要塞群
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ニセコ要塞 総司令官 弾田馨二将 要塞総司令部 チセヌプリ 稜線砲兵連隊長 岳村三佐 稜線砲台群 雷電山・岩内岳・目国内岳・前目国内岳・白樺山・シャクナゲ岳・チセヌプリ・ニトヌプリ・ニセコアンヌプリ・ワイスホルン 戦術核ミサイル MGM-52C・パーシングⅡ 傘下部隊 羊蹄伴衛要塞・ニセコ要塞航空団・岩内魚雷艇軍団 ニセコアンヌプリ火山群に造られた、総面積約500平方キロメートルの一大山岳地下要塞。北海道島西部防衛の要であり、すべての補給が停止しても3年間は篭城できるようになっている。核戦争を睨み、対核要塞として設計されている。 羊蹄伴衛要塞 レーダーサイト基地司令官 嶺島一佐 OTHレーダーを装備したレーダーサイトがあり、ニセコ要塞の目となっている。 雄冬要塞 総司令官 木村数男准将 要塞総司令部 雨竜沼 スミノフ軍の北方からの侵攻と、石狩平野上陸を阻止する任を帯びた鉄壁の不落要塞。留萌方面の敵に対して圧力をかけ、敵航空機の超大規模爆撃にも耐えるも、数機のバックファイアによる、核遺物の投下により、壊滅した。 積丹要塞 雄冬要塞と共に石狩平野上陸阻止の任を帯びた要塞。 駒ヶ岳要塞
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要塞群
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十和田要塞 司令部 蔦温泉 司令官 弾田馨一将→ロバート・ノイマン三将 傘下部隊 岩部岳要塞・恵山要塞・函館要塞・下北要塞・津軽要塞・白神要塞 八甲田山に造られた一大山岳要塞。イワン砲の大規模砲撃と空襲により放棄されるも、スミノフの数少ない電子技術者を道連れに自爆した。 岩部岳要塞 司令官 堀内狛雄一佐 恵山要塞 函館要塞 司令官 山下左田武三佐 津軽海峡防衛の任を負った要塞であり、山腹にはトンネルで連結された砲台が多数設置されている。要塞員は全員が砲兵である。 下北(恐山山地)要塞 司令官 干場久秋一佐 イワン砲によって施設の大半が壊滅、孤立したのち作戦「死霊」によって敵に大打撃を与える。脱出に成功した要塞員は200名以下。 津軽要塞 司令部 四ッ滝山 司令官 安倍国年三将 七里長浜への敵上陸を阻止するため、地対艦ミサイルにて上陸軍の洋上撃破を任を負う要塞。作戦「海蛇」によってスミノフ軍に包囲され落城するも、要塞員六百余名が脱出に成功 白神要塞 司令部 嶽温泉 司令官 川端森邦二将 OTHレーダーを擁す要塞。 八幡平要塞 ニセコ要塞 司令官 チャールズ・クロス三将(総本部直轄) 傘下部隊 羊蹄伴衛要塞・駒ヶ岳要塞 前作から引き続き北海道島防衛の要として登場。今作では、戦場の核汚染が予想されるため、要塞員は全員AD組になっている。後に神々の取引により開城されることになる。 羊蹄伴衛要塞 ニセコ要塞の目としてレーダーサイトが置かれていたが、イワン砲6基1,400発の命中弾を受け壊滅。 駒ヶ岳要塞 司令官 菊下寛一佐 レーダーサイトを擁し、道南部の監視の任を負う要塞。イワン砲四百発の命中弾を受け壊滅、要塞員三百名も全員戦死する。 海峡要塞(一~五号) 武装 ファランクス (火器)・対空レーザー砲 防潜網・SOSUS・イージスシステム装備 青函トンネル防衛のため、荒巻技術一将が製作した奇想要塞。低コストをはかるために元は廃棄するはずだった青函連絡船を改造しており、外装も塗装などが剥げた状態になっている。船体の周囲には、発泡スチロールの一種でできたブイが張り出され、魚雷が命中しても突き刺さるだけになっている。艦橋は多層鋼板やハニカム構造などの併用によって、完全防護されている。機関は取り外されているが、核発電室があり、自動制御装置と推進器を使い位置をコントロールできる。 一号海峡要塞(旧名十和田丸) 艦長 大山武四郎海軍二尉
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要塞群
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「カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群」の記事における「要塞群」の解説
16世紀から18世紀に要塞を手がけたのはバウティスタ・アントネッリをはじめ、フアン・デ・エレラ・イ・ソトマヨル (Juan de Herrera y Sotomayor)、アントニオ・デ・アレバロ (Antonio de Arévalo)、イグナシオ・サラ (Ignacio Sala)、フアン・バウティスタ・マッケバン (Juan Bautista MacEvan) など、いずれもその時代の著名な軍事施設の建築家たちだった。 最初の防衛施設は16世紀末に建設が始まった城壁で、旧市街を取り囲むように建設された。この防壁は時代ごとの補修・増築が行われ、1735年に現在の姿になった。その高さは12m、厚さは17m、長さは4kmで、聖人の名を冠した稜堡が多く作られた。この城壁には市民が避難することを想定して、地下通路なども設けられていた。 旧市街の城壁 城壁の塔 城壁の砲台 城壁の牢獄跡 さらに、湾や潟湖の入り口ごとに堅牢な要塞が築かれていった。その要塞は、サン・ルイス、サン・ホセ、サン・フェルナンド、サンタ・バルバラ、サンタ・クルス、サン・フアン・デ・マンサニージョ、サン・セバスティアン・デ・パステジーロなど数多くあるが、その防衛機能の中心を担ったのが、1657年完成のサン・フェリペ要塞である。これは「南米大陸におけるスペイン工兵技術の傑作」とも評されている堅牢な要塞で、1741年にブラス・デ・レソ(英語版)率いる守備隊がイギリス海軍の攻囲を凌いだ時にも重要な役割を果たした。サン・フェリペ要塞前には隻眼・隻腕となり、さらに片足まで失って奮闘したレソの活躍をたたえ、彼の像が立てられている。 海から眺めたサン・フェリペ要塞 サン・フェリペ要塞とブラス・デ・レソ像 サン・フェリペ要塞の砲台 サン・フェリペ要塞の通路 サン・フェルナンド要塞
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要塞群
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「ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群」の記事における「要塞群」の解説
世界遺産に登録されているのは、以下の11件である。 セントラル州 喜望要塞 (ID34-001 : Fort Good Hope / Fort Goedehoop, Senya Beraku) - 1667年建造 ペイシエンス要塞 (ID34-003 : Fort Patience / Fort Leysaemhyt, Apam) - 1696年から1702年の建造 アムステルダム要塞 (ID34-004 : Fort Amsterdam, Abandze) - 1631年建造。現在の名称は1665年にイギリス人からオランダ人が奪取した際に付けられたもので、ニューアムステルダムがニューヨークとなったことの意趣返しの要素があった。 ケープ・コースト城 (ID34-002 : Cape Coast Castle, Cape Coast) - 1630年建造 セント・ジャゴ要塞 (ID34-005 : Fort St. Jago / Fort Conraadsburg, Elmina) - 1555年建造 エルミナ城 (ID34-011 : en:Elmina Castle / St. George’s Castle / Fort St. Jorge, Elmina) - 1482年建造。もとはポルトガル人が建造したものであり、ガーナ沿岸部の要塞群のなかで最古を誇る。 イングリッシュ要塞 (ID34-009 : English Fort / Fort Vrendenburg, Komenda) - 1663年建造 ウェスタン州 サン・セバスティアン要塞 (ID34-007 : Fort San Sebastian, Shama) - 1652年建造 バテンシュタイン要塞 (ID34-006 : Fort Batenstein, Butri) - 1656年建造 メタル・クロス要塞 (ID34-008 : Fort Metal Cross, Dixcove) - 1693年建造 セント・アントニー要塞 (ID34-010 : Fort Saint Antony, Axim) - 1502年建造。現在は郵便局として使われている。
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