2020/08/22
知覚の地図Ⅻ 砂の海のレストランへ




最初の三枚は今年に入ってから、カメラを落っことしてどれだけサルベージできるかなと書いていたフィルムから。カメラはオリンパスのXA2。最後の真四角写真は2015年にダイアナで撮ったちょっと古いものから。そういえばダイアナはこのところ全然使ってない。ロモグラフィーが復刻させた、昔いろんな会社のイベントでノベルティーとして供給されていた香港生まれの怪しい安価なカメラで、復刻版はさらにそこへロモグラフィーの適当さが加味されて、おそらくオリジナルよりももっと暴れ馬的になってるカメラだと思う。ホルガのもとになったカメラなんだけど、ダイアナに比べたらホルガのほうがまだしっかりとまともに写真が撮れる。
完全に計算された画面作りに価値を置く人ならば偶然が支配するようなカメラはカメラとも認めたくないだろうけど、わたしは統制されることではじき出される物事のほうに、何しろポストモダンなシュルレアリストなものだからいろいろと興味があって、だから始末に負えないカメラも結構馴染んで使ってしまうところがある。そう思うとホルガなんかは偶然が支配しながらも、マイケル・ケンナが愛してしまうほどに何だか最後にはそれなりにきちんと写ってしまう、稀有なカメラなのかもしれない。こんなことを書いてるとダイアナやホルガにフィルムを詰めたくなってきた。わたしのダイアナは、買う時に我ながら何を血迷ったのか「ミスター・ピンク」という名前の、サイケなピンクで飾ってるものを選んでしまい、そのおもちゃ然としてる外観と相まって、いい年をした大人が携えて出るのに相応の覚悟と勢いを要求してくる。
ダイアナは写真家マーク・シンクが80年代、ウォーホルやバスキアを撮ったカメラだ。彼はダイアナについて幸せなアクシデントを生むと評している。これはこのカメラにとってこれ以上にない賛辞だろうと思う。

数か月前から歯茎に小さなぽつぽつとしたできものができて、六月の終わりころに歯医者に行ってきた。結局組織検査をしないと正確に判断できないということになって大きな病院、都合よくわたしが潰瘍性大腸炎で診てもらってる病院の口腔センターに紹介状を書いてもらって、七月いっぱい口腔センター通いに囚われの身となっていた。最初は患部表面組織をぬぐい取っての検査で、その後腫瘍部分を切り取っての組織検査という段取りで進み、検査で切り取った時にできものそのものを取り除く手術は一応終了しているという形になった。
検査結果は、小さいけど腫瘍は腫瘍で、でも良性の乳頭腫というものだったらしい。まぁ質の悪いものではなかったので一安心というところ。口の中の腫瘍ってある程度珍しいのか、診察のたびにセンターの医者が数人わたしの口の中を覗き込みに来ていた。
口の中を切開するというのはやっぱり後が傷がいえるまではかなり鬱陶しい。何せ食事をするたびに動かす場所だし、歯も磨かないでいいとはならないから、なにをするにつけ恐々となる。傷そのものの痛みとしてはそれほどでもなかったものの食べ物が当たっては飛び上がったりといったことは頻繁にあった。
潰瘍性大腸炎で診てもらっている病院ということが内部でうまく情報伝達できていたのか、処方してもらった痛み止めがロキソニンじゃなくてカロナールだった。こういうことは違う病院だといちいち説明する必要があってかなり面倒くさい。カロナールのアセトアミノフェンは潰瘍性大腸炎でもそれほど影響なく服用できるほとんど唯一の鎮痛剤で、わたしは同じ成分の市販薬タイレノールを常備薬にしている。なによりもタイレノールという名前がブレードランナーぽくってかっこいい。
給付金で以前書いたように眼鏡を買った。

これも以前に書いた通りJiNSの眼鏡だ。フレーム代8000円と、短焦点レンズだとフレーム代のみで購入できるんだけどわたしの場合は遠近のレンズなのでプラス5000円といった出費になった。鯖江の日本製だとか海外ブランドものとか上を見ればきりがないし、手ごろな価格で売っているもので実際使ってみてどうなのか確認したいという意味もあって、一度ここで買ってみたかった。もしこの価格帯で過不足なく使えるならいろいろと買い揃えたりすることも気軽にできそうだ。
実際に買ってみると、まぁ全体の質感としては正直なところあまり高級感はない。良く云えばシンプルとでもなるんだろうけど、カジュアルに使えるのは良いとしても、細部のいたるところにひと手間省いているような頼りなさを感じる。一度落としでもすれば簡単に歪んだりしそうな質感だ。これはでも値段相応ってところなのかな。
一つ困ったのはこのあまりにも工夫のない単純で細身のモダンのために、極端な汗っかきのわたしだとこの季節、俯いたりしてると汗で滑って眼鏡がずり落ちてくることだった。これを解消するために三度くらいフィッティングをしてもらったんだけど、結局モダンの部分を曲げすぎて耳が痛くなったりしただけでずり落ちはあまり改善されなかった。耳が痛いのはさすがにかけていられないからこれはさらにフィッティングで直してもらったんだけど、細身でこのシンプルすぎる形では極端に汗をかくという特殊な状況でずり落ちやすくなるというのはフィッティングでは解消不可能かもしれない。エアコンがきいて汗をかかない状態だとまるでずり落ちもせずに気分よくかけていられるから、これはもう夏の間炎天の日差しに打ちひしがれそうになっても、顔を上げ胸をはって上を向いて歩けという天からの啓示なのかもしれないと思うことにした。
まぁ形が変わるとかけ心地も変わるだろうと思うので、違うスタイルのものをもう一本くらいはお試しに買ってみるつもり。高級品一点主義もいいし、一本くらいはそういうのも持っていたいけど、いろいろ買いそろえられる価格帯のほうが生活の中の道具としてはやっぱり面白い。
売り場ではボストンとウェリントンとで相当迷った。丸っぽい眼鏡が好きなのでやっぱりボストンに目が行ったんだけど、今度はこの迷ったウェリントンのを買ってみようか。サングラスでキャッツアイなんて云う逸脱ものを平気でかけているくせに一番オーソドックスなウェリントンタイプって今までに一度もかけたことがない。
最近の買い物の話をもう一つ。携帯用の扇風機の衝動買いだ。

これはもう文字通りの衝動買いで、買ったのは東急ハンズだったんだけど、売り場に置いてあるのを見てそう言えばこういうのを持って歩いてる人が多いなぁと思い至ると自分も一つ持っていてもいいかなと、なんだか知らないうちにレジに持って行ってた。
冷静に考えると効果のほどもおおよそ予想出来て、実際に使ってみるとほぼその予想通りだった。まず炎天下の日中、日差しの中で使うのは単純に30度超えの熱風が吹きかかるだけで涼しくなるわけがない。汗をかいていると気化熱で肌が冷たくなる感覚は出てくるから、濡れた肌という条件下で使って初めて効果らしいものがでてくるものの、これもおそらく木陰とかに避難している場合のことであって、日差しに晒された状態では肌が冷たくなってもたかが知れてるという感じだ。
でも全くの役立たずかというとそんなに云うほどひどいものでもなくて、涼しいとは程遠い状態ではあっても暑さの耐えがたいレベルの目盛りが、耐えがたい範囲の中で二つくらいは下がる気はする。エアコンが効いた部屋に汗をかいた状態で入ってこれを使うと、この場合は目も眩むような効果を得ることだってできる。耐えがたい炎天下でなすすべもなく汗まみれで立ち尽くすような状態には、少なくともなすすべを一つは持っているというのはそれだけで何か逃げ道を見いだせるような気分をもたらしてくれる。
ということで今のところは外出時には欠かさず持って出る道具の一つになっている。
買ったのは良いにしても、買ったことについて実は二つ大失敗をしてる。
一つは全く同じものがOEMなんていう違う装いも纏わずニトリで500円ほども安い値段で売っていたのを発見したこと。東急ハンズで買ったのとパッケージまで同じで、ニトリで売っているくせにニトリのロゴ一つはいってない。
もう一つは黒い服を好むので何の考えもなく黒色のを手に取ったこと。バッグにぶら下げて歩いていると、太陽光でかなり熱くなって冷やす道具とは到底思えないような状態になる。これはもう白を選んでおけばよかったと、白でもおそらく熱くなるだろうとは思うけど、これはやっぱり結構な選択ミスだったと思う。
You Never Give Me Your Money
3:51 Sun King
6:18 Mean Mr. Mustard
7:24 Her Majesty
7:46 Polythene Pam
8:59 She Came In Through The Bathroom Window
10:57 Golden Slumbers
12:29 Carry That Weight
14:05 The End
Ariana Grande - 7 rings (Official Video)
ゆらゆら帝国(Yura Yura Teikoku) - 星ふたつ(Hoshi Futatsu) (Live at 日比谷野外音楽堂)
お気に入りを並べてみて、バラバラな好みだなぁと我ながら思ったものの、まとめて聴いていると、ビートルズの途切れなしの断片的メドレーはこれで一曲として、この三曲の並びのキーワードは「揺らぎ」だなと思いついた。揺らぐものにわたしは見境もなく反応してるんじゃないか。
ゆらゆら帝国のは生きることに必然的に寄り添っていつもそこにある喪失感と、ある種諦観というのもちょっと違うんだけど、寄る辺ない日々の中でその喪失感に抗うでもなく親密な友人と戯れているような視線がいいと思う。ちょっとジャックスを思い浮かべた。
Ariana Grandeのは「My Favorite Things」を大胆に再構築をする過程で、原曲から思いもしないまるで別種の美しさを引き出せてるように思う。普段はこういうポツポツとつぶやくような歌ともなっていない歌い方のは自分としては絶対に聴かないと思っていたんだけど、こういう歌い方でないと立ち現れてこない音空間が確かにあって、それは意外と好みに合うところがありそうだと今更のごとく発見してしまった。
ビートルズのアビーロード後半に収録のメドレーは昔最初に聴いたときは個々の断片は突出した出来である一方、全体としては雑然とした印象を持ったんだけど、様々な切子面を見せながら浮かんでは消えていく様が今では多彩で絢爛豪華な印象へと変わってしまった。個々の断片は本当にこれだけでも王道のポピュラー音楽といった存在感を見せつけてくる。スタートの「You Never Give Me Your Money」からメロディメーカーとしてのポール・マッカートニーの手腕炸裂といった感じなんだけど、この中で出鱈目なスペイン語に切り替わるところとかわりと好きな「San King」はジョン・レノンの曲なんだそうだ。そういわれると確かにこれはジョン・レノンっぽい曲か。ちなみにレノンはこのメドレーをがらくたが集まっただけと評価していたらしい。解散に結びついている感情のとげのようなものが見え隠れする、レノンのこういう水を差すような物言いはあまり同調するところがないなぁ。