「蘭学事始」

杉田玄白「蘭学事始」(全訳注:片桐一男)について。

Rangaku-kotohajime_katagiri.jpg 図書館の書棚で見つけて、「風雲児たち~蘭学革命篇」を見たあとだったので、借りて読んだ。

「蘭学事始」は、高校の国語の教科書に一部が収録されていたことは覚えているのだけれど、どの部分だったのか、おそらく冒頭ではないかと思うのだけれど、もう一つ記憶が曖昧である。

本書は、現代語訳、原文、解説からなる。現代語訳はとても読みやすい。全部読み通すのに1時間もかからない。(文庫版で70ページ)
現代語訳を読んだあと、原文も読んでみたが、書き下し文で、ルビもふられているから、こちらも、そう苦労なく読める。前述の、本書収録の教科書も現代国語のものだったのではないだろうか。
また、原文には、豊富な注(132個)が付いている。34ページもある。原文は50ページだが、大きな活字でルビもふられている。注のフォントサイズは小さいから、実量としては注のほうが多いだろう。

現代語訳
蘭学事始上の巻
蘭学事始下の巻
原文
長崎本『蘭東事始』凡例
蘭東事始上之巻
蘭東事始下之巻
解説
一 『蘭学事始』執筆の目的と著作の意義
二 「蘭学事始」「蘭東事始」「和蘭事始」
三 底本「蘭東事始」
四 古写本とその分類
五 杉田玄白の著作
六 蘭学事始附記
七 杉田氏略系図
八 記念碑・史跡・墓地
九 『蘭学事始』に関するおもな参考文献
 
あとがき
『蘭学事始』年表
件のドラマでも、ネタに面白く使われていた「フルヘッヘンド」については、解説ではなく、注に記載があった。
「フルヘッヘンド」を「堆し」(うずたかし)と訳すくだりは、訳語をあてる苦労の代表例として有名な個所であるわけだけれど、それだけでなく、原文で10行もあって、玄白の得意な様子がうかがわれる。
ところが、近年の研究で、ターヘル・アナトミアにはその語自体が見当たらないということで、さらに有名になったといういわくつきの場所である。
本書では次のように注が付されている。

(82)フルヘッヘンドせし物 玄白が例にあげた鼻の個所に該当する記述を原書に探しても「フルヘッヘンド」という発音に当たる文字はみえない。しいていえば附図のXIにみえる鼻の解剖につけられたa印に対応する本文aのところにみえる文、a Dorsum, de rug, naamentlyk de verhevene langte der Neus. のうちのverheveneを指すということになろう。意は「盛り上がった」である。玄白の老齢故の記憶違いかと思われる。

本書のように老齢に帰するのが妥当なところかもしれないが、なかにはこれを玄白の創作と見る向きもあるようだ。私は、むしろ玄白がその後、オランダ語の習熟度を上げた、その結果、単語の派生関係なども理解するようになって、親縁の語を取り違えるに至ったのではないかと想像する。
なお、ネットのオランダ語辞書で、verhevene(verheven)を調べると、その例文中に、verhevenheidという語が見いだせる。

ドラマで前野良沢が一節切を吹くシーンがあったが、みなもと太郎の原作では特にこれには触れられていないが、「蘭学事始」には、そのことが書かれている。
此良沢といへる男も天然の奇士にてありしなり。専ら医業を励ミ東洞の流法を信じて其業を勤め、遊芸にても、世にすたりし一重切を稽古して其秘曲を極め、又をかしきハ、猿若狂言の会ありと聞て、これも稽古に通ひし事もありたり。

三谷幸喜氏は、原作をドラマ化するにあたって、そのさらにもとになった史料も読んでいたということだろうか。
なお、なぜ良沢が「世にすたりし一重切」を演奏したかについては、上の引用個所のすぐ前に、良沢を養った伯父宮田全沢の教えとして、「人と云者は、世に廃れんと思ふ芸能は習置て末々までも不絶様にし、当時人のすてはててせぬことになりしをハこれを為して、世のために後にも其事の残る様にすへしと教られし由」とある。

P_20180130_101531_vHDR.jpg 本書の底本は「長崎本」と呼ばれる長崎浩斎が入手したもの。
浩斎は、大槻玄沢の弟子で、玄白への入門を希んだが既に玄白は病中であったため、玄白の一の弟子である玄沢に入門した人だそうだ。高岡市の出身で、この原本は高岡市立図書館に寄託されている。
高岡市立図書館には古文書のデジタル画像を公開しているのだけれど、これはその対象となっていない。(公開してほしいなぁ、減るもんじゃなし。)

そしてこの底本の表紙は「蘭東事始」(蘭学東漸事始)となっているのだが、本書では、このタイトルを巡って、少々面倒くさい議論がなされている。
私は何の疑いもなく「蘭学事始」と思っていたが、こうした題名の本があり、また「和蘭事始」というものもあるのだそうだ。結局、元の本を持っていた大槻玄沢も、「蘭学事始」が良いと考えていたらしいと推測されている。(その結論までに随分の紙幅が費やされている。)

ところで「蘭学事始」によれば、「蘭学」という言葉自体が、「解体新書」後に使われ出した言葉だという。だからこそ、蘭学事始なのである。なお、蘭学事始の冒頭部分、蘭学が興る前に、西洋の医術を少しでも学んで実践する医術は「南蛮方」というような言い方がされていたとある。

先日、NHKの「大岡越前」を見ていたら、小石川養生所の蘭方医というのが出てくるのだけれど、これは吉宗の時代の話であるから、もし玄白が云うとおりなら、「蘭方医」という言い方ははなかったかもしれない。

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