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【邦楽】 My Romance - 鈴木重子

鈴木重子の11枚目のアルバム「サイレント・ストーリーズ(Silent Stories)」に収録されてる曲。曲自体は良く知られてるスタンダード・ナンバーです。
「サイレント・ストーリーズ」のリリースは2006年で、それほど古いCDでもありません。ちなみに今年に出た「LOVE」が通算で12枚目のアルバム、これが鈴木重子の最新作になってます。

「My Romance」の作曲はRichard Rodgers、作詞がLorenz Hart。
Richard RodgersはOscar Hammerstein IIとの共作でサウンド・オブ・ミュージックの音楽を手がけた人でもあります。
「My Romance」は1935年にミュージカル「ジャンボ」のなかで使われたのが最初らしいです。1962年に映画化もされ、この映画ではドリス・デイが歌ってました。
良く知られてる曲ということもあって、歌だけではなく楽器でもいろいろと演奏されてます。わたしが好きなものではビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビイ」に収録されてるピアノ版のものがあります。

鈴木重子は東大法学部出身の歌手として注目されたらしいですね。そして日本人で初めて、ニューヨークの「ブルーノート」でデビューライブをした人でもあるらしい。最初はジャズシンガーとして出発し、こういう形の音楽に行き着いたと。
調べてみたら、1995年にデビューアルバムをリリースして以降、12枚もCDをリリースしてる人だから、結構キャリアの長い人みたいです。

☆ ☆ ☆

わたしが始めて聴いたのは、たまたまだったんですが、このアルバム「サイレント・ストーリーズ」に収録されてる「マイ・フーリッシュ・ハート」でした。これがまた、ある意味衝撃的だったんですよね。この歌い方で、歌が成立するんだと。

声質は綺麗なんだけど、声量が致命的に欠けてるし、息もほとんど持続しない。途切れ途切れの呟きのような歌い方。
でも、それを歌唱法にして、余計なものをそぎ落とすように、歌そのものを希薄な何かに変貌させながら、沈黙との瀬戸際で揺れ動いてるような方向へと進んでいく。
鈴木重子の紡ぎだす歌はそういう歌なんですが、まるで沈黙もまた音なのだと主張してるようにも聴こえてきて、はじめて聴いた時から強烈な印象で耳に残りました。

「サイレント・ストーリーズ」に収録されてる曲はこんなの。

1. マシュ ケ ナダ
2. トゥルー カラーズ
3. ソ ダンソ サンバ
4. 黒いオルフェ
5. マイ フーリッシュ ハート
6. ブリッジ
7. 蘇州夜曲
8. シェルブールの雨傘
9. ミッド サマーズ スプリング
10. ラヴ ミー テンダー
11. マイ ロマンス

こういう歌い方なので必然的にスロー・バラードが多くなってきます。このアルバムには「マシュ・ケ・ナダ」とか「ソ・ダンソ・サンバ」「黒いオルフェ」などのラテン、ボサノヴァ物も入ってるんですが、歌い方をほとんど変えてません。沈黙に身を寄せるような歌をラテンのリズムに乗せてきます。
それなりにパーカッションがリズムを刻んでくるんですか、歌の希薄な威力が物凄いのか歌が完全に主導権を取って、まるで陽炎の中で揺らめいてるような不思議な感触のラテンを聴かせてくれます。

それとこのアルバム、ピアノの音が極めて繊細で、綺麗です。ピアノを演奏したのはフェビアン・レザ・パネ(Febian Reza Pane)。この人は確か「海辺のサティ」っていうアルバムを出した人です。

もう一つ、「マイ・フーリッシュ・ハート」が衝撃的だったのになぜこの曲かというと、結構予想以上に胸に迫ってくるものがあったんですよね。極めて旋律の美しいロマンチックな曲というイメージは今までにあったんですけど、胸に迫ってくるような感触は鈴木重子の歌で始めて体験したので、自分でもちょっと吃驚してこの選曲です。

☆ ☆ ☆

サイレント・ストーリーズサイレント・ストーリーズ
(2006/01/25)
鈴木重子

商品詳細を見る


-- 鈴木重子 公式サイト --

☆ ☆ ☆

My Romance - 鈴木重子


My Foolish Heart - 鈴木重子


おまけ
My Romance - Doris Day

ちなみにドリス・デイが歌う「マイ・ロマンス」です。


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☆ ☆ ☆

今月は時期的なものと、気分的なものもあって、あまり記事をアップすることが出来ませんでした。
それでも毎日訪問してもらったり、応援を頂いたりして、とても感謝してます。
遊びに来てくれた皆さん、本当に有難うございました。

来年も同じような感じで続けていければ良いなと思っていますので、またよろしくお願いします。

良いお年を~!(^ー^)ノ


【洋楽】 Hush, Hush, Sweet Charlotte - Patti Page

クリスマスソングのほうにパティ・ペイジの歌を追加したので、続きでパティ・ペイジを取り上げてみます。曲は「Hush, Hush, Sweet Charlotte 」
この曲もクリスマスソングと云い張れば、そう聴こえないこともなさそうかな。

☆ ☆ ☆

パティ・ペイジと云えば「テネシー・ワルツ」。そう云ってもいいほど、この曲の歌い手として有名な人です。これの大ヒットのせいで「ワルツの女王」だったか、確かそんな称号まで付いていたはず。
生まれは1927年、40年代後半頃にマーキューリー・レコードと契約して本格的な歌手としてスタートします。
このマーキュリーレコード時代の1950年にパティ・ペイジ最大のヒットとなった「テネシー・ワルツ」がリリースされました。

60年代に、それまで在籍していたマーキュリーレコードから離れ、コロンビアレコードに移籍。
今回の「Hush, Hush, Sweet Charlotte」はそのコロンビア時代の65年にリリースされた曲でした。これがマーキュリー時代の「テネシー・ワルツ」程ではなかったものの、トップ10に入るくらいヒットすることになります。
ちなみにパティ・ペイジの曲としては、大ヒットしたのはこの曲が最後のものだったそうです。

☆ ☆ ☆

この「Hush, Hush, Sweet Charlotte」という曲、こんなに優しい響きの曲なのに、実は1964年にベティ・デイビス主演でロバート・オルドリッチ監督が撮った「ふるえて眠れ」というスリラー映画の主題歌でした。
映画では夜中になると流れてくる不気味な子守唄という扱いの曲だったらしいんですが、曲想が優しすぎてミスマッチじゃなかったかと。こんな曲だったら怖がる前に聴き惚れてしまいそうです。
もっとも、映画で使われた曲そのものはパティ・ペイジの歌ったものではなく、ベティ・デイビスのものだったようで、この曲には映画の主役ベティ・デイビスの歌ったバージョンも存在します。

パティ・ペイジはわたしにはジャズ歌手というよりもどちらかというとポピュラー、カントリー寄りの歌手という印象があって、こういう素朴で優しい歌は結構合っていたような気がします。

☆ ☆ ☆

「Hush, Hush, Sweet Charlotte」は1965年にリリースされた同じタイトルのLPに収録されてます。

LPに収録されていた曲目はこういうの。

1. Hush, Hush, Sweet Charlotte
2. Try to Remember
3. Green Leaves of Summer
4. Jamaica Farewell
5. Croce de Oro (Cross of Gold)
6. Who's Gonna Shoe My Pretty Little Feet
7. Black Is the Color of My True Love's Hair
8. Longing to Hold You Again
9. Danny Boy
10. Can't Help Falling in Love
11. Scarlet Ribbons (For Her Hair)

今はこのLPレコードと「Gentle on My Mind」というLPレコードの2枚、コロンビア時代の代表作がカップリングされた、2in1のCDがリリースされてます。

先に書いたように、当時のポピュラー・ソングやカントリーが主になった選曲のようで、わたしにはジャズ・シンガーだとあまり選ばないような曲の選択になってるように見えます。

☆ ☆ ☆

わたしが始めて聴いた時、このCDの中で面白かったのが2曲目の「Try to Remember」でした。
60年に始まったオフ・ブロードウェイのミュージカル「ザ・ファンタスティックス」の挿入歌で、のちにブラザーズ・フォアの歌でヒット、広く知られることになる曲です。

パティ・ペイジの「Try to Remember」は凄い浮遊感があるんですよね。ふわふわと漂っていくような感じ。
曲は結構ヒットしてるので他の歌手が歌った「Try to Remember」はいろいろあって、もちろん全部聴いてるわけじゃないことを前提にしても、こんなに重さから解き放たれたように歌った「Try to Remember」はパティ・ペイジのものでしか体験したことがなかったです。歌の内容は過ぎ去った日々への追憶の歌で、ふわふわしてるだけのものでもないんだけど、パティ・ペイジ版の「Try to Remember」は初めて聴いた時からとても不思議な感触の、心地良い歌でした。

☆ ☆ ☆

Hush, Hush, Sweet Charlotte/Gentle on My MindHush, Hush, Sweet Charlotte/Gentle on My Mind
(1999/09/28)
Patti Page

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☆ ☆ ☆

Hush Hush Sweet Charlotte - Patti Page


Patti Page ~ Try To Remember ~ 1965



おまけ。
パティ・ペイジ版の「Try To Remember」を探していて見つけた、サンディ・ダンカンとマペットショーによる「Try To Remember」
Try To Remember - The Muppet Show/Sandy Duncan



【洋楽】 クリスマス・ソングいろいろ

クリスマスソングの記事を一つ書いておこうと、でも投稿するのは24日でいいやと思ってたんですが、24日だとピンポイント爆撃みたいに照準はぴたりと合ってはいても、記事の賞味期限が恐ろしく短いということに今更のように気づいてしまい、ここら辺りで書いてしまうことにします。

といっても曲を並べるだけですけど。

わたしはキリスト教徒ではないけれど、賛美歌の響きはなぜか結構好き。教会音楽ってキリスト教と全く無縁の人間にも、静謐な感じとか天上の優美な響きとかそういうのを分かる形で伝えてくるのが面白いです。宗教が違っても共有してるような宗教的感覚が人にはあって、賛美歌はそういう部分を刺激してくるのか。あるいは単純に西洋音階に馴らされてるだけなのか。どちらなんでしょうか。

☆ ☆ ☆

El Noi De La Mare - Andres Segovia


日本語のタイトルは「聖母の御子」。カタロニア地方に伝わる古い歌で、ミゲル・リョベートがギター用に編曲したのが有名です。ここでギターを弾いてるのはセゴビアなんですが、古い録音で残念なことにギターの音が痩せてしまってます。趣はあるんですけどね。
わたしはギター曲として馴染んでるんですが、クリスマス・キャロルとしてもごく普通に歌われているようです。
シンプルだけど、和声の動きが極めて綺麗な曲という感じで好きです。

It Came Upon a Midnight Clear - Eydie Gorme


イーディ・ゴーメが歌う「It Came Upon a Midnight Clear」。
この曲は確かアメリカで初めて作られたクリスマス・キャロルじゃなかったかと。
賛美歌114番「天なる神には」というタイトルがついてます。
同じ歌をシナトラが歌ってるのもありましたが、聴いてみて、あまり洒脱に歌うと逆に雰囲気出てこないんじゃないかと、そんなことを思いました。

It Came Upon A Midnight Clear - Frank Sinatra



How Can I Keep From Singing - Enya


エンヤのはアルバム「シェパード・ムーン」に収録。
曲はエンヤが作ったのではなく、イギリス辺りのトラディショナルだと思うんですが、はっきりしたことは分からずです。
わたしはリベラの前身The St Philips Boy s Choirのアルバム「Angel Voices」に入っていたのをよく聴いてました。
エンヤはあまり好きな歌手でもないんですが、このPVみたいに現代の紛争地域などの映像を背景にして流されると、祈りの歌として切実な感じで心に入り込んでくるようです。

こちらはリベラ版のHow Can I Keep From Singing。CMのようで曲は一部だけですが、こちらのほうはより直接的にクリスマスしてます。
でも最後の方にちょっとだけエンヤ風の映像も出てきて、この歌はやはり「祈り」の歌ということなんでしょうか。
How Can I Keep From Singing [Waitrose Advert 2008] - Libera





↓さらにもう少し曲があります

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【本】 2009年度版「このミステリがすごい!」

先週本屋に立ち寄ったら、2009年度版の「このミステリがすごい!」が出てました。
わたしはこの本を見ると1年ももう直ぐ終わりだなぁと思ったりするんですよね。

この1年簡に出版された娯楽小説で評判がよかったものを投票形式でリストアップし、内容に関する解説をつけて纏めた本です。ランキングだけじゃなく、年間を振り返るような記事も載ってます。本のタイトルはミステリとなってますが今は多少ジャンルを逸脱した娯楽小説も含む形になってるようです。
わたしは年末になると出版されるこの本で、この1年間、評判になったけど読み残してしまった本のチェックをします。

最初の「このミステリがすごい!」が出版されてからもう20年近く経ってるようですが、最初は当時唯一だった文芸春秋の年間ベストテンの選考が気に入らない、納得できない、それでは自分たちで納得できるランキングを作ろうというところから始まった本と聞いてます。
この本が売れたために、今ではこれを真似た同様の本がこの時期になると何種類か出版されてるんですが、わたし個人の印象ではやはり最古参のこの本が一番的を射た選考をしてるんではないかと、そういう感想を持ってます。

ランキングの本なので、ここで海外ミステリのトップ20とか書き出すとほとんど営業妨害になってしまいそうで、内容については書きません。
先週この本を買った時、それと同時に、ランキングに入ってた本を一冊だけ買いました。

このミス2009

ジョー・ヒルってスティーヴン・キングの息子らしいですね。それで、キングの息子というので優遇されたりするのを嫌って、父親が超有名な作家だというのをずっと隠してたとか。そしてただの人としてスタートして結局作家として成功、しかも父親と同じモダン・ホラーの分野で成功したんだから、やはり血というのがあるんじゃないかって思いました。わたしは血筋とか血統とか、普段はあまりそういう風には考えない方なんですけどね。
ランキングに入った本はこういう「~位!」とか書いた帯がついた状態で店頭に並んでたりします。そして本屋の方でも専用のコーナーを作って、そこにベスト20に入った本を集め、手に取りやすい形にしてるところが多いです。だから実はわざわざこの本を買わなくても売り場に行けばベスト20に入った本は簡単に分かって、簡単に買えます。

今年の国内作家の本はトップ20に入ったのはほぼ全部単行本のようで、文庫は見当たらず。海外作家の方は文庫混じりで手が出しやすいトップ20になってました。

お正月に読む本を調達するのには格好のガイドブックになると思います。



【洋画】 ビートルジュース

わたしは絶対にカブトムシのジュースが出てくる映画だと思っていたのに、このグロテスクなタイトルは主人公並みに目立ってる脇役の名前「ベテルギウス」を言い間違えた言葉だというだけで、残念ながら映画の中に「カブトムシのジュース」が出てくるわけじゃなかったです。

映画は1988年のアカデミー賞でメイクアップ賞を受賞。ちなみにアメリカでは結構なヒットになったようです。
監督はオタクで名を馳せるティム・バートン。ティム・バートンとしては長編第2作目で、出演者のウィノナ・ライダーとともに、メジャーになるきっかけとなった作品です
ティム・バートンといえばジョニー・デップと、わたしの頭の中に公式のようなものが出来上がってるんですが、この映画ではジョニー・デップは登場しません。こちらはマイケル・キートンとのコンビ、つまり後のバットマン・コンビの作品になってます。

ホラー・コメディなんですが、コメディ的というよりは、奇想で成り立ってることに惹かれるような映画でした。

☆ ☆ ☆

とある田舎町、アダム(アレック・ボールドウィン)とバーバラ(ジーナ・デイヴィス)は丘の上にある広い邸宅に住んでいた。不動産屋が2人で住むには広すぎるから売ってくれというほどの邸宅で、アダムはその広い屋根裏部屋に自分の住む町のミニチュアを作り上げていくのが趣味だった。
模型つくりの材料を買うためにバーバラと一緒に町の金物屋に寄った帰り、アダムとバーバラが乗った車は橋の上で事故を起こして河に落ちてしまい、アダムもバーバラもその事故で死んでしまう。
ずぶ濡れで我が家に帰ってきた2人は、今度は外に出ようとすると屋外には砂漠のような不気味な世界が広がっているだけ、数歩進んだだけで砂漠にいるサンドワームに追いかけられるので家の外には出られないような状態になっているのを発見する。
自分たちの身に何が起こったのか最初は解らなかったが、部屋に「新しく死者になった者へのガイドブック」というタイトルの本が置いてあるのに気づき、これを見て2人は自分たちが橋の事故で死んでしまったことに漸く思い至ることになる。

いつも家を売れと迫っていた不動産屋は2人の事故死を機に家を売り払ってしまい、やがて新入居者がやって来ることになった。
新しく住人になったのはニューヨークのスノッブな一家チャールズ(ジェフリー・ジョーンズ)と彫刻家のデリア(キャサリン・オハラ)そして娘のリディア(ウィノナ・ライダー)の3人と、いつも一緒に行動してるインテリアデザイナーで超常現象の専門家オットー(グレン・シャディックス)の計4人。
自分たちの城に他人が乱入してきたのが気に食わなくて、アダムたちはこの一家を追い出そうといろいろ脅したりしてみるが、幽霊となったアダムたちの姿はチャールズ夫妻とオットーには見えないようで、いくら脅しても全然効果がなかった。
死後の世界のカウンセラー、ジャノー(ヘレン・ヘイズ)に相談してみると、そういうことを専門に扱うバイオ・エクソシストのビートルジュースというのがいるが、トラブルを起こすだけなのでビートルジュースに頼ってはいけないということだった。
なぜかリディアにだけはアダムたちの姿が見えて、リディアとは仲良くなるのだが、チャールズ夫婦は幽霊の存在にも気づかないまま、ニューヨークの友人を夕食に招待する。
その席で自分たちの存在を知らそうと、チャールズ夫妻らを操って夕食の席で無理やり「バナナ・ボート」を踊らせるのだが、一行は怖がって家から逃げ出すどころか幽霊をネタに商売が出来るという方向に関心が向く結果となった。
追い出し作戦が見事に失敗して、自分たちの手ではどうしようもないと判断したあげく、バイオ・エクソシストに人間の追い出しを依頼するために、制止されていたにもかかわらず、アダムたちはビートルジュース(マイケル・キートン)に頼ることにした。

呼び出したビートルジュースは予想をはるかに超えてお調子者で下品極まりない。
やることなすこととにかく調子外れで破格というとんでもない人物(幽霊)で、やがて丘の上の邸宅では生者と死者とバイオ・エクソシストが三つ巴で絡み合う争奪合戦が始まることになった。

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☆ ☆ ☆

わたしはティム・バートンの映画を観ると、全体の仕上がりはいささか冗長なんだけど、細部は異様に凝っていると、そういう印象を受けることがたまにあります。
物語を支える世界観から始まって、その世界観を具体化するために実際に画面に登場するイメージまで、細かい部分にも趣向を凝らし精緻に仕上げることに全力を注いでいるんだけど、お話そのものは結構だらだらと続いていくというか。
ティム・バートンはひょっとして物語全体をコントロールして緩急自在に語ることにはそれほど関心がないんじゃないかと、そういうことを考えたりします。
この映画も正しくそんな感じでした。ただし物語のテンションは高いんですけどね。

そういうことが端的に現れてたのが、死者の世界の役所だと思うんですが、かなり風変わりで悪趣味なティム・バートン風味のイメージで飾られてる役所のなかを進んで、アダムたちがカウンセラーに会いに行くシーン。ちなみに廊下のデザインはあの歴史的なホラー映画、カリガリ博士!
アダムが腰掛ける待合のベンチに座って順番待ちしてるのは異様な死者ばかり。この辺りのほとんどモンスターともいえる死者のキャラクターは、公開当時この映画の宣伝に頻繁に使われていて、観れば思い出すようなモンスターも絶対にいると思うんですが、映画を観てみるとこういう異様なキャラクターのほぼ全員が、映画が終わるまで役所の待合のベンチにただひたすら座ってるだけ、座って自分の番が来るのを待ってるだけなんですよね。
88年当時はまだ特殊メイクの全盛だったと思うので、そういうメイク技術や造形技術を駆使して仕上げた、若干安っぽくはあるものの凝った作りのモンスターたちが、せっかく画面に登場してるのに、邸宅争奪戦という映画の主軸には全然絡んできません。物語はそっちのけで、見た目面白いモンスター風の死者が並列的に並べられるだけです。

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☆ ☆ ☆

もう一つ、またこれはちょっと意味合いが異なるんだけど、有り方としてはよく似てるなぁと思ったのが、アダムとバーバラの幽霊夫妻とビートルジュースの関係でした。
この映画、タイトルが「ビートルジュース」となってるし、マイケル・キートンが熱演するビートルジュースの見た目も物凄いので、下品な扇動家ビートルジュースがとにかく前に出てくる主役かと思うんですが、主役にしてはこれがまた意外なほど登場シーンが少なくて、結局ビートルジュースはどちらかというと脇役に近い扱いなんだと解ってきます。

新しく侵入してきた人間を追い出したいという、そもそもこの物語が動き始めることになる動機はビートルジュースにあるんじゃなくてアダム幽霊夫妻の側にあります。
ところが、物語を動かしていく主役の立場は明らかに幽霊夫妻の側にあるのに、この幽霊夫妻が映画の中では一番地味で目だたない存在になってるんですよね。人を脅かすために顔を化け物風に変形させるシーンはあるものの、幽霊メイクを一切しないので、映画が終わるまで本当にただの人にしか見えない。はっきり云って死んでる人にも見えないです。

それに反してビートルジュースは実際の出番は少ないのに、見た目が映画の中で一番派手、一番態度がでかい。画面に出てくればかならず視線を独り占めにしてしまう。
どうも、キャラクターへのウエイトのかけ方がちぐはぐで、妙に居心地が悪いというか、はぐらかされてるような気分になるところがいくつかあるんですよね。

☆ ☆ ☆

映画に登場する様々なイメージは「物語」という中心に関わらなくてもそれほど気にしないという感じでスクリーン上に溢れてるし、登場人物も何処か物語をはぐらかすような動かし方に見えるところもあって、いろんなものがおもちゃ箱をひっくり返したみたいに、そこらじゅうに散らばってるような雑然とした感じの映画になってます。
コメディ部分も、そういう全体の冗長さを共有してしまって、わたしにはあまり面白いとは思えなかったです。
霊界の様々なものからデリアの妙な彫刻まで、細部はカラフルで異様なイメージに満ちていて、豪華で楽しい映画です。特殊メイクにクレイアニメーションを混ぜるような、ティム・バートンの風変わりなヴィジョンを堪能できます。でも映画が面白いかといわれると、これがまた微妙に面白くないんですよね。
だからわたしにとって「ビートルジュース」は「面白くないけど楽しい」映画という、ちょっと妙な印象のものとなってます。

☆ ☆ ☆

アダム夫妻の幽霊の設定についても少しだけ。この映画での幽霊の設定は結構風変わりです。
この映画でアダムたちの幽霊がチャールズらに見えない理由は、幽霊はそもそも人間には見えない存在だからという単純なことじゃなくて、特殊なものや常識から外れた異様なものを無視して見ようともしない人間は、幽霊のような常識外れのものは、本当は見えていても見えないもの扱いにしてしまうからという設定になっています。
そして、継母に馴染めなくて、一歩身を引いた様な場所に居場所を構えてしまってる、はぐれ者のようなリディアだけが、自分が例外的であるから、同じく例外的なアダムたちを見ることができるんだと。

わたしは観ている間中これはティム・バートン自身のことなんだろうなと思って画面を眺めてました。

自分の持ってる特異なヴィジョンが、意味あるもの、価値のあるものとしてなかなか認知されないと。
そういう意識があって、見ようと思えば本当は見えてるんだけど、見ようともしない人間には見えないものとして扱われる幽霊という、かなり捻った設定が出てきてるんじゃないかと思いました。

ただこの映画の中でウィノナ・ライダーが演じたはぐれ者リディアは明らかにティム・バートンの化身だと思いますが、リディアこそが幽霊を見ることができる唯一の存在にすることで、家族からはぐれてるような否定的な意味だけじゃなくて、同時にそれこそが個性なんだということも担わされてる二重構造のキャラクターだったような気がします。

☆ ☆ ☆

この映画のウィノナ・ライダーがとにかく良いです。若々しくてとても可愛い。後に万引きするような人になるとは到底見えません。ビートルジュースは例外として、アダム夫妻は最後まで死者にも見えないただの人だから、この映画の中で一番幽霊に見えてたのは、黒尽くめでゴシック・メイクをして、いつも人の視野の外縁に佇んでるようなウィノナ・ライダーでした。ひょっとしてこの映画はウィノナ・ライダーを見るための映画だったのかも。

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アレック・ボールドウィンとジーナ・デイヴィスは、やはり印象が薄いです。

結構目立ってたのがインテリアデザイナーのオットー役のグレン・シャディックス。肥満体で艶々した肌、構築的なヘアスタイル。デヴィッド・リンチの映画にでも出たら似合いそうな人でした。声優もやっていて、どうやら声優としての方が名が通ってそうな感じの人です。

一番派手なビートルジュースはどうかというと、あそこまで型破れだと、ただわめき散らしてるだけでも形になりそうな気がするんだけど、そういう風に思わせるのも、それが自然に見えるように演じたマイケル・キートンの技量の結果ともいえそうな感じもします。
ただこれがのちのバットマンだということに思いを馳せたら、そういうことに関しては、なんだか妙に笑えました。

☆ ☆ ☆

この映画は吹き替えで見たほうが面白いです。DVDでビートルジュースの吹き替えをやったのが西川のりお。
口を合わすことなんかまるっきり無視して、関西弁でまくし立てるビートルジュースの方が、妙にこなれてない字幕よりも絶対に笑えると思います。

☆ ☆ ☆

ビートルジュース20周年記念 特別版 [DVD]ビートルジュース20周年記念 特別版 [DVD]
(2008/11/19)
ウィノナ・ライダーマイケル・キートン

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Beetlejuice Trailer


BEETLEJUICE O Day Banana Boat Song Harry Belafonte

アダム夫妻が侵入者家族を操って、ハリー・ベラフォンテのバナナボートに合わせて間抜けな踊りを躍らせるシーン。この映画のコメディのタイプはこういう感じのものです。長すぎる…。


原題 BEETLEJUICE
監督 ティム・バートン(Tim Burton)
公開 1988年





【洋楽】 Song Of The Wind - Santana

サンタナです。わざわざ説明する必要も無いんじゃないかというくらい有名なギタリスト、1999年には「スーパーナチュラル」でグラミー賞を取って勢いが衰えていないことを示したりもしてます。その後も有名ミュージシャンとコラボしたりで、宗教に走ったにしてはいささか生臭い第一線維持活動をしてるといった感じでしょうか。

これはそのサンタナの1972年のアルバム「キャラバンサライ」に収録されていた曲。「風は歌う」という邦題がついてます。
わたしは以前からこの曲が好きで、最近久しぶりに聴いてみたら、ちょっと再燃してしまって、そこで記事を一つ仕上げてみることに。

サンタナと云えば、ラテン・ロックのギタリスト。同じロックのギタリストでも、クラプトンら三大ロック・ギタリストとは一線を画すような存在でした。
一言で云うとサンタナの弾くギターは黒人音楽をルーツにするような泥臭い、地上に足を囚われてる感じがほとんどなく、伸びやかで官能的、こういうギターを弾いたのは当時他にあまりいなかったんじゃないかと思います。

「Song Of The Wind」はまさしくそういう官能的なギターの音で織り上げられたバラードです。
ここでも何回か書いてるかもしれないけどわたしはバラード好き、狂騒的な曲も好きなんだけど旋律感のある曲も結構好きなので、サンタナの他のバラード系の曲、たとえば「哀愁のヨーロッパ」とかも聴きます。でも「ヨーロッパ」はちょっとベタ過ぎる感じがして今一。バラードの中でもこの曲がやはり良い感じです。
ラテン・パーカッションに煽られながらの進行なので、バラードといってもスロー・タイプの曲じゃないんですが、音の有り様はやはりバラードとしか云いようの無いものだと思います。
ラテン・パーカッションとベースが作るうねるような音空間の中をギターの音が艶やかに直線的に伸びていくような演奏、この空高く一直線に突抜けていくような音の艶っぽい質感がとても心地良いです。
これ、ギター弾いてる人なら感覚的にわかると思うんだけど、おそらくギターを弾いてる当人が一番気持ち良くなってるはず。そういう音です。

☆ ☆ ☆

わたしにはサンタナっていうのは他のロック・ギタリストのように黒人音楽をベースにしなかった、かなり珍しいミュージシャンという印象がありました。だから唯一無比だと。
でも調べてみると、ウッドストックで一躍名を広める前に、ブルースのバンドをやってたんですよね。これは結構意外でした。サンタナもブルースの下地の上で音楽をやってると。
もともとメキシコ人として、ラテンの血が入っていたとしても、ロックという土壌でラテンを開花させるのにどういう試行錯誤があったのか何だかちょっと興味が出てきました。

☆ ☆ ☆

収録アルバム「キャラバンサライ Caravanserai」についても少し。

虫の鳴き声の効果音を背景に、ハドリー・カリマンの拘束感の緩そうなサックスが歌いだし、ウッドベースが絡んで始まる1曲目「Eternal Caravan Of Reincarnation 」から全曲途切れること無しに続くコンセプト・アルバム。
デビューから数えて4枚目のアルバムに当り、サンタナのそれまでの3枚のアルバムはラテン・ロックというイメージのものだったんですが、このアルバムはそういうのから若干離れて「ジャズ・ロック」というイメージに近いものとして受け取られました。
サンタナがコルトレーンに凝っていて、結果ジャズ的な要素が混ざり合ったものになったとか。でも、わたしの印象ではジャズ・ロックというよりも、むしろプログレっぽく聴こえるアルバムでした。
このアルバムの後、サンタナは妙な精神世界に引き込まれてしまうんですが、そういうものへ進んでいきそうな感じも少し聴き取れるようなところもあるアルバムです。ひょっとしたらそういう部分がプログレっぽい感覚で聴こえてくるのかもしれません。
実際、このアルバムの制作時にもそういう精神世界への転換が原因だったのか、ニール・ショーンらオリジナルメンバー4人が脱退するという、新旧メンバーが入り乱れての制作となったそうです。

☆ ☆ ☆

アルバム「キャラバンサライ」の曲目はこういうの。

1. Eternal Caravan Of Reincarnation
2. Waves Within
3. Look Up (To See What's Coming Down)
4. Just In Time To See The Sun
5. Song Of The Wind
6. All The Love Of The Universe
7. Future Primitive
8. Stone Flower
9. La Fuente Del Ritmo
10. Every Step Of The Way

それぞれに邦題がついていて、こういう具合になっています。

1.復活した永遠なるキャラバン
2.躍動
3.宇宙への仰視
4.栄光の夜明け
5.風は歌う
6.宇宙への歓喜
7.フューチュア・プリミティヴ(融合)
8.ストーン・フラワー
9.リズムの架け橋
10.果てしなき道

やはり宗教かぶれになる直前の雰囲気、そういう気配が濃厚に漂ってくる曲名が並んでいるってところでしょうか。
全体がインストゥルメンタルな仕上がりになっていて、ボーカルが入ってるのは4、6、8くらい。あとはサンタナと二ール・ショーンのギターが嫌というほど堪能できるようなアルバムです。

☆ ☆ ☆

キャラバンサライキャラバンサライ
(2009/01/21)
サンタナ

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☆ ☆ ☆

Song of the Wind - Santana


Stone Flower - Santana


Soul Sacrifice (Woodstock 1969) - Santana


ウッドストックに登場した時の演奏です。この音を浴びせかけられたら、もうひれ伏すしかないというような大熱演になってます。一般的に知名度が拡がるきっかけになったというのも十分に納得。
この曲「ソウル・サクリファイス」は少し前のフィンチャー監督の映画「ゾディアック」のタイトルシーンで使われてました。








【洋画】 バタフライ・エフェクト

バタフライ・エフェクトと云うのは、カオス理論を説明する時に使われる表現。
映画の冒頭でも、「小さな蝶の羽ばたきが、地球の裏側で台風を起こすこともある」と出るように、小さな出来事の積み重ねが波及していって未来に大きな影響を与えるという、未来に対する予測不可能性を説明するものです。
わたしはタイムマシンもののように矛盾が積み重なっていくややこしい映画だと思って、かなり身構えて観たんですが、全然そんなことはなかったです。
過去に戻って、過去を変化させることで現在の状況を修復するといった話なんですが、そのたびに以前とは全く違う世界が再構成されるという、「並行世界」がテーマになっていて、話そのものはタイムマシンのように因果関係が崩壊するような内容でもなく、とてもすっきりとしています。この辺は混乱しないように進めていった脚本も上手かったんだと思います。

監督はエリック・ブレス(Eric Bress)と、J・マッキー・グルーバー(J. Mackye Gruber)の2人組み。調べてみると「FINAL DESTINATION 2/デッド・コースター」の監督でした。

前半はスリラーのように、後半は時間移動をテーマにしたSFのように進みますが、実はこの映画、全体としては濃厚な恋愛映画です。

☆ ☆ ☆

エヴァン(アシュトン・カッチャー)は幼い頃から一時的に記憶を無くする特徴があった。父親も同様の症状で病院に入ったきりになっている。エヴァンも父親同様に治療を受けていて、その担当の医者から治療の一環として日記をつけるように云われ、毎日日記をつけていた。
トミー(ウィリアム・リー・スコット)とその妹ケイリー(エイミー・スマート),レニー(エルデン・ヘンソン)はエヴァンの幼馴染でいつも一緒に遊んでいた。
エヴァンの記憶はこの時途切れてはいるが、3人はいたずらで大事故を起こしてしまい、この辺りから、彼らの関係は微妙に変化し始める。
トミーは妹のケイリーとエヴァンが親密になるのが我慢できなくなって、根っからのサディスティックな性癖を露にし、エヴァンの愛犬を袋詰めにして焼き殺すという暴挙に出た。
これからの成り行きを心配した母親は転居することを決意し、エヴァンは兄の暴力に怯えるケイリーに「必ず迎えに戻る」とメモを示して町を去っていった。

やがて時がたち、すでに記憶が途切れる症状は出なくなっていたエヴァンは、幼い時の記憶の欠落について研究する大学生となっていた。
そんなある日、エヴァンは偶然の成り行きから自分が子供の時につけていた日記を読んでみることになる。記憶の欠落した部分の記述に差し掛かった時、エヴァンの身と周囲に変化が起きて、次の瞬間には記憶が途切れていた幼い頃の時間に立ち戻っている自分を発見した。
記憶が途切れていた間の一部を体験し、その事で尋ねたいことがあってエヴァンは幼馴染のケイリーに会いに行くが、エヴァンの記憶が途切れていた間の出来事がトラウマになっていたケイリーは、そのトラウマだった出来事を思い出してしまい、自殺してしまう。

自分が過去に記したノートを読むことで過去に戻れること知ったエヴァンは、自分の行動でケイリーを死なせてしまった事を修復するために、再び過去の、記憶を失っていた地点に戻る決意をする。

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大体このくらいまでが映画の前半です。

前半の謎めいた雰囲気がかなり良い感じなんですよね。まるでミステリのようなタッチ。
エヴァンが記憶を失っていた出来事は大きく3箇所あるんですが、いったいそこで何が起こって、何がこの3人の関係に影響を与えたのか、前半の部分では全く明らかにされません。何か重大なことが起こったんだろうと想像させるだけで、エヴァンの記憶の欠落部分は闇の中に身を沈めたままの状態で物語りは進みます。この辺りの、不穏な雰囲気を醸し出すことだけに徹している演出が結構良い感じです。

観客は説明もされないエヴァンの記憶の欠落を共有することになって、やがて後半でエヴァンが自分の記憶の欠落について考えることや、恐れや好奇心を持って、闇に沈んだ記憶のベールを次第に剥いでいく過程にも同調し、謎が暴かれていくワクワク感も共有していくことになります。

エヴァンが自らの記憶が欠落してる時間の真っ只中に戻って、何かを以前とは違う状態にした結果、現在の世界がそれまでとは全く異なった世界となって現れてくる後半の展開も面白かったです。
ケイリーと同棲して幸せに暮らしてるが、暴力的な兄のちょっかいに反撃して殺してしまい、刑務所に入れられる世界とか、ケイリーが娼婦にまで身を落としてしまってる世界とか、いたずらで起こる大事故を未然に防ごうとして自ら四肢を失ってしまう世界とか、過去を修復しては戻ってくるエヴァンの前にそういう現実が様々に変化して立ち現れてきます。
あらゆるものが変化するので、確固とした存在はエヴァンだけで、エヴァンの周囲の全世界が不安定に溶解してしまったような奇妙な感覚さえも覚えました。こういう不安定な感覚は、並行世界をここまで徹底して描写したからで、他の映画ではなかなか味わえないかもしれません。

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エヴァンの行動の動機は幼馴染のケイリーに対する愛情で、ケイリーが幸せになるまでエヴァンは過去改変を繰り返そうとします。でも、どの過去に戻って修復して帰ってきても、思うような結果にならない。
欠落した記憶の時間に戻って、そこで生じていた、幼馴染の3人の関係を決定的に変化させた事実を知っても、ケイリーが幸せになれる方向へ道が延びている本当の分岐点がなかなか見つからない。

このエヴァンのケイリーに対する無条件で盲目的な愛情に共感するかどうかで、この試行錯誤の受け取り方がかなり変わってくるかも知れませんね。
だってエヴァンは個人的な事情でケイリー以外の他人の人生も変化させてるわけですから。全く関係のない他人からみれば、エヴァンの行為ははた迷惑極まりないものにしかすぎません。

わたしは一応エヴァンの一途な愛情として観てたんですが、それでも、刑務所の中でエヴァンを助けるカルロス、この人に関しては何だかとても気の毒でした。
彼の物語ははエヴァンが刑務所から過去にダイヴする間、襲い掛かってくる囚人をせき止めているところで終わり。そこから過去に飛んで戻ってきた世界ではエヴァンはすでに刑務所の中にいる囚人ではなくて、カルロスはエヴァンに手を貸した挙句、そのあと全然登場しなくなります。ひょっとしたら新しい世界ではカルロスは存在さえしてないのかもしれない。
わたしはカルロスの行く末が物凄く気になりました。エヴァンを助ける凄く気さくで良い人だったのに。

エヴァンは試行錯誤を続けても本当の分岐点が見つけられず、ケイリーを幸せにするために、結局最後に非常に思い切った決断をするんですが、これが宣伝にあった「映画史上最も切ないハッピーエンド」に当る結末になります。
この宣伝文句、あながち大袈裟な嘘でもなくて、結末のつけ方としては、結構意表をついてはいるものの、これしかないだろうと思わせる、余情のある終わり方でした。わたしはこの結末の切ないハッピーエンドはうまい着地の仕方だったと思います。
映画の最中エヴァンの行為を身勝手と思いながら半ば醒めた目で観ていたとしても、このラストでぐっと来る人は多いんじゃないかと思います。

こういう過去を変えていくような物語をわたしは無条件で面白いと思うほうです。
完全な過去を持ってる人物など世界中のどこを捜してもいないわけで、誰もがやり直したいと思ってる過去の一つや二つは必ず持っている。でも過去を変えるなんて絶対に不可能。こういう物語はその実現不可能な願望を仮想的に充たしてくれる可能性があるから、惹かれるんでしょうね。

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脚本はまるでパズル・ピースをはめ込んでいくような複雑な仕様になっているのに、整理が上手くてほとんど混乱しない仕上がりになっていました。わたしにはこのシナリオは本当に良く出来ているように思えます。
ノートを読むだけで過去に戻れるとか、その辺の設定は簡単にして、あまりSF寄りにしなかったのも純正の恋愛映画として成立させるための適切な判断でした。
ただタイムマシンものほど目立つ形ではないにしても、いくつか説明しきれない部分もあって、たとえばエヴァンが過去を変化させて現在に戻ってきても、エヴァンだけはいつも記憶を研究する大学生なんですよね。他の人間は環境から人格からまるで変わってしまうのに。これ、都合良すぎますよね。

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登場した俳優はわたしにはあまり馴染みの無い人ばかりでした。主役のアシュトン・カッチャーはコメディもこなす人らしいんですが、この映画のシリアスな状態を観てると、コメディが似合う人とは到底思えなくなります。
エヴァンの幼馴染3人は、本当に奮闘してました。エヴァンの行為で人格まで変わってしまうキャラクターを演じ分けなければならなかったのだから、これは相当苦労しただろうと思います。特にレニー役のエルデン・ヘンソン。幼い頃のレニーは若干肥満児。大人になってからのレニーはエヴァンの行為で変化する世界によっては若干スマートになっていたりして、体形まで変化させる事を強いられたんじゃないかと思われます。でも俳優ってよくもまぁ自在に体重を加減できるものだと思いますね。

ケイリーの父親役でロリコンの変態親父を演じてたのが、エリック・ストルツ。意外といえば意外なんだけど、この人は変な役で出てるのを他でも観てるし、こういう役をやることに楽しみを覚えるタイプなのかもしれない。でもアメリカでロリコンってあまりついて欲しくないイメージだと思うんだけどなぁ。

脇役なんだけどエヴァンのルームメイトのサンパー(イーサン・サプリー)がなかなか味があってよかったです。巨漢のパンク野郎、でぶっちょなのになぜかもてまくって、いつもベッド・インしてるような、でも見かけの異様さにもかかわらずエヴァン思いの良い奴。主役級の三人よりも印象に残るかもしれません。

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The Butterfly Effect Trailer



原題 The Butterfly Effect
監督 エリック・ブレス(Eric Bress)、J・マッキー・グルーバー(J. Mackye Gruber)
公開 2003年