「システムとは何か」 序文
- 2019/05/18
- 22:09
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さて、第1日目の今回は、私の執筆分のメイン記事 「システムとは何か」 の第1節を丸々掲載したいと思います。
そんなわけで、記事「システムとは何か」 が 「ボードゲームの分析と語りを精緻化する道具立てを与えることに成功しているかどうか」確かめることができるのは、2019春ゲームマーケット 5/25(土) S-10 「タルトゲームズ」さんで 『ボードゲーム・スタディーズ』 を購入するあなただけ!
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さて、第1日目の今回は、私の執筆分のメイン記事 「システムとは何か」 の第1節を丸々掲載したいと思います。
1.はじめに
何かを語ることは、多くの場合、語られたそれが他の誰かに聞かれることを前提している(聞かれることを前提しない場合とは、語りを具現化することで自身に語りの中味を自覚させ、それを整理することのみを目的としている場合である)。だが、語る者と聞く者とがそこで語られた言葉と概念とを共有していない場合、その語りに意義はあるだろうか? もちろん、その場合でさえ、全く意義が無いわけではないかもしれない。しかし、語り手と聞き手とが言葉と概念を共有しない語りは、それが十分に共有されている場合の語りと比べ、その意義が大きく損なわれるものであることは明らかである。
ボードゲームについての語りもまたそれが聞かれることを前提とするのなら、そこで語られる言葉と概念とが共有されるべきものであることは言うまでもない。然るに現状では、ボードゲームを十全に分析し語るための言葉と概念とは、我々に十二分に与えられているものとは到底思われない。例えば、私が部分的仕組みという言葉により言い表してきたところのものを、ある人はシステムと言い、またある人はメカニクスと言い、また別のある人はゲームエンジンと言う。確かに、それらはそれぞれ異なる部分を持つ(すなわち異なる外延を含む)言葉なのかも知れない。とは言え、それらがかなり広い範囲を共有するような概念を指示していることもまた確かであろう。ボードゲームを分析し語ることがただ天才的な語り手が自身の思考を整理するためだけにあるのならば、なるほど、それらの言葉と概念とは誰と共有する必要もない。しかし、私のようなごく一般的な人間がボードゲームを分析し語ることを望むのであれば、そこでは、他者に聞かせるためにも、また、自身の思考を整理し前進させるためにも、言葉と概念とを共有することは必須である。
本論考は、ボードゲームの分析と語りを精緻化する道具立ての一つとなることを企図している。つまり、ある言葉と概念を緻密に組み立てていくことで、それを用いて他者と高い精度で共有できる分析と語りを可能にしようというものである。本論考で精緻化を試みるのは、先の例でも取り上げたいわゆる「システム」という概念だ。「システム」概念を取り上げるのは、「典型的なアナログゲームの分析とプレイの核心は、当のゲームメカニクスにおけるシステムの読み解きにある」という私の信念に基づく。私はこの言葉――ゲーム上のシステム――が指示する概念を、ボードゲームの批評における用例を最も広く拾い上げる形で改めて定義し、描出する。そして、そこで付随的に発生する諸々の概念のうち、ボードゲームの分析に有用であると思われるものについて、その詳細を議論していく。ゲームプレイヤーの思考とルール、ゲームプレイヤー内部の無自覚な領域がゲームセッション上で果たす役割、そしてゲームセッションの動力学。私は、ボードゲームの分析における「システム」概念を用い、それらの説明を試みる。この試みが成功し、本論考がその企図どおりにボードゲームの分析と語りを精緻化する道具立てを与えることに成功しているかどうかは、以下の本文を読んで読者諸氏に判断して貰うこととしよう。
何かを語ることは、多くの場合、語られたそれが他の誰かに聞かれることを前提している(聞かれることを前提しない場合とは、語りを具現化することで自身に語りの中味を自覚させ、それを整理することのみを目的としている場合である)。だが、語る者と聞く者とがそこで語られた言葉と概念とを共有していない場合、その語りに意義はあるだろうか? もちろん、その場合でさえ、全く意義が無いわけではないかもしれない。しかし、語り手と聞き手とが言葉と概念を共有しない語りは、それが十分に共有されている場合の語りと比べ、その意義が大きく損なわれるものであることは明らかである。
ボードゲームについての語りもまたそれが聞かれることを前提とするのなら、そこで語られる言葉と概念とが共有されるべきものであることは言うまでもない。然るに現状では、ボードゲームを十全に分析し語るための言葉と概念とは、我々に十二分に与えられているものとは到底思われない。例えば、私が部分的仕組みという言葉により言い表してきたところのものを、ある人はシステムと言い、またある人はメカニクスと言い、また別のある人はゲームエンジンと言う。確かに、それらはそれぞれ異なる部分を持つ(すなわち異なる外延を含む)言葉なのかも知れない。とは言え、それらがかなり広い範囲を共有するような概念を指示していることもまた確かであろう。ボードゲームを分析し語ることがただ天才的な語り手が自身の思考を整理するためだけにあるのならば、なるほど、それらの言葉と概念とは誰と共有する必要もない。しかし、私のようなごく一般的な人間がボードゲームを分析し語ることを望むのであれば、そこでは、他者に聞かせるためにも、また、自身の思考を整理し前進させるためにも、言葉と概念とを共有することは必須である。
本論考は、ボードゲームの分析と語りを精緻化する道具立ての一つとなることを企図している。つまり、ある言葉と概念を緻密に組み立てていくことで、それを用いて他者と高い精度で共有できる分析と語りを可能にしようというものである。本論考で精緻化を試みるのは、先の例でも取り上げたいわゆる「システム」という概念だ。「システム」概念を取り上げるのは、「典型的なアナログゲームの分析とプレイの核心は、当のゲームメカニクスにおけるシステムの読み解きにある」という私の信念に基づく。私はこの言葉――ゲーム上のシステム――が指示する概念を、ボードゲームの批評における用例を最も広く拾い上げる形で改めて定義し、描出する。そして、そこで付随的に発生する諸々の概念のうち、ボードゲームの分析に有用であると思われるものについて、その詳細を議論していく。ゲームプレイヤーの思考とルール、ゲームプレイヤー内部の無自覚な領域がゲームセッション上で果たす役割、そしてゲームセッションの動力学。私は、ボードゲームの分析における「システム」概念を用い、それらの説明を試みる。この試みが成功し、本論考がその企図どおりにボードゲームの分析と語りを精緻化する道具立てを与えることに成功しているかどうかは、以下の本文を読んで読者諸氏に判断して貰うこととしよう。
そんなわけで、記事「システムとは何か」 が 「ボードゲームの分析と語りを精緻化する道具立てを与えることに成功しているかどうか」確かめることができるのは、2019春ゲームマーケット 5/25(土) S-10 「タルトゲームズ」さんで 『ボードゲーム・スタディーズ』 を購入するあなただけ!
皆さん、是非購入して続きを読んでみてくださいね。