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2013.07/30 [Tue]
ナチスをめざす自民党
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参議院選挙で「勝った」自民党の麻生副総理が本音をさらけ出した。
29日、都内の講演で「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。(国民が)騒がないで、納得して変わっている。喧騒(けんそう)の中で決めないでほしい」と語ったという。
やっぱりこの人、まっ正直だわ。
自民党がお手本にしているのがナチス党であることをあけすけに語ってくれた。
わたしは自民党改憲案の最悪の内容の一つが「非常事態宣言」にあり「これは1933年3月にヒトラーがドイツ国会に認めさせた「民族および国家の危難を除去するための法律」(全権委任法)の日本版である」と指摘しておいた。
そしたら、それを成立させるために手段もナチスに見習おうというのだから、自民党はナチスに変質しているといっていい。
日本の民主主義の危機である。
だが、麻生氏はドイツ史をよく知っていないらしい。
ワイマール憲法が死んだのは、全権委任法の成立。
だが、それは「(国民が)騒がないで、納得して変わっ」たどころか、暴力と謀略によって騙して変えられたのだ。
1932年から全政党の禁止までを年表にした。
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1932年
7月31日、国会議員選挙。ナチス党が37.3%、230議席を獲得し第一党となる。共産党14.3%、89議席。
11月6日、国会議員選挙。ナチス党は33.1%、34議席を失ったが196議席を確保し第一党の地位を保持する。共産党16.9%、100議席。
1933年
1月30日、ヒンデンブルク大統領は、周囲に説得されてアドルフ・ヒトラーを首相に任命。ヒトラーは国会を解散する。
2月27日 国会議事堂放火事件発生。ヒトラーは緊急大統領令を布告させ非常事態を宣言、ワイマール共和国憲法によって成立した基本的人権や労働者の権利のほとんどは停止され、地方行政を支配した。
3月5日 国会議員選挙。ナチス党は43.9%の票を獲得、288議席。 共産党12.3%、81議席。
3月10日、バイエルン州政府を解体。すべての州が国家支配を受けることになる。
3月21日 新国会の開会式。ヒトラーはワイマール共和国の伝統を否定し、ドイツ帝国からの権威継承を表明する。国民高揚の日と名付けられ祝日となる。
3月23日 議会において授権法(全権委任法)が成立。立法権をヒトラー政権が掌握し、独裁体制が確立された。
※ヒトラーが目論んだ全権委任法成立には総議員の2/3の出席と、出席議員の2/3の賛成を必要としたが、ヒトラー与党は2/3に足りなかった。そこで、ヒトラー政権は議院運営規則を改め、無届けの欠席は出席したものと見なすことができるようにした。その上で共産党議員を全員逮捕することで、「無届けの欠席をした」ことにしたのである。3月23日に全権委任法が成立すると、共産党は同法によって3月31日結社禁止となり、国会・地方全ての議席を剥奪された。
3月31日 「ラントとライヒの均制に関する暫定法律」公布。各州議会の議席が国会の議席配分に従って決められるようになり、地方自治権はほぼ停止する。
4月7日、「ラントとライヒの均制化に関する暫定法律の第二法律」公布。中央政府から各州政府に総督が派遣される。
4月26日、プロイセン州警察政治部門がプロイセン州秘密警察局(ゲシュタポ)と改名。
7月14日、「政党新設禁止法」公布。ナチ党以外の政党の存続・結成が禁止される。
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心せよ!
自民(ナチス)党による謀略、暴力を粉砕せよ!
日本の民主主義を守れ!!
麻生太郎副総理「ナチスの手口」発言 (メモ)
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それにしても、麻生はナチスの支配したドイツは最後はどうなったか分かっているのだろうか。分かっていれば反面教師にすることはあれども、肯定的な手本になどできないはずだが。