ソフトバンクを辞めました。
2011.12.07 18:18|雑記|
携帯キャリアの話ではなく、会社の話です。とはいっても、孫正義率いるいわゆる通信三社ではなく、グループ会社ですが。さらに言うと、私用携帯はauです。もろもろごめんなさい。そして高木新平さん、タイトルをパロって失礼しました。
さて、戯れ言はこのへんにしておき、本題です。退職するにあたって感じたこと、考えたこと、今後はこう生きていきたいという思いを差し障りのないレベルで書きたいと思います。まず、退職理由は様々です。子供ができ親が住む鎌倉近くに引っ越して拠点を移したこと、これがひとつの大きな要因。妻とどうやって子供を育てていくか、どうやって自分の城を築きルールつくっていくか、そしてそれを包む心地良い空間とは…そんな風に「自分の人生」を本格的に歩んでいくことに思いを馳せたとき、今の仕事内容、職場環境、オフィスの立地は最良の選択と言えるだろうかと考えるようになりました。
そして、これが一番の問題であり、理由でもありますが、いろんな意味で現状の組織のあり方に付いていけなくなったことが大きいです。もちろん、元いた会社を批判しているわけではありません。むしろ健全な経営をしていると思いますし、不器用な人は多い気がしますが、素敵な人たちが集まった会社だと思っています。ただ、私自身をそこにフィットさせることができなかっただけで。このあたりは収拾がつかなくなるので、組織論というか会社員を続けていくことの難しさについては別で書こうと思います。
随分とかいつまんで書いてしまいましたが、これまた端的にありたい姿について言うとこうなります。「自分であり続けることに妥協しない」と。自分にできないこと必死でやるより、できることだけは誰にも負けないって勢いでやり切った方が絶対いい人生になるはず。私はそう考えました。キレイゴトだとかそんなに甘くないだとか言われるだろうけど、そういう人は目の前のことに必死になれる人だから、そこで自分を磨けばいい。それも一つの能力。
能力と一言で表してしまうと、努力、根性その他の人間らしい活動を否定しているように見えるかもしれないし、自分はいろんなことから逃げてきたから説得力はないのだけれど、言いたいことはいたってシンプル。人間はいつか必ず死ぬし有限な存在だから、そんなに多くのことはできません。何かを究めるということは、ほかのものを諦めるということ。今更大企業に入ってのし上がって稼ぎたいなんて言うのは、虫のいい話。それができなかったから今があるわけで。組織、人に対しても自分をフィットさせことのできる力がないのなら、どうするかを考えるしかない。
もちろん、そんなにがんばらなくていいよね、などとは言いません。このご時世そんなことでは生きていけないし、家庭を築いていけない。あくまで、「無理して」という部分だけ外せる人生は素晴らしいという単純な話。人生は、困難に立ち向かったり、いろいろ学べばそれで良いってものではないと思うんです。確かに、傲慢でないこと、素直であることは美徳ですが、一方でそういった美徳では達成できないこと、通用しない世界もある。なかなか理解を得られなかったり、即効性のない能力というものがある。その能力に捕われることで、小さな器の中に閉じこもることになるけれど。
でも、それでも、小さなものを守るだけで精一杯でいいと思っています。小さなものも守れなければ、何も成し得ないから。ちっぽけな私には家族やごく身近な人たち以外は、文章とストーリーしかない。それしかできないんです。それすら怪しいけれど、他は本当に何もできないから。応援してくれる人たちのためにも、そこは譲るわけにはいきません。私はそこで、勝負します。
退職理由と今後の方針については以上になりますが、最後に、おまけとして私が書いた退職メールを転載させていただきます。こんな文体、内容が許されてしまう(と信じています)会社であること自体が素晴らしいなと思いますし、ありがたいことだなとしみじみ感じています。ぜひ、最後までお付き合いいただければと思います。社名と後輩の名前を伏せた以外は原文ママです。
……………………………………………………………………………………………………
お疲れ様です。
制作Gの青木です。
この度11月30日を最終出社とし、
来月末を持って○○○○を退社いたします。
先日はお忙しい中お集まりいただき、花束とJr.用のおもちゃ、そしてあたたかいメッセージを贈っていただき、本当にありがとうございました。すでに退社されていた方もいましたが、最後に皆さんとお話ができて嬉しかったです。
さて、退職メールですが、制作現場に身を置く人間としては「退職 あいさつ文 テンプレート」などとググって15行くらいでさらっと終わらせることは許されるはずもなく、ダラダラと長文となってしまうことをお許しください。
ただ、月曜日に送別会をやっていただけるとのことですので、後で恥ずかしくなるようなクサイことは書かないようにしようと思います。すでに十分醜態をさらしていますが、そこはスルーするのが大人の嗜みかと。
5年8カ月という歳月は長いようで短いようでしたが、結婚という人生における大きな決断もあり、子供が産まれるという最大の喜びを味わい、確実に歳を取ったなぁと実感しています。
入社当時は26歳でしたが、直近はフリーライターでしたし、その前も某ベンチャーで8カ月ほど働いただけでしたので、そこそこ年はいっていたものの第二新卒みたいなものでした。
そして、そもそもこの会社に入ったのは、フリーでずっと仕やっていくのもしんどいしなと思っていたとき、当時お付き合いしていた結婚願望の強い彼女に就職を促されて、「じゃあ…」とシューカツをはじめたのがきっかけです。つまり、「甘ったれたク○野郎」でした。今でもそんなに変わりはありませんが。
そんなわけで紆余曲折ありましたが、正直こんなにも晴れやかな気分で(読んでいる方は若干不愉快かもしれませんが)退職のご挨拶メールを書けるとは思いもよりませんでした。それもすごく嬉しいです。
もちろん、人と人は簡単には分かり合えないですし、事業会社ですから利益ありきで運営され、利害関係がマッチして雇用関係が成立しているわけですがそこには理屈では測れない思いや縁、絆があり、だからこそ今このメンバーが集まっているのだと思います。陳腐な言い方ですが、1億3千万人中の数十名、しかもこの(苦しい)時代に。いわゆる、天文学的確率です。
僕は、その目に見えないものを何よりも大切にしたいですし、見えないもの美しいもの、素敵なものをどうにかして言葉に変えていくことに一生をかけて取り組んでいきたいと思っています。いろいろと考えてみましたが、そうしなければ自分は納得しないし、自己実現などと言っても臍が茶を沸かします。
…いい加減長くなってしまいましたので、そろそろ〆させていただきます。僕から言えることは少ないのですが、特に若手社員に向けて言いたいことがあります。それは、「自分の人生をとことん味わい尽くさないとつまらないよ」ということ。
人生は人それぞれで正解などというものはありませんし、価値観も十人十色ですがぜひともそれぞれの道を見つけて幸せをつかんでいただきたいと強く願っています。自分自身産まれてきた子供を目の前にして、子供は希望であり未来であると実感しましたし、これまでの苦労、挫折、傷、暗い衝動そんなもの全てを肯定できました。
そして、妻への尊敬の念、親、親戚を含めた家族を大切にしたいという気持ち、友人の存在のありがたさ、さらには気持ちよく送り出してくれた皆さんへの感謝の思いで心が満たされました。これは、とにかく素晴らしいことです。
末筆ながら、皆様のますますのご活躍を心よりお祈り申し上げまして御礼かたがた退職のご挨拶とさせていただきます。本当に、ありがとうございました。
追伸:
僕の気のせい、もしくは深い理由があるのだとしたら申し訳ないのですが、○○君はなぜ集合写真をUPしてくれないのでしょうか? それが気がかりで夜も眠れません。今日までしかメール使えないのに…そういうところだぞ、○○!
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さて、戯れ言はこのへんにしておき、本題です。退職するにあたって感じたこと、考えたこと、今後はこう生きていきたいという思いを差し障りのないレベルで書きたいと思います。まず、退職理由は様々です。子供ができ親が住む鎌倉近くに引っ越して拠点を移したこと、これがひとつの大きな要因。妻とどうやって子供を育てていくか、どうやって自分の城を築きルールつくっていくか、そしてそれを包む心地良い空間とは…そんな風に「自分の人生」を本格的に歩んでいくことに思いを馳せたとき、今の仕事内容、職場環境、オフィスの立地は最良の選択と言えるだろうかと考えるようになりました。
そして、これが一番の問題であり、理由でもありますが、いろんな意味で現状の組織のあり方に付いていけなくなったことが大きいです。もちろん、元いた会社を批判しているわけではありません。むしろ健全な経営をしていると思いますし、不器用な人は多い気がしますが、素敵な人たちが集まった会社だと思っています。ただ、私自身をそこにフィットさせることができなかっただけで。このあたりは収拾がつかなくなるので、組織論というか会社員を続けていくことの難しさについては別で書こうと思います。
随分とかいつまんで書いてしまいましたが、これまた端的にありたい姿について言うとこうなります。「自分であり続けることに妥協しない」と。自分にできないこと必死でやるより、できることだけは誰にも負けないって勢いでやり切った方が絶対いい人生になるはず。私はそう考えました。キレイゴトだとかそんなに甘くないだとか言われるだろうけど、そういう人は目の前のことに必死になれる人だから、そこで自分を磨けばいい。それも一つの能力。
能力と一言で表してしまうと、努力、根性その他の人間らしい活動を否定しているように見えるかもしれないし、自分はいろんなことから逃げてきたから説得力はないのだけれど、言いたいことはいたってシンプル。人間はいつか必ず死ぬし有限な存在だから、そんなに多くのことはできません。何かを究めるということは、ほかのものを諦めるということ。今更大企業に入ってのし上がって稼ぎたいなんて言うのは、虫のいい話。それができなかったから今があるわけで。組織、人に対しても自分をフィットさせことのできる力がないのなら、どうするかを考えるしかない。
もちろん、そんなにがんばらなくていいよね、などとは言いません。このご時世そんなことでは生きていけないし、家庭を築いていけない。あくまで、「無理して」という部分だけ外せる人生は素晴らしいという単純な話。人生は、困難に立ち向かったり、いろいろ学べばそれで良いってものではないと思うんです。確かに、傲慢でないこと、素直であることは美徳ですが、一方でそういった美徳では達成できないこと、通用しない世界もある。なかなか理解を得られなかったり、即効性のない能力というものがある。その能力に捕われることで、小さな器の中に閉じこもることになるけれど。
でも、それでも、小さなものを守るだけで精一杯でいいと思っています。小さなものも守れなければ、何も成し得ないから。ちっぽけな私には家族やごく身近な人たち以外は、文章とストーリーしかない。それしかできないんです。それすら怪しいけれど、他は本当に何もできないから。応援してくれる人たちのためにも、そこは譲るわけにはいきません。私はそこで、勝負します。
退職理由と今後の方針については以上になりますが、最後に、おまけとして私が書いた退職メールを転載させていただきます。こんな文体、内容が許されてしまう(と信じています)会社であること自体が素晴らしいなと思いますし、ありがたいことだなとしみじみ感じています。ぜひ、最後までお付き合いいただければと思います。社名と後輩の名前を伏せた以外は原文ママです。
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お疲れ様です。
制作Gの青木です。
この度11月30日を最終出社とし、
来月末を持って○○○○を退社いたします。
先日はお忙しい中お集まりいただき、花束とJr.用のおもちゃ、そしてあたたかいメッセージを贈っていただき、本当にありがとうございました。すでに退社されていた方もいましたが、最後に皆さんとお話ができて嬉しかったです。
さて、退職メールですが、制作現場に身を置く人間としては「退職 あいさつ文 テンプレート」などとググって15行くらいでさらっと終わらせることは許されるはずもなく、ダラダラと長文となってしまうことをお許しください。
ただ、月曜日に送別会をやっていただけるとのことですので、後で恥ずかしくなるようなクサイことは書かないようにしようと思います。すでに十分醜態をさらしていますが、そこはスルーするのが大人の嗜みかと。
5年8カ月という歳月は長いようで短いようでしたが、結婚という人生における大きな決断もあり、子供が産まれるという最大の喜びを味わい、確実に歳を取ったなぁと実感しています。
入社当時は26歳でしたが、直近はフリーライターでしたし、その前も某ベンチャーで8カ月ほど働いただけでしたので、そこそこ年はいっていたものの第二新卒みたいなものでした。
そして、そもそもこの会社に入ったのは、フリーでずっと仕やっていくのもしんどいしなと思っていたとき、当時お付き合いしていた結婚願望の強い彼女に就職を促されて、「じゃあ…」とシューカツをはじめたのがきっかけです。つまり、「甘ったれたク○野郎」でした。今でもそんなに変わりはありませんが。
そんなわけで紆余曲折ありましたが、正直こんなにも晴れやかな気分で(読んでいる方は若干不愉快かもしれませんが)退職のご挨拶メールを書けるとは思いもよりませんでした。それもすごく嬉しいです。
もちろん、人と人は簡単には分かり合えないですし、事業会社ですから利益ありきで運営され、利害関係がマッチして雇用関係が成立しているわけですがそこには理屈では測れない思いや縁、絆があり、だからこそ今このメンバーが集まっているのだと思います。陳腐な言い方ですが、1億3千万人中の数十名、しかもこの(苦しい)時代に。いわゆる、天文学的確率です。
僕は、その目に見えないものを何よりも大切にしたいですし、見えないもの美しいもの、素敵なものをどうにかして言葉に変えていくことに一生をかけて取り組んでいきたいと思っています。いろいろと考えてみましたが、そうしなければ自分は納得しないし、自己実現などと言っても臍が茶を沸かします。
…いい加減長くなってしまいましたので、そろそろ〆させていただきます。僕から言えることは少ないのですが、特に若手社員に向けて言いたいことがあります。それは、「自分の人生をとことん味わい尽くさないとつまらないよ」ということ。
人生は人それぞれで正解などというものはありませんし、価値観も十人十色ですがぜひともそれぞれの道を見つけて幸せをつかんでいただきたいと強く願っています。自分自身産まれてきた子供を目の前にして、子供は希望であり未来であると実感しましたし、これまでの苦労、挫折、傷、暗い衝動そんなもの全てを肯定できました。
そして、妻への尊敬の念、親、親戚を含めた家族を大切にしたいという気持ち、友人の存在のありがたさ、さらには気持ちよく送り出してくれた皆さんへの感謝の思いで心が満たされました。これは、とにかく素晴らしいことです。
末筆ながら、皆様のますますのご活躍を心よりお祈り申し上げまして御礼かたがた退職のご挨拶とさせていただきます。本当に、ありがとうございました。
追伸:
僕の気のせい、もしくは深い理由があるのだとしたら申し訳ないのですが、○○君はなぜ集合写真をUPしてくれないのでしょうか? それが気がかりで夜も眠れません。今日までしかメール使えないのに…そういうところだぞ、○○!
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