荻原碌山
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荻原 碌山(おぎわら ろくざん[1] / おぎはら ろくざん[2][3]、1879年(明治12年)12月1日 - 1910年(明治43年)4月22日)は、明治期の彫刻家。本名は守衛(もりえ)、「碌山」は号である[註 1]。長野県東穂高村(現:安曇野市)出身[5]。
註釈
- ^ 碌山の名は夏目漱石の小説「二百十日」の登場人物である「碌さん」に由来する。荻原はこの碌さんの性格を気に入っており、友人たちからも荻原さんと呼ばれずに碌さんと呼ばれていた。それが転じて碌山となったという[4]。
- ^ アカデミー・ジュリアン在籍時にイタリア人をモデルとして制作された[11]。
- ^ 像主の北条虎吉は碌山の兄の友人で、虎吉の依頼により制作された。「労働者」とともに第3回文展に出品されたが、高村光太郎はこの作には人間が見えると称賛している[12][13]。
- ^ 絶作。像主は黒光ではないが、黒光に代表される普遍的な女性像を表現しているものと解釈されている[2][14]。
- ^ 像主は黒光と彼女の次男である襄二、この絵が描かれた翌日に襄二は没した[9][15]。
出典
- ^ 三木多聞, “荻原守衛 おぎわらもりえ”, 日本大百科全書(ニッポニカ), 小学館
- ^ a b “荻原守衛(碌山)”. 中村屋. 2019年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月12日閲覧。
- ^ “荻原守衛(おぎはらもりえ)(碌山)略年譜”. 碌山美術館. 2019年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月14日閲覧。
- ^ a b 黙移(1977年)207頁
- ^ “碌山美術館:ミュージアム検索|美術館・アート情報 artscape”. 美術館・アート情報 artscape. 2023年4月12日閲覧。
- ^ 黙移(1977年)242、243頁
- ^ “戸張孤雁氏像 とばりこがんしぞう”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2019年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月20日閲覧。
- ^ 平成28年度安曇野検定準備講座(2016年)5頁
- ^ a b 平成28年度安曇野検定準備講座(2016年)6頁
- ^ 女 荻原守衛 e国宝
- ^ “坑夫”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2019年1月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月12日閲覧。
- ^ “北条虎吉胸像 ほうじょうとらきちきょうぞう”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2019年1月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月12日閲覧。
- ^ “北条虎吉像”. 八十二文化財団. 2019年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月14日閲覧。
- ^ “女”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2019年1月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月14日閲覧。
- ^ 黙移(1977年)「図版目次」XVI頁
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