« なぜ国立大学法人の経営は進歩しないのか?(2) | トップページ | なぜ国立大学法人の経営は進歩しないのか?(4) »

2017年1月16日 (月)

なぜ国立大学法人の経営は進歩しないのか?(3)

2に、学長が自分の経営力を過信して、十分な計画を練らず取り組みを始めてしまうことである。計画自体の適合性に関する検討、特にマーケティングが十分に行われることがない。学長自身が思いつきを次々と手がけようとすれば、所要の体制・資源の確保が二の次になる。そのアイデア自体が、法人にとって長期的にプラスになるのか、分からないものが多い。財源を含む企画案が、役員会に諮られないという信じられないことが当たり前になっている法人もある。その場合は、プロジェクトの目的、成果目標、資源配分、評価基準など、一切が不明確になる。国立大学法人の経営に関する責任と権限を集中し過ぎたために、勘違いした学長が、こうした「暴走」をすることになったのではないか?経営者としての基礎基本ができていない人がトップに居るのだから、まともな経営になるはずがない。国の予算措置が切れれば、維持が困難な事業・組織も多い。財務面の持続可能性は往々にして無視される。結局、引き継いだ者が後始末をすることになるのだが、当初の経営判断が間違っていれば、すべての努力が無駄になる。かつては文科省が大学の概算要求を厳しく吟味していたが、昨今は、その力量がある職員がいなくなっており、法人の自主性の名の下に、誰も学長の「暴走」をチェックしない無責任体制になっている。こうした事態は、法人の財務に余裕がなくなっているからこそ、非常に危険である。

 

3に、学長が個性を発揮するつもりで、組織いじりに走る傾向もある。特に、事務組織の作り方と教員・職員の協働体制において、標準となるモデルがないために、本部に集中してみたり、部局に職員を1人ずつ配置したり、行き当たりばったりの状態になる。組織を解体してしまえば、人材育成ができなくなる。独断で進めた組織再編は、碌な結果にならない。他方で、人に仕事を付けるという傾向もある。信頼して使える人が限られるのである。この副学長にやらせたいから、業務をその部に移すというようなことをやっている学長がいれば、本人の経営力は知れていると見なければならない。組織を経営する上で、力量がある人に任せて成果を挙げられるようにサポートするのが、上に立つ人間の役割である。しかし、世の中には、そうしたことができない人間もいる。器が小さいからである。そうした人が、国立大学法人の学長になっているとすれば、悲劇である。私は、国立大学法人評価委員会の唯一無二の役割は、学長の器ではない人物をその職から退かせることだと思っている。法人の経営協議会は学長がやろうとすることに助言こそできるが、経営者としてやるべきことをやっているかどうかを、逐一チェックすることまでの期待はできない。

« なぜ国立大学法人の経営は進歩しないのか?(2) | トップページ | なぜ国立大学法人の経営は進歩しないのか?(4) »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: なぜ国立大学法人の経営は進歩しないのか?(3):

« なぜ国立大学法人の経営は進歩しないのか?(2) | トップページ | なぜ国立大学法人の経営は進歩しないのか?(4) »

最近のトラックバック

2025年5月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ