とりあえずすでに書かれている関連記事をば。
漢字テストのふしぎ - しろもじメモランダム
東京ビデオフェスティバル2007 | 作品視聴 漢字テストのふしぎ
ちょうど1年ほど前に、東京ビデオフェスティバルで大賞を受賞した作品。長野県梓川高等学校放送部が制作。この作品についての記事は読んだことがあったが、実際の映像は初めて見た。よくできている。小中高200名の先生による漢字テストの採点のバラツキや基準の曖昧さに着目し、要因を解明する行動の取材記録。教育委員会、文化庁などの関係部門に基準はなく、入試基準か先生のこだわりなのか。様々な発見や矛盾を高校生が明らかにしていく。
東京ビデオフェスティバル2007 | 作品視聴問題の常用漢字表などはこちらから。 → 国語施策情報システム
漢字を楽しむ2 - 情報教育とこじまん
阿辻哲次著「漢字を楽しむ」(講談社現代新書刊)に「漢字の書き取りを考える」という項目があります。そこに紹介されている「漢字テストのふしぎ」(長野県梓川高等学校放送部制作 東京ビデオフェスティバル2007大賞受賞作)の内容が大変おもしろいものです。メディアリテラシーの観点からも大変すばらしい作品です。
「環境の「環」の字のツクリ下の棒ははねるか?とめるか?」「とめなければ間違いか?」教員は慣習として厳しくチェックしがちだけれども、はたして、それは何を根拠にしているのか?という疑問を徹底的に調べていきます。小・中・高校の先生だけでなく県の教育委員会。文科省の担当者までさかのぼっていきます。文科省の担当者は常用漢字表から教育用に抽出された「学年別漢字配当表に示す字体を標準とするが、てがかりとするものであり、その字体以外を誤りとするものではない、と書かれている」「柔軟に対応しなさいというのが当時の文部省の正式見解」と説明していました。では、基準は?と問われて出てきたのが高校入試の基準でした。
著者はそんなに厳しくチェックする必要がないと断言します。常用漢字表の成り立ちの歴史を紐解き、戦後にとりあえず決まった形であることを明らかにしていきます。書道の名家の書体をいくつか出してきて、漢字テストで×になる書き方が、実際には行われていることを示します。「辞書のとおりに書かないとまちがい」は書体のデザインによってまったく違ってくるので理屈にならない、だから、ハネ・トメくらいで×にするな!という論です。
思えば、なんとなく信念のようにやっていることでも、実は根拠のないことはけっこうあるものです。当然、厳しければ何でもよい訳ではないですね。反省させられました。
まず、ここまで調査した行動力、プラスこの動画を作った行動力に敬意を表したい。
小中高の先生方がいかに指導要領をちゃんと読んでないかが露見してしまったw ま~べつにだからどうだとか思いませんけれど(笑)。
私は、小中高校では標準の字体のみを正解とし、それ以外の字体については、たとえ漢和辞典上で認められている字体であったり、世間的に使用することが十分に一般化している字体であっても、断じて×にすべきであるという意見だ。
それから、いわゆる教科書体でない字、楷書体でない字、正しいかどうかの判定に思わず悩んでしまうような字もことごとく×にすべきであると思う。
理由は、学校というのは、標準とは何かを知ってもらうところだから。「教科書的にはこう」というのを知っておくことの大切さ、というか。
VTRでは、学校の基準で採点すると0点なのに、社会に出て通用するかどうかという基準で採点すると100点になっちゃう、というような極端な例が出ていたが、そもそもこういう問題をほんとうに解決したいのなら、べつに先生自身が「私が基準よ」なんて独裁政権みたいなことを言わなくても、漢字テストの問題の文面に「小中高校で標準と定められている字体で書け。それ以外の字体はたとえ社会で一般に使用されているものであっても認められない。また、正しいかどうか判断に悩むようなものはすべて×とする」と一言断っておけば済むだけの話ではないのか? それを渋って、「つぎの下線部を漢字で書きなさい」といような曖昧な指示をするから、生徒に突っ込まれるハメになるんだよ。それでなくても試験、とくに入試ってヤツはいろいろとピリピリしなくちゃいけない要素が満載なんだから、こういうところで足下を掬われるのは非常に間抜けだ。わずかな努力で一部の生徒の屁理屈を封じ込められるのに、なぜそうしないのだろうか。一部の屁理屈好きな生徒に突っ込ませて、いろいろ調べさせること自体も含めて、指導要領には暗に規定されている、というふうに読め、ということなのだろうか(笑)。
もし、保健の「保」の字を標準自体で書かなかったことが原因で高校入試に落ちて、裁判になったときどうなるか?、なんて例が出ていたけれど、そんなもん、却下に決まってんだろ! いや、しょうもなすぎて相手にしてもらえない可能性もあるな(笑)。こーゆーことに裁判所のリソースが費やされなければならないこと自体がはなはだ不服だ、もしほんとうにこの手の裁判があったなら。
こういうことを言うと、「でも、正解かどうか微妙な字を書いたくせに隣のうちの何々ちゃんは合格していて、同じような微妙な字を書いたうちの○子ちゃんは不合格になった、不公平じゃないか!」という意見が出て、それが情緒的に多くの人々の支持を集めちゃったりなんかすることがありそうだけど、そもそも入試は不公平なんだからいまさら騒いでもしようがない(或いは、その隣の何々ちゃんのほうが可哀想なのかもしれない。小手先のテクで受かってもあとあと苦労が多いだけという説もある)。
だいたい、就職試験がお見合いにたとえられるように、高校入試でも、最終的には、合格にするかどうかは採る側の人間の直感的な判断にゆだねられる。だから、そういう意味では、このVTRは、「漢字テストというものがいかに客観的に採点することができないシロモノであるか」という常識を復権させた点で功績があったと言えよう。
就職試験やお見合いが不公平で、高校入試だけが不公平じゃない、なんてことはありえない。公平に見せかけてるだけだ。見せかけられているだけなのに、ほんとうに公平だと思っちゃうとヤバイ。
漢和辞典で調べちゃった子も、そこは割り切ったほうがいい。
「私の意見は漢和辞典でも認められている正しい認識のはずなのに、はずなのに、ガッコーでは×される」という煮えたぎるような怒りは一瞬こらえて、「学校のなかでは、学校が求めているような生徒を演じておけばいいんだよ。」ということをもっと知れ、と思う。もちろんこれには、「いい子」を演じすぎることの弊害が指摘されてしかるべきであるが、一般的に言って「学校が何を求めているか分かっててそれに故意に反する子」と「そもそも学校が何を求めているか分からない子」が居たときに、教師はどちらを指導することに優先的にリソースを配分しなければいけないかということも、もうちょっと考えてもらいたい。
「学校なんて所詮そんなとこ」、「学校が最も優先すべきことは全体の底上げ」、自分で漢和辞典に手を伸ばしちゃうような子まで手が回らないのが現状。そういう子は放っておいても勉強する。学校の先生がまずはリソースを割くべきなのは「そもそも標準の字体というのがなんなのか知らない子」なのだ。
実は、似たようなことが数学でもある。高校数学の問題で、高校では習わないこと(ふつう大学以降で学ぶこと)を使って問題を解き、その解答が「数学的に見て正しい」場合、先生は○をすべきかどうか、という。
私は、実は、この場合は○をすべきなんじゃないのかなと思っている。理由は、これは漢字の場合と違って、数学的に正しいか正しくないかは、主観によらずに判断可能だからだ。
それからもう1つ気になった点。それは、この学生の行動力がなに由来なのかということ。
自分がたまたま標準の漢字を覚えていなかったことへの腹いせに端を発し、それゆえに漢和辞典に手を伸ばし、小中高校の先生や文科省や県庁や教委にインタビューまで行なうまでに至ったのだとしたら、自分が標準の漢字を覚えていなかったことを隠蔽or否認したいがゆえの行動力であったなら、ちょっと考えてしまう(※1)。そういう行動力を我々はどう見るべきなのだろうか。こういうことを手放しで賞賛してしまうことは、裁判でやくざ的に慰謝料をかすめ取る能力ばかりが錬磨されることになるが、果たしてそんな人間ばかりが増えることが望ましいことなのだろうか。
人間がすごい勢いで頑張っちゃうときというのは、いろいろあって、「その理由」もさまざまだ。それ自体はすばらしいことだと思う。起きている間中ずっとそれをやってても苦痛を感じないほどに、それはその人に適性があった行動だ言えると思うから。でも、その理由のすべてを手放しで肯定していいのかどうかって言われると、ちょっとためらってしまう。今回のこのVTR制作の理非について、肯定的な意見が多い中、こういう問いかけをしておくことも、あながち無意味なことではあるまい。「自分が疑問に思ったことを徹底的に追求しようとする姿勢」がいけないことであると考えられるような状況というのは存在するのだろうか。
※1 なぜ、このVTRの冒頭に登場する子は、標準の字体を書かなかったのだろうか。もし標準の字体とちょっとずれた字体の両方を知っていたとしたら、その時点で「どちらを書くべきか」ということを考えなかったのだろうか。もし、それのちゃんとした吟味を経た上での失点だということであれば、それは、どちらが標準であるかに関する知識の欠如ゆえの失点ということになる。
最後に。これは長野県梓川高等学校放送部の人たちによる制作らしいが、
(1)このVTRの発端がどこにあるのかがやや不明確なこと(原点となるURLの不在)、具体的には、ニコ動で紹介されているURL以外にも類似URLが存在すること(※2)、
(2)またそれゆえに、はてブなどを通じてこれに関心を持った人同士が互いを参照しやすくなるような環境が整備されているとは言いがたいこと、
などの、PR上の問題点も感じられた。もしここをご覧頂けていたなら、是非こういったことも今後の参考にして頂けたらと思う。このVTRを制作された長野県梓川高等学校放送部の皆さん、ほんとうにお疲れ様でした。これからも様々な舞台で活躍されることを期待しております。
※2 本家URLとして、現時点で下記の3つがあるようだ。このURLに関係する関係者がたよ、URLが統一されていないことが、これに関心を持つ人間たちの間の交流を消極的に阻害しているということに、もう少し、自覚的であってほしい。
http://tvf2009.jp/movie2/vote2007.php?itemid=134
http://tvf2008.jp/movie2/vote2007.php?itemid=134
http://tvf2007.jp/movie2/vote2007.php?itemid=134
「学校の求めている生徒」が「社会に必要な人間」とは限らないわけで。
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