幕末から明治期
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橋本雅邦『竜虎』(1895年、静嘉堂文庫、左隻) (同右隻) 幕末、ヨーロッパの万国博覧会に出展した幕府や各藩の工芸品や美術品は優れた装飾品として絶賛され、日本の工芸へのヨーロッパからの関心が高まり、外貨を稼ぐ輸出品となる可能性が開かれた。しかし、日本には西洋のような「美術」と「工芸」の厳然たる区別は無く、日本の美術品は総じて装飾的・工芸的と見なされヨーロッパ美術よりも一段低いところに置かれた。(しかし、ヨーロッパ美術界でアカデミズムの権威や美術と工芸の境界が揺らぎ始めたこの時期、日本の美術品は前衛的な芸術家らにジャポニスムという強力な影響を与えることとなった。) 明治維新後の近代化と社会の激変によりそれまでの日本美術は大きく揺れ動いた。明治維新により狩野派などの幕府を支持基盤としていた画壇は勢力を失い、日本画は江戸後期から発達していた浮世絵や文人画が中心となる。政府は早急に西洋式の「ファイン・アート」(純粋美術)を導入してヨーロッパ諸国に恥じない芸術の体裁を整えようとし遠近法などの西洋画法を導入した洋画が成立し、明治9年(1876年)には建築や都市計画の分野への応用を目的とした工部美術学校が開校し、フォンタネージらお雇い外国人による西洋美術教育が開始され、工部美術学校出身者の洋画家や彫刻家は明治前半期の日本美術会の中心的存在となった。 一方、日本の諸派の絵画などは旧弊なものと見なされ存続の危機に陥った。伝統的画壇の凋落のほか廃仏毀釈や大名家の没落に伴い、多くの優れた美術品が古道具市場にあふれ、美術商だった林忠正らの積極的な売買により欧米に流出しそのまま帰らなかった。明治12年(1879年)には佐野常民による竜池会(日本美術協会)が結成され、竜池会は日本の伝統美術の保護育成の他、日本美術を外貨獲得のための貿易品としても注目し、博覧会や共進会の開催運動を起こした。 やがて近代化が一段落し、今度は国粋主義や、民族国家としての独自の美術を探求する動きが起こり、再び日本美術に目が向けられるようになる。アーネスト・フェノロサや岡倉天心らは、政府から万国博出展のために「日本美術史」の解説を書いてほしいとの依頼を受け、短期間で日本美術の通史を書き上げた。これが現在我々の知る日本美術史の原型であるが、その際に、海外への紹介に適さないとされた作家らはリストから零れ落ち、結果として長らく忘却された。 フェノロサ・岡倉天心らは、急速な近代化の弊害から日本美術を守り育成するため、その優秀・独自性を説き東京美術学校開校後は、天心らの手により西洋画は一旦斥けされ、工部美術学校出身者らは明治美術会を作って対抗する。パリ在住の林忠正による印象派の紹介や、海外留学から帰った黒田清輝らの出展で、明治美術会や洋画家らは混乱しながらもヨーロッパの最新の絵画運動を取り入れ活発な活動を行った。 天心たちは、内紛により東京美術学校から追放され、横山大観や下村観山らとともに日本美術院を結成する。また京都画壇の竹内栖鳳らを初め、多くの日本絵画の作家らがヨーロッパに留学。やがてこうした動きから、諸派の絵画や西洋画の影響も取り入れた新しい民族美術として日本画が誕生した。 1907年、政府による初めての公募展、文部省第一回美術展覧会(文展)が行われ、日本画・洋画・彫刻の各部門、新旧の作家らが一堂に展覧された。 絵画明治浮世絵小林清親:『東京名所図』(1876 - 81年、静岡県立美術館ほか) 河鍋暁斎:『大和美人図屏風』(1884 - 85年、京都国立博物館) 月岡芳年:『月百姿』(1885 - 92年、太田記念美術館ほか) 日本画狩野芳崖:『悲母観音』(1888年、東京芸術大学大学美術館) 橋本雅邦:『竜虎』(1895年、静嘉堂文庫) 横山大観:『屈原』(1898年、厳島神社) 下村観山:『木の間の秋』(1907年、東京国立近代美術館) 菱田春草:『落葉』(1909年、永青文庫) 洋画高橋由一:『鮭』(1877年頃、東京芸術大学大学美術館) 山本芳翠:『裸婦』(1880年頃、岐阜県美術館) 浅井忠:『春畝』(1888年、東京国立博物館) 原田直次郎:『騎竜観音』(1890年、護国寺) 黒田清輝:『湖畔』(1897年、東京文化財研究所) 青木繁:『海の幸』(1904年、ブリヂストン美術館) 藤島武二:『黒扇』(1909年、ブリヂストン美術館) 萬鉄五郎:『裸体美人』(1912年、東京国立近代美術館) 彫刻高村光雲:『老猿』(1893年、東京国立博物館) 石川光明:『古代鷹狩置物』(1900年、三の丸尚蔵館) 荻原碌山:『女』(1910年、東京国立博物館(石膏原型)) 建築コンドル:『旧岩崎久弥邸』(1896年) 辰野金吾:『日本銀行本店本館』(1896年) 片山東熊:『赤坂離宮』(1909年) 工芸柴田是真:漆工 - 『富士田子浦蒔絵額面』(1872年、福富太郎コレクション資料室) 鈴木長吉:金工 - 『十二の鷹』(1893年、国立工芸館) 宮川香山:陶磁器 - 『褐釉蟹貼付台付鉢』(1881年、東京国立博物館) 並河靖之:七宝 - 『四季花鳥図花瓶』(1881年、三の丸尚蔵館)
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