きょうせい‐そち〔キヤウセイ‐〕【強制措置】
強制措置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:47 UTC 版)
安保理は、「平和に対する脅威、平和の破壊、侵略行為」に対し、経済制裁等の勧告をすることができるほか(39条)、国連憲章第7章の下における非軍事的強制措置として、包括的な経済制裁や禁輸措置(武器禁輸、渡航禁止、金融規制)、外交関係の断絶などの制裁をとることができる(41条)。今まで、独立紛争に関する対南ローデシア輸出入禁止(1966年、1968年)、アパルトヘイトに関する対南アフリカ共和国武器禁輸(1977年)、クウェート侵攻に関する対イラク経済輸出入禁止(1990年)、内戦における非人道的行為に関する対ユーゴスラビア輸出入禁止(1992年)、テロ防止への非協力を理由とする対リビア航空機乗入れ禁止・武器禁輸(1992年)、民主政権移行の不履行を理由とする対ハイチ輸出入禁止(1993年)などが行われてきた。もっとも、経済制裁は被制裁国の弱者に大きな経済的打撃を与えるという問題があることから、個人資産の凍結や政府関係者の入国禁止など、エリート層への打撃に的を絞った「スマートな制裁」が提唱されている。 国連憲章第7章は、非軍事的強制措置では不十分である場合に、安保理は「必要な空軍、海軍または陸軍の行動」をとることができるとしている(42条)。すなわち、国連軍の名の下での軍事的行動をとることができる。国連軍は軍事参謀委員会の指揮下に置かれ(47条)、国連軍創設には、加盟国と国連との間に兵力提供に関する「特別協定」が締結されなければならない(43条)。しかし、現在まで特別協定が締結されたことはないため、本来の意味の国連軍が創設されたことはないといえる。朝鮮戦争の際、米国軍を中心とした「国連軍」が創設されたが、これは本来の意味の国連軍ではない。 現在まで、国連軍が創設されなかった代わりに、安保理による武力行使容認決議が行われてきた。1990年11月、イラクのクウェート侵攻に対し、安保理は、国連憲章第7章の下、イラクが関連諸決議を完全に履行しない場合に「クウェート政府に協力している加盟国に対して……あらゆる必要な手段を行使することを容認する」とする決議(安保理決議678)を採択した。同決議に基づいて米軍を中心に多国籍軍が編成され、1991年1月から戦闘に入った(湾岸戦争)。その後も、1994年にハイチ軍政問題に関して、1997年にアルバニア暴動問題に関して、1999年にコソボ紛争に、同年と2006年に東ティモール紛争に、それぞれ多国籍軍の派遣が認められた。一方、2003年3月のアメリカおよびイギリスを始めとする有志連合による対イラク武力行使(イラク戦争)については、一連の安保理決議によって正当化されるかどうかについて各国の意見が分かれた。なお、こうした軍事行動は、参加国の管理の下に置かれるものであり、安保理が設立し事務総長の指揮の下に置かれるPKOとは異なる。
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