三段目
三段目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 10:05 UTC 版)
(椎の木の段)若葉の内侍、六代、小金吾の一行は、平維盛の消息を尋ねに大和国を経由し高野山へと向かっていた。その途中、吉野下市村の茶店で荷を降ろし休憩する。内侍が六代に与える薬を切らしたと聞いた茶店の女は、では自分が買ってきてあげましょうと、内侍たちに後を頼みその場をはずした。 幼い六代は、茶店の傍らにあった栃の木から落ちた木の実を拾って遊んでいる。そこへ風呂敷を背負った旅なりの若い男がやってきてこれも茶店で休む。しばらくして栃の実を拾う様子を見たこの男は、木についているのを取るのがよかろうと、木に向かって石つぶてを投げる。それに当った栃の実がばらばらと落ち、六代は悦んで栃の実を拾う。やがて旅の男は茶店を立った。 小金吾がふと自分の降ろした荷を見た。これは自分が背負ってきた荷物ではない。そういえばさきほどの旅の男が、よく似た荷物を背負っていた。あの男が自分の荷物と取り違えて持っていったのに違いない、取り返そうと小金吾が駆け出そうとするところへ、男が道の向うから大慌てで戻り、小金吾に荷を取り違えた粗相を詫びる。そして荷の中身に間違いが無いかどうか、互いに改めることになった。だが男は思いもよらぬことを言い出す。自分の荷の中には二十両という大金が入っていた。それが今荷を改めるとその金が見当たらない。おまえが二十両の金をくすねたのだろうと、言いがかりをつけはじめたのである。 小金吾はお尋ね者である内侍と六代の身の上を思い、なんとか穏便に済まそうとするが、男はなおも悪態をつき金を出せと騒ぐので、小金吾はついにこらえきれず刀を抜いた。だが内侍はそれを止め、涙ながらに男の言う通りにというので、小金吾も悔しくはあったが金を地面に叩きつけ、内侍と六代を連れてその場を立ち去る。 男は「うまい仕事」といいながら金を拾い集め、さてばくち場へ行こうとすると、戻っていた茶店の女がその前に立ちはだかり、男の胸倉を取って引き据えた。男はこの近在で釣瓶鮓屋を営む弥左衛門のせがれ、いがみの権太というチンピラであった。そしてこの茶店の女とは権太の女房小せんで、そのあいだに善太という子を儲けた仲だったのである。小せんは少し前にこの場に戻り、権太が小金吾たちから金をゆすり取るのを陰で見ていた。こうしたことをするから親の弥左衛門様から勘当も同然に見限られている、子の善太のためも思って行いを改めてくれと意見するが、権太は、そもそも今のように身を持ち崩したのも、もとは御所の町の隠し売女だったお前に入れあげたのがきっかけだなどと開き直る始末。だが傍らにいた善太が、「ととさまサア内にござれ」と権太の手を引くとわが子はかわいいか、権太はその手を引いて小せんとともにわが家へ帰るのだった。 (小金吾討死の段)一方、若葉の内侍と六代探索の追手はついにこの大和にまで及び、内侍たちは追われていた。すでに夜、藤原朝方の家来猪熊大之進は手下を率い内侍たちを襲うが、小金吾は手下たちを切り捨て、大之進も最後には斬り殺すも深手を負わされる。小金吾は嘆く内侍と六代をその場から逃がすと息絶えた。 そこへ村の集まりからの帰り、提灯を持って夜道を歩む釣瓶鮓屋の弥左衛門は偶然小金吾の遺骸を見かける。弥左衛門はいったんは、見知らぬ若者のなきがらに念仏を唱え手を合わせて通り過ぎた。が、何を思ったのかその死骸のところへ立ち戻り、辺りを見回すと自分が差していた刀を抜いて首を切り落とし、その首を持って飛ぶように去っていく。 (鮓屋の段)そのころ釣瓶鮓屋では、弥左衛門の女房と娘のお里が家業の鮓の商いに励んでいた。お里は上機嫌、それというのも明日の晩には下男の弥助と祝言をあげることになっていたからである。弥助は弥左衛門が連れてきた美男子で、お里はそんな弥助に惚れている。弥助が戻り、お里が早速女房気取りで話をするところ、この家の惣領いがみの権太が父弥左衛門の目を盗んでやってきた。権太は母親に話があるから奥へいけと、弥助とお里をその場から追い払った。 母親は、やくざな権太がまた金の無心にでもきたかと機嫌を悪くするが、権太の口から出たのは暇乞いの言葉であった。代官所に納める年貢の金三貫目を人に盗まれ、年貢を納めることができないからその咎で死罪になるのだという。などといいながらうそ泣きをする権太…親から金を引き出すための嘘八百である。しかしその話を甘い母親は真に受け、戸棚から三貫目の金を出し権太に与える。権太はしてやったりと思いながら、それを空の鮓桶に入れて持っていこうとすると、けたたましく戸を叩く音。父親の弥左衛門が帰ってきたのである。権太は慌て、とりあえずそこに並んだ鮓桶の中に金を入れた桶を紛れ込ませ、母親は奥へ、権太は戸口のあたりに身を隠した。 弥左衛門の声に気づいた弥助が奥より出て戸をあけた。弥左衛門は最前道から持ってきた小金吾の首を空の鮓桶に隠し、お里たちを呼ぼうとする弥助を留め、下男の弥助を上座に座らせる。 弥助とは実は、平重盛の子息三位中将維盛であった。源平の合戦の後、熊野詣をしていた弥左衛門は維盛と偶然出会い、この大和下市に連れてきて弥助と名乗らせ匿っていたのだった。平重盛はその昔、後生を頼むために唐土の育王山に黄金三千両を納めようとし、そのとき瀬戸内で船頭をしていた弥左衛門は、この三千両を運ぶ役目を仰せつかった。だが弥左衛門とその仲間の船頭たちは、三千両を盗み仲間内で分け合った。このことは重盛に露見した。しかし重盛は、日本の金を唐土に送ろうとした自らこそ盗賊であると悔い、弥左衛門たちのしたことを不問にしたのだった。弥左衛門はこの昔の恩義に感じてその息子の維盛を助けたのだったが、いま自分の息子がいがみなどと呼ばれて盗み騙りを働くのも、むかし重盛公より金を盗んだ親の因果が子に報いているのだろうと嘆く。 そこへお里が出てきたので、弥左衛門は維盛を残して奥へと入った。お里はひとつ布団に枕をふたつ並べてうきうきしているが、維盛は若葉の内侍や六代のことを思うと気も晴れない。そんな様子にお里はさきに布団で横になり寝てしまう。 自分には本当は妻子がある…と維盛が思い悩んでいると、表から一夜の宿を乞う女の声がする。維盛は、ここは鮓屋で宿屋ではないと家の中から断ったが、幼子を連れているのでどうか一夜…となおも頼むので、直接断ろうと戸を開けた。見れば若葉の内侍と六代。思わぬ再会に三人は驚き涙しつつも、維盛はひそかに内侍と六代を内に招き入れ、互いに積る話をするのだった。 だがその話を、お里は聞いていた。思わずわっと泣き声を上げるお里。逃げようとする内侍と六代をお里はとどめ上座に直し、維盛のことは思い切ると涙ながらに語るので、内侍もその心根に涙する。ところがそこへ村役人が来て、ここに鎌倉の武士梶原景時が来ると告げて去る。維盛たちは驚くが、お里は上市村にある弥左衛門の隠居所に行くよう勧め、維盛たちはその場を立ち退く。だがさらに、物陰に隠れていた権太が飛び出した。それまでの様子を聞いていた権太は維盛たちを捕まえて褒美にしようと、それを止めようとするお里を蹴飛ばし、三貫目の入ったはずの鮓桶を持ちあとを追ってゆく。 お里は弥左衛門と母親を呼ぶ。お里から話を聞いた弥左衛門は刀を差して表を飛び出した。だかその道の向うから、提灯をともした大勢の者がやってくる。「ヤア老いぼれめどこへ行く」そういって現われたのは手勢を率いた梶原景時。 弥左衛門が出ていた村の集まりとは、鎌倉から来た景時が維盛詮議のために村人を集めていたものであった。維盛のことを景時から聞かれた弥左衛門は、当然知らぬ存ぜぬで通したが、景時は、維盛がこの家にいることはすでに露見しており、逃げられないようわざと泳がせていた。維盛の首を討って渡せと弥左衛門に迫る。 すると弥左衛門は、維盛はもう首にしてあるという。弥左衛門は、最前道で拾った若者(小金吾)の首を維盛の身替りにするつもりだった。そして鮓桶に隠した偽首を出そうとする。ところが弥左衛門の女房は、その桶に自分が内緒で権太に与えた三貫目が入っていると思い、景時がいるのも構わずに弥左衛門が桶を開けることを阻む。景時は「さてはこいつら云い合わせ、縛れ括れ」と手下たちにいうまさにそのとき。権太が維盛たちを捕らえたと言ってやってきたのである。 権太は縛りあげた内侍と六代を引き出し、維盛の首を景時の前に出した。維盛を捕らえようとしたが手ひどく抗ったので、殺して首にしたのだという。景時はその働きを誉め、親弥左衛門が維盛をかくまった罪は許してやるというと、親の命はいらぬからほかの褒美がほしいという権太。ではこれをやろうと、景時は着ていた陣羽織を脱いで権太に与えた。これはもと頼朝公が着ていたのを拝領したもので、これを持って鎌倉に来れば、引き換えに金を渡してやる。そう言い残し景時は首を収め、縄付きの内侍と六代も引っ立て手下とともに立ち去った。 弥左衛門の怒りが爆発した。弥左衛門は隙を見て、権太の体に刀を突っ込む。苦しむ権太。母親は悲しむが、怒りの収まらぬ弥左衛門は「こんなやつを生けて置くは世界の人の大きな難儀」と、なおも権太を刀でえぐる。 しかし苦しみながら権太は弥左衛門に言う、「こなたの力で維盛を助けることは叶わぬ」と。そして弥左衛門が偽首を入れたはずの鮓桶をあけると、そこからは三貫目が出てきたのである。権太は自分が持っていった鮓桶の中身が生首(小金吾)と取り違えたことに気付き、これを維盛の身替りとして景時に差し出した。そして縛って渡した内侍六代とは、自分の女房子供の小せんと善太だったのである。権太が笛を吹くと、それを合図に維盛たちが駆けつけた。権太は最前家の中に身を隠すうち、維盛と弥左衛門の身の上を聞き改心することにしたのだという。そして偽首を持って出た途中小せんと善太に出会い、小せんは自分たちを内侍六代の身替りとするよう自ら願い出たのだと語る。弥左衛門はこれを聞き、まともに嫁よ孫よと呼べなかったことを女房とともに悔い嘆くのであった。 維盛と内侍も涙し、維盛は弥左衛門が持ち帰った首というのは自分の家来だった主馬の小金吾であると語る。権太が貰った陣羽織が頼朝の使った品だと聞き、維盛はせめてもの返報にと、刀で陣羽織を裂こうとした。ところがその裏地には、思わせぶりな小野小町の詠んだ和歌が記されている。維盛は不審に思いなおも陣羽織を改めると、そのなかには袈裟衣と数珠が縫いこまれていた。頼朝はその昔、平治の乱で平家に捕まり殺されるはずだったのを、清盛の継母池の禅尼が命を助けた。その恩を思い、今度は維盛の命を助けたのだった。つまり権太が用意した身替りは、すべて最初から見破られていたのである。謀ったと思ったが、あっちがみな合点…と権太は苦しみつつも悔やむ。 維盛は出家を決意し、髻を切ってこの場を立とうとする。内侍とお里は自分たちもともにと維盛にすがるが、維盛はふたりを退け、内侍は高雄の文覚のところに行き六代のことを頼み、お里は兄に代わって親に孝行せよという。弥左衛門は内侍と六代の供をしようと、これも旅支度をして立とうとする。母親はせめて最期の近い息子を看取ってくれと弥左衛門に泣きながら頼むが、「死んだを見ては一足も歩かるる物かいの」と弥左衛門は嘆く。そんな一家の様子を不憫に思いながらも維盛は高野山へと、内侍と六代、弥左衛門は高雄へとそれぞれ向う。権太は、最期を迎えようとしていた。
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