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入院してからの近況 2

頸椎の手術の後、左腕が上がりにくくなって、追加の手術を検討されるようになり、ならば自分で選んだ最初の病院でやってほしいと主張して、再び転院。八月の二十日過ぎに最初の病院に戻ってくる。
介護タクシーの車椅子でナースステーションの横を通った時みんな手を振ってくれて、自分のことを憶えてくれていたんだと思うと嬉しくなってきた。
最初の一週間くらいは手術に向けての体調を整えることや検査に費やし、手術日が決まったが、なんとそれは台風が上陸すると予想されていた日で、でも幸いなことに迷走極まった台風だったせいで、台風さなかの手術というのは免れるかことができた。
二十七日の午前九時に始まり午後二時半に終わるという手術だった。手術が終わって以降のその日の記憶をできる限り残しておこうと努めたけれど、当日の記憶は思いのほか切れ切れて、目覚めた当初は口の中に二つの変な味が残っていたことを覚えている。一つは歯科で味わうような麻酔薬に似た味で、もう一つのほうは嫌な感触だけを残して早々に記憶の領域から滑り落ちていった。
その後気持ち悪いと訴えたのもかすかに憶えているが、おそらく眠っていたのだろう、はっきりとした記憶は途切れがちで、つぎに大きな塊として頭のなかに漂っているのは、夕食時のことだった。
あたりは完全に暗くなっていて、晩御飯持ってきたよ、食べられそう?という呼びかけに反応して、意識は幾分大きく浮上していく。気分悪くてちょっと無理と言ったふうに思う。まぁ封は切ってすぐに食べられるようにしておくからと、そう言われて寝ているベッドから横にあるテーブルをみれば、紙バックの小さな牛乳とチューブのゼリー、いつもの食パンとは明らかに形の違うこんもりとかさ高いバンが袋を破った状態で置かれていた。
体感で数時間経った頃、ゼリーだったら食べられるかなと思い始め、ためしに食べてみる。気持ちは悪くならなかったけど、ゼリーは冷えた状態で食べないと、と思った。かさ高いバンにどうしようかなと色目を使ってるうちに、二時間以上経ったので危ないから片付けますねと持ち去られてしまい、この明らかに普段とは様子の違ったバンは味わう事ができなかった。数日後その日の担当の看護師さんに、あのパンはなんだったの?と尋ねると、デニッシュのパンで手術当日の夜に出るものらしかった。特別なものだったようで、しまったなぁ、それなら食べておけばよかった。


首の手術なので、髪の毛は裾を刈り上げたワカメちゃんカットにさせられる。顎くらいの長さの髪にスパイラルパーマというスタイルだったので、激変するこれは本当に嫌だったんだけど、実際にこういう風にやられてみると意外に悪くない。刈り上げでトップにはパーマをかけてと考えて、入院中の暇にまかせてネット検索したら下のような写真がヒットした。いいな、これ。こういうのを目指そう。
耳を出すスタイルも久しぶり。背骨に沿って切り開いておきながら何を厭うのか、ピアスの穴も開けてやろうか。




 

入院してからの近況

最初に入院していた病院から半月ほどで何の事情か知らないけれど、主治医の先生もいきなり転院がきまってしまってとびっくりするくらいあわただしくリハビリ病院に転院、最初の病院の系列下の病院だ。別に問題患者でもなかつたのになぁ。


半月ほどの入院とはいえ、それなりになじんだところからひっぱりだされ、親しくなったアンパンマン好きのきさくな看護師さんもふくめて、一切合切とりあげられた感が半端なく、特にこのアンパンマン好き看護師さんにはハイタッチで別れた後の喪失感をともなった寂しさが日増しにつのってくる。


転院先の病院は系列下ということもあってか共通の備品も多く、その事がかえって位相を違えた歪な相同世界に迷い込んだような気分にさせる。病院の規模は圧倒的に最初の病院のほうがうえ。広い空間に四人部屋だったのが今や空間を利用しつくしたような六人部屋。しかも最初の病院は窓際だった。


最初の病院にはコンビニ、ATM、おまけにタリーズコーヒーの喫茶室まで、もっとも手術前後の患者は病棟に閉じ込められてそんなところには行かせてもらえなかったけれど、とにかくそろっていたのに此方には何もない。


サービスの質も総じてもとから気に入って通っていた前の病院のほうか圧倒的によかった。歯磨きのうがい水は放置状態のことが頻繁だし、ナースコールにもなかなか反応しない。最初の病院は整形外科の患者専門の病棟、階があったのにこちらはごった混ぜ、今現在は同室に肺炎と喘息を併発させてる人、意味不明の、たまに日本語とわかる単語が混じるから日本語なんだろうけど、まるで解読不能の寝言を叫びながら口走る人、どうやったらあんな音が出せるんだろうという想像をこえたいびきをかく人と勢揃いして、さらに廊下の奥深くから精神病患者らしい叫び声が聞こえてくるとなると、夜がまるで眠れない。生活環境としても治療空間としても最悪に近い。最初の病院と違ってここは早く逃げ出さないとという思いしかない。


感じたマイナス面は今いる病院が古いということに起因しているんだろうけど、数年前に新築、大規模化した最初の病院は、内実面も同時にアップデートしたに違いなく、快適さにおいては今いる病院とは比較にならないレベルに達していた。


今回の入院で興味があったのは全身麻酔の意識の落ち具合だった。今まで意識があったのにいきなり意識が落ちるってどんな感じなんだろうと興味津々でやけに可愛い手術室の看護師に導かれて手術台にのぼり、いきなり吸入の三角マスクをつけさせられて、一呼吸。この一呼吸だけで瞼がわずかに重くなったかなと感じて二呼吸。次の瞬間、手術終わりましたよと起こされる。


考えてみれば、意識が落ちた瞬間は落ちた直後にある意識にしか認識できないわけだから、意識が落ちた直後にそんなものの感触を確かめるなど所詮無理な話なんだろう。


病院にて、iPhoneから投稿。



お知らせ

今週から約ひと月、手術のために入院してきます。狭まってる頸椎を背中のほうから縦に二つに割って広げるといったことをするらしいけど、そんなことして大丈夫なのか。来月の初めころまで留守にしますが、帰ってきたらまたよろしくお願いします。


コッポラの胡蝶の夢のテーマ。

お歯黒岬けいれん節考

点描

前回の記事で初めて救急車に乗せられたことを書いた。今のところ一度だけ同じところで転倒してるとはいえ、幸いにして救急車に乗るようなことは何とか避けられてる。でも歩くのがストレスになりつつあるのはあまり変わりがないなぁ。
わたしの体は妙なトラブル続きでこの救急車の一件以前にも3月ころに足に治らない傷ができてそこから透明の液体が延々と滴り落ちるという状態に陥った。それはもう壊れた蛇口のようで、はいている服はぐっしょりと濡れた状態。得体のしれない液体が滴るのも気持ち悪いし傷口が瘡蓋になることを忘れたように開いたままというのも困惑させる。
4月にちょうど内科の診察の予約が入っていたので、専門外を承知の上で相談してみるとゲンタマイシンを処方される程度で、これでよくならなかったら皮膚科に行ったほうがいいと云われた。
案の定ゲンタマイシンではまるで状態は変わらず結局は皮膚科に行くことに。足の状態を見てむくんでることを指摘され、両足のリンパの状態を調べられる。漏れてるのはリンパ液?
治療は弾性包帯を巻いて圧迫することと傷口に薬品を塗布すること。この薬が亜鉛華単軟膏というもので、リリカの時も思ったんだけど、こういう薬の名前ってどういう人が命名してるんだろうね。亜鉛の華なんてどこか退廃的だ。ちなみに包帯を巻いた足はまるでミイラ。薬のほうは速攻で液の垂れ流しが止まった。でもおそらく長く続けていかなければならないだろう。
長年の潰瘍性大腸炎といい歩けなくなる可能性も出てきた最近のトラブルといい、人の精神は脆弱な器に乗っかってることを痛感する。普段はこの瞬間に命尽きても一向に差し支えないといった死生観の持ち主なんだけど、こうも病院に入り浸ってると急に思いがけないほど憂鬱に落ち込んだ状態になる:

最近買ったもの。
まるで思うようにカーソルが動かなくなったマウスを新調する。マウスはわたしはずっとロジクール一択で、今回もロジクールの中で物色したものの、最近は静音マウスばかりなのね。キーボードでもメカニカルタッチのものが大好きなので、押した感触もあやふやな静音マウスは好みの埒外にある。みんなこんなのがいいんだ。大体マウスってそんなにやかましいか?
マウス

もうひとつはこれ。アリアスの Dashという自衛隊の売店時計。といっても自衛隊まで行く必要もなく、ヨドバシでもその辺のホームセンターでもどこでも買える。
これが大きな数字で視認性はいいし、結構使える。風防のプラスチックが微妙にドーム状に盛り上がってるのもなんかかっこいい。ソーラーとあるのは電池とのハイブリッドというなんちゃってソーラーで、電池の持ちをよくする程度で充電するわけじゃない。どれだけ効果が出てるのか確認するすべもなく、メーカーが言い張ってるだけのものかもしれない。電波時計のほうは感度が弱いけれど、家の中kで受信できる場所を発見できれば、一日に一度自動受信する夜中の3時にその場所に置いておくだけで翌朝は正確な時刻になってる。
これは本当に便利だ。ただ電波時計を使いだすと1秒でもあってないと気になって仕方ないという状態になるのは、これは副作用なんだろうなぁ。
ちゃんとしたソーラー充電で電波の受信感度のいいのが欲しくなってきた。
ちなみにこの売店時計は当たりをひいたのか今のところ不具合もなし。


時計

基本的にはチープカシオがお気に入り。映画に登場する腕時計もあったりして、たとえば計算機付きカリキュレーターはバック・トゥ・ザ・フューチャーでマイケル・J・フォックスがつけていたものだし、他にもキングスマンやダークナイトのジョーカーがつけていた。それとこれは最近知ったんだけどエイリアンのリプリーも2台連結するという独自の加工をしてチープカシオを身に着けている。これを身につければ、ノストロモ号へ迷い込めるか。

メタルボックスは友達が持っていたのを聞きに行ったことがある。今はCDの大きさの小さいのがあるみたいで、ミニチュアみたいな趣が出てる。







痙攣する日常

壁

そろそろコバエの季節。ほぼ殺虫剤は効かないし、捕獲するタイプのものも、売り場でよく見る頭のとんがりが長いスライムみたいな形状のものはまずはいらない。手でたたくか蠅とり紙が一番有効なんじゃないかと思わせるくらい難儀な存在なんだけど、ネットで簡単に作れる捕獲の道具を見つけた。
100均で売ってるプラスチックの使い数てのコップに酢を大さじ2、水を大さじ1の割合で入れ、そこに醤油を大体5滴ほどと洗剤をちょっと加えると出来上がり。これをコバエの出やすいところに置いておく。
もう一つ紹介してあったのは害虫を寄せ付けなくするアイテムで、これは適当な小ぶりのガラス瓶に保冷材のゼリー状の中身を入れ、そこにハッカ油を数滴たらしておくというもの。なぜ保冷材の中身なのかはよくわからず。これはゴキブリなど以外にもネズミなんかも寄せ付けなくするらしい。わたしのところはネズミもでるからなぁ。これも試す価値がある。
両方ともまだ試してないけど、効果があるといいなぁ。




5月3日の夕刻、食料の買い出しに出かけようと思って玄関で転倒、一段低い土間にそのまま倒れこんで扉に頭から突っ込む。古い家で扉も壊れかけていたのが幸いしたのか、鍵のかかった扉を弾き飛ばして半身を外に出したまま玄関先で俯けに伸びてしまった。たまたま表の通りで子供を遊ばせていた近所の人が気づいてくれて、問いかけに動けないと答えると救急車を呼んだほうがいいと判断された。
で、うまれてはじめて救急車に当事者として乗ることになった。凄い晴れがましい。
そのままいつも内科で見てもらってる病院に連れていってもらう。
救急車は付き添いで乗ったことがあり、その時はよく揺れるし酔いそうになったのをおぼえていたので、枕もない状態で寝た姿勢で揺られてると今にも酔いそうな気分になって、視覚からの刺激だけでも遮断しようyと思って目をつむっていた。
結局酔うこともなく病院に到着。緊急処置室に一直線で、指にクリップをつけられたり心電図のコードを装着されたり、一部は救急車の中で既に装着されたものもあったと思うが、とにかく全身の基本的な状態を調べられて、そのあとも全身のCT、レントゲンなどを撮られた。この辺目をしっかり見ひらいて周囲を観察しておけばよかったと思うものの、転倒後の状態がオーバーフロー気味に流れ込んでいたせいか、情報は遮断気味になってしまった。
検査の結果は骨折等すべて異常なし、頭を打っていたのも一通りの検査では大丈夫だった。ただ頭に関しては時間差で異常が出てくる可能性もあるのでその時はすぐに連絡するようにと、頭の怪我に関する注意書きを渡された。
額に大きな血腫ができていた。あとは全身のいたるところに擦り傷。右ひざの擦り傷がかなり大きい。俯けに倒れこんだにしては歯を折ることもなくすんだのは幸いだった。
擦り傷はその場で手当てしてもらったものの、その後どうするのか聞き忘れ、ガーゼを貼っただけにして、数日後に予約が入っていた皮膚科で相談。ゲンタマイシンを処方してもらって、この傷はしばらくして治った。
額の血腫は中にたまった血が下りてきたのか、数日後目の下が明らかに黒ずみ瞼のラインに沿って描いたように血の筋が現れていて鏡を見て初めて気づいたときはびっくりだった。 額はまだ幾分膨らんだままだ。
やるべき処置がすべてすんで結果が出た後、自力で歩けるか試した後一応歩けたので、その日一日入院するか帰宅するか選ばされ、入院は余計なお金がかかるからかえることにした。
その後2週間くらい後にまた玄関で転んだりしてこの時は救急車は呼ばなかったけど、わき腹を打って肋骨の下のほうがしばらく痛かった。
杖を持っていてもふらふらでバランスがとりにくく、歩いてる間中体のいたるところが転ばないように緊張して異様に疲れるし、注意していても実際転倒してるからそとを出歩くことが結構怖くなってる。





このジャイアントEPのジャケット、今でも家にある。