2014/04/26
【写真】伏見稲荷大社にて 6 熊鷹社から四つ辻へ +【音楽】 Old Folks - Joe Pass & Niels-Henning Orsted Pedersen

稲荷山へ向かう鳥居の道を進んで最初に出会う御神蹟である熊鷹社の前を過ぎると、ほぼ間をおかずに石段で出来た登り坂の鳥居の参道が待ち構えています。この石段を登り始めて、おそらく稲荷山に来て初めて、意外と本格的な登山になるのか…と予感めいたものを覚える人も多いはず。どのくらいの長さの石段が控えてるのかある程度分かってしまうと、この段階ではそれほど大した登攀でもなく、事実三つ辻まで最初と最後に傾斜のある石段部分が待ち構えてはいるものの、中間の部分は踊り場のような緩やかな坂道となって、登っていく道としてはそれほど過酷なものでもなかったりします。
でも最初の分岐点である三つ辻まで、登山的なことをするとは予想してないで歩いたとしたら、結構息が上がってしまう道筋にはなってるかもしれません。
熊鷹社からのこの鳥居の登り参道は三つ辻というところで一旦休息ポイントになって、熊鷹社から登ってきた人はこの分岐点で、ようやく着いたと一息入れてる人がほとんど。でもこの分岐ポイントに掲げてある稲荷山の参道全体図をみて、まだほとんどとば口にも立ってないような場所にいると知ると、大半の人がまだこれだけしか登ってない!?って云うような顔になってたりします。
それにしても神社とかお寺とか、山の上にある場合が多いというか、ルネ・ドーマルの「類推の山」のように、山というのが登ることにおいて聖性に近づく場所である場合が多いと考えられてるからだろうけど、これは登ることで修行してるような意味合いもかねてるんだろうと思います。
三つ辻でさらに山頂へ向かう道と、今やってきた熊鷹社からの登りの参道と、もう一つ裏参道、産婆稲荷のほうへ抜ける道の三手に別れることとなります。別に裏参道のほうから登ってここまでやってきてもいいんだけど、こちらのルートは稲荷山からの帰り道として利用されてるよう。でも半ばから民家の間を抜けていくようになるなだらかな坂道で、あまり登山をしてるという自覚なしにこの三つ辻まで出てこれるような道なので、こちらから登ってくるのも新鮮でいいかもしれません。さらにこの道には伏見稲荷大社の管轄外の宗教施設、大日本大道教といった新興宗教の施設のようなものが建っていたり、神社銀座のような様相を帯びていたりと、ちょっと風変わりな雰囲気が漂う場所でもあるし。
熊鷹社から登ってくると、ここで登山に辟易して、もう帰るという気分にならない限りは選択する道は一つ、稲荷山山頂へと向かう参道となります。

三つ辻にある茶店の古い鏡。
これ、鏡の中に茶店の様子がもうちょっと入っていればよかった。ここの特徴の古びた大時計は写り込んでるんだけど。

稲荷山の森の木々の間を分け入るように延びていく鳥居の参道。いつの間にか本殿近くの鳥居の参道とはまるで様相が変ってきてます。
ここから稲荷山山頂へ向かう参道が本格的な体力勝負の運動場になっていくというか、稲荷山散歩程度に考えていた大半の人にとって、おそらく予想を超えて過酷なものへと変貌していきます。
次の分岐点である四つ辻まで、間に四軒の休息所というか茶店をおいて、その店の前だけは平坦な道になってるけどそれ以外は徹底的に登るだけの石段構成になった参道が続いていくこととなり、その石段の総数は約400段。
もっとも石段だけが延々と積み重なってるとはいえ、だからといって連続して上り続けなければならないというわけでもなく、石段の途中で休んでもいいわけだけど、休みを入れながらでもこれはちょっときつい行程となるはず。これも四軒の茶店をはさんだ四つ辻までの構成を知ってると後どのくらいというのが分かるから上りやすくなるものの、初めて登ったりした時はおそらくいつ果てるともない石段が目の前にあるという印象になると思います。
途上に間を置いて茶店が四軒もあるというのがこの石段の参道の性質を良く表してるかもしれません。
ちなみに四軒の茶店は、もっと上のほうにある御神蹟も同じようだけど、参道をはさんで店の前にあるお塚や御神蹟の守りをしてる家のようで、正確なところは知らないけど休憩所の営業はそのついでにやってるような感じに見えます。どの家もふもとからここへ通ってくるんじゃなくて、この稲荷山の中で神様の世話をしながら生活してるようです。
ちなみにどの店も午後四時頃になると早々と店仕舞いしてしまうので、記念に何か食べて行こうなんていう計画なら早めに登り始めたほうがいいかも。

これは去年の夏の終わり頃に撮った写真だなぁ。かき氷の幟が立ってる。稲荷山に始めて登ったときだったんじゃないかな。四つ辻の広場、西村亭の前です。
約400段の石段を上り詰めると、今度は四方向(正確には五方向だと思うんだけど)へ分岐する四つ辻に到着します。それまで森の中を通っていた参道はここでちょっと開けた、小さな広場といった場所に出てきます。下界の京都市内の景観が見られるのもこの場所と、荒神峰をもうちょっと登ったところのある開けた場所の二箇所くらい。四つ辻は一番最初に京都市内を俯瞰できるようになる場所なので、ここで一休みして写真撮ってる人が多いです。
大概山登りしてきた気分でここまでたどり着くんだけど、実は稲荷山の御神蹟巡りのここが出発点となるような場所で、行程としては半分来たか来ないかくらいのロケーションになってます。四方向に分かれた参道のまたすぐ初めから石段が登っていくのを目にしてここで帰ってしまう人多数。
ちょっと開けた場所に出てくるというのと、明らかに区切りの場所のような印象があるので、ここにある茶店の西村亭ではさらにさきへ行く人とここから帰る人、休憩する人に写真撮る人と、それまでの茶店にはなかった賑わいというか活気があったりします。ちなみにこの茶店、俳優の西村和彦の実家だそうで、男前の子供をこの世に送り出したおじさんおばさんの顔を見ることができます。
四つ辻から分岐する参道は、まず一の峰、二の峰などを巡り、御神蹟を訪ねながら、稲荷山山頂を経由して戻ってくる巡回路の入り口と出口の二本。
これは円を描くように稲荷山を囲む参道なので、どちらから入っても必ずもう一方の参道からこの四つ辻に戻ってくることとなります。巡る方向は正式には時計回りらしいんだけど、別にどちらから巡っても罰が当たるというようなことはない模様。ちなみに登攀の険しさは頂上の一の峰直前に果てしないと思える登りの石段がある時計回りのほうが勝ってます。これは逆ルートになると果てしなく下っていく石段へと変貌することになり、かなり楽。紫式部だったか稲荷山参りの途中でへばってしまったのはこの部分だったそう。
三つ辻から登ってきた参道を別にするともう一本は、四つ辻のすぐそばの荒神峰のうえにある田中社への石段で、四つ辻から始まる石段の麓に立って上を見れば、5~60段くらいか、その石段の先に社が見えてるから、これは参道というほどの道でもなかったりします。祭神は田中大神、あるいは礼拝所に記されてる名前で言うと権太夫大神とあるものの、実のところ田中大神の神格やこの場所に設置された由来とかは分からないらしいです。別の名前の権太夫大神のほうもこれに輪をかけて不明ということで、稲荷山の御神蹟は謎めいたことが多いです。

荒神峰へ。

四つ辻からの石段を上り詰めたところにある田中社。

四つ辻からの参道には、さらに荒神峰の麓を回り込むように延びていく平坦な脇道があって、ここは稲荷山にやってきた人もほとんど踏み入れない山間の小道、木漏れ日が綺麗だけど、半ば朽ち果てたような鳥居が思いついたように立ってる、いかにも正規ルートから外れてるといった印象の道で、この道を進むと御幸奉拝所というところにたどり着くことになります。
御幸奉拝所はほとんど人がいなくて、そういう人の気配がない雰囲気と他のご神蹟とはちょっと異なる、巨石文明の跡に踏み入れたらこんなだろうなぁという雰囲気で、まるでMISTの世界かというほどの異次元的な空間に迷い込んだような気分になるところでした。
御幸奉拝所でもう一つ吃驚するのが車が止まってる場所があるということ。森の中の登山を続けて辿りつく四つ辻の近くに下界代表のような車の姿を見て、初めはちょっと吃驚しました。御幸奉拝所の向こうはスキー場のような急坂の舗装路が下のほうへと延びていて、この急斜面をもう一度登ってくるのは不可能と思ったからそこから先は進まなかったけど、後で調べるとふもとの町並みの中にそのまま続いてる道だったようです。車はどうやらそのルートで登ってきてる?
荒神峰の頂上にある田中社の中を通りぬけさらに峰の高みへと進んでいくと視界が広がった場所に出てくることになります。田中社までやってきてもここまで来る人はあまりいないようだけど、京都市内の景観は四つ辻よりもさらに広がりがあって、こちらのほうが見晴らしがいいです。

四つ辻よりもさらに視界が広がる場所。見晴らしはいいけど、崖のようになってるのに、手すりの類が何も設置されてないです。これ、容易に落ちてしまう可能性があるんだけど、稲荷山全体にこういうところはおおらかという感じがします。無造作に開いた人の気配のない空間に、広告塔なのか鉄骨むき出しの謎めいた構築物がたっていて、これがこの空間を異化してるような雰囲気で、ちょっと超現実的な感じが漂ってます。


でも市内の絶景よりも傍らにあった木立の様子のほうが気を引いたりして。
この見晴らしのいい場所からさらに先へと延びている道はそのまま下り坂となり、上に書いた御幸奉拝所への脇道と合流します。この田中社からの道と御幸奉拝所への道の合流地点から、さらにもう一本の脇道が派生していて、これは白瀧社へ至る参道なんだけど、この道がまた凄い。

完全に谷間に延びていく山道で、同じく谷間に個絶して建ってる白瀧社にたどり着くまで、周囲は人家の気配など皆無の、谷の木々しかないような場所。しかもわたしが歩いた時でこの道を歩いていた人とであったのは一度きりというくらい通る人がほとんどいません。一応石畳と石段で道の体裁は整えてあるけど、鳥居は間を置いてしか立っておらず、しかも朽ち果てて倒壊したんだろうと思われる鳥居の台座がそのままの形で再建されることもなく放置されてるところも散見されます。鳥居を奉納する人もほとんど人が来ないようなところに立てる気にはならないのかも。
この道は稲荷山の他の参道同様に、どこにも通行止めはしてないから歩くつもりなら夜中でも歩けます。でもこの谷間の参道は昼に歩いてもどこか入り込んではいけないところにに迷い込んだんじゃないかという不安感があったから、夜中に歩くのは怖すぎてちょっと無理だろうと思います。
谷の奥深いところに唐突に建ってる白瀧社までやってくると、かなり予想外の、おどろおどろしいものとは対極にあるような、まるでキャラクターグッズにそのままできそうなほど可愛らしい白瀧蛇様に出会うことが出来るので、正規ルートとはかなり外れてるんだけど、物は試しにここまでやってくるのも変った体験ができていいかもしれないです。

GRDⅢ
☆ ☆ ☆
裏参道の猫。

明確にテリトリーがあるようで、この猫はいつも一匹狼のように他の猫がたむろしてる所とはちょっと離れた場所で見かけることが多いです。
☆ ☆ ☆
使ったカメラは稲荷山地図がGRDⅢ、モノクロがニコンのF3HP、猫がキヤノンのオートボーイFXLで、それ以外はオリンパスのOM-1とOM-2を使ってます。
OM-1とOM-2に関しては、レンズは同じオリンパスのOMシステムのものなので、本体が代わっても、絵的にどうのこうのというより、撮ってる本人の使い勝手が変化してる程度の違いしかないかも。ほとんど50mmの標準レンズで撮ってます。
☆ ☆ ☆
Joe Pass & Niels-Henning Orsted Pedersen - Old Folks
他のプレイヤーのオールド・フォークスを物色していて、これに出会い、思わず聴き入ってしまいました。
たった二つの楽器でこんなに情緒豊かに色彩感にあふれた音空間を作れるというのはかなり驚異的。
ジョー・パスもニールス・ペデルセンも既にこの世の人じゃないので、こういう凄い演奏の記録が残ってるのは本当にありがたいという感じがします。
ところでWikiなんか見ると、ジョー・パスのギターは我流なんて書いてあったけど、我流で本当にここまでいけるものなのかなぁ。信じられない。
曲は1938年、ウィラード・ロビソンという当時のポピュラー曲を書いていた作曲家の手によるスタンダード・ナンバー。演奏だとチャーリー・パーカーのものなんかが有名だけど、結構いろんな人が演奏してます。
わたしはこの曲、素朴でどことなく愛らしい感じがするのが好き。よく聴いたのはグラント・グリーンやケニー・ドーハムが演奏したものでした。
グラント・グリーンのはオルガンでジャック・マクダフが参加していて、このオルガンのソウルフルな響きがかっこよかったです。