じんみん‐こうしゃ【人民公社】
人民公社
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人民公社(じんみんこうしゃ)とは、かつて中華人民共和国において農村に存在した組織である[1][2]。一郷一社の規模を基本単位とし、末端行政機関であると同時に集団所有制の下に、工業、農業、商業等の経済活動のみならず、教育、文化さらには軍事の機能を営んだ[1]。すなわち、従来の権力機構(郷人民政府と郷人民代表大会)と「合作社」を一体化した「政社合一」の組織であった[2]。中国がヨシフ・スターリンによる農業集団化を模倣して、1958年から開始した大躍進運動の一環で導入されたが、杜撰な政策を推進したことにより数千万人を餓死させた[3]。
人民公社
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「中華人民共和国大飢饉」の記事における「人民公社」の解説
大躍進中、農業は人民公社のもとで編成され、私有地の耕作は禁止された。農業経済は中央で計画され、地域の党指導者はその統制下で人民公社の生産割当を与えられた。彼らの生産物は国家によって専有され、その裁量で分配された。地方幹部たちの多くが、生死に関わる権力、すなわち食料の割当という実質的な生殺与奪の権利により、農民を命令に従わせた。 食事は人民公社の共同食堂で摂ることとされた。大多数がこの制度に反対したが、幹部たちは食堂の使用を人々に強制した。自らの蓄えで食事をするものは「富農」として糾弾の対象となり、民兵たちは煙突から煙が出ている家から罰金を徴収し、家探しして食料や調理器具を押収した。共同食堂の食料配給担当者は、金を持っている・仕事が遅いなどの言いがかりをつけて食料を減じて、口答えした者や自分が嫌っている者を死へ追いやった。 人々の暮らしは人民公社によって軍隊式に組織された。中国全土の農民たちが、夜明けに軍隊ラッパで起こされ、列を作って共同食堂へ向かい、一杯の粥をかきこんでから、旗を掲げて行進曲や革命歌をバックに隊列を組んで畑へ向かった。民兵から発破をかけられたりときに殴打されながらの作業が終わり割り当てられた宿舎へ戻ると、集会が開かれ、各人のその日の成果が審査された。労働者には成果に応じて労働点数が付与され、報酬が与えられることとなっていたが、大躍進期にはほとんど無価値なものとなり、労働のインセンティブが取り払われたこの労働点数制のことを、人々は「キュウリで太鼓を叩く(強く叩けば叩くほど音が出なくなる)」ようなものだと評した。 過激な人民公社では、私有地・重機類・家畜などあらゆるものが共同所有にされた。所有権を離れた農具を手入れする者はいなくなり、半分近くが使い物にならなくなった。農民たちは「自分で食べれば自分のもの、食べなければ誰かの物」と囁き、不安に駆られた人々は競って消費を始めた。銀行では貯金の没収を恐れた人々による取り付け騒ぎが発生し、東人民公社は設立後の2日間で総貯蓄額の5分の1が引き出された。集団心理により派手な消費行動が取られ、私有地で採れた作物は蓄えることなく食い尽くされ、家畜やペットまでもが食べられた。報告された"過剰な作物"の処分のために1958年に毛が出した「食事を1日5回にすれば良い」との指示により、とりわけ綿花など食料以外の作物を生産して国から対価として大量の穀物が支給された地方では共同食堂で暴飲暴食が行われ、山盛りの残飯が便所に捨てられた。 空腹であろうとなかろうと、みんな、むやみに食べました。そして、二十日で全部の米を、本来なら半年は持つ米を食べ尽くしてしまったのです。 —ある村の農民、 四川省をはじめ、多くの人民公社がわずか半年で「おなかがいっぱいになるまで食べられる楽園」から「働くか、さもなくば死か」という地獄へ叩き落された。2008年、楊継縄は生産目標制の影響を、最も需要のある場所に供給を振り分けられないと要約し、その一例を挙げている; 新陽では、穀物倉庫の扉の前で人々は飢えていた。彼らは死ぬ間際に、「共産党よ、毛沢東委員長よ、私たちをお救いください」と叫んだ。河南と河北の穀倉が開かれていれば、誰も死ぬ必要はなかった。周りの人々が大量に死んでいくので、役人たちは特段彼らを救おうとは考えなかった。彼らの唯一の関心事は、どうやって穀物の配達を果たすかということだった。 人民公社がどの程度飢饉をもたらしたかは議論の余地がある。地域ごとに飢饉の扱い方が異なり、飢饉のタイムラインは中国全土で統一されていない。一つの争点は、共同食堂での過度な食料の消費が、飢饉の悪化をもたらしたかという点である。ある学者は、食堂での過度の食事が行われなかった場合、「1959年半ばには最悪の大躍進飢饉を回避できたはずだ」と主張した。しかし、安徽省と江西省では共同食堂普及率が飢饉との有意な関連を示していないことが判明した。
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