはなると思う。(個人的には、自分の経歴にキズをつける可能性を知っていていじめるやつは少数な気がする)
もちろん、「話してわかる」事例だってあるはずだから、一発で通報、ってなるのは問題だとは思うけど。
http://anond.hatelabo.jp/20081123233233を書いた動悸増田です
水を何杯か飲んだら治まった
増田に書き込む画面を開いた時に動悸がしたので書き込んじゃった
冷静に考えればググればよかったね
すまん
勿論様子を見てまたなるようなら症状書いた紙を持って病院に行くよ
(親にちょっといい音楽教育されて、あくまでも趣味でずっと携わってる程度でこう書くのもなんだが)
少なくとも俺の小中学校はそうだった
合唱コンクールだとか式典だとかでみんなで歌わなきゃいけないときにさ
さすがに増田のケースように手は出なかったけど
「もっと歌ええええええ!!!!!腹から声出すんだよコラァ!やる気あんのが!!!!」
って毎回誰かが怒鳴り散らしてたわ
音楽ってのは、なんのためにやるのかとかそういうモノじゃなくて
「なんか楽しくね?気持ちよくね?うまくなると余計そうじゃね?」
って気持ちで嗜むもんで、合唱とか合奏はその延長上でしかない
音楽の「お」の字も知らない生徒指導教諭とかが、
スポ根精神持ち出して怒鳴り散らしたって全く意味ないと思うんだ
「教育界の音楽界」っていうサル山の大将でしかないスポ根音楽教師もいっぱいいるし
日頃の音楽の授業の程度が低かったら行事でそうなるのも当たり前だよね
二、三点よく分からないんだが
・授業崩壊の中で「あんた」は何をしてたんだ? いわばクラス全体が荒れている中で、なぜその教師にそんな風な目の付けられ方を?
http://anond.hatelabo.jp/20081123114055
最初から教師を馬鹿にしてかかっており、話の通じる可能性が極端に低いようないわゆる不良生徒に、学校側の『本気』をわかってもらうのは、通常の話し合いでは困難。
結局、『手を出してでも俺らにかかわってくるくそむかつくウゼー熱血教師』が必要とされてしまう。
学校は世間と法が入り混じる場所。
世間的に対処しようとすると、どうしても何らか体罰(と定義される行為)を伴ってしまう場合があり、法的脆弱性を抱え込む。
(元増田の受けたいじめのような最低の行為に対して、『殴るぐらいに怒りを示す』ことが教育上有効であることは多い(殴ることが主目的ではないので人によって異なる)。というか「口でちょこちょこ文句言ってくるぐらいだからまだ平気平気wもっとやっちまえw」と受け取るような、体力ある男の先生の言うことしか聞かない連中多すぎ。)
法的に対処することはきわめて公平で脆弱性を持たないけれど、『冷たい』結果を呼び込んでしまうことも多く、難しい。
(問題行動を起こしてしまう生徒を、即、警察に放り投げるとか。ある意味、教育者としての敗北宣言だろう。それに、「誰も向き合ってくれないから問題行動を起こし」てしまうタイプの生徒に対して対応能力を持たない。)
馬鹿には分からない事というのは必ずある。
能力を超えた事というのは、どうあがいたって分からない。
赤外線や紫外線が見えない我々には、可視領域の異なる生物が世界をどんな風に「視て」いるか、分からない。「こんな風に見えています」と仮想化して(つまり『馬鹿でも分かる』状態にして)見せる写真とかあるけど、それは彼等が「視て」いる風景ではない。
複眼のある生物が世界をどんな風に「視て」いるか、我々には分からない。複眼に見える世界を表現しようと数百個くらいの小さい映像をぐるっと並べたような想像の写真とかあるけど、複眼なめんな。我々に「二つの映像」が見えているのではないように、彼らだって「数百個の映像」を視ているわけではないだろう。数百個の映像によって構成される「一つの世界」を認識しているだろう。でもその現実感覚を理解することは多分できない。
西尾維新風に云えば「ムカデにどうやって歩いているのか聞いても、アンタにそれは理解できないだろう?」。
だから「馬鹿でも分かる」という謳い文句は、大抵の場合馬鹿をひっかけるための宣伝文句で、嘘だ。百歩譲って嘘でなかった場合、それは本来馬鹿でも分かることであって、馬鹿でも分かるように言われなくても分かっておくべきだったことに過ぎない。つまり、馬鹿が分からないことを「馬鹿でも分かるようにする説明」など無い。
唯一例外に見えるものがあるとすれば、『ある種の聖典とか、偉大な哲学者による哲学書の類。天才が生み出した科学の新しいパラダイム』みたいなもの。確かにそれは、壮絶な天才たちが自分の思考を一般人に理解させるために書いた物だ。だがそれは厳密に言えば「読むことによって賢くなるようになる何か」であって、「馬鹿にも分かる説明」ではない。それらは「馬鹿に分からせている」のではなく「馬鹿でなくすることによって分からせている」に過ぎない。
つまり「馬鹿にも分かる説明」など、この世に無い。
それがやっと腑に落ちた。
なんとなく、面白いように使ってたけど、「これだから最近の若者は」なんて事を自分が言っていたかと思うとメチャ恥ずかしい。下向いてしまうwww
それ、オレもたまにある。どうしていいのかはわからない。すまん。
ちょっとやさしくしてやれば女なんて喜んでまた開くよ
メリットっていうか誰かと一緒にいたい時に居てくれるってだけでいいやん
それて素敵やん
俺、いじめてた経験あるけど、先生が真剣に叱り付けてくれたおかげでいじめやめたよ。
体罰なしに。
そして、いじめてた奴に謝った。自分のしてたことの酷さに気付いたから。
一緒にいじめてた奴もそいつに謝った。
そいつは不登校気味になってたけど、その後は学校に来れるようになった。
普通にそいつと会話できるようにもなった。
クラスの雰囲気もよくなったな。
中途半端な奴を精神的体罰で退学まで追い込むってのがあったよ。
被害者は俺。
加害者は授業崩壊を引き起こしたが注意するべきところが分からずどうしようもなくなってフラストレーションが溜まっていた教師。