埋み火をかきおこす
羽生善治9段
鈴木忠平「いまだ成らず~羽生善治の譜」(文藝春秋)は、歴代1位のタイトル99期を誇る羽生善治9段の将棋人生を好敵手に光を当てながら辿るというノンフィクション作品です。取り上げられた棋士は、米長邦雄(1-0)、豊島将之(2-2)、谷川浩司(16-6)、森内俊之(8-8)、佐藤康光(17-4)、深浦康市(4-2)、藤井聡太(0-1)、渡辺明(4-5)です。なお、カッコ内は、羽生9段から見たタイトル戦の対戦成績です。このほかの棋士では、羽生9段から2勝した者は、佐藤天彦9段、郷田真隆9段の2人だけです。タイトル戦通算成績では、99勝39敗で、7割以上の勝率を上げています。歴代2位の大山15世名人が80勝、3位の中原16世名人が64勝ですから、羽生9段が圧倒的な成績を残していることが分かります。それでも、渡辺9段以降の世代の棋士には、分が悪くなっていることが分かります。タイトル100期という大台を期待するファンは多いのですが、AI時代の研究家である若い藤井聡太7冠や伊藤匠叡王に対して50代の羽生9段が勝たなければならず、容易ではありません。著者が描く好敵手の棋士たちの中で、人格的に最も素晴らしいと感じるのは、谷川浩司17世名人です。60歳を過ぎても、現役で指し続けているのも立派です。王将として羽生9段の全冠制覇を阻んだのも、1年後にそれを許したのも、最後の砦となっていた谷川さんでした。7冠制覇の偉業を成し遂げた羽生さんに対して、打ち上げの席で、日本酒を注ぎ、「今日は、おめでとうございます」と声をかけた谷川さんの姿が印象的に描かれていますが、こういうことができる人は、将棋世界でも稀でしょう。棋士にとって、将棋は敗れた後が一番難しいのです。谷川さんは、一直線に最短の寄せを見出せる天才、羽生さんは、局面を複雑化させて相手を幻惑する曲線的な勝ち方ができる天才です。両者には、8歳の年齢差があり、タイトル27期獲得の谷川さんをもってしても、対戦成績では若い羽生さんに大きくリードされています。歴史的に見れば、両者は、谷川さんが若くして開いた世代交代の扉を、羽生さんが大きく開けたという関係です。さらに、羽生世代と言われる棋士たちが続きました。今日、藤井聡太7冠の出現で、再び将棋ブームが起きていますが、谷川17世名人という人は、立ち居振る舞いという面で、あらゆる棋士のお手本になる存在だと思います。谷川さんあっての羽生さん、羽生さんあっての藤井さんということになるでしょう。藤井7冠についても、こういう作品がいずれ書かれるでしょうが、どういう好敵手が並ぶことになるのか、楽しみです。
特定秘密の管理体制
防衛、外交、スパイ、テロ防止に関する特定秘密情報の管理が、自衛隊や防衛省の内部で常態的に不適切であったことが分かりました。こんな国とは、情報共有する気になりません。資格の取得に1~2年かかるようですが、有資格者が不足していて、ルールを守れないから守らないという理屈は、世の中に通用するはずがありません。同盟国との情報共有に欠かせないことが、防衛省及び自衛隊で、なぜ、疎かにされてきたのでしょうか?要は、組織全体が弛みきっているのではないでしょうか?要は、常に定員を充足できない数の問題だけでなく、質の面で資格取得ができる能力を持った人間が絶対的に不足しているのではないかと疑念を持ちます。誰がトップに座っても、組織に人材がいなければ、国土防衛という役割を果たせません。今後、有資格者を適切に増やすことができるのでしょうか?それができなければ、ルールの形骸化は是正できません。当面、防衛省、自衛隊には台湾有事への対応ができるようにしてもらわなければなりません。本当に、我が国の防衛は大丈夫なのでしょうか?
司法とカルト対策
最高裁が、統一教会による献金返還請求を封じる念書という方策について、「合理的に判断することが難しい状態だったことを利用して一方的に大きな不利益を与える」念書は、「公序良俗に反しており無効」と判断しました。念書があるために、返還請求を諦めていた家族たちには、大変有意義な判決です。地裁・高裁は、念書は有効としてきたので、最後の砦で、ようやく司法がカルト教団を擁護する姿勢を転換したわけです。この判断は、ある意味、法の原則に対する例外を認めるパターナリズムの所産です。統一教会という組織の本質を見極めないと、念書によって法的救済の道をふさがれて難渋する被害者家族から、司法が目を背けることにもなりかねない状況でした。今回の最高裁の判決が、遅ればせながら、司法を正義の軌道に戻したと言えるでしょう。そもそも、行政も司法も、カルトに対して、少しでも甘い顔をしてはいけないのです。統一教会のようなカルトは社会の敵で、危険な存在です。一般的な宗教法人とは、全く異なる性格を持っています。同列に扱うと、カルトに付け込まれます。法を逆手に取ることなど、彼らにとっては、朝飯前なのです。
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