国交
外交関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 08:00 UTC 版)
1970年(昭和45年)の東京バレエ団ヨーロッパ公演に際して、現地各国の日本大使館は全く無視。フランスではパリ国際ダンスフェスティバル開幕を務める国がレセプションを務める慣例であり、日本がその役目であったが、手紙による催促もやはり無視(一切返事せず)。東京バレエ団が勢揃いした写真が新聞に載って慌てて開催したが、決定が遅かったため、招待客は集まらず、ないも同然となった。 同年バルセロナのテアトロ・リセオ(オペラハウス)で公演予定であったが、問い合わせを受けた大使館員が「日本の踊りなら着物の踊りでしょう」と安易に答えたため、オペラハウスの公演がキャンセルになってしまった。 (同年オランダのバレエ団からの質問)「私たちは年間11億円の国家援助を受けている。今の助成金では東京バレエ団ほどの組織作りは難しい。あなた方はどれだけの援助を国家から受けているのか」(日本では東京バレエ団への助成金などほんのわずかである) (佐々木と一緒に陳情に行った現代舞踊協会の三輝容子: 談)役人はかなり冷たかった。芸術がわかる人なんてごくごく一部だった。大蔵省の役人が「劇場の柱なんか食べてもお腹は一杯になりませんよ」と、頭ごなしに怒った。 オスロ公演の際、ノルウェー国王のオーラヴ5世が列席することになったが、日本の大使は国王と今まで会えておらず、バレエ公演がわかっていれば国王と会えたはずだという。つまり、バレエ公演を国王と会う手段としか認識していなかった。一概にどこの土地でも大使館は冷たく、大使の代理が顔を見せるぐらいであった。一方前述のオスロ大使夫妻は予定があったはずなのに国王に面会し、コペンハーゲンでも王妃が来るというので在デンマークの日本大使夫妻が来た。佐々木は、大使たちはバレエを観る気などなく、その土地の大物政治家や王室がくるとやってくるだけなのだと呆れた。 1986年のパリ・オペラ座での公演時、日本大使館の人間は誰一人来なかった。
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「外交関係」の例文・使い方・用例・文例
- 日本はその国と外交関係を絶った
- …と外交関係を正常化する
- 外交関係
- 日本は中国と外交関係がある。
- 日朝間にはまだ外交関係が樹立されていない。
- 記者会見の際、大統領は外交関係にちょっと触れた。
- その両国は外交関係がない。
- その国は米国との外交関係を断絶した。
- あの国は近隣諸国との外交関係を絶った。
- …との外交関係を絶つ.
- 彼らはその国と 26 年ぶりに外交関係を確立した.
- 外交関係を樹立する[断つ].
- …と外交関係を確立する.
- 外交関係の樹立.
- 外国と外交関係を維持する.
- …との外交関係を断つ.
- 両国は外交関係を断った.
- 外交関係を断絶する
- 国交関係、外交関係
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