2024/09/05
入院してからの近況 2
頸椎の手術の後、左腕が上がりにくくなって、追加の手術を検討されるようになり、ならば自分で選んだ最初の病院でやってほしいと主張して、再び転院。八月の二十日過ぎに最初の病院に戻ってくる。介護タクシーの車椅子でナースステーションの横を通った時みんな手を振ってくれて、自分のことを憶えてくれていたんだと思うと嬉しくなってきた。
最初の一週間くらいは手術に向けての体調を整えることや検査に費やし、手術日が決まったが、なんとそれは台風が上陸すると予想されていた日で、でも幸いなことに迷走極まった台風だったせいで、台風さなかの手術というのは免れるかことができた。
二十七日の午前九時に始まり午後二時半に終わるという手術だった。手術が終わって以降のその日の記憶をできる限り残しておこうと努めたけれど、当日の記憶は思いのほか切れ切れて、目覚めた当初は口の中に二つの変な味が残っていたことを覚えている。一つは歯科で味わうような麻酔薬に似た味で、もう一つのほうは嫌な感触だけを残して早々に記憶の領域から滑り落ちていった。
その後気持ち悪いと訴えたのもかすかに憶えているが、おそらく眠っていたのだろう、はっきりとした記憶は途切れがちで、つぎに大きな塊として頭のなかに漂っているのは、夕食時のことだった。
あたりは完全に暗くなっていて、晩御飯持ってきたよ、食べられそう?という呼びかけに反応して、意識は幾分大きく浮上していく。気分悪くてちょっと無理と言ったふうに思う。まぁ封は切ってすぐに食べられるようにしておくからと、そう言われて寝ているベッドから横にあるテーブルをみれば、紙バックの小さな牛乳とチューブのゼリー、いつもの食パンとは明らかに形の違うこんもりとかさ高いバンが袋を破った状態で置かれていた。
体感で数時間経った頃、ゼリーだったら食べられるかなと思い始め、ためしに食べてみる。気持ちは悪くならなかったけど、ゼリーは冷えた状態で食べないと、と思った。かさ高いバンにどうしようかなと色目を使ってるうちに、二時間以上経ったので危ないから片付けますねと持ち去られてしまい、この明らかに普段とは様子の違ったバンは味わう事ができなかった。数日後その日の担当の看護師さんに、あのパンはなんだったの?と尋ねると、デニッシュのパンで手術当日の夜に出るものらしかった。特別なものだったようで、しまったなぁ、それなら食べておけばよかった。
首の手術なので、髪の毛は裾を刈り上げたワカメちゃんカットにさせられる。顎くらいの長さの髪にスパイラルパーマというスタイルだったので、激変するこれは本当に嫌だったんだけど、実際にこういう風にやられてみると意外に悪くない。刈り上げでトップにはパーマをかけてと考えて、入院中の暇にまかせてネット検索したら下のような写真がヒットした。いいな、これ。こういうのを目指そう。
耳を出すスタイルも久しぶり。背骨に沿って切り開いておきながら何を厭うのか、ピアスの穴も開けてやろうか。