いつも四捨五入ではない

ヒトは、自分がある組織に所属するという感覚を持つ。
だから、自分以外に対しても、どこに帰属するのか穿鑿したがる。
なんて言うと社会学みたいだけれど、今日は他愛ない話。

P_20181031_200835_vHDR_Auto-crop.jpg 浴槽に浸かると、あと5分で出ようとか考えたりする。
多くの家庭の風呂には、お湯をはったり、追い炊きしたりするためのコントローラーが浴室についている。そしてコントローラーには時刻表示がついていることが多い。
だから、浴槽に入るときに時刻を確認して、5分後に出ようと決める。

さぁ、そこで問題である。

表示が 8:26 となっている。
さて、5分後に浴槽から出る場合、時刻表示がどうなったら出れば良いのだろうか。
 8:31 だろうか、それとも 8:32 だろうか。


言うまでもなく、8:26という時刻表示は、8:26:00から8:26:59…まで1分間の幅がある。だから8:31と表示されたときに浴槽を出ると、実際には4分しか経っていないことだってある。8:32に出るなら最低でも5分は浸かっている。
実生活では、8:26の表示を見たときは、8:26:30だとみなして、8:31の表示になってから30秒を数えたりするわけだけれど、それなら時刻表示も「四捨五入」で表示したら良いんじゃないか、つまり8:25:30から8:26:30までの間を8:26と表示する。
この方が平均的にはより真の値に近い表示になるだろう。だが、多くの人に違和感が持たれるに違いない。

一方、体重なんかだと、62.5kgから63:5kgまでだったら63kgだと丸めて言う人が多いのではないか。そしてアナログ表示のメーターだったら、針が指している一番近い目盛の値を読むのではないだろうか。(切り捨てる人が多いかもしれない)
では、アナログとデジタルの差かというと、そうとも言えない。体重計がデジタルで少数第1桁まで表示されていたなら、62.8kgの人は63kgと言うだろう。

何が言いたいかというと、体重のようなべたーっと一様な数値の場合、四捨五入が自然な丸め方、真の値に近いところで区切りのよい値ということになる。
ところが、日付の場合はそうはいかない。
「2018年11月30日を四捨五入して2019年」という言い方は、ない。
「11月30日だから四捨五入して12月」という言い方も、聞かない。(おっと今日は12月1日だった)

暦というのは、一様に流れる時間とは別の感覚なのだろう。何年であるか、何月であるかというのは、その時刻が帰属する「時間の区分」というものが意識されているのかもしれない。

生命保険の掛け金の計算では、誕生日の半年後からその年齢になるとみなすと聞いたことがある。これはどこに帰属するかではなくて、べたーっと一様に時間が流れること、生命表を作る計算では平均の年齢をもとにしていることからではないだろうか。


時刻も日付の親戚のようなもの。同じように「○○時に属する」という意識がはたらくのかもしれない。(冒頭のおことわりのとおり、実に他愛ない話だったな)

関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

六二郎。六二郎。

ついに完全退職
貧乏年金生活です
検索フォーム

 記事一覧

Gallery
記事リスト
最新の記事
最新コメント
カテゴリ
タグ

飲食 書評 ITガジェット マイナンバー アルキビアデス Audio/Visual 

リンク
アーカイブ
現在の閲覧者数
聞いたもん