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車窓から + Tear Ceremony - How to Bury Your Dreams

鳥羽街道駅前
ターミナル
2014 / 02 / RICOH GR DIGITAL 3






小屋
小屋
2014 / 02 / RICOH GR DIGITAL 3





中の島1
壁面
2014 / 02 / RICOH GR DIGITAL 3


以前に一枚だけアップしてそのまま残りを載せるのを忘れていた写真。
確かグルスキーの展覧会を見に行った時に、会場は中乃島の国立国際美術館だったから、京阪に乗っていく道すがら車窓から流れていく光景を撮ったもの。行く場所が美術館ということもあって、以前ここはカメラ出しただけで即行で阻止されたことがあったから写真なんか撮れないのを知ってるし、さらに雨も降ってるという悪条件、重装備のカメラなんて持ち出す気にもならず、この日はいつものフィルムカメラじゃなくて、コンパクトのデジカメを持っていきました。
乗り物の窓から写真撮るっていうのは、高梨豊の「IN」だとか、ベルナール・プロスの「Train De Lumiere」とか頭に浮かんだりするけど、結構やってる人は多そうです。立つ位置と窓枠によって視野が制限される中でどういうふうに写真撮るかとか、そういうのがやってみたくなる動機なのかなと思うこともあるものの、この時のわたしの場合はいつも京阪乗っていて、どうも記憶に残るというか視線に引っかかる場所があって、一度そういう場所を写真という形にしてみたいという結構単純な思いつきでした。

電車に乗っていて、あぁここは写真にしたいと思う場所が目の前を通り過ぎ、何度も通過するたびにそんなことを感じてると、ならばと思い立って実際に電車を下りてその辺りまでいってみることもあるんだけど、これがまた近くまで行ってみると、電車の中からあの時見たものは何だったのかまるで幻か蜃気楼だったんじゃないかと思うくらい全然印象が違ってることがほとんどだったりします。
ガラス窓に隔離されて手が届かず、手が届く位置にまで行ってみるとまるで違う世界しか見当たらない。わたしにとって車窓から見る世界ってこういうもどかしさと、絶えず目の前から逃げていくイメージという感じがあるかもしれないです。だから撮りたくなる?

最近心斎橋によく行くことがあって、カメラはニコンの28mmレンズ搭載のコンパクトカメラ、AF600なんだけど、モノクロフィルムを詰めて久しぶりに電車の窓越しに写真撮ってみました。ファインダー越しに流れていく外の世界を眺めてあれこれやってるうちに、酔って気持ち悪くなってきて、電車は特急でほとんど止まらないからどうしようと思って冷や汗かいてました。眩暈の発作が起きるから電車の中でこういうことに熱中するとちょっとやばいところがあるので、普段は大人しくしてるんだけど、この時は知らないうちに思いのほか熱中してたみたい。でもいろんな要因ですぐに酔うわりに、電車に限っては本読むのは意外と平気だったりして、我ながら自分の体調に関してよく分からないところがあります。

三枚目のはグルスキーの展覧会を見終わって美術館から出たあとで、その周囲を歩いて撮った写真の一枚です。単純に陰の中という風にも見えない黒々としたイメージがかっこいいでしょ。


☆ ☆ ☆


使ったカメラはリコーのGRD3。3世代前くらいのGRかな。
リコーも昔からあるカメラメーカーだけど、フィルムカメラのほうはなぜか一台も使ったことがなくて妙に縁がないままです。オートハーフとか一度は使ってみたいカメラはあるんだけどね。今のところ今回のGRD3が唯一持ってるリコーのカメラとなってます。
そういえばペンタックスはリコーの傘下になったんですよね。HOYAに買われた挙句さらにリコーに売られるって、フィルムカメラの時はリコーよりも明らかにペンタックスのほうが大手のような感じだったのに。
他のデジカメだと、腕の骨を折って気が滅入ってた時に、オリンパスペンのデジタルのほうで、旧世代になったために安くなっていたものをアマゾンで見つけて衝動買いしたのがあります。でもこのデジペンのほうは買った当初に説明書を四分の一くらい読んだところで放置したまま。
手に取るとなるとフィルムカメラを取らない理由はないので、デジカメはいつも選択対象から外れてしまいます。せっかく買ったんだからそろそろ使えるようにしたい。でも2世代くらい前のデジカメの、旬を過ぎた説明書を読むとかあまり気乗りがしないなぁ。



☆ ☆ ☆

Tear Ceremony - How to Bury Your Dreams


何となく今回の写真に、特に三枚目の写真なんかに合ってそうで。
アンビエントっぽいインダストリアル系の音楽っていうところかな。
アメリカで80年代の後半くらいに活動していた、アンダーグラウンド的なバンドくらいの素性しか分からないです。
このPVの画面に出てるCD「The Last Bleak Days」は陰鬱なアンビエント系のコンピレーション・アルバムで、これの3曲目に収録されてます。でもノルウェーでリリースされたCDだからなのか、日本のアマゾンには置いてないみたいでした。




山科の街中で 陽射しよけの布、坂道 他 + Breakbot - Baby I'm Yours (Siriusmo Remix)

日よけ
陽射しよけの布
2015 / 05 / Fuji Tiara + 28mm F3.5 / Fuji C200





坂道
坂道
2015 / 04 / Nikon FM3A + Ai-S Nikkor 50mm F1.4 / Fuji C200



公道から勝手に他人の家の玄関先までぎりぎりに近寄り、一瞬立ち止まって他人の生活空間の表層の一片を切り取ってるような写真。わたしはいつだって傍観者だから深入りしない態度はいつ何を撮っても維持してるつもりだけど、それでも考えようによってはあまり褒められた行動でもないかも。誰も通ってないと思いつつ写真機構えてあれやこれややってると道の遥か端、視界の遠くの隅に人がやってくる気配を感じ、その場を少し離れてやり過ごそうとしたら、よりによってその写真を撮ろうとした家の中に入っていく人だったとか、こんなの結構あります。誰も通ってない道路だったのに、たまたまやってきたたった一人が目の前で眺めていた家の人だったなんて、何だか酷いタイミングに遭遇するように神様にプログラムされてるような気がすることも多いです。幸い今のところ文句を云われたことはなくすんでるけど、何しろ大胆不敵には程遠いタイプだから、とがめだてされたら暫くカメラ持てないくらいにめげるだろうなぁ。
一度東寺の周囲の住宅街で廃屋があったのを道路から眺めてたら、声をかけてくるおじさんがいて、東寺のほうからですかといったことを聞かれたから、東寺に来たついでに街中で街の様子を写真に撮ってるというようなことを返事すると、どうもその廃屋に住んでいた人のことを知ってるらしくて、その廃屋のいきさつとかを説明してくれました。
これが当たり前とばかりに堂々と撮ってると、意外と街中でする行為として何の不自然さもないものに見えてくるということもありそう。


錆びた蝶番
錆びた蝶番
2015 / 04 / Nikon FM3A + Ai-S Nikkor 50mm F1.4 / Fuji Provia100F


断片的なイメージの収集。対象には特殊な意味があるわけでもなく、あからさまにこれが美しいものだとも主張はしない。
でも切り取ることで、その切り取る形によっては何かが生成し、その生成する何かは、直接的なものではないし、随分と個人的なものだと思うけど、云うとするなら美的といえるような何かに通底してる気配がある。
対象が美的な存在に変貌するわけじゃないままに、そういう気配が漂う写真になればいいと。
云うのは簡単なんだけどね。



植物の家
川と廃屋
2015 / 05 / Nikon F3HP + Ai-S Nikkor 35mm F2 / Fuji Provia400X



☆ ☆ ☆



Breakbot - Baby I'm Yours (Siriusmo Remix)


他人の曲を好きにアレンジして別の作品にしてしまう何とかリミックスとか、やってる人たちによほど興味があるんじゃなければ、関係とか素性がよく分からないんだけど、これはBreakbotの Baby I'm Yoursという曲をMORITZ FRIEDRICHによるソロ・プロジェクトであるSIRIUSMOがリミックスした曲ということらしいです。BreakbotもDJでリミックスとかやってる人らしいし、仲間内でアンダーグラウンド的な盛り上がり方を拡散して行ってる人たちなのかな。
いつにも増して他人事のような書き方しか出来ない。

ネットで写真を紹介してるところがあって、そこで写真眺めてたらバックに流れてきた曲の一つでした。なんかファンキーなノリへの外し方の微妙なバランスとキャッチーなメロディの混合状態が面白かったので記憶に残った曲。
元のBreakbotのも聴いたけど、ボーカルの声質、歌い方はそのままに、このバージョンよりもアレンジは大人し目のメロウなファンク調のポップという感じだったかな。

DJと云えば、レコードを素材にしてターンテーブルで遊んでるというイメージ、元レコード好きとしては何だか賛同できない扱い方なんだけど、そんなDJ的な扱いじゃなくて、そこに収められた音楽を聴くために今LPレコードに手を出す人って予想以上に増えてるみたいですね。
先日山科から地下鉄東西線で市役所の辺りまで帰ってきた時、御池の地下街でレコードフェア的な催し物をやってたんだけど、これがまた大盛況の状態でした。ダンボールの四角いボックスにLPを詰め込んで並べてあるその前に、5~6人が立ち代り入れ替わってるなんていう程度じゃなくて、ボックスの前ごとに満員電車並みの人の塊が出来上がってる。これにはちょっと吃驚。LPレコードの存在感を思い出して自分も混じってボックスからちょっと引き出してみたりしてたんだけど、CDに変えてしまうことで捨て去ってしまった感触が蘇るにつれ、針のノイズがなくなるだとか、置き場所に困らなくなるとか、どうでもいいような利便性と引き換えに、何だか本質的なものを放棄してしまったんだろうなという感慨へと結びついていくようでした。CDになってからって、わたしの場合はあまり音楽を聴かなくなったし、それほど身を入れる対象でも無くなってしまったから。
今簡易型のレコードプレーヤーが生産が追いつかないほど売れてるそうで、これは会場でも売ってました。本体埋め込みのスピーカーで簡単にLPレコードが楽しめると書いてあったけど、これ買ったら本式にスピーカー揃えないと気がすまなくなってきそうだなぁと、でも結構欲しいと思ってしまいました。













山科散策 目の前を掠め過ぎていくものたち。 + 写真集 HIROMIX - girls blue

森のスポットライト
叢に落ちる陽
2015 / 04 / Nikon FM3A + Ai-S Nikkor 50mm F1.4 / Fuji PROVIA100F

山科疎水西端の少し手前、山科の浄水場に出る短いトンネルを抜ける手前にあった木立の中の広場で。
陽の当たり方がスポットライトで照らしてるようで、脳内イメージとしては薄暗い森の深奥で木漏れ日のスポットライトの中を妖精がダンスしてるような場所といったイメージを強引に重ねて撮ったものでした。バーデン・パウエルの曲をハービーマンが演奏していた、あの曲と似たようなイメージですね。実際はすぐそばに手洗いの汚苦しい建物が建っていたり、これもすぐそばの休憩エリアでウォーキングしてきた年寄りが世間話してるような、結構散文的なところだったんだけど。
フレームを外れてしまえば、そんなものはこの世界に存在してないも同じこと。こういうところでも写真は嘘を上手くつきます。
たまたま最初に日本語で名前を与えた時に真を写すなんてつけたから、何だかそういうメディアのように思うところもあるけど、実感としてはこれは嘘だと思う。実際のところは写真は嘘つき上手です。

疎水路の水辺の写真を載せようと撮った写真を眺めてみても、やっぱりほとんど撮ってなくて、撮った数枚も何だかあまり気にいらないって云う仕上がり。桜の季節の後結構通ってたつもりだったんだけど、収穫は今のところそれほどないまま別の場所に気を引かれてあまり訪問しなくなりました。
やっぱり桜か紅葉込みで様になる場所という印象で、普段はジョギングだとかウォーキング、あるいは犬の散歩とか、さらには釣りなんかしてる人もいたりして、そういうのには最適なんだけど、観光目的では一度道なりに歩いてしまうとそれで十分な感じです。西端で一旦山肌の短いトンネルに消えた後すぐにまた顔を出してあっという間に蹴上に向けて第三トンネルの中に再び消えてしまう浄水場のエリアは、疎水が山の中に消えてる間は市街地の中を回り込んでいく形になって、少しの間疎水路から離れてしまうせいか、観光客もほとんどここまで来なかったり、浄水場も人の気配はまるでないので、雰囲気はまるでミストの世界というか、人類死滅後の世界のような超常的な静けさに覆われた場所になっています。これは雰囲気的にはちょっと面白かったりするんだけど、でもここも何度も来るような場所でもないかな。
第三トンネルの手前には日本で始めてかけられたコンクリートの橋というのもあるにはあるけど、わざわざ見に来るようなものでもなくて、付加価値はついても見た目はただのコンクリートのそっけない橋だったりします。



展望台へ
展望台
2015 / 05 / Nikon F3HP + Ai-S Nikkor 35mm F2 / Fuji C200


長い疎水の途中にある、ベンチや藤棚を利用した木陰のあるちょっと開けた場所。展望台にもなっていて、眼下に山科の街が一望できます。真下をJRの線路が通っていて、この場所で電車の中から見上げると、まず見上げる人はいないと思うけど、たまたま好奇心で視線を上に上げると、その先にこの展望台と柵が見えます。下から見ると意外と高くないんだけど、展望台から見下ろすと結構高さがある感じ。
山科駅の方向から歩いてくると、目の前に現れる雰囲気とかでここが中間ポイントのような印象を受けるけど、実は行程の中間ポイントはまだまださきで、残り半分なんて思って歩いてたらきっと辟易すると思います。

後は疎水の近くを離れて山科の街中で撮っていた写真が多いです。

巨木
曲がり角の木
2015 / 05 / Nikon F3HP + Ai-S Nikkor 35mm F2 / Fuji C200





錆びたフェンス
錆びたフェンス
2015 / 05 / Fuji Tiara + 28mm F3.5 / Fuji C200


こうやって見ると今回のは植物をターゲットにしてるのが多いです。全体に若干撮りあぐねてる感じがあるので、植物系統はシャッターを切る取っ掛かりとして利用しやすいというところがあるからかもしれません。
最後のはコンパクトカメラのティアラ、28mmのレンズだけど、その一枚前の巨木の写真のように、この頃から今現在まで、意図的に35mmレンズに限定して撮るという、ある種縛りのようなものをかけて撮影してます。50mmのわずかだけど存在する注視感覚だとか望遠レンズの距離圧縮効果や背景のボケ易さだとか、画角による画面効果といったものがあるレンズに頼らないで撮ってみたらどうなるかなと思って、そういう効果が一番なさそうな画角の35mmを使ってるんだけど、これ、結構難しい。もう取っ掛かりのない茫洋とした写真を量産してるというか、このレンズを使いこなしてる人は本気で結構凄いと思い始めてます。何だかどこが見せたいのかまるで分からないようなのっぺりした写真を量産してるとちょっと意地になってくるところもあって、使いこなせないから50mmに戻そうなんていう方向には今のところ向かっておらず、気がすむまで35mmだけ持って出かける日が続きそう。

フィルムはフジのC200が多いなぁ。気に入ってるからじゃなくて、気に入らないから手持ちのを早く使い切ってしまおうって言う使い方です。フジの生産といっても国内で売られてるものじゃなくて、海外でのみ売られてるものが逆輸入で入ってきてるもの。廉価フィルムとして大阪だとカメラのナニワ辺りで売られてました。1本300円くらい?梅田に出かけた折などに5本パックのを買ってストックしてました。
使ってみるとマゼンタかぶりが酷いフィルムで、色のりも悪く、かなり極端にフォトショップで補正する必要が出てくるコマが多発します。コンタックスT3に入れていたものなんか結果みてT3が壊れたんじゃないかと思うくらい酷い色になってました。それで欲しい色になるまで補正に没頭するんだけど、それでも最終的には満足に補正できない結果になるくらい片寄りは極端です。
もう生産は終了してるようなので、いまさらこんなことをいっても意味は無いんだけど、このフィルムは二度と使わない。ちなみに最近はこればかり使って何とか手持ちを使い切り、C200とはようやく縁が切れました。

☆ ☆ ☆

使ってるのはニコンのカメラがメインになってます。F3とFM3Aを、こっちばかり使ってるともう一つのほうに悪いなぁという感じで、たまに持ち替えて使ってます。レンズは35mm三昧。ニコンの一眼に35mmレンズをつけて35mmレンズのコンタックスT3をサブカメラにするなんていうどこまで35mmが好きやねんって云う組み合わせだった時もあります。


☆ ☆ ☆


ヒロミックス1

HIROMIXのデビューとなった写真集。いわゆるガーリー・フォトの起点となった写真集で、当時の少女たちはこの写真集で使われたコンパクトカメラ、コニカのビッグミニBM301を手にして追従する写真を撮るのが流行ったんだとか。
出版年を見てみると1996年初版とあって、影響の度合いは、20年前にはカメラなんてまるきり興味なかったものとしては確認のしようがないけど、この写真集が普段カメラを持たなかった少女たちに行動を促すだけの力があったというのは、今眺めてみてもどこか納得するところがあるように思えます。
それにしても当時影響されて少女たちが撮った写真ってどんなのだったんだろうと、結構見てみたいです

ヒロミックス2



ヒロミックス3


写されてるものはヒロミックスが普段の生活で眺めてるものやおそらく友人たちの日常で見せるいろんなシーンなど。ノリとしては暇だから写真でも撮ろうかなといったものに近いかも。
ピントを合わせたり、といってもビッグミニはオートで合わせにいってしまうカメラだけど、構図を決めたりとか、いわゆる従来的な名画的に決まった写真を撮るための方法をことごとく無視してるような身構えない撮り方で、とにかく気が向いたり面白そうと思ったりしたものにカメラを向けてその場その時のテンションに任せてシャッター切ってるような感じの写真が満載となってます。ストロボも躊躇なく使って、わたしはストロボ写真見ると結構クールでロケンローな写真っていうイメージを持ったりするんだけど、こういう破格の要素で成り立った写真は、行儀よく名画風に収まるわけもなく、ラフでエネルギッシュで、何よりも生々しい感じがします。こういう生々しさは自分の写真にはほとんど現れてこないから、結構興味深いところだったりします。
あるいはそんな風にこの写真集を見る一方で、この日常の生々しさを撮るプライベート写真って云うような外見は、でも写真を誰かに見せようという意識がまるでない状態で日常的な写真をこんな風な撮り方をするかなぁと、本当のところラフで生々しいプライベート写真風を装うような計算で撮ってるんじゃないかと思うようなところもありました。これをやってたならかなり策略的な写真集ではあるんだけど、本当のところはどっちなんだろう。写真は嘘つきだからよく分からない。

ガーリー・フォトの出発点になったといっても、今よく見るガーリー・フォトの、ハイキーでゆるくふわふわした写真とは結構違った写真となっていて、ガーリー・フォトというジャンルっぽいものが出来てるにしても20年の間には随分と変化してるのが分かり興味深いです。

あるレベルで少女の日常を生々しく切り取ろうとした写真は虚実織り交ぜて私小説風に写真を撮ってる荒木経惟の写真と同調する部分もあるんじゃないかと、事実ヒロミックスが世に出るために荒木経惟が尽力したそうだから、云うなら少女版荒木経惟といってもまるで間違いということもなさそうなんて、写真集を見て思ってました。















街の肖像画#15 影二題 木陰を行く 影とソファ + Alain Delon - LAETITIA

夏の日差しの中で
木陰を行く
2014 / 08 / CONTAX T3 / FUJI SPERIA PREMIUM 400





ソファ
ソファ
2014 / 06 / FM3A / FUJI PRESTO 400 自家現像




影絡みの二枚の写真。両方とも去年撮ったもので、最初のなんかは今くらいの季節に出すと夏を先取りしてるように見えて実は周回遅れの夏のイメージだったりします。
最初のは俯瞰好きの血が騒いだのと、派手な影だぁと舞い上がって撮ったものなんだけど、冷静に見ると木の影の様子は全体的に煩雑になりすぎてるし、形もよくないなぁという感じに見えてきた写真でした。何だか全体にくどいし、これ見よがしにすぎる。
それとわたしは高所恐怖症で二階のベランダから表の通りを見下ろしただけでも足が竦むのに、なぜか写真撮る時は高いところに登ろうとするんですよね。俯瞰の絵は説明的になりすぎるところがあるのに、そう思ってるから地表に足をつけて撮ってる時は誰が説明などするものかと、そういうのは極力避けようとしてるのに、高いところがあればそこで撮りたくなてくるのはなぜなのか自分でもよく分からない。撮ってる時はまるで考慮の外にあるけど、後で思い返すとあまり怖いとも思ってないようだし。

写真は光で撮るものだから当然影も撮る対象となって、奇妙な影というのも食指が動きはするものの、どちらかというとそういうのよりも微妙にニュアンスのある影のほうがやっぱり撮ってみたい対象ではあります。

それにしてもまだ夏本番でもないのに、既に酷暑といってもいいくらいの暑さになって、なんだかちょっとカメラ持って出歩く気分が押され気味になってます。山科の坂道や長い疎水道を延々と歩き回って見飽きたところもあったり、歩き続けて今ちょっと足の調子がよくないことも関係してるのか、さて今日はどんな写真が撮れるだろうとワクワクする気分が顔を覗かせることはあっても、その顔は若干俯き気味って云う感じです。

足のほうは、酷ければ整形に行くしまぁそのうち調子は戻ってくると思う。暑さも体が馴染んでくればそれなりに気分の建て直しも出来ると思うので、後は見飽きてしまった撮影してる場所かな。この前も書いたと思うけど、見慣れすぎた場所というのはやっぱり刺激に乏しくなるのは確かで、見たこともないような場所へ行ってみるのは有効な手段になるはす。
でも特殊な被写体に依存しないという撮り方をしてると、見慣れない場所で見慣れた世界の写真を撮るなんていうアクロバットのような撮影になりそうです。


☆ ☆ ☆


Alain Delon - LAETITIA


ロベール・アンリコ監督の映画「冒険者たち」のフランソワ・ド・ルーベによる音楽。アラン・ドロンが歌ったこのバージョンが映画の中で流れたかどうか記憶にはないんだけど、口笛が奏でるこのテーマは凄い好きでした。特にラストシーンで廃墟になった海上のボワヤール要塞の空撮シーンで回転しながら遠ざかっていく要塞をバックに,、これはピアノ・バージョンだったけど、この曲が流れるのが印象的。
で、エンディングで流れるからこれがこの映画のメインテーマかというと、実はメインのテーマは別にあって、そっちは結構サスペンスフルな音楽となってます。途中から物語にギャングが絡んでくるからなんだと思うけど、今になってみるとこの映画の印象はギャングがらみの部分でもないから、こっちの曲のほうが映画の顔になってるんじゃないかと思います。

映画もフランス映画全盛の時の一本って云う感じかな。見果てぬ夢を追う男二人と女一人のかすかに恋愛感情が絡む友情のお話。友情の上に乗った危ういバランスの恋愛感情とそれぞれの夢の行き着く果てはあまりハッピーエンドでもないんだけど、涙腺崩壊する悲劇という閉め方じゃない、余情たっぷりのロマンチックな映画でした。
映像がやっぱりフランス映画という感じで、綺麗だったような記憶があります。
フランス映画のような撮り方の写真とか、おしゃれな写真が出来上がりそう。