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知覚の地図 XXⅥ 白い丘の上で、羅針儀が痙攣しながら示す、遠い石の街。

ペンダント

写真は以前ニコンのデジカメで撮ったもの。このカメラ今では壊れてしまって使えなくなってる。結構使い勝手のいいデジカメだったんだけど、中古で買い直すのも修理に出すのも想定外の出費になるから放置状態だ。
放置と云えば以前にも書いたあと6枚撮れば現像に出せるフィルムが装填されたままのFM3A、あれも結局あれから触りもせずに6枚残ったまま埃をかぶっている。結局潰瘍性大腸炎で動き回れる範囲が極端に狭くなってからの精神状況っていうようなのが、そのままになっているんだと思う。そうこうしているうちにフィルム事情もますます悪化してきてるに違いなく、このところフィルムも買いに行ってないから正確には分からないけど、おそらく種類はもっと少なく価格は常軌を逸したように高価になっているんだろうなぁ。何やかや、いろんな事情が水を差して、写真へのモチベーションが維持しにくくなりつつある。このところはもう手軽も手軽、アイフォンのカメラでかろうじてそのモチベーションを維持している状態なんだけど、それにしてもアイフォンをカメラとして使った時のあの持ちにくさは何だろう。ファインダーをのぞかないと気が済まない感覚の持ち主としてはあの持ちにくさも相まって、写真を撮っている気分には全然なれないまま、結果としては見るからに手軽な写真が手元に残り続けることとなっている。
入れっぱなしの残りの6枚をとにかく撮って現像に出せば、そして今やコードを外して別の機材を繋いでいるPCの差し込み口に再びスキャナーを繋ぎなおせば、多少はあの時の熱が戻ってくるだろうか。現像を頼んでいたところもご無沙汰だけど、今でもわたしのことを覚えてるかな。というか今も現像をやってるのかも不安だ。

赤と白の椅子
Nikon CoolPix S9700

今回は最近お気に入りのコミックの話。
「SHIORI EXPERIENCE~ジミなわたしとヘンなおじさん~」っていう音楽コミック。音楽ものは画面から音が聞こえてきそうなよくできたものがいくつかあるけど、これもその一つじゃないかと思う。
ギターにあこがれて昔バンドを組んでいたものの、今は冴えない女教師となっている主人公が、手違いでクロスロードでの悪魔の契約をしたということになってしまい、その結果、またギターが弾けるという理由だけでそのクロスロードの番人になっていたジミ・ヘンドリックスが主人公の元へ下りてきて憑りついてしまうという話だ。契約に課された条件は27歳が終わるまでに音楽的伝説を作らなければ死ぬということ。でもこの物語を動かすための設定は、主人公本人がほとんど気にしている様子もなく物語の主軸にはなかなかなっていかない。むしろはぐれ者が集まってバンドを結成して、再び一緒に音を出す喜びを見いだす一方、目の前に次々と立ちはだかる様々な障壁に挑み、挫折を味わいながらも成長していくという王道派の熱い物語が、あくの強い悪役を絡めて展開していく。
強烈なのはこの憑依するジミヘンのキャラクターで、もっとも姿は主人公本人やバンドメンバーのオカルト少女にしか見えてはいないんだけど、これがまた音楽に関して無茶苦茶にシリアスでかっこいい言動を見せるかと思えば、タイトル通りアフロヘアのへんなおじさんとしかいいようのないオフビートのお笑いをまき散らすキャラクターへと変貌するような、強烈な個性を発揮している。読んでいてこのお笑いのセンスどこかで体験したことあるんだよなぁと、そのアフロの風貌と相まって記憶を刺激され続け、思い当たったのが、「探偵物語」の工藤ちゃんだった。工藤ちゃんを演じた松田優作があのノリでこのジミヘンを演じたら、おそらくコミックから受ける印象と寸分変わらなくなるんじゃないか。「探偵物語」のノリが好きなら、このコミックも絶対に気に入ると思う。
そして絵が上手い。登場人物の個性が際立ち、みんな同じ顔にしか見えない萌え絵なんて一つも出てこない。ギャグに走るジミヘンも主人公にジャックインしてソウルフルなギターを弾くジミヘンも、両方ともジミヘンそのものであると信じ込ませるほどにイメージ的に説得力がある。演奏シーンの決まったポーズもかっこいい。ギターをもってステージを駆け回り、様になる姿が満載で、それがコミックの中で演奏される音楽の躍動感を伝えてくる。音楽ものコミックとしてはそれほど有名でもないのかなぁ。あまり話題に上ってこないような印象なのがもったいない。


公式サイトの試読のコーナー、ここで第一話を丸ごと試読できる。
https://magazine.jp.square-enix.com/biggangan/tachiyomi/shiori_01/





☆ ☆ ☆

この前3COINSで買った眼鏡ストラップ。前からこういうのが欲しくて自作するつもりだったんだけど、長さがどのくらいだとジャストなのか決めかねてそのままになっていた。売り場で見つけてしまえば、なにせ300円だし、自分で作る時の参考にもなるし、と云うことで試しに一つ購入。つけてみると長さはこれで過不足無しだった。他にもパールビーズと色味の入ったパーツを組み合わせたものなど、三種類ほど売り場にはおいてあって、そのうち他のもまた追加で買ってくるつもりだ。
わたしの眼鏡は老眼鏡の遠近両用だから、頻繁に掛けたり外したりする必要もなくて、そういう用途ではわたしには意味のないアイテムなんだけど、純粋にアクセサリーとしてつけてみたかった。
眼鏡ストラップ1

もうずっとお気に入りのコックシューズ。コックシューズ普及委員会としては紹介する衝動を抑えきれない。以前はシェフメイトと云うのを履いていたけど、最近のこれはアキレスのもので、クッキングメイトと云う名前がついている。コロンとしたシンプルなサボ風のシルエットが、モード系の服だって思いのほか馴染んでしまう。
とにかく雨の日には最強になる靴で、厨房という水場で使うことを想定されているから、濡れた路面でもまるで滑らない。もちろん雨がしみ込むこともない。合皮だから汚れても水拭きで綺麗になる。気楽に履けるのも気に入って、結局雨降りじゃない日も履いて出かけている。
わたしは靴の本体の色と関係なくソールが白い板状になって底にくっついているようなスニーカー的色配分の繊細さの欠片もないセンスが嫌いでスニーカーはほとんど履かない。コックシューズにもこのスニーカー的配色のものが当たり前のようにあるなか、この靴は全体が単一色で統一されているから、そういうポイントでも好みの基準を満たしている。ただソールそのものは白っぽい色なのでそれが気にくわないと云えば気にくわないんだけど、接地しいている状態では見える範囲にはほとんど出てこないから、まぁ良いとしよう。
今年の冬はドクター・マーチンのブーツとクレマンのチロリアン・シューズとこれのローテーションでいってみよう。
ちなみに寒くなってからはこういう感じの上にGジャンという組み合わせが多い。
コックシューズとスカート









知覚の地図Ⅲ かっこいいブーツ! 今年もお終い。

茫洋とした希望





彼方にある展望

コンセプトによる写真はそのコンセプトを理解すれば写真も分かりやすくなる。云うならばその写真の繰り出す答えは割り切れる。対し直感による写真はおそらく割り切れない。来年はちょっとそういう直感による写真を撮ってみたい。つまりは撮った本人にもそれが何なのか分からないような写真。どこかで見たような洒落た雰囲気のかっこいい写真をまねて撮るようなことは極力避けよう。そんなのを撮るくらいなら、誰も撮る気を起こさない、まるでちっともかっこよくない写真を撮るほうがずっとましだ。

少し前の記事を読み直していて、涼しくなったらブーツを買うというようなことを書いていたのを思い出した。実際にこの冬ブーツを買ったからブーツを履いてやろうという野望は夏の始まりの頃から持っていたということだ。
きっかけは雑誌というかムックで見たこの写真。おぉ、かっこいい。一歩間違うと路上生活者だけどもちろんそっち方向へはまるで踏み込んでいない。定型を嫌い、漂泊、流浪なんていうロマンチシズムとどこか通底しているところがある、なんていうとちょっと云いすぎか。どう見てもゴージャスという出で立ちでもなく、つげ義春の「貧困旅行記」なんていうのを愛読している、わたしの無産者的な感性ともひょっとしたら近いところがあるのかもしれない。
この写真が載っていたムックは「FASHION PORTRAIT LONDON」というタイトル。エイ出版社から出版されている。

かっこいいブーツ

まぁロンドンでブーツといえばパンク御用達のドクター・マーチンの8アイ・ブーツ辺りが代表格だろうし、これも最初見た時はそうだろうと思ったんだけど、よく見るとパンキッシュでもなくトレッキングシューズのブーツバージョンといったところか。ちょっと探してみたけどオールレザーのエロチックな質感のトレッキングシューズというのはあまり数多くもなく、しかもある程度のロングブーツでかっこいいとなるとほとんど見つからない。そんなこんなで目当てのブーツが見つからないまま、あまり費用をかけたくないということも相まって結局買ったのは一気に理想も下がって中国製の、レザーと表記にあるものの本当かどうか分からないようなドクター・マーチンもどきといった代物になってしまった。どんなものかためしに一度履いてみるという意味ならまぁこれでもいいか。それにしてもこの写真のブーツはどこのブランドのものなんだろう?
そっくりマーチンを履いて歩いてみると、これはまるで足首にギプスでもしているような感じで最初の日は普通にトラブルが出そうなかかととかじゃなく履き口の辺りが痛くなった。足首の部分がほとんど思うように曲がらないからしゃがむのも一苦労。履き口も足の動きにスムーズについてこないからこの痛さなんだろう。この手のブーツがこんなに不自由な履き心地だとは予想もしていなかったけど、何回か履いているうちに履き口の痛さはほとんど感じられなくなり、足のほうがブーツとはこういう感覚のものだから仕方ないとでも諦めてしまったような状態となった。最初のこのギプス的な感覚はなにも中国製偽物マーチンだからということでもなく、本来的にこの形の靴はこういうものなんだろうと思う。
でも決して履き心地がいいわけでもないのにやっぱりこの見た目は気を引かれる。足首辺りに現れる革のしわの入り具合がいつもフェティッシュな美しいものとして見えてくる。
それにしてもアマゾンにはマーチン・ブーツというカテゴリーで怪しい靴がいっぱい並んでいる。

ライトグレーのグレンチェックだけど似たようなツィードのチェスターコートも持っているし、胸に留める四角いバッジまでも手元にある。一夏探して迷彩のパーカーというか、これはコートの類になるのか、中に着ているものは似たものさえも見つけられなかったのが今のところ残念だがコート・オン・コートのような過剰感は何らかの形で身に纏いたい。ボロボロのジーンズは趣味じゃないのでこれはコーデとしてはあまり採用したくないといった感じで、ブーツを元に組み立てるファッションというスタイルになると思うけど、これが今年の冬の服装に関する関心事となっている。

年末になって身内に不幸があった。
気分的に結構まいってしまってしばらくブログから離れようかとも思ったけど、こういうことを続けるのも気晴らしになるかもと考え直して、とりあえずは続けてみることにした。もともと一月に一度なんていう更新頻度だし、休みながらだったとしても見た目は大して変わらないかもしれない。
ということでしばらくはたまにしか出て来られないかもしれないけど、来年もよろしく。
そして今年も一年ありがとう。



伝統と破壊が同居しせめぎ合うようなイギリスの文化は音楽だけじゃなくてファッションにおいても面白い。ことにメンズのファッションは基本が規範でありルールであるにもかかわらず、その不自由さをものともせずにみんな好き勝手に服を楽しんでいる様子がよく分かる、そんな写真が一杯掲載されている。
服装で自由になるって本当に難しいんだよ。


一応本物らしいドクター・マーチンの1460 8アイ・ブーツ。それにしても今回通販で靴を買ってみたけど、これは本当に冒険だった。レビューを参考にしようとも普段サイズで十分という人と大きいという人と小さいという人が入り乱れてまるで判断の材料にならない。まぁサイズ交換できる場合が多いとはいえ手続きは面倒だし、注文ボタンを押すにはちょっとした勢いが必要だった。当然試着後でも交換可能と表記されている靴を選ぶのがベストで、結果としてサイズがぴったり合うなら、アイテム数が桁外れに多い分、通販で靴を買うというのは結構ありかもしれない。