被告人Aについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 09:16 UTC 版)
「千日デパートビル火災事件」の記事における「被告人Aについて」の解説
(1)同被告人の各注意義務の履行可能性(防火区画シャッター閉鎖について) (要旨)被告人Aの防火区画シャッター閉鎖義務に関して、各注意義務の履行可能性と結果回避の可能性を検討した大阪高裁は「閉店後の防火区画シャッター閉鎖は、実行方針を立てさえすれば可能だった」とした。保安係員に同シャッターを閉鎖させることについて大阪高裁は「降下(閉鎖)は自重により自動で下がるので作業は容易であり、シャッターラインを確保できさえすれば、テナントの協力を得て難なく実行できた。上昇(開放)は手動巻き上げ式なので、ある程度の労力と時間を要するが、7時30分に4回目の館内巡回が終ったあと、3名の保安係員で手分けして巻き上げれば9時30分の交代時間までに巻き上げ作業を完了することは可能であった」とした。 また大阪高裁は防火区画シャッター閉鎖の実現の他の方策および体制づくり、テナントの協力についても検討を加え「他の方策としてテナントの協力を得ることでも実現は可能であった。各テナントは商品の安全性に係わることであるから、デパート側から防火区画シャッター閉鎖の協力を要請されれば、覚書や条項とは関係なしに現状のままで応じたとしている(ニチイの見解)。実際にデパート店長も『消防当局から防火区画シャッターの夜間閉鎖を指導、申し入れされていて、その必要性が現にあるのであれば、会社としては消防当局と相談して防火区画シャッター閉鎖を検討したと思う』と答えており、被告人Aが積極的に上司へ同シャッター閉鎖の具体策を検討して進言や具申をしていれば、容易に実現できたと考えられる」とした。 (1ーア)千日デパート閉店後に防火区画シャッターを閉鎖すべき注意義務の履行可能性 千日デパート閉店後に防火区画シャッターを閉鎖することについては、被告人Aが消防当局から指示指導を受けているのであり、同被告人が上司に上申するなどしてデパート管理部において、その実行方針を立てさえすれば、実現が可能であったと認められる。 —大阪高等裁判所第7刑事部、判例時報1988(1262) (1ーイ)宿直保安係員による防火区画シャッターの開閉作業 1階から4階までの売場内に設置されている防火区画シャッターは、手動巻き上げ式で合計57枚あるが、閉鎖についてはボタンを押すことでシャッターの自重により降下するので、容易に閉鎖できる構造である。したがってテナントの協力でシャッターラインの確保さえできていれば、閉店時の巡回に保安係員が閉鎖するのは容易である。また被告人Aらデパート管理部が防災上の重要性をテナント側に説明し、防火区画シャッター閉鎖についてテナントの協力を求めていれば、難なく実行できたと考えられる。しかしながら巻き上げ(開放)については、開閉装置にハンドルを差し込み、手で回して巻き上げねばならないので、ある程度の時間と労力を必要とする。1枚あたりの巻き上げ時間は移動も含めて3分程度であり、当直の保安係員5名のうちの3名(巡回要員)が1階から4階までの防火区画シャッターを1人あたり19枚巻き上げるとすれば、所要時間は1時間程度である。5時30分から7時30分までおこなわれる4回目の館内巡回が終了したあと、3名の保安係員で手分けして同シャッターを巻き上げれば、交代時間(午前9時30分)までに作業を完了し得るものと考えられる。 —大阪高等裁判所第7刑事部、判例時報1988(1262) (1ーウ)防火区画シャッターの開閉作業についてのその他の方策 被告人Aが上司(千日デパート店長)に防火区画シャッター閉鎖の必要性を進言していたなら、上司はこれに対応した体制づくりを実行したと考えられる。ニチイや各テナントに対し、消防当局から「福田屋百貨店火災」や田畑百貨店火災の教訓に鑑みて閉店時の防火区画シャッター閉鎖について指導され、早急にシャッター閉鎖の実行を迫られている事情を説明して協力を求めたならば、テナントとしても商品などの安全性にかかわる事柄であるから、防火区画シャッター閉鎖の協力は得られたと推認できる。 —大阪高等裁判所第7刑事部、判例時報1988(1262) (1ーエ)上司に進言しての体制づくり 被告人Aの上司(デパート店長)は「もし同被告人から消防署による指導や申し入れが正式にあったと聞いていれば、会社としては消防当局と相談しながら、前向きに閉店後の防火区画シャッター開閉を検討することになったと思う」と供述しており、同被告人が防火管理者として防火区画シャッター開閉の重要性を認識し、それを実行するための具体的な方策を検討して上司に具申していたならば、テナントとの作業分担についての話し合いもできたので、比較的容易に実現できたと考えられる。 日本ドリーム観光は、保安管理体制の強化に関して消極的であったというわけではなく、過去には消防当局からの指導に対しては、誠実にそれを履行していた向きも認められる。 例えば・・・ 1966年(昭和41年)ころに消防署からシャッターラインの確保を指導された際には、それに従ったこと。 1969年(昭和44年)ころに消防署からの指導で非常口への誘導灯の増設がおこなわれたこと。 本件火災の前年(1971年)に消防署の指導で6階以下の階に非常放送設備を設置したこと。 ・・・の各事実である。 以上のことから、被告人Aが防火管理者として職務を誠実に実行し、上司に対して必要な進言をしていれば、同ビルの管理権原者である千日デパート店長としても、防火区画シャッターの夜間閉鎖の必要性を認識し、理解したうえで、これに対応した体制づくりを実行したであろうと推認できる。 —大阪高等裁判所第7刑事部、判例時報1988(1262) (1ーオ)テナントの協力 各テナントの協力で夜間の防火区画シャッターを閉鎖することは可能であった。千日デパートビルの3階と4階を賃借していたニチイ千日前店店長の証言によると、「もしデパート管理部から閉店後の防火区画シャッターの閉鎖を消防当局からの指導があったので閉鎖してもらいたい、との要請があった場合、保安係員だけでは手が足りないのであれば、覚書の条項とは関係なしに当面は現状のままで協力しただろう」と述べているので、ニチイの協力を得られたのは明らかである。ニチイ千日前店には、男子店員が毎日約60名出勤していたことが認められ、3階と4階の防火区画シャッターは合計19枚であり、1人が1枚開閉するとして、交代で開閉すれば1人につき3日に1回開閉すればよいのであり、格別の負担とはならない。これが実現したとすれば、保安係員が開閉する防火区画シャッターは1階と2階の合計38枚となり、開閉作業はかなり軽減されることになり、極めて容易なものとなる。 ニチイ以外のテナントの協力を求めることについては、1966年(昭和41年)ころの消防署の指導でシャッターラインの確保が一時的に実現している。その後に同シャッターの閉鎖は徐々に行われなくなり、シャッターラインに商品台などが置かれ、本件火災では同シャッターを閉鎖しようとしても完全に閉鎖できないものもあった。だが、それらは容易に移動させることが可能な状態にあり、デパート管理部が毎日防火区画シャッターを閉鎖する体制を整えておけば、シャッターラインの確保はできた。さらにはテナント組合の組合長は、デパート管理部に対して防火区画シャッターを毎日閉鎖するよう申し入れをおこなっていたことがあり、テナント側としても防火管理に強い関心を持っていたことが認められる。1階と2階の店舗において、防火区画シャッターが掛かる店舗は、1階が16店舗、2階が14店舗であり、シャッター内部の店舗まで含めると1階が22店舗、2階が17店舗なので、各店舗に1枚か2枚の巻き上げを分担してもらえば足りるので、1階から2階においても防火区画シャッターを巻き上げる作業をおこなう体制を実現し得たと考えられる。 —大阪高等裁判所第7刑事部、判例時報1988(1262) 被告人Aのデパート閉店後に防火区画シャッターを閉鎖すべき注意義務の履行可能性について、大阪高裁は以下のとおり判断した。 まとめ 以上のことから、被告人Aが福田屋百貨店火災および田畑百貨店火災の教訓によって消防当局から閉店後の防火区画シャッター閉鎖の指導を受け、早急にその実行を迫られている旨を各テナントに告げて協力を求めたのであれば、商品の安全確保に関わることであるから、各テナントの協力を容易に得られたであろうと推認され、右協力を得るのに特段の支障があったとは考えられない。 — 大阪高等裁判所第7刑事部、判例時報1988(1262) (2)原判決の説示に対する判断(防火区画シャッター閉鎖の実現性) (要旨)被告人Aの防火区画シャッター閉鎖の実現性について、原判決の説示または判断では「防火区画シャッター閉鎖について、保安係員の人員の関係や労力の問題、閉鎖の体制づくりの困難さ、テナントの非協力的な態度などの理由から、その実現性はなかった」としていたが、大阪高裁の判断では「原判決の説示および判断は推測や誤認によるものであり、いずれも失当である」として、それらの説示をことごとく否定した。 また防火区画シャッターの巻き上げについて被告弁護人が「保安係員を防火区画シャッターの巻き上げ作業という重労働に従事させることになれば、労基法の労働時間制限法規の適用除外を受けられなくなり、千日デパートの保安体制を改めざるを得ず、社会的にも不可能だ」と所論を述べたことに対して大阪高裁は「各シャッター閉鎖は保安係員の担当職務であり、大阪市内の各百貨店では手動式の時代でも保安係員が毎日開閉していた。以上の点から防火区画シャッター巻き上げが労働時間制限法規の適用除外を受けられなくなるとは断定できず、被告人Aが労基署にシャッター巻き上げの適用除外を申請した事実もないのに仮定論で反論するのは不当であり、所論は到底採用できない」として退けた。 (2ーア)防火区画シャッター閉鎖について 原判決では「防火区画シャッターを巻き上げるには、1枚につき3分から5分は掛かるのであり、3名の保安係員で1階から4階までの合計57枚を1人あたり19枚巻き上げたとすると、1時間35分を要するので、時間の掛かる作業を毎日少数の保安係員で行うことが実現可能であったかは極めて疑わしいと言わざるを得ない」と説示したが、1枚当たりの巻き上げ時間は、被告人Aや原審証人の推測に過ぎず、実測や実験に基づくものではないので原判断は失当である。 原判決では「防火区画シャッターの巻き上げ作業は、その体制を整えない限り実現不可能である」とし、体制づくりの方法や可能性を論述し、「いずれの方法も履行の可能性が無い」旨説示し、さらには「被告人Aが防火区画シャッターの閉鎖の重要性を上司に進言したとしても実現可能であったとは認められない」としているが、同被告人が上司に必要な進言をしたのであれば、それに対応した体制づくりを行ったであろうことは前記(1ーウ、1ーエ)のとおり推認できる。防火区画シャッターの夜間閉鎖が実現しなかったのは、同被告人が上司にそのことを進言しなかったからであり、原判決の右判断は失当である。 原判決では「防火区画シャッターの巻き上げ作業を実行する保安係員の増員は困難である」との理由に「日本ドリーム観光においては、保安係員を減員していて保安管理体制強化に消極的だった」と説示したが、保安係員が減員になったのは、1967年(昭和42年)に千日デパートの営業方式が納入業者制から賃貸契約制に変更されたからであり、従来の保安係員の半数が必要なくなったからである。本件火災当時、保安係員が減員された事実はなく、保安係員の増減が問題になったこともなかった。また日本ドリーム観光が保安管理体制強化に消極的だったという根拠はないので、右判断は失当である。 原判決は防火区画シャッターの夜間閉鎖について「各テナントの協力を得るのは困難である」とした。またニチイについて「ニチイの売場で毎日のように防火区画シャッターを夜間に閉鎖するには、ニチイ従業員の労働条件に関係してくるから、デパート管理部がニチイに協力を求めても実現できたかは疑問である」としているが、前記のとおり(1ーオ)、ニチイはデパート管理部から要請があれば同シャッターの夜間閉鎖に協力したであろうことが認められるので、右判断は失当である。 原判決では、ニチイ以外の各テナントの協力によるシャッターラインの確保やシャッター閉鎖について「各テナントはそれに対して非協力的であり、被告人Aの上司に直接交渉して天井裏を倉庫にしたり、1階外周店舗を物置にしたりしていて、デパートビルの防火管理は専らデパート管理部が行うべきものと考えていて、仮に同被告人が各テナントに協力を要請しても防火区画シャッターの夜間閉鎖や巻き上げ作業の協力を得るのは著しく困難であり、実現できたかは甚だ疑問である」と説示したが、前記のとおり、各テナントも防火管理や商品の安全については高い関心を持っており、同被告人が各テナントに事情を説明すれば協力は容易に得られたと推認できるので、右判断は失当である。 —大阪高等裁判所第7刑事部、判例時報1988(1262) (2ーイ)右シャッター巻き上げ作業についての被告弁護人らの所論に対する判断 被告弁護人らの所論では「保安係員を防火区画シャッターの巻き上げ作業という重労働に従事させることになれば、労働基準法に定める労働時間の制限法規の適用除外を受けることができなくなり、千日デパートビルの保安体制を根本的に改めなくてはならず、右作業に従事させるのは物理的に可能であったとしても、社会的には不可能である」と主張した。しかしながら、各シャッターの開閉はデパート管理部の職務分掌の規定上、保安係員の担当業務であり、実際に1階各出入口のシャッターや階段回りの防火シャッターは宿直の保安係員が毎日巻き上げを行っているのであり、売場内の防火区画シャッターの巻き上げも保安係員の担当職務に含まれると解釈できること、大阪市内の各百貨店では、防火区画シャッターが手動式の時代であっても宿直の保安係員等が閉店後に必ずその閉鎖を行っていたことが確認されているので、以上の点からすれば、防火区画シャッターの巻き上げが労働時間制限法規の適用除外を受けることができなくなるとは容易に断定できず、被告人Aが管轄の労働基準監督署長に対し、防火区画シャッターの巻き上げ作業を行うことを内容とする除外申請を全くおこなったこともないのに、右適用除外を受けられなくなる旨の仮定論を前提とするものであるから、不当であると言わざるを得ず、所論は到底採用できない。 —大阪高等裁判所第7刑事部、判例時報1988(1262) (2ーウ)工事現場に保安係員を立ち会わせるべき注意義務の履行可能性 (要旨)夜間店内工事に際して保安係員を工事に立ち会わせなかった被告人Aの過失責任について原判決は、説示または判断で「火災当日に欠員した保安係員の補充は難しく、テナントが行う夜間工事に保安係員を立ち会わせることは不可能だった」としたが、大阪高裁は「当直の保安係員に欠員が生じても保安管理体制を維持せねばならず、工事に保安係員を立ち会わせなかったことで保安管理上の不備が生じれば、それは被告人Aの責任である。千日デパート店長は『店内工事はテナントが責任を持つべきでデパート側が工事に立ち会う必要はない』と見解を述べているが、それは同店長がテナントの間で結ばれている管理契約の内容を知らずになされた供述で、現状では実際に防火区画シャッター閉鎖と工事立会いの必要性はあるのであり、被告人Aの責任を回避するものではなく、日本ドリーム観光が保安管理に消極的だったことにもならない」とした。 また他の部門の社員を工事立会いに充当する実現性について大阪高裁は「テナントから毎月徴収していた共同管理費は、保安係員の給与に充てられていたが、日本ドリーム観光はテナントに対して管理費の不足を理由に共同管理費の値上げを要求していたが、実際には余剰金が出る状況だった。そこでテナントが従業員の職務分掌を提出させ、内容を検討していたところで本件火災が発生した。テナント側は『デパート側が正当な措置を講じるために共同管理費の値上げを要求するのであれば値上げに応じた』としていて『共同管理費値上げ交渉があったことで保安管理体制強化が図れない』という原判決の判断は失当だ」とした。 原審は被告人Aおよび管理部次長にデパート管理部で工事立会いの人員確保措置の独自権限があったかどうかの検討について「それを認める証拠がない」と判断したが、それに対して大阪高裁は「原審公判廷で被告人Aが証言した内容によれば『店内工事の立会いの有無を決めるのは自分が判断し、管理部の職員や保安係員を立ち会わせていた。保安係が次長直轄体制に変わっても同様だった』と供述し、デパート店長の公判廷での証言では『工事の立会い指示は職務上では管理部次長であり、デパートビルの設備工事に際しても工事の立会いは管理部の課員である』と供述しているのであり、管理部次長(原審の被告人D)は管理部の3つの課を統括し、同部の職務全般を指揮監督する権限を有していた。だとすれば、部下である防火管理者の被告人Aが保安係員の欠員について工事立会いの要員確保の要請を管理部次長にしたのであれば、他の課員に臨時の当直を命令することができ、その措置を取る義務があったのは明らかである。被告人Aにしても自己の権限で課員の中から臨時の要員を工事に立ち会わせる権限があったというべきであり、原判決の判断は失当である」とした。 原判決の説示に対する判断 原審・保安係員を工事に立ち会わせなかったことについての被告人Aの過失責任 当直の保安係員または非番の保安係員を臨時に工事に立ち会わせる実現性 火災発生当夜は、5名体制の保安係員のうち1名がたまたま欠勤して4名体制になったに過ぎず、そのような状態でも保安管理体制を維持しなければならない。被告人Aが工事の立会いに何らの指示をせず、保安係員を工事に立ち会わせなかったために管理上の不備が生じたとすれば、被告人Aの責任というべきで、原審の判断は失当である。 日本ドリーム観光が工事の立会人を出す必要性 管理権原者である千日デパート店長は、ニチイ売場でO電機商会が施工していた電気配管工事に関して「ニチイが工事の責任を持つべきであり、被告人Aが右工事に立ち会う必要はない」と供述しているが、日本ドリーム観光と各テナントとの間で締結されている管理契約上においては、テナントの工事に保安係員が立ち会う義務があるのに、そのことを知らずに為された供述である。そもそも被告人Aからシャッター閉鎖についての進言はなく、夜間に防火区画シャッターを閉鎖しなければならないこと、ならびにその重要性を認識していなかったことが前提となるものである。したがって、千日デパート店長の見解は、被告人Aの責任を左右するものではなく、日本ドリーム観光が保安管理体制の強化に消極的であったとはいえない。 保安係員の増員および他部門の社員を工事立会いに充当する実現性 共同管理費の値上げをテナント側が理由もなく拒絶していたものでないことは明らかである。日本ドリーム観光は、テナント側に対し過去に2度値上げを要求したが、そのときの値上げ理由は管理費の不足であったが、その根拠が乏しかったことから、テナント側で調査したところ、むしろ毎月のように余剰金が出る状況であった。これは千日デパート開業当初からの坪2,500円という額を据え置きしているところにテナント数が増えて管理費収入が増加する一方、管理部の人員が減少して収支の均衡が取れていたからであった。千日デパート店長は、火災発生の1か月半前に3度目の値上げ要求を出したが、その理由は従業員の昇給や衛生費の増加で210万円不足しているというものであったが、テナント側が調査をおこなったところ、共同管理費の約70パーセントが人件費で占められていて、その対象となる従業員の職務分掌を明らかにするよう要求していたところ、デパート管理部の職務分掌が提出され、それを検討しているところで本件火災が発生した。以上のことからテナント側が理由もなく管理費の値上げに反対していたわけではないと認められる。むしろテナントは、必要な経費であれば値上げもやむを得ないと考えていて、もしも日本ドリーム観光が防火管理上、必要な措置を講ずるために共同管理費の正当な増額を要求したのであれば、テナントがこれを受け入れた可能性は充分にあったと考えられる。したがって共同管理費の値上げ交渉問題があって経費面から保安管理体制の強化が図れない趣旨の原判決の判断は失当である。 「デパート管理部から工事に立ち会う人員確保の措置を取る独自権限があったかどうか」についての控訴審判断 原審が「被告人Aや管理部次長が売場の工事をおこなう場合に、千日デパート管理部から工事に立ち会う人員を確保する措置を取る独自の権限があったかどうかを認めるに足る証拠がない」としたが、被告人Aは原審公判廷で「店内で行われる工事については、事前に申請がなされた段階で立会いを付けるべきかどうかを自分が判断し、管理課の職員を立ち会いさせることにしていた。テナントの工事であっても、日本ドリーム観光の施設、電気、気罐、空調等に関連のある工事には管理課で立会いを付けていた」「工事に保安係を立ち会わせるどうかの判断は、一応次長と相談したうえではあるが、私がしていた。保安係が次長直轄になった以降も同様である」と供述し、また千日デパート店長も同公判廷で、「工事の立会い等の指示は職務上からいえば管理部次長である」「デパート自体の工事の保安体制もテナントの工事の場合と同じで、工事の立会いは管理課の課長又は課員である」と供述しているので、管理部次長は、管理部の3課(総務課、管理課、営業課)を統括し、同部の職務全般について同部の従業員を指揮監督する権限を有していたのであるから、防火管理者であり、同部管理課課長でもある被告人Aから欠勤した保安係員の補充要員またはテナント工事の立会い要員を確保する要請があれば、同部所属の他の従業員立会いのために臨時の当直を命令することができ、またそのような措置を取るべき義務があったのは当然であり、被告人Aとしても自己の指揮監督する管理課の課員のなかから臨時の当直要員を指定して工事に立ち会わせることもできたことは明らかであり、原判決の前記判断は失当と言うべきである。 —大阪高等裁判所第7刑事部、判例時報1988(1262) 以上の各検討結果により、大阪高裁は被告人Aの各注意義務の履行可能性および結果の回避可能性について、以下のように判断した。 まとめ 被告人Aは、各注意義務を履行する可能性があったのであるから、前記の各注意義務を尽くしていれば、3階での火災発生直後に工事立会いの保安係員において、煙の発生によって初期消火が不能と判断した時点で、工事のために開けておいた2枚の防火区画シャッターを閉鎖できたと推認できる。3階売場の防火扉や防火区画シャッターが完全に閉鎖されていたならば、本件火災の延焼範囲は同ビル3階東側部分の防火区画内に限定され、防火区画シャッターを通り抜ける煙の量も少なく、7階プレイタウンに侵入する煙は南側(A南)エレベーターシャフトのみになり、出火30分近くまではB階段からの避難が可能であることが認められ、被告人Cとプレイタウン従業員らが南側(A南)エレベーターから煙の流入に気付き、1階の保安室に電話で問い合わせて火災の発生場所や状況等を知り得る時間的余裕もあり、店内にいた客や従業員ら181名全員は、被告人Cの適切な避難誘導と相まって、B階段または救助袋を併用することによって完全に避難し得たと考えられ、本件火災による死傷の結果を回避し得たことが認められる。 — 大阪高等裁判所第7刑事部、判例時報1988(1262)
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