タイトルの書、一気に読んだ。
久々なのでテストも兼ねて。短く。
主張としては納得。
加害者が更生するにあたって、被害者の存在や被害者に同情・共感する人たちは邪魔でしかないということ、加害者もまた被害者であるということが強調され、痛快である。
思ったのは、とにかく反省を急がせたがる側もまた、なにかの被害者なのではないかということ。
性的役割分担を幼いころから子どもに求めたり、悪いことをした際に反省の決意を述べさせることがなぜ社会に浸透しているのか、も問われるべきだろう。
「反省してるかどうかによって量刑を変えない」あたりが、さしあたりすぐに実行可能なことかなと思ったり。
被害者と加害者が、ともにその後の人生を幸せに生きていくためには、その被害者と加害者は、同じ世界に住まないことが求められるのかなと。
同じ世界に住むという前提に立つから、加害者の更生がいつまで経っても実現されない。
久々なのでテストも兼ねて。短く。
主張としては納得。
加害者が更生するにあたって、被害者の存在や被害者に同情・共感する人たちは邪魔でしかないということ、加害者もまた被害者であるということが強調され、痛快である。
思ったのは、とにかく反省を急がせたがる側もまた、なにかの被害者なのではないかということ。
性的役割分担を幼いころから子どもに求めたり、悪いことをした際に反省の決意を述べさせることがなぜ社会に浸透しているのか、も問われるべきだろう。
「反省してるかどうかによって量刑を変えない」あたりが、さしあたりすぐに実行可能なことかなと思ったり。
被害者と加害者が、ともにその後の人生を幸せに生きていくためには、その被害者と加害者は、同じ世界に住まないことが求められるのかなと。
同じ世界に住むという前提に立つから、加害者の更生がいつまで経っても実現されない。
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