前身企業
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「ジャパンディスプレイ」の記事における「前身企業」の解説
ソニーモバイルディスプレイの系譜ソニー + 豊田自動織機=エスティ・モバイルディスプレイ・エスティ・エルシーディ エスティ・モバイルディスプレイ + エスティ・エルシーディ=ソニーモバイルディスプレイ(SMD)発足。 三洋電機 + セイコーエプソン=エプソンイメージングデバイス エプソンイメージングデバイス、SMDへ資産譲渡 東芝モバイルディスプレイの系譜東芝+松下電器産業=東芝松下ディスプレイテクノロジー(後にパナソニックの保有株式を東芝が全て取得し、東芝モバイルディスプレイへ) 日立ディスプレイズの系譜日立製作所+キヤノン+パナソニック=日立ディスプレイズ
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前身企業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 03:44 UTC 版)
株式会社レモン 愛知県東海市に本社を置き、「ドラッグストアーレモン」を愛知県や岐阜県に16店展開していた(現在はすべてセイムスに転換、もしくはユタカファーマシーに店舗譲渡し、レモンという看板で営業している店舗は存在しない)。1976年5月設立、資本金4000万円。2003年10月子会社化。合併前は、単独でホームページも公開しており、レモンカードというオリジナルカードも持っていた。2009年の売上で46億円。尚、合併前はカルナドラッグ(本社、愛知県豊川市小坂井町)をフランチャイズ店舗としていたが、合併後は分離している。 株式会社森山薬局 三重県松阪市に本社を置き、「ドラッグモリヤマ」「くすりの森山」を三重県、和歌山県に23店舗、「ドラッグセイムス」を4店舗展開していた(現在も、一部ドラッグモリヤマの看板で営業している)。1986年7月設立、資本金4000万円。2004年4月に子会社化。現在、東海セイムスの本社機能は森山薬局本社の場所にある。2009年の売上で76億円。 株式会社ドラッグストアキリン 和歌山県御坊市に本社を置き、「スーパードラッグキリン」「キリン薬局」を和歌山県中南部に9店舗展開していた(現在も、一部スーパードラッグキリンの看板で営業している)。企業設立1989年10月、資本金は1000万円。2004年2月子会社化。2009年の売上で40億円。大阪府地盤の大手キリン堂や広島県地盤のキリン堂薬局とは別会社である。公式ホームページを持ったことはない。
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前身企業
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日本カー・フェリー株式会社(NIPPON CAR FERRY 略称:NCF) 1964年(昭和39年)8月設立、資本金20億円。法人株主は北炭観光開発、日本鋼管、新日本製鐵、三井物産、日本石油、出光興産他。 京浜・京葉工業地帯間の物資輸送と千葉県内の観光開発を目的として北海道炭礦汽船系列により設立され、川崎と木更津を結ぶ近距離フェリーを皮切りに関東と宮崎間を結ぶ長距離フェリーに業務を拡大した。 塗装は長距離船舶が船体は白を基調に胴体に赤色のラインと船首に青のラインと「NCF」の社章をあしらいファンネルマークには赤を基調に青色の鳶のマークのデザインとしカーフェリーのスピード感と企業の上昇性を表すとともに天の神の意思を地上に伝える巫女や倭迹迹日百襲姫のイメージを兼ねたものとした。また東京湾内航路船舶は胴体に薄緑と船楼に白の塗装とした。 殆どのターミナルは自社所有物件だったこと、及び当初より旅客・乗用車を重視した豪華なカーフェリーを多数建造し、早期から需要と実情が合わなかったために経営が悪化。1987年3月期からは一時黒字に転換したものの営業譲渡前の1990年3月期決算時点で累積損失は98.9億円に達していた。途中、出資者は観光施設運営の三井観光開発に変わったが、その後融資元の日本長期信用銀行が介入し、シーコムが経営権を買収。シーコムフェリーへの事業譲渡後、1990年12月に解散した。 株式会社シーコムフェリー (SEA-COM FERRY LIMITED) バブル期にリゾート開発で名を馳せたイ・アイ・イ・インターナショナル(2000年に倒産)が60%と、当時同社傘下の企業となっていた海運会社シーコム(2007年4月12日、破産手続き開始。)が40%の共同出資で設立。ファンネルマークは白地に緑色の社章をあしらい下部に「SEA-COM FERRY」の英称を入れたデザインとし、胴体には日本カーフェリー時代のラインを緑色に塗り替えたものとした。 その後、出資2社のバブル崩壊による経営不振に伴い、2社の融資元である日本長期信用銀行が介入。1992年10月に2社との関係を解消し、マリンエキスプレスに社名変更した。
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