高山善廣
高山堂
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2001年、PRIDE参戦を機に再びフリーランスとなり、個人事務所「高山堂」を立ち上げる。フリーとしての高山は、継続参戦するノアを中心に、新日本プロレスやその他団体、PRIDEなど総合格闘技にも参戦した。 6月23日のPRIDE.21で、ドン・フライとお互いが相手の首に手をかけて避けずに殴り合う壮絶な戦いを繰り広げ、顔が変形するほどの凄惨な試合となり、最後は上からのマウントパンチの連打を喰らいTKO負け。格闘技ファンにも知られるようになった。この後ギャラが大幅にアップしたという。本来、フライの対戦相手はマーク・コールマンだったが負傷欠場し、高山へのオファーは試合の10日前という緊急参戦であった。 同じ頃、浅子の怪我による引退や大森との喧嘩別れもあって、NO FEARを解散。以後、同ユニットの合言葉だった「いくぞ、ノーフィアー」を、解散後も高山が使用したため彼の代名詞となる。また、NO FEARとしての入場テーマ曲だった「DESTRUCTIVE POWER」も、高山が引き続き使用した。 2002年9月7日、小川良成を破りGHCヘビー級王座を奪取。高山自身初のシングルタイトルとなった。 新日本プロレスにおいて、2003年にIWGPヘビー級王座(永年空位だったNWFの二冠を制覇した時期もしばらくあった)を獲得。その後鈴木みのると「外敵タッグ」を結成。鈴木とのタッグチームは2008年の健介オフィスでの秋山準・佐々木健介組に敗れるまで無敗であった(試合は健介が高山をピンフォール)。 2004年2月1日、北海道立総合体育センターで鈴木と組み、天山広吉・西村修組からIWGPタッグ王座を奪取する。3大メジャー団体のタッグ王座を制覇したのは、ベイダーに続き2人目。 6月、ハッスル・ハウスにて高田総統から「恐れを知らないモンスター」として紹介され、会場に姿を見せた。この興行の前のハッスル3では「高田延彦の遺伝子を継ぐ男」として紹介されている。 8月8日、G1 CLIMAX・大阪府立体育会館での佐々木健介戦後、脳梗塞(当初の発表は脳血栓)で倒れ長期戦線離脱となった。 リハビリやタレント活動を経て、2006年7月16日、ノア日本武道館大会で復帰戦。佐々木健介と組んで、三沢光晴・秋山準組と対戦し、秋山のリストクラッチ式エクスプロイダーに敗れた。 10月8日の新日本両国国技館大会では鈴木みのるとタッグを組み、永田裕志・山本尚史組と対戦。 2006年12月26日、ハッスル・ハウスに、鈴木みのると組み電撃参戦。12月27日ZERO1-MAXに登場し、かつての盟友・大森を襲撃。 2007年12月2日、ノア日本武道館大会で小橋建太と初タッグを結成し、三沢・秋山組と対戦。この日は腎臓癌摘出手術によって長期欠場していた小橋の復帰戦で、2006年の自身の復帰戦で予定されていたカードであった。 2008年10月、プロレス・エキスポ初日に参戦。ドン・フライと初タッグを結成した。翌日はノア日本武道館大会に参戦。 2009年3月14日、全日本両国国技館大会でグレート・ムタから三冠ヘビー級王座を奪取し、日本国内3大メジャー団体(新日本・全日本・ノア)のヘビー級シングル&タッグタイトルを制覇した(メジャー完全制覇)。 2010年1月4日、6年前に対戦した中邑真輔のIWGPヘビー級王座に挑戦し、ボマイェで敗れた。バックステージではすっきりした顔で「本当にスゲェチャンピオンになったんだな」と中邑を讃えた。 7月10日、GHCヘビー級王者の杉浦貴のGHCベルトに挑戦、頭から血を出しながら奮戦するもオリンピック予選スラムで轟沈する。 9月18日、佐野巧真とタッグを組み、バイソン・スミス・齋藤彰俊組のGHCタッグチャンピオン王座に挑戦し、ベルト奪取に成功する。 12月23日、かつて小物扱いしていた岡田かずちかに襲撃を受け、翌1月4日の東京ドームでの対戦表明を受けた。 2011年1月4日、杉浦とタッグを組んで岡田・後藤洋央紀組と対戦。エベレストジャーマンで岡田からフォールを奪った。 6月18日、新日本のBAD INTENTIONSを相手として、IWGPタッグ・GHCタッグを賭けたダブルタイトル戦に敗れ、GHC王座から陥落した。 6月26日、試合中にパートナーの佐野を裏切り、NO MERCY加入を表明。7月10日の有明コロシアム大会から、黒を基調としたロングタイツと黒いグローブの新しいリングコスチュームを変更した。 8月、脳梗塞の途中リタイアしてから7年振りに新日本のG1クライマックスに出場したが決勝進出は果たせなかった。因みにブロック予選で虫取り少年の姿で現れたヒデオ・サイトーに試合開始前に虫取り網で頭をズッポリと被されるという珍事が起きている(直後に怒りを露にして虫取り網をへし折った)。この珍事に対して高山はバックステージインタビューで「変質者に襲われた感じ、通り魔だよ、恐ろしいね」と述べた。 10月10日、「鈴木軍」の頭領・鈴木みのると、G1で邂逅を果たしたかつてのパートナー・真壁刀義による、シングルマッチを観客席で見守る。試合終了後、鈴木に敗れた真壁をエベレストジャーマンで襲撃、バックステージで鈴木と握手を交わし鈴木軍のサポートメンバーになる。 同月31日、NOAHのリングで2度目のGHCタッグ防衛に成功したBAD INTENTIONSにNO MERCYのKENTAと共に挑戦表明をする。 11月上旬、都内に焼き鳥料飯店「胃袋掴味-ストマックホールド-」を開店。 2012年1月4日の新日本東京ドーム大会にて、新日本のリングで因縁が深まっていた真壁刀義とシングルで激突。真壁のスパイダージャーマンで危険な角度から落とされた後、キングコングニードロップでフォール負けする。 2月12日、「鈴木軍」のメンバーとして新日本正規軍(真壁、永田裕志、井上亘、KUSHIDA、タイガーマスク)を相手に5人タッグイリミネーションマッチを行い、快勝する。 6月3日、ノア名古屋国際会議場大会で右肩鎖関節脱臼し、6月30日にノア後楽園ホール大会で予定されていた「髙山善廣デビュー20周年記念試合」は中止となった。 2013年7月「胃袋掴味-ストマックホールド-」を閉店し、「胃袋掴味-ストマックホールド-」のランチメニューで出していたラーメンをメインとした店「鶏湯ラーメン ばふ。」を武蔵小金井に開店した(2016年3月に「店舗改装のため」として閉店し、その後営業再開に至っていない)。 2015年3月28日、ノアで猛威を振るい暴走する鈴木軍に判批し、盟友であった鈴木みのるに張り手をかまし決別、ノアとの共闘を宣言した。 2015年7月19日、ノア旗揚げ15周年記念後楽園ホール大会に出場し、鈴木みのるの持つGHCヘビー級王座に挑戦。鈴木のパイプ椅子攻撃で大流血し、鈴木軍の乱入もあって敗戦した。試合終了後には、試合内容に納得しない観客からリングにゴミが投げ入れられるなど異様な空間となった。 2016年8月、DDTプロレスリングへの定期参戦が発表される。 2017年5月4日、試合中に負傷し、以降、長期欠場中である(#後述)。 頸髄完全損傷ではあるが、高山自身 奇跡の復活を願ってリハビリに励んでいる。
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