FUTURUS掲載記事:「スマートウォッチ」について
2015.04.10 16:45|雑記|
Apple Watchは「腕時計」のトップを狙っているわけではない?
スマートフォンやタブレットに続く新たなスマートデバイスとして期待され、話題沸騰のスマートウォッチ。Apple Watchの発売日が決まり報道が加熱する一方で、2014年に出荷されたデバイス数は約460万台、うちAndroid Wearは72万台と、数値の上ではまだまだ小規模な市場であることも冷静に指摘されている。
米国の調査会社Strategy Analyticsは、2015年度のスマートウォッチ市場は2,810万台まで伸びると予測しているが、果たしてどうなるだろうか。本稿では、現状におけるスマートウォッチの需要と供給、市場の成長性がどの程度のものかを把握しながら、その存在価値について考えたい。
Apple Watchはユーザーニーズに応えられるのか?
さて、まずはApple Watchから。いよいよ4月24日に発売される。モデル数は38、価格は4万2,800円から218万円までと種類の多さ、価格の幅広さが特徴的で、はじめからターゲットを広く設定しているのがわかる。ただ、Apple Watchの天下が始まるかと言えば、首をかしげずにはいられない。
世界中のファンを魅了する新商品の発表はさすがとしか言いようがないものの、iPhoneの新型の機種変更のように爆発的な販売は見込めない。当たり前のことだが、“必需品”ではないからだ。生粋のアップルファンや先進的なウエアラブルデバイスやガジェットを求めるギークであれば、4万2,800円〜という価格感やバッテリー問題などはハードルにならないのかもしれないが、様々な機能により利用シーンが大きく広がると言われても、一般消費者が気軽に購入できるものではないだろう。
では、腕時計としてのニーズはどうだろうか。実際にApple Watchを手に取った専門家の声を少し紹介しよう。ITジャーナリストの本田雅一さんは、Apple Watchをデジタル製品として評価するか、腕時計として評価するかでまったく異なる印象を受けると言っている。また、時計ジャーナリストの広田雅将さんは、スタンダードモデルであるステンレス版(6万6,800~13万2,800円)のケースの質感の良さに驚き、50万~100万円クラスの高級機械式時計に匹敵すると評価している。
つまり、Apple Watchは“スマートウォッチ=デジタルガジェット≠腕時計”とは言い切れない、あくまでも新しい商品なのである。「4万2,800円は安い」、「218万円は高い」というとき、何に対して安い・高いのか、どういう観点でその価値がある・ないと言えるのか、現状は非常に難しい。
ティム・クックCEOは、アップルの歴史における「新たな章の始まり」だと宣言した。曰く、「時間を伝えるだけでなく、 時間の使い方を進化させる時計」がコンセプトだという。その言葉の意味を実感することではじめて、価格以上のものが得られたと感じ、一気に普及するのだろうか。発売後の市場の動きに注目したいところだ。
Kickstarterでメガヒットを記録したPebble Timeの強みとは?
一方、スマートウォッチのニーズの高さをわかりやすく証明している事例がある。スマートウォッチのパイオニア、Pebble Timeの新商品のプロジェクトがクラウドファンディングの『Kickstarter』に掲載中だが、尋常ならざる勢いで2,000万ドル(約24億円)の金額と、7万7,000人以上の支援者を獲得した。クラウドファンディングのプロジェクトとして過去最高額であることもさることながら、Apple Watch発表後に支援額が倍増したことにも注目すべきだろう。
理由としては、スマートウォッチ市場自体の注目が高まったこと、Apple Watchのスペックを見てPebble Timeにより魅力を感じたことなどが挙げられる。後者に関して言うと、Pebble Time Steelの予定市販価格が299ドル(約3万5,700円。初期の予約者は249ドル)で、6万6,800~13万2,800円のApple Watchのステンレス版と比べてかなり割安であることが大きい。先述の通り、一概に商品の値段だけで価値を決めることはできないが、バッテリーの持ちやAndroid/iOS対応など含め、利便性の高いデバイスを選ぶならPebble Timeとなるのも必然と言える。
しかも、Pebble Timeはスマートウォッチのパイオニアであり、すでに自社商品のファンを獲得している。今回の『Kickstarter』のプロジェクトページを見ても、非常にマーケティングがうまいし、確かに魅力的な商品だと感じる。もちろん、アップルのファン数はその比ではないが、スマートウォッチ市場においては新興ブランドであり、勝手が違う部分がある。そう考えるとやはり、市場の成長はスマートウォッチとは何なのか、誰のためのものなのか、この部分をどれだけ伝えられるかにかかってくるのではないだろうか。
高級時計ブランドの参入で群雄割拠の時代が到来?
また、もうひとつ市場の成長を考える上で外せないのが、既存の高級時計ブランドの参入である。先日、スイスの時計ブランドTAG HEUERが、Google、Intelと提携し、Android Wear搭載のスマートウォッチを開発すると発表した。時計大国のスイスではすでに、他のブランドにおいてもAndroid WearやAndroid/iOSの双方に対応するMotionXを搭載したスマートウォッチが開発されている。高級ブランド時計ではTAG HEUERが先陣を切った形となるが、この流れは確実に広がっていくだろう。
ただ、これらはあくまで、Apple Watchをはじめとする新興勢力の侵食を防ぐためのカウンターパートとしての意味合いが強く、従来型の機械式、クオーツ時計に取って代わるものというレベルの話ではないと筆者は考えている。少なくともしばらくは、一部の人気モデルでスマートウォッチバージョンを出すレベルに留まるだろう。既存ユーザーもすぐにスマートウォッチに切り替えることはないはずだ。
重要なのは、スマートウォッチ市場を単体で語り、既存ブランドが参入してレッドオーシャンになると予想することではない。確かに、スマートフォンがPCの利用率を数年で逆転したといった事例はある。だが、ライフスタイルと密接につながった地殻変動レベルの事象とないまぜにして、スマートウォッチはすぐに腕時計と同様に普及し、時計市場自体をも変えてしまうと言い切るのは安易すぎるのではないだろうか。まずは、各社がいかにして“時計”を再定義し、来るビジネスチャンスに備えるのかに注目すべきなのだ。
このことを踏まえて、最後にスマートウォッチは時計なのか、従来の時計のあり方を変えるものなのかという観点で考えてみよう。
スマートウォッチによって時計の存在価値が変わるのか?
スマートウォッチは時計なのか、これは「iPhoneは携帯電話なのか」という議論に似ている。携帯電話はコミュニケーションツールなのだから、通話やメールができればそれでいい。その他の機能は余剰物だ。これはこれで正しい。ただ、iPhoneは当のコミュニケーションのあり方や、デバイスを使う際の体験を劇的に変えた。そしてそれが多くの人に受け入れられ、今では当たり前になっている。スマートフォン=iPhoneではないが、アップルが携帯電話の常識を覆したと言えるだろう。
このロジックを当てはめれば、スマートウォッチが時計の常識を覆すことは十分あり得る。アップルはそれを狙っているのだろうとも思う。ただ、時計とは何か考えてみると、一筋縄ではいかないのがわかる。“時計”を辞書で調べてみると、“時刻を知り、また時間を計るのに使う器機”とある。同じく“腕時計”は、“革・金属などのバンドで手首に巻いて携帯する時計”とある。辞書的な意味では、スマートウォッチは過剰な機能を備えた時計ということになる。時刻を知り、それを手首に巻いて持ち歩くという用途からは逸脱している。ここまではすんなりいく。
しかし、腕時計自体もまた大いに逸脱していることに思い当たる。腕時計とひとことで言っても、実に様々な商品がある。機能も価格も目的も全く違う。腕時計には大きく機械式とクオーツがあり、それぞれメリット・デメリットがある。時刻を知り、時間を計るだけならば、デメリットのあるものに高いお金を出すことは合理的ではないし、そもそも正確な時刻を知るためのものに、メリット・デメリットという見方をすること自体がおかしいのではないかといった疑問も生じる。
常識を覆すという意味で、面白い時計がある。スイスの高級機械式時計メーカー、FRANCK MULLERは、12から始まり時計周りで数字が振られる時計盤のあり方を変えた。『CRAZY HOURS』シリーズは、ランダムに配置された1~12までのインデックスを針がジャンプしながら時間を刻む、その名の通りクレイジーな時計だ。
斬新なアイデアと技術力に感銘を受けるが、このギミックに必然性があるのか、何のためにあるのかと問えば、「いえ、遊び心です」という話になるかもしれない。だとしたら、それは時計として無駄なものだと言っていいのだろうか。はたまた、時計はあくまで嗜好品で、ステータスの象徴みたいなものだから、その問い自体が間違っているという話になるだろうか。
つまり、何が言いたいのかといえば、「スマートウォッチによって時計の存在価値が変わるか否かという議論は無意味である」ということだ。腕時計という固定概念に対する新しいスマートウォッチという構図を描くこと自体がナンセンスなのである。仮に時計のあり方が大きく変わったとしても、それはこれまで変わってきたことと同様に、機能が拡張され、多義的になるというだけの話だ。携帯電話という括りのなかにあるスマートフォンと、腕時計という括りのなかにあるスマートウォッチに大差はない。
スマートウォッチが従来の腕時計とは一線を画した商品であることは間違いない。ただ、形状としては腕時計であり、用途が異なるだけである。スマートウォッチは時計の価値を高め、可能性を広げるものではあっても、それにより時計がいらなくなるという話にはならないのだ。
スマートウォッチに過剰な期待を寄せることなく、従来の腕時計を貶めることなく、その上で自分は何を選ぶか。これで十分ではないだろうか。
※ 「FUTURUS(フトゥールス)」に寄稿した記事</u>を転載しています
スマートフォンやタブレットに続く新たなスマートデバイスとして期待され、話題沸騰のスマートウォッチ。Apple Watchの発売日が決まり報道が加熱する一方で、2014年に出荷されたデバイス数は約460万台、うちAndroid Wearは72万台と、数値の上ではまだまだ小規模な市場であることも冷静に指摘されている。
米国の調査会社Strategy Analyticsは、2015年度のスマートウォッチ市場は2,810万台まで伸びると予測しているが、果たしてどうなるだろうか。本稿では、現状におけるスマートウォッチの需要と供給、市場の成長性がどの程度のものかを把握しながら、その存在価値について考えたい。
Apple Watchはユーザーニーズに応えられるのか?
さて、まずはApple Watchから。いよいよ4月24日に発売される。モデル数は38、価格は4万2,800円から218万円までと種類の多さ、価格の幅広さが特徴的で、はじめからターゲットを広く設定しているのがわかる。ただ、Apple Watchの天下が始まるかと言えば、首をかしげずにはいられない。
世界中のファンを魅了する新商品の発表はさすがとしか言いようがないものの、iPhoneの新型の機種変更のように爆発的な販売は見込めない。当たり前のことだが、“必需品”ではないからだ。生粋のアップルファンや先進的なウエアラブルデバイスやガジェットを求めるギークであれば、4万2,800円〜という価格感やバッテリー問題などはハードルにならないのかもしれないが、様々な機能により利用シーンが大きく広がると言われても、一般消費者が気軽に購入できるものではないだろう。
では、腕時計としてのニーズはどうだろうか。実際にApple Watchを手に取った専門家の声を少し紹介しよう。ITジャーナリストの本田雅一さんは、Apple Watchをデジタル製品として評価するか、腕時計として評価するかでまったく異なる印象を受けると言っている。また、時計ジャーナリストの広田雅将さんは、スタンダードモデルであるステンレス版(6万6,800~13万2,800円)のケースの質感の良さに驚き、50万~100万円クラスの高級機械式時計に匹敵すると評価している。
つまり、Apple Watchは“スマートウォッチ=デジタルガジェット≠腕時計”とは言い切れない、あくまでも新しい商品なのである。「4万2,800円は安い」、「218万円は高い」というとき、何に対して安い・高いのか、どういう観点でその価値がある・ないと言えるのか、現状は非常に難しい。
ティム・クックCEOは、アップルの歴史における「新たな章の始まり」だと宣言した。曰く、「時間を伝えるだけでなく、 時間の使い方を進化させる時計」がコンセプトだという。その言葉の意味を実感することではじめて、価格以上のものが得られたと感じ、一気に普及するのだろうか。発売後の市場の動きに注目したいところだ。
Kickstarterでメガヒットを記録したPebble Timeの強みとは?
一方、スマートウォッチのニーズの高さをわかりやすく証明している事例がある。スマートウォッチのパイオニア、Pebble Timeの新商品のプロジェクトがクラウドファンディングの『Kickstarter』に掲載中だが、尋常ならざる勢いで2,000万ドル(約24億円)の金額と、7万7,000人以上の支援者を獲得した。クラウドファンディングのプロジェクトとして過去最高額であることもさることながら、Apple Watch発表後に支援額が倍増したことにも注目すべきだろう。
理由としては、スマートウォッチ市場自体の注目が高まったこと、Apple Watchのスペックを見てPebble Timeにより魅力を感じたことなどが挙げられる。後者に関して言うと、Pebble Time Steelの予定市販価格が299ドル(約3万5,700円。初期の予約者は249ドル)で、6万6,800~13万2,800円のApple Watchのステンレス版と比べてかなり割安であることが大きい。先述の通り、一概に商品の値段だけで価値を決めることはできないが、バッテリーの持ちやAndroid/iOS対応など含め、利便性の高いデバイスを選ぶならPebble Timeとなるのも必然と言える。
しかも、Pebble Timeはスマートウォッチのパイオニアであり、すでに自社商品のファンを獲得している。今回の『Kickstarter』のプロジェクトページを見ても、非常にマーケティングがうまいし、確かに魅力的な商品だと感じる。もちろん、アップルのファン数はその比ではないが、スマートウォッチ市場においては新興ブランドであり、勝手が違う部分がある。そう考えるとやはり、市場の成長はスマートウォッチとは何なのか、誰のためのものなのか、この部分をどれだけ伝えられるかにかかってくるのではないだろうか。
高級時計ブランドの参入で群雄割拠の時代が到来?
また、もうひとつ市場の成長を考える上で外せないのが、既存の高級時計ブランドの参入である。先日、スイスの時計ブランドTAG HEUERが、Google、Intelと提携し、Android Wear搭載のスマートウォッチを開発すると発表した。時計大国のスイスではすでに、他のブランドにおいてもAndroid WearやAndroid/iOSの双方に対応するMotionXを搭載したスマートウォッチが開発されている。高級ブランド時計ではTAG HEUERが先陣を切った形となるが、この流れは確実に広がっていくだろう。
ただ、これらはあくまで、Apple Watchをはじめとする新興勢力の侵食を防ぐためのカウンターパートとしての意味合いが強く、従来型の機械式、クオーツ時計に取って代わるものというレベルの話ではないと筆者は考えている。少なくともしばらくは、一部の人気モデルでスマートウォッチバージョンを出すレベルに留まるだろう。既存ユーザーもすぐにスマートウォッチに切り替えることはないはずだ。
重要なのは、スマートウォッチ市場を単体で語り、既存ブランドが参入してレッドオーシャンになると予想することではない。確かに、スマートフォンがPCの利用率を数年で逆転したといった事例はある。だが、ライフスタイルと密接につながった地殻変動レベルの事象とないまぜにして、スマートウォッチはすぐに腕時計と同様に普及し、時計市場自体をも変えてしまうと言い切るのは安易すぎるのではないだろうか。まずは、各社がいかにして“時計”を再定義し、来るビジネスチャンスに備えるのかに注目すべきなのだ。
このことを踏まえて、最後にスマートウォッチは時計なのか、従来の時計のあり方を変えるものなのかという観点で考えてみよう。
スマートウォッチによって時計の存在価値が変わるのか?
スマートウォッチは時計なのか、これは「iPhoneは携帯電話なのか」という議論に似ている。携帯電話はコミュニケーションツールなのだから、通話やメールができればそれでいい。その他の機能は余剰物だ。これはこれで正しい。ただ、iPhoneは当のコミュニケーションのあり方や、デバイスを使う際の体験を劇的に変えた。そしてそれが多くの人に受け入れられ、今では当たり前になっている。スマートフォン=iPhoneではないが、アップルが携帯電話の常識を覆したと言えるだろう。
このロジックを当てはめれば、スマートウォッチが時計の常識を覆すことは十分あり得る。アップルはそれを狙っているのだろうとも思う。ただ、時計とは何か考えてみると、一筋縄ではいかないのがわかる。“時計”を辞書で調べてみると、“時刻を知り、また時間を計るのに使う器機”とある。同じく“腕時計”は、“革・金属などのバンドで手首に巻いて携帯する時計”とある。辞書的な意味では、スマートウォッチは過剰な機能を備えた時計ということになる。時刻を知り、それを手首に巻いて持ち歩くという用途からは逸脱している。ここまではすんなりいく。
しかし、腕時計自体もまた大いに逸脱していることに思い当たる。腕時計とひとことで言っても、実に様々な商品がある。機能も価格も目的も全く違う。腕時計には大きく機械式とクオーツがあり、それぞれメリット・デメリットがある。時刻を知り、時間を計るだけならば、デメリットのあるものに高いお金を出すことは合理的ではないし、そもそも正確な時刻を知るためのものに、メリット・デメリットという見方をすること自体がおかしいのではないかといった疑問も生じる。
常識を覆すという意味で、面白い時計がある。スイスの高級機械式時計メーカー、FRANCK MULLERは、12から始まり時計周りで数字が振られる時計盤のあり方を変えた。『CRAZY HOURS』シリーズは、ランダムに配置された1~12までのインデックスを針がジャンプしながら時間を刻む、その名の通りクレイジーな時計だ。
斬新なアイデアと技術力に感銘を受けるが、このギミックに必然性があるのか、何のためにあるのかと問えば、「いえ、遊び心です」という話になるかもしれない。だとしたら、それは時計として無駄なものだと言っていいのだろうか。はたまた、時計はあくまで嗜好品で、ステータスの象徴みたいなものだから、その問い自体が間違っているという話になるだろうか。
つまり、何が言いたいのかといえば、「スマートウォッチによって時計の存在価値が変わるか否かという議論は無意味である」ということだ。腕時計という固定概念に対する新しいスマートウォッチという構図を描くこと自体がナンセンスなのである。仮に時計のあり方が大きく変わったとしても、それはこれまで変わってきたことと同様に、機能が拡張され、多義的になるというだけの話だ。携帯電話という括りのなかにあるスマートフォンと、腕時計という括りのなかにあるスマートウォッチに大差はない。
スマートウォッチが従来の腕時計とは一線を画した商品であることは間違いない。ただ、形状としては腕時計であり、用途が異なるだけである。スマートウォッチは時計の価値を高め、可能性を広げるものではあっても、それにより時計がいらなくなるという話にはならないのだ。
スマートウォッチに過剰な期待を寄せることなく、従来の腕時計を貶めることなく、その上で自分は何を選ぶか。これで十分ではないだろうか。
※ 「FUTURUS(フトゥールス)」に寄稿した記事</u>を転載しています