ブログ開設の目的
- 2013/11/13
- 06:48
ブログの目的を示す必要があると思った。けれどもまとまっていないので、思いつくことをメモする意味で。
まずは、ボードゲームの批評理論の提唱。確立、とまでは言いませんけれども、ある程度まとまった形で世に送り出せるようになりたいと。
批評理論は、良いゲームの普及、良いゲーム制作の助長という効果の他に、新しい形式のゲームを作るためにも有用なものと考えています。たとえば、ゲームの定義論は、既存のゲームに内在する論理構造を詳らかにするだけでなく、その反転として、既存のゲームが持たなかった構造を映し出すことにもなります。それが新しい形式のゲームを創造するためにどれほど役立つものかは、創作者であれば誰しもが了解していることと思います。
また、ゲームの出来の善し/悪し(ゲームの批評理論が対象とする概念)と、そのゲームが面白い/つまらないかは、関わりは当然ありますが、決して同一のものではありません。なぜなら、後者にはプレイヤーの主観的条件や環境が多分に影響するからです。善し/悪しと面白い/つまらないはそれぞれ重要なのです。その意味で、批評理論の思索とは別に、ゲームの感想文文芸が成立しうると考えます。簡単に言えばプレイ日誌もやるよってことなんですけども。
さてと、今日はここまで。
まずは、ボードゲームの批評理論の提唱。確立、とまでは言いませんけれども、ある程度まとまった形で世に送り出せるようになりたいと。
批評理論は、良いゲームの普及、良いゲーム制作の助長という効果の他に、新しい形式のゲームを作るためにも有用なものと考えています。たとえば、ゲームの定義論は、既存のゲームに内在する論理構造を詳らかにするだけでなく、その反転として、既存のゲームが持たなかった構造を映し出すことにもなります。それが新しい形式のゲームを創造するためにどれほど役立つものかは、創作者であれば誰しもが了解していることと思います。
また、ゲームの出来の善し/悪し(ゲームの批評理論が対象とする概念)と、そのゲームが面白い/つまらないかは、関わりは当然ありますが、決して同一のものではありません。なぜなら、後者にはプレイヤーの主観的条件や環境が多分に影響するからです。善し/悪しと面白い/つまらないはそれぞれ重要なのです。その意味で、批評理論の思索とは別に、ゲームの感想文文芸が成立しうると考えます。簡単に言えばプレイ日誌もやるよってことなんですけども。
さてと、今日はここまで。