二冠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 09:17 UTC 版)
皐月賞は、増沢が継続して騎乗予定であったが、サクラオーセイを選んだために乗り替わりとなった。厩舎業務を代行した所属調教助手である藤沢和雄は、カツトップエースの代わりの鞍上探しに苦労しており、出走10日前まで未定であった。しかし、競馬ブック所属のトラックマンである住吉彰造の取り計らいにより、それまで菊池厩舎ではコネクションがなかった美浦トレーニングセンター柴田寛厩舎所属の大崎昭一を紹介し、大崎の起用が決定した。大崎は元々サクラオーセイ騎乗が内定しており、増沢の選択により皐月賞は空いていた。大崎の妻によれば、大崎はサクラオーセイの内定取り消しに「がっかりしていました」とし、カツトップエース騎乗が決定した際には「主人は"そういえば、そんな馬、いたなあ"と。しぶしぶ引き受けたんです」と証言している。ただ、大崎は追い切り騎乗後に、藤沢や妻に対して状態を高く評価していた。 4月12日の皐月賞には17頭が揃い、単勝オッズはブービーとなる16番人気、最内枠から発走した。ハナを奪い逃げる形となり、前半の1000メートルを62秒1のスローペースを刻んだ。最終コーナーで後方が詰め寄ってきたが先頭は守り、直線で追い上げてきたロングミラーをクビ差振り切った。自身初の重賞勝利が皐月賞となり、大崎は皐月賞初優勝、菊池は厩舎開業31年目で初のクラシック制覇となった。大崎は「まさか勝てるとは...。ただ絶好の1枠だったので捨て身で逃げただけ。有力馬がけん制し合ったんで走れたんじゃないの」と振り返っている。単勝式6920円、枠番連勝複式6650円であり、ともに皐月賞史上2番目の高配当であった。続いて、東京優駿のトライアル競走であるNHK杯に、皐月賞優勝直後にもかかわらず5番人気で出走。皐月賞を出走取消したサンエイソロンに敗れて2着となった。 5月31日の東京優駿(日本ダービー)には27頭が揃い、単勝オッズは3番人気、1枠3番から発走した。生産地の様似町ではダービーを応援するために人流が途絶えていたという。逃げ馬を前に置く2番手集団につけ、最終コーナーで他の馬が外に膨れた隙を突き、最も内側から抜け出した。後方外からサンエイソロンが追い上げて、残り50メートルほどで2頭で並び、決勝線を馬体を併せて通過。写真判定を経てカツトップエースのハナ差、20センチメートル先着が認定され、カブラヤオー以来となるクラシック二冠を達成した。大崎は1969年のダイシンボルガード以来2度目のダービー制覇となった。
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