破綻の原因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 10:13 UTC 版)
木津信用組合は預金高1兆円(最大時)を超え、一般地方銀行並かそれ以上の規模であった。だが、そのほとんど全てを不動産関係の融資で運用したため、バブル崩壊のあおりを受けて経営が悪化。金融機関という外見こそ持っていたが、その資金運用は山師のそれに近い、無謀な投機そのものであった。 また、三和銀行を始めとする都市銀行から紹介預金により、高金利の預金を受け入れていたが、大蔵省の指導により引き上げることになり、その引き上げがいっそう高金利で大口預金者を集め、ハイリスクの融資を行う動機となり破綻の遠因となり、また同じ大阪の東洋信用金庫と共に尾上縫の詐欺事件に関与し、巨額の貸し倒れが発生したことも経営破綻の原因となった。 木津信金にとどめを刺したのが、1995年(平成7年)8月28日のコスモ信用組合破綻処理策の発表で、その際大口預金者の公表と、彼らに対する利率の引下げが行われることが明らかとなった。そのため、以前から経営に不安の持たれていた、当信組からの預金流出が加速した。破綻の直前に住専問題で後に問題となる末野興産が、386億円を引き出していたことも明らかになっている。
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破綻の原因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/03/09 09:37 UTC 版)
グリトニル銀行は小額の資金を担保に巨額の資金を借り入れ運用するいわゆるレバレッジの手法を使用して主にユーロ圏を中心に投資をしていた。経営規模が小さかった為、リスク管理はいい加減で、政府はそれを指摘しなかった。アメリカが景気後退に陥りドルが下落しているとき、ウォール街のアナリストたちは「ドルは危険通貨だ。ユーロを買うべき」と発言していた。当時のユーロは既にアメリカの景気後退を織り込んでおり明らかな割高水準であったが、ユーロ建ての金融商品の販売を促進して手数料を稼ぎたかった為、そう発言していたのだろう。しかし、グリトニル銀行はそれを真に受けユーロ建ての投資を減らすところか増加させた。アメリカの景気後退がヨーロッパに波及し始めるとユーロは売られ、グリトニル銀行の資産の評価損は膨らんでいった。しかしグリトニル銀行はリスク管理がいい加減だったので、いつか反発するだろうなどと悠長な考えを持っていた。そして瞬く間に損失は拡がり破綻した。 グリトニル銀行はアイスランド内でも小さい銀行だったが、マーケットは即座に反応した。高金利を謳い文句に買われていたアイスランド・クローナが急落したのである。アイスランド・クローナの急落はアイスランド経済を直撃し、カウプシング銀行とランズバンキ銀行の破綻の引き金になったとされる。 アイスランドは産業の無い国で、海で魚を取って売ることぐらいしかできなかった。常に物資は不足していたので、すぐインフレーションになった。印刷所もあまり無いので、インフレになったとき大量の紙幣を発行する能力が不足していて、アイスランドは電子決済がほぼ100%を占める国になった。インフレにすぐなるので、アイスランドの通貨はいつも高金利だった。グリトニル銀行などアイスランドの銀行は高金利であるクローナを商品にしてユーロ圏や英国で商売を始めた。クローナはポンド・ユーロの金利に比べ10%程度高く、毎年投資した金額の10%を利益とすることができる。しかし、実際にはアイスランドはインフレ率が高いので、クローナはポンド・ユーロに対して10%程度ずつ下落し、金利差で得た利益は帳消しになるはずである。ところが、ヨーロッパの人々が大量にクローナを購入したため、クローナは高騰した。クローナのバブルが起こったのである。バブルが起こったことで、クローナを買った投資家も、アイスランド人もみんな儲けることができた。 グリトニル銀行はこのバブルを破滅させた。クローナは本来あるべき価値にまで売られてしまい、アイスランドを支えてきたクローナ高は崩壊した。アイスランドはこれから再び金融国家としての道を歩むべきか、漁業や製造業など他の産業を強くしていくべきかの岐路に立たされている。アイスランド出身の歌手ビョークは技術立国すべきと発言している。
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破綻の原因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/04 15:36 UTC 版)
当行は、大相場師として有名であった高倉藤平の養子であり、藤平の跡を継いで堂島米穀取引所理事長でもあった常務の高倉為三が実質的に所有、支配していた。為三は、経営困難に陥っていた自己の経営する関係会社に投融資を実施し、その結果として、破綻に陥った。為三は業務上横領により懲役6年の刑に服すことになった。常務取締役の高倉は大正6年から行金10,809,900円を、専務の紙勇蔵は大正7年から1,472.600円を横領していた。 高倉為三は1886年大阪生まれで、株屋の高倉藤平の養子となった。藤平は有隣生命保険、浪速火災保険の社長、大阪堂島米穀取引所理事長のほか、伊勢電気鉄道などの役員を務めた。為三は養父から引き継いだ堂島米穀取引所からも横領していた。 紙勇蔵は宮城県出身。積善入行前、フランス語が多少できることから也阿弥ホテルの支配人代理をしていたことがあったが、社長の大沢善助から解雇されていた。妻は名古屋銀行 (東海銀行の前身)の発起人などを務めた名古屋の太物商・八木平兵衛の娘。
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破綻の原因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 14:49 UTC 版)
カウプシング銀行は、投資銀行やヘッジファンドと同じく、小額の資金を元手に大量の資金を借り入れる「レバレッジ」を使用して、北欧を中心に投資を行っていた。日本でも円建て債券を780億円しており、急激な円高による為替差損発生で、同行破綻の引き金となった。同行はアイスランド最大の銀行であり、GDPの多くを金融業が占める同国政府は、実体経済への影響を配慮するために同行の経営状況をリアルタイムに監視し、リスク管理が適切であるべきか厳しく監督すべきであった。しかし、現実には政府主導で投機的とも言える金融開国が行われ、同行はリスクより目先の利益を重視する経営を続け、世界的な株安による資産価値下落に耐えられず国家と共に破綻に至った。ゲイル・ホルデ首相はアイスランドの金融破綻について「外部環境による被害者となった」と政策の誤りを否定したが、アイスランド政府の金融リスクに対する見識に問題があったことは言うまでもない。 アイスランド出身の歌手ビョークは、シュガーキューブス時代にカウプシング銀行の口座を開設。主に音楽活動で得た資金の保管に使用していた。ソロデビュー後はアイスランド国外での活動が主となったため、同口座の使用は限定的となったが、口座は解約せずにいた。同行破綻によってシュガーキューブス時代に貯めた一部預金が引き出せなくなり「私の人生を台無しにした、お金を返してほしい、大切なメモリーなの。」と語った。 同行の急激な事業の拡大と破綻は、貴重な経済実験として2009年度のイグ・ノーベル賞を受賞するに至った。
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