幕末から明治期とは? わかりやすく解説

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幕末から明治期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 06:21 UTC 版)

日本美術史」の記事における「幕末から明治期」の解説

橋本雅邦竜虎』(1895年静嘉堂文庫、左隻) (同右隻) 幕末ヨーロッパ万国博覧会出展した幕府各藩工芸品美術品優れた装飾品として絶賛され日本工芸へのヨーロッパからの関心高まり外貨を稼ぐ輸出品となる可能性開かれた。しかし、日本には西洋のような美術」と「工芸」の厳然たる区別無く日本の美術品は総じて装飾的工芸的と見なされヨーロッパ美術よりも一段低いところに置かれた。(しかし、ヨーロッパ美術界でアカデミズム権威美術と工芸境界揺らぎ始めたこの時期日本の美術品は前衛的な芸術家らにジャポニスムという強力な影響与えることとなった。) 明治維新後の近代化社会激変によりそれまで日本美術大きく揺れ動いた明治維新により狩野派などの幕府支持基盤としていた画壇勢力失い日本画江戸後期から発達していた浮世絵文人画中心となる政府早急に西洋式の「ファイン・アート」(純粋美術)を導入してヨーロッパ諸国恥じない芸術体裁整えようとし遠近法などの西洋画法を導入した洋画成立し明治9年1876年)には建築都市計画分野への応用目的とした工部美術学校開校しフォンタネージお雇い外国人による西洋美術教育開始され工部美術学校出身者洋画家彫刻家明治前半期日本美術会中心的存在となった一方日本諸派絵画などは旧弊なものと見なされ存続の危機陥った伝統的画壇凋落のほか廃仏毀釈大名家没落に伴い多く優れた美術品古道具市場にあふれ、美術商だった林忠正らの積極的な売買により欧米流出しそのまま帰らなかった。明治12年1879年)には佐野常民による竜池会日本美術協会)が結成され竜池会日本の伝統美術保護育成の他、日本美術外貨獲得のための貿易品としても注目し博覧会共進会開催運動起こした。 やがて近代化一段落し今度国粋主義や、民族国家としての独自の美術探求する動き起こり、再び日本美術に目が向けられるうになるアーネスト・フェノロサ岡倉天心らは、政府から万国博出展のために「日本美術史」の解説書いてほしいと依頼を受け、短期間日本美術通史書き上げた。これが現在我々の知る日本美術史原型であるが、その際に、海外への紹介適さないとされた作家らはリストから零れ落ち結果として長らく忘却された。 フェノロサ岡倉天心らは、急速な近代化弊害から日本美術守り育成するため、その優秀・独自性説き東京美術学校開校後は、天心の手により西洋画は一旦斥けされ、工部美術学校出身者らは明治美術会作って対抗するパリ在住林忠正による印象派紹介や、海外留学から帰った黒田清輝らの出展で、明治美術会洋画家らは混乱しながらもヨーロッパ最新絵画運動取り入れ活発な活動行った天心たちは、内紛により東京美術学校から追放され横山大観下村観山とともに日本美術院結成する。また京都画壇竹内栖鳳らを初め多く日本絵画作家らがヨーロッパ留学。やがてこうした動きから、諸派絵画西洋画影響取り入れた新し民族美術として日本画誕生した1907年政府による初めての公募展文部省第一回美術展覧会文展が行われ、日本画洋画彫刻各部門新旧作家らが一堂展覧された。 絵画明治浮世絵小林清親:『東京名所図』(1876 - 81年静岡県立美術館ほか) 河鍋暁斎:『大和美人図屏風』(1884 - 85年京都国立博物館月岡芳年:『月百姿』(1885 - 92年太田記念美術館ほか) 日本画狩野芳崖:『悲母観音』(1888年東京芸術大学大学美術館橋本雅邦:『竜虎』(1895年静嘉堂文庫横山大観『屈原』1898年厳島神社下村観山:『木の間の秋』(1907年東京国立近代美術館菱田春草:『落葉』(1909年永青文庫洋画高橋由一:『』(1877年頃、東京芸術大学大学美術館山本芳翠:『裸婦』(1880年頃、岐阜県美術館浅井忠:『春畝』(1888年東京国立博物館原田直次郎:『騎竜観音』(1890年護国寺黒田清輝:『湖畔』(1897年東京文化財研究所青木繁:『海の幸』(1904年ブリヂストン美術館藤島武二:『黒扇』(1909年ブリヂストン美術館萬鉄五郎:『裸体美人』(1912年東京国立近代美術館彫刻高村光雲:『老猿』(1893年東京国立博物館石川光明:『古代鷹狩置物』(1900年三の丸尚蔵館荻原碌山:『女』(1910年東京国立博物館石膏原型)) 建築コンドル:『旧岩崎久弥邸』(1896年辰野金吾:『日本銀行本店本館』(1896年片山東熊:『赤坂離宮』(1909年工芸柴田是真漆工 - 『富士田子蒔絵額面』(1872年福富太郎コレクション資料室鈴木長吉金工 - 『十二』(1893年国立工芸館宮川香山陶磁器 - 『褐釉蟹貼付台付鉢』(1881年東京国立博物館並河靖之七宝 - 『四季花鳥図花瓶』(1881年三の丸尚蔵館

※この「幕末から明治期」の解説は、「日本美術史」の解説の一部です。
「幕末から明治期」を含む「日本美術史」の記事については、「日本美術史」の概要を参照ください。

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