彼岸
彼岸(ひがん)とは、春分および秋分をそれぞれ中日とする各7日間のこと。「春彼岸」と「秋彼岸」の総称。それぞれ、仏教の習わしに基づき墓参りをはじめとする先祖供養が年中行事として行われる。日本の「雑節(ざっせつ)」のひとつであり、季節が変わる目安にもなっている。「お彼岸」と呼ばれることも多い。
「彼岸」という言葉はもともと仏教の用語であり、涅槃に辿り着いた「向こう岸」のことである。語源はサンスクリット語の「param(パーラム)」とされる。
仏教では悟りの境地に達した先に「涅槃(ねはん)」があるとされる。超克すべき煩悩や迷いは川に喩えられる。涅槃は、煩悩の川の向こう岸(すなわち「彼岸」)にある。
仏教ではお彼岸の期間中に法会(ほうえ)が営まれる。この法会は「彼岸会(ひがんえ)」と呼ばれる。
彼岸の初日は「彼岸の入り」といい、彼岸の最終日は「彼岸明け」という。彼岸の中日を除く前後の6日間は、六波羅蜜(大乗仏教の教えにある6つの徳目)を1日ひとつずつ修める日とされる。六波羅蜜の6つの徳目とは、「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「般若」である。
彼岸の過ごし方は、宗派や地域の習俗などによっても異なるが、一般的には、「彼岸の入り」には仏壇、仏具、墓石などを清めると良いとされる。「彼岸明け」は彼岸が終わる日である(彼岸の期間が終わった翌日ではない)ため、墓参りや法要をはじめとする先祖供養は彼岸明けの日までに済ませておくことが望ましいとされる。
彼岸の中日にあたる「春分の日」と「秋分の日」は、毎年はっきりとした日にちが決められておらず「おおむね何日頃」とされている。(春分の日は3月21日前後、秋分の日は9月23日前後とされている。)これは、「365日6時間」という地球の公転日数に起因している。1年を365日と定めると、地球が春分点・秋分点(昼夜の長さが同じになる位置)を通過する時期が少しずつずれていくためである。なお、4年に一度の「うるう日(2月29日)」を設けることでこのずれを修正している。
日本では彼岸のお供え物として「ぼたもち(牡丹餅)」と「おはぎ(御萩)」が作られ供される。ぼたもちとおはぎは、呼称が違うだけで、物そのものは全く同じである。もち米(もしくはもち米とうるち米を混ぜたもの)を炊いて、米粒が残る程度に軽くつき、まるくまとめた後に餡をまぶす。
「ぼたもち」と「おはぎ」の名称や関係には諸説あるものの、一般的には、春のものを牡丹の花に見立てて「ぼたもち」とし、秋のものを萩の花が咲き乱れる様に見立て「おはぎ」とした、という説が半ば定説となっている。もち米を使うかうるち米を使うかによって呼び分ける、あんこがこしあんか粒あんかに応じて呼び分ける、といった説もある。説というより流儀に近いかもしれない。
秋の彼岸の頃には「彼岸花」と呼ばれる花が急激に茎を伸ばし、あでやかな真っ赤な花をつける。彼岸花は「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」とも呼ばれる。これは「法華経」などの仏典に由来しており、釈迦が法華経を説いた際、これを祝して天から降った花である「四華」のひとつに由来している。ユリ科の多年草で有毒。曼珠沙華の他にも「死人花(しびとばな)」や「捨て子花」といった異称がある。
仏教的(悟りの境地を指す)「彼岸」に対して、人間が煩悩や迷いを抱えたままあくせくと生きる現世が「此岸(しがん)」と呼ばれる。此岸において苦しい修行を積んだ者を除き、人はふつう死後にのみ彼岸に辿り着けるとされる。仏教の教えでは、彼岸では大きな煩悩や迷いに苦しめられることなく、永遠に幸せに暮らせるとされている。
彼岸
ひ‐がん【彼岸】
彼岸 【ひがん】
彼岸(ひがん)
日本独自に作られた仏教の行事の一つで、上記のように1年に春と秋の2回があり、期間の初日を彼岸の入り、真中の日を彼岸の中日、最終日を彼岸明けと言います。彼岸とは、仏教でいう俗(生者)世界に対する佛(=死者)の世界・さとりの世界のことで、現世と隔てた河の向こう岸のことを指して言います。彼岸の頃の太陽は真西に沈むことから、真西には西方浄土があるという仏教説から、この時期に各お寺では7日間に渡って彼岸会(ひがんえ)が行われ、家庭でも先祖の霊を供養するために、仏壇にお供えをしたりお墓参りをしたりします。
春の彼岸 | 春分の日を中日とする1週間、3月18日(または17日)〜3月24日(または23日) |
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秋の彼岸 | 秋分の日を中日とする1週間、9月20日(または21日)〜9月26日(または27日) |
彼岸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/01 00:53 UTC 版)
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彼岸(ひがん)とは、日本の雑節の一つで、春分・秋分を中日(ちゅうにち)とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)である。この期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)と呼ぶ[1]。
最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」(あるいは地方によっては「はしりくち」)と呼ぶ。
俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。
起源
語源
サンスクリットのpāram(パーラム)の意訳であり、仏教用語としては、「波羅蜜」(Pāramitā パーラミター)の意訳「至彼岸」に由来する[2]。
Pāramitāをpāram(彼岸に)+ita(到った)、つまり、「彼岸」という場所に至ることと解釈している。悟りに至るために越えるべき渇愛や煩悩を川(暴流)に例え、その向こう岸に涅槃があるとする(三途川とは無関係)[3]。
ただし、「波羅蜜」の解釈については異説が有力である。
由来
浄土思想でいう「極楽浄土」(阿弥陀如来が治める浄土の一種、西方浄土)は西方にあり、1年の内で2度、昼と夜との長さが同じになる春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。昼夜・東西が平行になるお彼岸の時期には、「あの世」への門が開くといわれてきた。現在ではこのように仏教行事として説明される場合が多い。それがやがて、祖先供養の行事へと趣旨が変わって定着した。
しかし、彼岸の行事は日本独自のものでインドや中国の仏教にはないことから、民俗学では、元は日本古来の土俗的な太陽信仰や祖霊信仰が起源だろうと推定されている。五来重は彼岸という言葉は、豊作を太陽に祈願する太陽信仰の言葉の「日の願い」が、「日願(ひがん)」として、仏教語の「彼岸」と後から結びついたものであるとする[4]。民間習俗と彼岸の名称とその時期とが結合して、仏教行事になり、歳時習俗として生活の中に大きな存在となった、と指摘する[5]。
歴史
延暦25年(806年)、日本で初めて仏教行事としての彼岸会が行われた。『日本後紀』延暦25年(806年)2月条に、「毎年春分と秋分を中心とした前後7日間、「金剛般若波羅蜜多経」を崇道天皇(早良親王)のために転読させた」と怨念を鎮めるためであった。そして3月17日に朝廷の太政官から「五畿内七道諸国」の、国分寺の僧に春分・秋分を中心とする7日間に金剛般若波羅蜜経を読ましむ命令が出ていて、これを命じた太政官符では以後恒例とするようにしていて、これが、後に彼岸会になった[6]。
風習
供物
日本で彼岸に供え物として作られる「ぼたもち」と「おはぎ」は同じもので、炊いた米を軽くついてまとめ、分厚く餡で包んだ10cm弱の菓子として作られるのが今は一般的である。各地で手作りされていた時は様々なぼた餅やおはぎがあった[7]。これらの名は、彼岸の頃に咲く牡丹(春)と萩(秋)に由来すると言われる[8]。
時節
気候
日本の気候を表す慣用句に「暑さ寒さも彼岸まで」があり、残寒・残暑は彼岸のころまで続き、彼岸をすぎるとやわらぐという。
季語
俳諧では「彼岸」は春の彼岸を意味し、「彼岸」「彼岸前」「彼岸過」「中日」は春の季語である。
これに対し、秋の彼岸は「秋彼岸」「秋の彼岸」と言う。
季節
春
春のお彼岸は春分の日(3月21日ごろ)を真ん中にした前後3日の一週間を指す。
秋
秋の彼岸は秋分の日(9月23日ごろ)を中心に挟んだ一週間である。
その他
春分の日と秋分の日が「およそ何日」と曖昧に決められていることには理由がある。
地球は太陽の周りを1年間かけて公転しているが、その時間は365日ちょうどではなく、正確には365日と6時間ほどである。このため、昼夜の長さが同じになる位置(これを春分点、秋分点という)を地球が通過する時期にズレが生まれる。そのため、4年に一度「うるう日(2月29日)」を挿入してこれを防いでいる。[9]
出典
- ^ 『広辞苑』「彼岸会」
- ^ 『大辞泉』「彼岸」
- ^ Thero Ven Randombe Suneetha (2018). “On the Metaphor of the Raft in the Mahāparinibbānasutta”. The Annals of the Research Project Center for the Comparative Study of Logic 15: 173-181. NAID 120006517938.
- ^ 五来重 『宗教歳時記』 法藏館 2007年、p.28
- ^ 伊藤唯真『仏教民俗学大系6 仏教年中行事』 名著出版 2016年、p.35
- ^ 「彼岸の由来を知りたい」(岡山県立図書館) - レファレンス協同データベース 2019年10月15日閲覧
- ^ 柳田国男『分類食物習俗語彙』角川書店 1974年、p.70-73、167
- ^ 山口謠司『にほんご歳時記』<PHP新書> 2015年、025「春分のお彼岸」
- ^ 火田, 博文 ([2019]). 本当は怖い日本のしきたり オーディオブック. Pan roringu (Hatsubai). ISBN 978-4-7759-8631-8. OCLC 1108314699
関連項目
外部リンク
彼岸(ひがん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 14:00 UTC 版)
鴇時達のいた世界。ヴァーチャルが発展した現代の近未来である。銀朱が夜行との会話から着想を得、この世界のことを「遥か彼方にある岸辺」、“彼岸”と呼び始めた。
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「彼岸」の例文・使い方・用例・文例
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